国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)

English >


レポート:楠正憲氏「生産性の再定義 ~「もっと、速く、良く」を超えて~」 第2回FTMラウンドテーブル(Green-Table)

g1-1.jpg

話題提供

「生産性の再定義 ~「もっと、速く、良く」を超えて~」
楠正憲(日本マイクロソフト株式会社 技術標準部 部長)
ECサイト構築や携帯ネットベンチャー等を経て、2002年マイクロソフト株式会社入社。Windows Server製品部Product Manager、政策企画本部技術戦略部長、技術統括室CTO補佐などを経て2009年より現職。
日時:2011年12月6日
会場:国際大学GLOCOMホール
討議参加者: 川崎裕一、閑歳孝子、山田メユミ、藤代裕之、藤本真樹、庄司昌彦、西田亮介
概要・参考文献:http://www.glocom.ac.jp/2011/12/2ftmgreentable.htmll

講演記録

第2回FTMラウンドテーブル(Green-Table) は楠正憲氏が話題提供を行った。楠氏の報告は、情報技術の発展と変化、そして人間の認知限界についての話題から始まった。

その後、「Productivity Future Vision video 」というマイクロソフト社のOfficeを開発部門が「研究所レベルはすでに実現し、5?10年後の実用化が見込まれる技術」を実装した社会像を描いたビデオを視聴した。そして、情報量が爆発的に増加した時代において、「いかにして『insight(洞察)』をえるか」/「そもそもinsightとはなにか」という議論へと発展した。

1975年に生まれた米マイクロソフト社は今年で創業から36年を迎えた。楠氏によると、マイクロソフト社の発展は、「集積回路上のトランジスタの数が18ヶ月ごとに倍になる」という「ムーアの法則」に寄り添ってきた。そして、マイクロソフトは過去の資産と決別することなく、互換性を維持しながら進化してきた。

米アップル社は、これとは全く別の進化のアプローチであった。アップルは68x系からPowerPCを経て、インテル系へというハードウェアの非連続的な発展を採用した。またOSも、7.xから8、そして、OS Xと必ずしも互換性をもたないかたちで発展する路線を採用することができた。当時のアップルがハードウェアでもつシェアが小さかったがゆえに採用できた戦略ともいえる。

人間の情報処理量は大きくは変化してはいないが、「ムーアの法則」が代表するような情報技術は驚異的な速さで進化した。そうであるにもかかわらず、私たちが「生産性」として捉えているものの多くは、未だにOA(Office Automation)化のなかで姿を現した概念の延長線上でとどまっているように見える。

それが、非線形な進化をするアップルがiPhone、iPodで採用しはじめたiOS的なインターフェイスによって、変化が生じはじめている。ユーザーが複雑な多くの選択肢に晒されるのではなく、適切な選択肢がシンプルかつ連続して選択できる状態に置かれるような状況である。

ftmg2_2.jpg

マイクロソフトもまたこうした変化に対応する兆しを見せている。それらを具体的にビジョンとして提示したのが、「Productivity Future Vision video」というビデオである。

6分ほどのビデオは以下のような内容であった。

知らない土地へと打ち合わせに向かうひとりの女性がいる。メガネ上のデバイスが適切に行き先や乗り換え情報を提示する。利用者と土地の位置情報からそれらを表示している。ホテルの受付では、従業員の端末にこれからどのような顧客がやってくるのか、顧客情報や予約情報が表示されている。どのようなサービスで対応するべきかが一目瞭然である。

宿泊しているホテルでは、そこにおかれたデバイスからクラウドを利用して即座に業務に必要な情報にアクセスすることができる。もちろん安全性も守られている。業務で必要な資料を作成するときには、ソフトウェア間のインターフェイスを気にする必要はない。タッチやジェスチャアによって、適切に情報を取捨選択して組み合わせることでコンテンツを作成することができる。ミーティングも世界各国とリアルタイムに映像を介して行われており、そこで出てきたデータは簡単に再加工して簡単にビジュアルを変更することができる。

遠く離れた場所にある女性の家では娘がデジタル教科書を用いて勉強をしている。映像やコンテンツはインタラクティブに変化する。だが、距離が離れていても、ふたりはお互いの顔を見て、話しながらコミュニケーションできる。手書きメールや料理のレシピを共有し、加工することも可能だ。家電もネットワークに接続していて、内部の在庫や可能なレシピを表示しながら、料理をつくることができる。

かいつまんでまとめると以上のように、近未来で情報機器に囲まれ、そこからシームレスに情報を獲得し、ひとびとはより快適に、より幸せに生きているという内容である。

このビデオはさまざまな可能性と課題を提示している。いくつかを述べてみたい。たとえばリアルタイムに行き先を提示するためには、自らと対象の双方の位置情報を精確に把握するだけではなく、両者を結びつけなければならない。現状でも「セカイカメラ」など類似のサービスはあるが、対象に対するメタ情報量は圧倒的に不足している。

また複数のデバイスが連動するとき、複数のアプリが立ち上がっている状況はシームレスではなく、ユーザー視点で見れば必ずしも便利とはいえない。たとえば、複数の打ち合わせ場所をカレンダーに入力するとする。このとき乗り換え検索をすると実現不可能な移動距離や移動時間が含まれていることがある。こうした選択はむしろ最初から選択できないようになっていたほうが便利かもしれない。だが複数のアプリを横断して実現不可能な選択肢を除外するような機能は、今のところ実現できてはいない。

クラウド化とビデオ会議はすでにかなり実現の兆しがある。実際、マイクロソフトの場合でも直接の上司が同じ国にいるとは限らない。また同僚たちも世界各国にいて、国際会議に出席していたりすることが多々ある。このような環境で共同作業をするための組織や働き方の変化はすでに生じているといえる。

情報の再加工については、まさに現在進行形で「オープンガバメント」として楠氏が取り組んでいる分野でもある。現状ではビッグデータを扱うためには、専門のツールと専門知識、専門の分析用サーバなどが必要だ。これでは普通の人はそれらを扱うことはできない。しかしそこからinsight(洞察)を取り出すことが求められるなかで、現在Excelでピポットテーブルを用いて本来複雑な計算が必要になる作業を行うような感覚で、ビッグデータを扱う環境が普することがオープンガバメントの実装においては求められている。

学び方もITの変化のなかで変わっていくことが求められている。現状のデジタル学習教材は紙のドリルがオンラインになったに過ぎないものが大半だが、もっと自然に学ぶことができるようになるのではないか。たとえばゲームの分野は進んでいて、昨今では複雑なルールのコンピュータゲームでは操作を学習するための、チュートリアルが存在する。こうした方法はもっと広範な学びに応用することができるのではないか。

ビデオが、料理を作成するシーンで幕を閉じることが象徴しているが、これから人間の価値観やinsightのあり方が変化していくことが予想される。

最後に楠氏は、次のように民主主義についての問題提起を行った。現在「熟議」や「オープンガバメント」と日本で呼ばれている方法は「中継」に過ぎない。それらは現状では政治の実際の意思決定からは分離されて存在している。 平成19年の統計法改正によって、政府統計の個票が開示された。技術次第で、誰しもがデータを分析することができるようにはなっているが、それが意思決定には活かされていないという問題もある。たとえば思想家の東浩紀氏の近著『一般意志2.0』は、技術に支えられた、「人間的側面」と「動物的側面」を合わせ持つ人々が政治に関与するとはどういうことか、そしてその理論的背景と実現可能性を問うている。技術の進化とともに、民主主義の変化も考えていく必要があるのではないか。

ディスカッション記録

ftmg2_4.jpg

楠氏の報告終了後、情報技術と人の関係、そしてinsight(洞察)を含めた価値の所在について議論が交わされた。

最初の論点は、近年これほどソーシャルメディアが話題になるにもかかわらず、「Productivity Future Vision video」のビデオが提示する世界観のなかには“ソーシャル”の要素が登場しないという点であった。未来の生産性を考えるうえで、ソーシャルテクノロジーとソーシャルネットワークを参照しないことにたいする違和が次々とメンバーから表明された。ビデオのなかで人はモノと活発にインタラクションしているが、人と人の新しいコミュニケーションや、技術が媒介する人と人の関係性の根本的な変化の具体像が登場していないことが指摘された。たとえば未踏の土地についての情報をひとつ得るにしても、常に「最適解」が提示されるのではなく、ソーシャルネットワークに参加している他のユーザーが足を運ぶべき場所、食べるべきものを提案するような過程と、その発展形のイメージが不在だったのではないか、というものである。

ソーシャルネットワークの不在の延長線上で、ひとつの論点として浮かび上がってきたのは、情報社会の次の世界像を構想するうえで、どこでも、だれでも同じような情報やサービスの恩恵に預かることができる「ユニバーサル」な世界観と、各人が所属し、またコミットするコミュニティによって享受する情報やサービスが異なってくる「ソーシャル」な世界観のあいだでどのように折り合いをつけるのかということであった。両者は対立するのか、それとも調和し、融合するのか、あるいは2つの世界観は行き来できるものなのかということである。

「忘れられる権利」についても議論の俎上に載った。「ユニバーサル」な世界観にもとづくと、「人が誰と、どのようにつながるべきか」を必ずしも本人のコントロールできない状況のもと「インフラの世界」が自動的にコネクトすることがありうる。

たとえば、従来の電話やSNSで見られたような自分が好きな人と繋がる方法が変化することになるかもしれない。ビデオのなかで登場したホテルのドアボーイのもとに、これからチェックインする「わたし」の個人情報が表示されることは、適切に編集された情報であるとはいえ、必ずしも気持ちのよいものとは言えないのではないか。その情報が、一定の時間が経過した後には自動で消滅するようなことを考えなければならないのではないかというものであった。

またインターフェイスがシームレスにつながっているということと、単一サービスの寡占状態についても議論が交わされた。この論点については、経験的にはFacebookやGoogleのような単一サービスが寡占状態を生み出すわけではないのではないかというのが、一応の結論であったように思われる。つまりあるサービスのユーザーが増加すると、アーリーアダプター層は息苦しさを感じるようになって、別のサービスに乗り移っていくということが繰り返し生じている。そしておそらくこれから先も続くのではないだろうか。

また藤本氏によれば、彼はFacebookに加入しアカウントをもってはいるものの、事実上ただ参加しているだけで発言はしていないという。彼の発言は会社の経営にかかわってくるだけに、ちょっとしたうかつな発言でも会社のセキュリティやコンプライアンスに直結しかねないという。それゆえアカウントはもっているものの、気軽につぶやくわけにはいかないようだ。このようにあるサービスのシェアが高まっても、必ずしも全ての人がサービスを利用出来るとは限らない。

藤本氏のようなケースはそれほど多くはないかもしれないが、人はそれぞれ、置かれた状況によって求めるサービスや環境が異なっている。それゆえ、今後もさまざまなサービスがゆるやかに機能を共有しながら登場し、人々はその差別化した機能を求めて次々とサービスを乗り換えていくのではないかというのがGreenTableの仮の結論であったように思われる。

また多様なサービスが生じてくると必ず問題になるのがセキュリティである。現在企業のセキュリティとガバナンスが問われる事件も頻発している。情報が人と人、人と物のあいだで自動的にやりとりされるようになるときのセキュリティとはどのようになるのだろうか。多様なレベルでのセキュリティ(ナショナルセキュリティ、ソーシャルセキュリティetc)とそれらの整合性のあり方が問われるであろう。

しかしそもそも現在のコンプライアンスの概念それ自体が次の時代の情報化との不整合を起こしているのかもしれない。さらにいえば情報がオープンになるということと、それらを有効にデザインし活用することができるというのは異なった問題でもある。さらに格差の問題がより深刻な問題として顕在化することも考えられる。「Productivity Future Vision video」が描く世界観は本当にあらゆる人が持続的に利用することができるのかという論点であった。これらは民主主義の形式や方法の再考と熟慮を促しているようでもある。

最後に藤代氏が繰り返し楠氏に問うたのは、「結局、具体的に人の価値はどこに存在し、価値観の変化はどのようにすれば日本で起こすことができるのか」というものであった。それに対して楠氏は断定を避けながらも、流動性の高めることと、世代交代の必要性に言及して第2回の議論は幕を降ろした。 

(執筆:西田亮介)
ftmg2_4.jpg

2012-01-18