国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)

English >

レポート:国際大学GLOCOM公開コロキウム「子どもと携帯電話 新しい局面にどう対応すべきか」

  • 講師:藤川大祐(千葉大学准教授)
  • 討議:岡村信悟(総務省総合通信基盤局)、楠正憲(マイクロソフト株式会社)
  • 司会:豊福晋平(国際大学GLOCOM)
  • 日時:2009年4月27日(月) 午後2時~5時
  • 会場:国際大学グローバル・ コミュニケーション ・センター
    (東京都港区六本木6-15-21ハークス六本木ビル2F)
    地図:http://www.glocom.ac.jp/access/
※→ITmediaによる記事へ

はじめに

2009年4月1日、青少年インターネット環境整備法が施行された。この法律により、携帯電話・PHS事業者は、18歳未満の者に携帯電話・PHSを販売するときに、保護者の申出がない限り、インターネット上の有害情報の閲覧を制限するフィルタリングサービスを設定することとなった。また、一般社団法人モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)が2008年4月に発足し、モバイルコンテンツの認定や運用監視、フィルタリングの改善やICTリテラシーの啓発に取り組んでいる。子どもと携帯電話をめぐる状況は刻一刻と変化している。2009年4月27日、このテーマに関するコロキウムが開催された。

藤川による講演

本コロキウムは、藤川による講演から始まった。その内容は大別すると、(1)子どもと携帯電話をめぐる現状の確認、(2)対策や教育実践、の二つから構成されていた。(1)に関してはまず、文科省の数量データを用いた所持状況および用途の提示、「モバゲータウン」「魔法のiランド」「プロフ」といったサービスの概観、いわゆる学校裏サイトとネットいじめの現状確認、フィルタリングの利用状況・家庭内での利用のルール・トラブルの内訳に関するデータの提示など、がなされた。藤川はそのなかで、携帯電話を所持していない子どももトラブルに巻き込まれてしまう問題(例:カメラ機能で裸の画像を撮影されアップされるいじめ)や、サイトの利用状況とフィルタリングが高校生くらいでは噛み合っていない現状、中学生くらいまでに使用経験がない場合基本的なトラブルに対処できないという問題など、単純な利用禁止では解決につながらない子どもの環境の変化を描き出した。(2)に関しては、携帯電話会社による利用教育のあり方、日本のメディアリテラシー教育の遅れが示され、リテラシー教育のシミュレーションが藤川によってなされた。そして、藤川が関わってきたものを中心とした教材の紹介と、携帯電話とのつきあい方の案が提示され、講演は終了した。

四氏による討議

講演後、岡村・楠・豊福の三氏からそれぞれコメントがなされた。岡村はこれまでの政策の取り組みに対する懐疑、すなわち霞ヶ関の錯綜が果たして何を残してきたのかという観点から、問題そのものの所在を問い直すことの必要性を提起した。楠は、企業による対策の範囲の問題、法的現状を捉え損なっているマスメディアの問題、法・規制による萎縮で海外への逃げ道が増え対策がより困難になるという危惧、を論じた。そして、豊福は教育の観点から両氏のコメントを補った。携帯電話に対するリテラシーを教育することは教える側の問題でもあること、メディアリテラシーは批判の後に自らメディアを作るところまで至ることが理想的であること、などを論じられた。加えて藤川が、行政による対策が縦割式になされていることや、企業によるマスメディア対策の余地が、論点となりうるとした。これに対して岡村は、行政の取り組みが抱える困難を述べつつも、省庁連携を目指したものが安心ネットづくり促進協議会である点を強調した。 これ以降、主に、(A)マスメディア報道に関すること、(B)教育する大人の側や教材・教育に関すること、という二点に関して議論が展開されることとなる。(A)で大きく問題になったことは、最終的にうまく帳尻を合わせつつも、規制の方向に社会が動いているように報じるマスコミの芳しくなさである。この点に対しては四氏による合意がほぼ成立していたようであり、また来場していたITmediaの岡田が、子どもと携帯電話の関係をネガティヴに描こうとする報道へ意識的に対抗する自らの立場を主張した。そして、(A)での「子どもと携帯電話を問題視する大人」の問題を介し(B)では、大人のメディアリテラシーの必要性や学校の閉鎖性、学校外との連携の可能性、効果的な教材とともに携帯電話教育のための指導案が求められていること、年齢に適した教育の必要性(小中学と高校で求められる教育の内容)、ネットの仕組み自体に関する教育の不足、などが議論された。

フロアとの意見交換

以上の討議を踏まえフロアから提示された問題は、大別すれば以下の三つである。 ①藤川はかつて存在した地域社会のような居場所の必要性を唱えるが、ネット上での居場所あるいはそこで大人ができることはないか。 ②子どもの親のなかでも特に携帯電話から遠かった40代以上の母親に対する教育の問題をどうするか、あるいは教える側である教師のメディアリテラシー習得に関しては効果的な取り組みが可能なのか。 ③新しい世代の新しい携帯電話利用のポジティヴな可能性が規制によって封じられない社会であってほしいということ。 ①に関しては、大人がネット上で手を差し伸べるためのルールの必要性と、ネットには可能性もあるだろうし旧来的な対人接触形態に比して難点ばかりが存在するわけではないが、世の中はネットの存在や事業者を許さないだろうということが確認された。②に関しては、保護者に対してこそ事業者による教育が効果的なのではないかということ、効果の如何で躊躇する前にできる限りの教育機会は設けた方がいいこと、教える内容を決めれば教師はその熱心な性格から勉強するのではないかということ、が討論者サイドから提示された。③に関しては、行政側も規制するつもりはないが、その信念が理解してもらえるように連携していかないと規制の方向に向かわざるをえないということ、およびトラブルに至る経路の実証的分析を十分し不必要な規制を防ぐという課題が示された。

まとめ

本コロキウムでは、教師や保護者といった大人の側のリテラシーの問題や、子どもと携帯電話に関するマスコミ報道のあり方、など、子どもと関わる大人のあり方が大きく問われた。子どもにとっての安全な利用と大人にとっての安心が確保され、同時に携帯電話の技術的な可能性と未来世代の利用の可能性が過剰な規制によって狭められることない、自由な社会のあり方をいかにして構想していけるのか。本コロキウムのテーマは、さまざまな立場の論者・フロアによって問題に取り組む建設的な土台が築かれるものだった。多様な観点から問題へアプローチする可能性が残されている本テーマの今後の展開に注目したい。

2009-07-01