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kumon_youhou_sangyou - March 5, 1993
第四章:米国の情報通信政策論
March 5, 1993 [ kumon_youhou_sangyou ]
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これまで、1980年代に入って急速な展開を示している情報通信産業について、主としてアメリカでの事態を念頭におきながら、学者や評論家の未来イメージ、産業界での近年のめぼしい動き、市民の側でのさまざまな利用の試み、などについてみてきた。この章では、情報通信政策にかかわる学者の議論のいくつかを紹介してみよう。アメリカでの、情報通信政策論を主導しているのは、東海岸のコロンビア大学のエリ・ノーム(Eli Norm)教授を中心とするグループと、ネグロポンテ所長の率いるメディアラボその他MIT のグループ、そして、西海岸のカリフォルニア大学バークレー校のジョン・ザイスマン(John Zysman) 教授を中心とするBRIE (Berkeley Roundtable On International Economy) グループである。ここでは、まずBRIEグループの議論の一端をかいまみてみよう。
BRIEグループの総帥ジョン・ザイスマンと、彼の懐刀ともいうべき若手の論客マイケル・ボラス(Michael Borrus)は、米国AT&Tの分割が実施された年であり、日本のNTT の民営化が行われる前年にあたる1984年の 8月に、大蔵省の財政金融研究所で講演を行った。私はたまたまこの講演を聞く機会をえたので、ここでその概要をふりかえってみるところから始めよう。ほとんど10年前に行われたこの講演は、 BRIE グループの先見性をよく示していると思われるからである。なお、以下では、ザイスマンおよびボラスという固有名詞を使うかわりに、 BRIE ということにする。
BRIEはまず、ディジタル交換機, 光ファイバーなどのような、近年の電気通信・情報処理技術の発達によって、産業先進国では、道路や鉄道、橋、電話などに並ぶ新しいインフラの建設が可能になり、それを利用した新たなコミュニケーション・メディアの出現が予想される状況が生じ始めたと指摘する。
BRIEは続いて、この新状況に日米が協力して対処することを前提として、アメリカ側の見方として、三つの政策問題 (ポリシー・イシューズ) を提示する。
すなわち、第一に、新しいインフラの形成は、さまざまな産業や企業の利潤や成長率に直接影響するが、誰にこの機会を利用させるのか、いいかえれば、市場と独占と規制という三つの要素をどのようにくみあわせた政策をたてるべきかという問題がある。 第二に、この新状況の到来は、電気通信の設備とサービスを提供する産業が、未来の新戦略産業部門となることを不可避なものとしている。そして、とりわけコンピュータ産業やマイクロエレクトロニクス産業は、それによって大きな影響をこうむることになると予想されるが、新電気通信システムを利用してこれらの産業の国際競争力を意図的に上げようとする "産業政策" を採用すべきか否かという問題がある。
第三に、個々の産業先進国(とりわけ、アメリカや日本)がこの面でどんな政策を取るかによって、国際社会は大きな影響をこうむることは確実だが、今のところ、日米両国の政策はかなり違っている。しからば、どのような調整が必要なのかという問題がある。
しかし、これらの問題について突っ込んだ議論をするためには、新しく生まれつつある通信・情報処理技術の特質やそれが開いた可能性を、きちんと抑えておく必要がある。BRIEの理解しているところでは、それは、次の四点に要約できる。
第一に、電気通信サービスは、もはや自然独占ではなくなった。なぜならば、電気通信の手段は、以前は銅線だけだったのが、今ではそれに、マイクロ波、光ファイバー、セルラー電話、同軸ケーブル、通信衛星などが加わったからである。しかも、それらは相互接続が可能で、全体としてひとつの電気通信システムを形成することになる。さらにこれにディジタル交換機が加わると、さまざまな価格のさまざまな通信サービスの競争的な提供が可能となるのである。
第二に、電気通信とデータ処理それぞれの背後の技術としてあった通信技術とコンピュータ技術は、今日では事実上融合してしまった。通信は、音声に加えて、データや画像 (ビデオやファクシミリ) を含むようになったし、コンピュータはデータ通信が可能なネットワークになったからである。そして、公衆通信網と私的通信網とは、共にディジタル化され、それがデータ処理システムと結合しようとしている。つまり、今や情報産業と通信産業は分離不可能となったのである。このことは、これらの産業での競争の性質や、提供される製品・サービスの性質が、大きく変わったことを意味する。
第三に、しかし、 BRIE の見るところでは、今新たに生まれようとしている電気通信システムは、技術面での可能性によって主導されてはいない。逆である。むしろ市場でのユーザーのニーズによって、研究開発の方向の選択もなされてきたのである。 ("Technology does not drive choice, choice drives technology.") したがって、技術決定論や技術の特定の方向への進展を不可避とみなす議論は誤っていると考えざるをえない。
第四に、アメリカにおける電気通信産業に対する政府の関わりかたの変化の経緯は、次のとおりである。まず、新たに出現した代替的通信システムの、既存のネットワークへの接続が許可された (規制的措置) 。次に、 AT&T が分割されて、市内部門が分離された。分割によって生まれた多数の地方ベル会社は、それぞれある特定の地域の市内通信のみを担当することになった。宅内機器は販売のみ許されるが、ネットワーク用施設は、販売さえ許されず、高度情報サービスは別の子会社が行うことにされた。同時に、市外電話サービスは市外専門の複数の会社によって競争的に提供されることになった。その一つとしての新AT&Tは長距離ネットワークとサービス、通信機器の製造と販売、研究、国際ビジネス、情報サービス等に進出してよいことになった (法的措置) 。これは、事態の展開を市場での競争に委ねるというアメリカ政府の信念による。市場化は、電気通信インフラの大きな変化をただちにもたらすことになった。すなわち、マイクロウエーブ、光ファイバー、衛星などを利用した新たな長距離回線提供業者 (MCI など) が出現したのである。またその他、専用の私的ネットワーク (バイパス・システム) の建設利用も許された。そればかりか、市内電話も、サービスと回線の両面で多様化する結果となった。すなわち、セルラー電話、CATV、あるいは、DTS /DEMS (Digital Microwave Termination and Electronic Message Systems)などが、在来型の市内電話の競合サービスとして登場し始めたのである。だが、今のところそれらは、いずれも大規模ユーザー向きのサービスに限られているが、そのことは、とりもなおさず、 "妥当な価格による万人に対するユニバーサルなサービスという" これまでの電気通信の理念が侵害されつつあることを意味するのである。
ところで社会的インフラとしての各種の運輸通信ネットワークの在り方は、他の多くの経済的決定の条件を規定してしまうために、一国の経済成長に大きな影響をおよぼす。たとえば、鉄道が水運にとって替わると、繁栄する都市や州も変化した。また、南北戦争後の差別的運賃の設定方式は、北部の工業的発展を支えると共に、南部を原料・農産物の供給地域として固定させた。さらに、第二次大戦後のハイウエーの発達は、産業立地や都市のありかたを大きく変えた。同様に、新しい通信ネットワークも、経済成長の強力なエージェントとなるだろう。なぜならば、インフラ建設に伴う原料資材や労働力厖大な需要が見込まれるし、出来上がった新システムをユーザーが利用するうえでも、新たに大規模な投資が必要となるからである。なかでも、後者、すなわち企業が行う対応投資の額は、電気通信本体の投資額の10倍にも上ると見積もられている。しかも、通信という連結手段のおかげで、企業の各部門を広汎な地域に分散立地させる可能性が生まれてきた。たとえば、IBM の社内データ・ネットワークは、16,000の端末と4,000 のユーザーを繋いでおり、18の都市にメーンフレームのデータベースが配置されている。それらのデータベースは、ほとんど無人であって、遠隔制御されているのである。そういう仕組みを作るのには、巨額の投資が必要だが、それでも地価や人件費の節約が可能になるので引き合うのである。こうして、電気通信は、古い戦略を実施するための補助者としての役割を果たすだけの存在から、新たな戦略を形成・実施するための不可欠な要因に変わっていく。その場合の新たな戦略とは、新たな製品やサービスの提供のことだが、今日では、そもそもサービスと製造業との仕切自体、あいまいになりつつある。
では、急速な発展を始めた情報通信産業の、アメリカ経済全体の中での位置づけは、アメリカの場合どのようになっているだろうか。
第一に、電気通信の設備・サービス産業は、それ自体が成長の焦点となっている。この産業の米国での1983年の規模は 1160 億㌦ (うち 1000 億㌦が、ネットワーク用の設備・サービス、140 億㌦がデータ通信機器、20億㌦が企業の通信施設) だったが、1990年までには、3000~4000億㌦となって、GNP の10% をこえると予想される。
第二に、この産業の雇用誘発効果は小さいが、他部門の生産性の増大効果は極めて大きい。
第三に、この産業は、マイクロエレクトロニクスやコンピュータ産業にとっての巨大な需要 (ディジタル交換機、光ファイバー、高度端末機器など) を生み出す。
電子郵便 (米国) やファクシミリ装置 (日本) などのためのコンピュータ
第四に、コンピュータに対する新たな需要、すなわち、機械工業でのダイナミック・モデリング用やコンピュータ・グラフィックス用のスーパーコンピュータや、機械に組み込まれたマイコン、あるいは各種のワークステーションその他のOA機器等への需要の拡大は、LAN やPBX といった形での、それらの連結システムに対する巨大な需要を引き起こす。 ⑤アメリカの取った政策--市場での競争まかせ:
アメリカ経済全体に大きな影響をおよぼすことが確実なこの新電気通信システムは、どのように規制・管理すれば、円滑な産業の発展が保証されるだろうか。アメリカの場合、これまでAT&Tに対して認めていた "規制された独占" の地位を廃止して、市場主導型に変更した。その理由は、規制自体が不適切だということもあるが、それ以上に、古い論理--すなわち自然独占を規制しようという論理--による規制を残すと、新しいシステムの進化を歪める危険があるからであった。これまで自然独占に対しては、サービスの料金や入手可能性の面での差別を許さないという政策的な立場がとられていたけれども、そのための手段は、料金規制やアクセス保証の要求など、ごく限られたものしかなかった。しかも政策当局は、AT&T自身のデータに基づいて、その行動に反応していたにすぎなかった。だが、それはともかくとして、現在のイシューは、古いシステムの規制の有効性の如何ということにではなく、新たな規制の性質はどうあるべきかということにある。それは、まだ論議が不十分な、新しいイシューなのである。
実際、ちょっと考えてみただけでも、市場での競争原理だけでシステムを作ることには、いろいろな問題が含まれていることわかる。
第一に、市場主導型のシステムは、大規模ユーザー (政府や大企業) の利益にのみ従いやすい。そうだとすれば、小規模なユーザーのニーズに長期的に応えていくにはどうしたらよいだろうか。
第二に、投資のための金融が私的に行われると、現在の傾向の確認・進展に終わるのがおちである。新たな発展を政策的に主導し形成することはできなくなるわけだが、それでよいのだろうか。
第三に、そのことは、社会的平等・公正にとっても影響をおよぼさざるをえない。たとえば、新システムをどのように作っていくかということ自体、自国のコンピュータ産業などの発展にとって戦略的意味をもちうるのである。そうした問題には、どう対処していくべきだろうか。
アメリカの場合、これからの電気通信政策をめぐって考慮すべき論点には、次のようなものがある。
第一に、新たな規制の性質は、どのようなものであるべきかという問題がある。自然独占という条件が外れると、さまざまな選択が可能になってくる。たとえば、ネットワークの技術的な形をどうするか; その各部分の所有と管理の形態、あるいは、そこで提供されるべきサービスの種類や形は、いかにあるべきか; サービスの料金とそれを受ける人の範囲をどう決めるか; 新しいシステムやサービスへの公衆のアクセスの保証をどうするか; 等々の問題に関して、意思決定をどのようにすればよいだろうか。意思決定を市場に委ねることは、新システムの主要なユーザーとしての大企業と政府の影響力の増大を意味するだろう。だが、その帰結は何だろうか?それに、新しい情報インフラは極めて多様でさまざまに分化したものになるとすれば、そこでの公的な規制は一切不必要というわけには、そもそもいかないのではないか? 少なくとも、新たな政策目標も設定しないまま市場の力にまかせるのは無責任ではないか? とはいえ、新たな目標を設定して、その実現のための規制措置を講ずるという場合でも、独占を前提としてなされていた古い規制--料金規制やアクセス保証--は、こうした新しい問題に対してはおよそ役に立たないことは確かである。さらに、従来は国内問題ですんでいたのが、相互作用が大きくなったために、国際問題になりつつあるものもある。これに、どう政策的に対処すべきかという問題も、新たに生じている。
第二に、アメリカのエレクトロニクスの研究基盤の変化にどう対処するかという問題がある。通信の研究がコンピュータの研究に等しくなったことは、研究所の役割の変化を引き起こした。すなわち、これまでは、ベル研究所はその研究成果を外部に出していたが、今では、私企業としての AT&T に奉仕する機関になってしまった。AT&Tによる通信・情報処理手段 (ハードもソフトも) の製造や販売が認められることになると、研究所の役割も変わってこざるをえないのである。そのことは、ベル研究所が、全国的あるいは国際的な技術の源泉には、もはやなりえなくなったことを意味する。そうだとすれば、かつてのベル研にかわるものを、どのようにして作るべきかという新たな政策問題が発生する。
第三に、市場主導型への変化が、電気通信の規格に及ぼす影響はどのようなものだろうか。それは、システムの分断になる恐れはないか?競争のエネルギーの浪費にはならないか?たとえば、日本が工作機械産業についで行ったような、規格を競争に形をつける(to shape competition)ために使うという手はないものか?
第四に、システムを競争的なものにすれば、いやおうなしに、外国との競争にもさらすことになる。ところが他方、外国には双務的な扱いを求めてはいないとすれば、それによって、アメリカ企業の競争力が損なわれる危険はないか?
第五に、規格の問題、すなわち、多様な規格の出現による互換性の喪失という問題がある。市場での競争を通じて、早晩 de facto の標準が出現するだろうが、その間に多くの機器は競争に破れて姿を消すだろう。ただし、米国の企業が競争に勝って、自らの規格を国際化してしまう可能性もある。そうなると米国経済の競争力には資するだろう。
第六に、国際的な競争の問題がある。これまで、米国は、自国の電気通信の市場化・開放化に熱心だったあまり、外国市場の開放要求を忘れていた。そのため、自国にのみ一方的に、外国の競争企業が参入するという結果を招いている。これは好ましくない。本来、外国にも相互主義的措置 (quid-pro-quo) を要求すべきだったのである。というわけで、今や、米国の議会が相互主義を要求しつつあるが、この影響は、日本よりもヨーロッパが強く受けるだろう。なぜなら、日本は通信市場を開放化しつつあるのだから。
BRIEは、アメリカの状況を以上のように説明した後で、日本が採用しつつある--それも審議会での提言でなくて、実際に採択した法案に着目した場合--新たな規制方式がアメリカの会社に及ぼすと思われるさまざまな影響についての彼らの解釈を述べてみるので、誤っていたら訂正してほしいとした。
まず、素晴らしいと思われる点は、 ①新しい情報インフラを作ることの重要性を理解したこと、 ②それを経済成長に利用しようとしていること、 ③そのさい、まったく市場にまかせきりにしないで、戦略的な統制を保持しようとし ていること、の三つだとした。そして、新電電会社法については、次のような解釈を示した。 すなわち、これまでの電電公社は独占体であって、その機材調達には外国企業を入れず、少数の国内 "ファミリー" 企業を保護育成し、その輸出を援助してきたのだが、今回の法改正は、地域分割案は採用しなかったという意味で、それに先立つ臨調提言をかなり薄めた内容のものにはなっが、外国企業への開放の傾向は、より強化されることになるだろう。そうだとすれば、決定的に重要な問題は、これまでの公社が果たしてきた国内企業育成の機能がどうなるかということだが、新電電会社は、これまでのファミリー企業とも競争関係に入ることなるので、この機能は減少するかもしれない。1978年には公社の調達の60% がファミリーからだったが、すでに1983年には、32% にまで減少しているた。そこで、調達先の多様化がもっと進めば、外国企業も入って来られるようになるだろうが、後は郵政省の政策如何だと考えている。実際、公社が民営化することで、新会社の調達問題が政府間交渉の対象にならなくなると、かえって外国企業には開放しなくなる、という恐れもあるのだ。しかし、少なくとも一般民間企業が大量に購入するようになった電気通信機器の外国企業による販売機会は、明らかに拡がった--しかも、民間企業の通信機器の購入額は、いまや電電のそれを上回っている--ので、この点に関しては貿易摩擦の減少の可能性があると見ている。
また、新公衆電気通信法については、規制緩和が次第に進展していることは評価できる。すなわち、これまでにも、1971年の改正で、公衆回線や専用回線を利用したデータ通信が可能となったが、ただしメッセージ・スイッチングはまだ許されなかった。1972年にはファクシミリ機器の接続が許可され、1982年にはオンライン情報処理システムへの規制がすべてはずされた。そして、中小企業 VANや系列企業内 VANも自由化された。しかし、外国企業の参入は依然として認められていなかったのが、新法ではこれが許可されたことは、大きな前進といえよう。新法では、第一種 VAN (単純なメッセージ・スイッチング) 、第二種 VAN (速度/ コード/ プロトコル/ フォーマット変換) 、第三種 VAN (情報処理を含む) のうち、前二者は明瞭に自由化されたが、第三種 VAN については不明だが、これは、通信ではないという解釈によるものだろうか。なお、VAN 事業には "届け出" の義務が課せられているが、これは、実際問題として規制以上の介入だとはいえないだろうか。ちなみに、通産省は VANのすべてを情報処理とみなそうとした--確かに、技術的には、はっきりした区分は困難--し、 "届け出" 義務にも反対したが、郵政省はこの点では通産の反対を押し切ったようだ。通産省は、文部省にもプログラム権法で破れたが、このことは通産省の力の限界を示すものだろうか。
ともあれ、新公衆電気通信法は、次の二つの論点を提起したといえる。
第一に、この法律は、今後の経済成長にとってのニューメディアのもつポテンシャルを、日本経済に導入しようとした第一歩だ。同時に、新法は、単に経済的目的のみを考えているのではなく、競争を本来としながらも、新通信インフラが重要な公共的目的に奉仕するように政策的に指導しようとしている点は、注目に値する。これは、アメリカとの相違点であるが、この点では、学ぶべきはアメリカの方だろう。
第二に、とはいえアメリカには新法に対する懸念もある。日本市場が外国企業に対して戦略的政策的に閉ざされているのではないか、という懸念がそれだ。つまり、郵政省は、日本企業を優遇育成しようとしているのではないか。しかも、そのための規制手段は、これまでのような形式のはっきりしたものではないのだけに、かえって争いにくい恐れがある。この点での新法の意図や帰結はもっと研究してみたい。とりわけ、日本の政府がいう "公共目的" とは何なのか、それがどれほど重要視されているのかについて、もっと詳しく知りたい。
以上のような解釈からすれば、日米両国はそれぞれの情報通信システムを異なった仕方で管理しようとしていると結論せざるをえない。それが生む帰結としては、次のことが考えられる。
まず、アメリカは、事態の推移を市場まかせにしていて、次の世代のメディアの形を、国家的政策の問題として決めようとはしていない。また、とくにアメリカの企業に有利な市場体制を作ろうともしていない。アメリカの情報インフラはむしろ、大企業と政府部門のニーズを反映した形のものになろうとしている。つまり、大規模ユーザー指向なのだ。その結果、アメリカのシステムでは、戦略的な論点が表に出ない形になった。国家は、自分で自分の手をしばったともいえるだろう。アメリカは、Public choice and public policy を捨てたのだ。
他方日本は、ネットワークの性質と形を意識的に作っていこうとする政策を取っている。すなわち、開発指向型政策をとっている。いいかえれば、新インフラの形成を日本の産業の発展のための手段とする可能性を残している。それが、アメリカ企業を差別する形になって現れる場合には、日本の国内政策は国際問題に転化するだろう。とはいえ、新しい技術が日本独自の必要を満たす (例:漢字処理) ために生み出されるのは、結構なことだ。それは、技術の多様化の源泉になる。
以上からえられる結論は、この両者の併存は政治的には安定でない、というものだ。つまり、日本の政策の如何で、アメリカの市場の開放度も変わってくる。したがって、両国は、共通の利益を念頭においた政策の相互調整が必要とされよう。
以上が、1984年の時点で BRIE グループが抱いていた、日米両国の新情報・通信産業の展開とそれに対する政策の違いをめぐる問題意識である。現時点からふりかえってみると、これはなかなかに鋭い問題意識であったといわざるをえない。同時に、それから10年もたたないうちに、ある意味で、日米の姿勢が逆転してしまったことにも驚かざるをえない。すなわち、アメリカでは、市場主導型の政策への反省が強まり、一種の "新開発主義" とでもよびたくなるような、政府主導型の産業政策の採用や "新しい規制" の導入の必要が活発に議論されるようになってきた。それに伴って、米国の政策決定におよぼす BRIE グループの影響力は、格段に増大している。グループのリーダーの一人であるローラ・タイソンが大統領経済諮問委員会 (CEA)の委員長に任命された一事をとっても、そのことは明らかだろう。他方、日本では、逆に、NTT の民営化以後、大きな流れは、市場の競争に委ねる方向に向かうものであった。 "競争導入" のために巨人NTT の手をしばるという形の規制や指導は、さまざまな形でなされてきたものの、新情報イフフラの建設に、政府が主導的役割を発揮するといった動きは、まったく見られなかった。その意味では、1984年時点で BRIE グループが日本についてもった予想や懸念は、むしろ杞憂に終わったといってもよい。むしろ、情報インフラの未来ビジョンの実現は、日本では先送りにされる傾向が強かった。ようやくここへきて、アメリカの新政権の登場と共に、はなばなしく喧伝された "データハイウェー" の建設構想が日本の注目を引くところとなり、政府の積極的な役割があらためて見直されようとし始めたところである。
なお、 BRIE については、もう一つ、1990年の 5月に、 BRIE が召集した「情報ネットワークと競争力:政府の政策と企業の戦略にかかわる諸問題」をテーマとするラウンドテーブル--私もたまたま参加する機会をえた--の開催にさいして、 BRIE が配付したペーパーのエッセンスを紹介しておこう。
BRIE はまず、参加者に対して次の三点を中心とする現状認識を予め提示した上で、三つの問いを事前に投げかけた。すなわち、 第一に、企業の競争環境が変化しつつあるという認識。つまり、顧客との相互作用が緊密化し、製品のきめ細かい仕様の違いなどが必要になっている。また、生産過程の柔軟化が進むと同時に、経営・労働過程の速やかでより優れた統合も追求され始めている。他方、競争環境の変化していない部門でも、市場を迅速・的確にモニターして対応することは、費用の節約や生産性の増大につながるという理解が拡がりつつある。そこから、 "ネットワーク技術" の利用の可能性・必要性がいわれるようになり、それを経営過程に緊密に織り込むための "ネットワーク戦略" に、大方の関心が集まりつつある。
第二に、しかし、現状では、企業はこれにうまく適応しているとは言いがたいのではないか。企業はむしろ、新技術の可能性の充分な利用には戸惑っている。とくに統合的利用が不十分だ。ましてや、企業の構造や経営慣行をそれに合わせて変えようとしているところは稀だし、戦略目標の必要に合わせて、事業活動やネットワークをリアルタイムに変えていこうとしているところは、ほとんど皆無ではないか。
第三に、それにもかかわらず、ネットワーク技術をビジネスに有効利用する意義は大いにあって、そのためのリーダーシップが必要とされているのではないだろうか。
そこで、設問は次の通り:
これらの問いについて考える参考として、 BRIE は、次のような問題を提起した。
その一つは、ネットワークの有効利用に関する問題である。ここでは、ネットワークのもつ、施設 (伝送) 、制御方式 (管理) 、応用 (サービス) という三つの面のそれぞれについて、どんな代替案があるかを明確にせよという提案が出された。とりわけ、これまでの議論では、そのうちの制御方式 (管理) の重要性が軽視されていたという指摘がされた。いいかえれば、ネットワーク・インフラの三レヤー・モデルを作る必要があるというわけだ。すなわち、
のそれぞれについてのモデルが必要だが、企業戦略にとっては、とりわけ第二のレヤーに関する選択、すなわち、どんな技術をどこで、いつ使うか、また、戦略の変化に伴って既存のネットワーク構成をどう変えていくか、といった選択が重要であり、そのためには、長期的な実験と累積的学習の積み重ねが必要だという指摘があった。(1)
また、ネットワークの柔軟性については、
の二つの視点があることが指摘された。(2) ここで、ネットワークの形状の選択というのは、衛星か、光ファイバーか、マイクロウェーブか等々の選択を意味している。
その上で、企業戦略とネットワークの柔軟性については、 状況:テレコムネットワーク技術もその利用法も急速に変化していて、未来の見通しはつけにくい、そのため、プロバイダーにもユーザーにも、未来のあるべき姿についての定見がない、 とすれば、とるべき行動としては実験と学習 (適応行動) しかない、という状況に対応して、実践:まず応用面での柔軟な実験と学習を行い、次に形状面での実験と学習に進む、といったステップを踏んだ行動をしていくしかないので、それぞれの段階での柔軟性が必要となるのではないかという示唆がなされた。(3)
次に、大規模ユーザー対小規模ユーザー(4) の問題について、小規模企業だと、企業戦略の実現にネットワークを有効利用するだけの知識も資源も持てないし、かりにそれらがあった場合でも、実際の経験が圧倒的に不足していること、とくに社内専用ネットワークが作りにくいこと、販売されている応用サービスを自社の必要に合わせてテーラーする知識も少ないこと、などが指摘された。従って、小規模ユーザーにとっては、外部のサービス提供者、とりわけ公衆ネットワークの利用が不可欠となる。ただし、そのためには、公衆ネットワークが、そうした小規模利用者のことも考えてくれるという大前提が満たされていなければならないが、それを満たすためには、政府の規制が必要とされるのではないかという指摘があった。とくに、公衆回線提供が自由化された場合には、規制の必要が増大しそうである。だが、そうした配慮があった場合でさえ、小規模利用者がネットワークの形状面での柔軟性まで持つことは困難だろう。(5)
このラウンドテーブルで提起されたもう一つの命題は、テレコムの産業経済への貢献にとっては、ネットワーク技術と専門知識の普及が不可欠だという点であった。そうだとすれば、単なる自由化政策だけでは不十分で、新技術の広汎で、集団的で、累積的な実験や学習を可能にすることを政策目標にする必要が生じてくる。ディジタルなコミュニケーション・ネットワークこそが経済の情報化の基盤となるのである。テレコムの産業経済への貢献の基盤としては、 ①規模効果:規模の経済の実現、 ②調整効果:活動の共時化、資源の共同利用などによる範囲の経済、 ③学習効果:実績を上げ、コストを減らす効果、などがあげられるが、このうち、とくに③の学習効果--応用学習と形状学習の両面があるが--は、市場に期待することがもっとも困難な側面だろう。
ところで、公衆ネットワークの全国的な仕組みと学習効果の在り方としては、①自由市場型:学習は急速に進むが、大規模ユーザーに偏りがち、②国家独占型:応用学習と形状学習が構造的に分離しがちだが、偏りは少ない、の二つが考えられる。(6)
ここで提起されたさらにもう一つの命題は、新しい規制目標としての柔軟性にどう対処すべきかというテレコム政策決定者への挑戦であった。いうまでもないが、在来の規制の目標は、統合と多様性におかれていたのである。いいかえれば、①過去には、規制された独占的統合による平等を追求したがために、多様性が犠牲にされた、②これに対し、近年は、自由化による効率、革新、多様性が追求されたために、平等が犠牲にされがちだった、のだが、そのさい忘れられていた要因は、ユーザーによる自己再組織の追求という意味での柔軟性の要因であった。なにしろ、独占だと選択の余地が小さすぎるのだが、逆に、競争は、代替性を増やすものの統合を犠牲にする (つながらない、重複している等) 傾向をもっているのである。いずれにせよ、ここで重要になるのは、ユーザーの立場であって、統合された公衆ネットワークを前提にしながらも、いろいろ自由な試みができることが望まれる。したがって、これからの情報通信政策にとっては、競争か規制かいずれか一つを採用するということではなしに、柔軟性が促進できるような、競争と規制の最適の組合せを探すことが、新しい政策目標とされなければならないだろう。これまでのアメリカのテレコム政策は、情報通信インフラの管理・制御レヤーの規制をめざしていたので、柔軟性のことを忘れていた。これからは、 "ネットワークの管理・制御" の機能そのものを,いくつかのレヤーに分けて、統合性と柔軟性が同時に追求できるようにする必要がある。そのためには、所有でなく "制御" の機能分散と複合を考る必要がありはしないか。
(1)第二のレヤーは、 "経営・管理レヤー" とも言呼ばれているが、この二つは分けた方がよいのではないか。本文の②の管理は、特定のアプリケーションのための、情報流の管理を意味するはずだが、実は、そればかりでなく、下の物理面の形状を変える管理まで含めて考えているようでもある。それだと、ほとんど管理帝国主義というか管理集権主義になって、かえって①や③を別のレヤーとして考える意味がなくなるのではないか。それを避けるためには、明示的に、レヤー④を考えて、そこでさまざまなアプリケーションの間の管理をはかるとしてはどうだろうか。BRIEのモデルは、大企業が、物理レヤーも含めて、ネットワークの全てを保有・管理している状態を想定しているように聞こえかねない。
(2)この点との関連では、ネットワークの管理の問題は、次のように分けて考えてみてはどうだろうか。すなわち、
+→物理的ネットワーク提供主体 [形状決定主体]
大| →物理的ネットワーク=インフラ →形状面の柔軟性 管+→その管理=利用主体 [ネットワーク・サービスの提供主体] 理| →応用ネットワーク=サービス →応用面の柔軟性 +-その管理=利用主体 [最終ユーザーとしての企業そのもの] →企業戦略の実行、企業のパフォーマンス →戦略面の柔軟性]
という区別を考えてみるのである。ここで "大管理" というのが BRIE のいう② "管理レヤー" にあたる。この有効性は (個別提供主体の管理の有効性についても同様だが) 、かれらが後にいうように、政府の "規制" の在り方にも関係してくる。ちなみに、 BRIE は、ネットワーク技術の進歩 (広帯域化、インテリ化等々) の結果、既存の規制の網がきかなくなる可能性も考えている。また、多様な応用の提供が行われるようになるために、企業としては、ネットワークの下の方のレヤーまで管理しなくてもよくなる可能性も考えている。
(3)ここでは、 "柔軟性" という言葉の用法が、微妙に変化しているように思われる。すなわち、ここでは、 "柔軟性" は、同じ形状の下でより多くの応用に対応できる、ネットワークの性質などをも意味しており、それが形状選択の柔軟性に、次第につながっていっているのである。
(4) "顧客" や "消費者" でなく、 "ユーザー" とという言葉が使われるようになったののは、どうしてだろうか。二つの大きな理由があると思う。その一つは、情報・通信サービスの需要者に占める企業のウェートが大きいこと。いま一つは、 "消費" ではなしに "使用" の対象となる "機械" が、あるいは "機械" の行うサービスが、商品となってきたこと、である。
(5)これは、日本とは話が逆のように思われる。日本では、もともと、大規模ユーザーのための割引きなどが厳重に禁止されていた。自由化によって、大規模ユーザーあるいはネットワーク化したユーザーへのサービスの道がようやく開けたのが、日本の状況であろう。
(6)ここでも、日本のように、系列による補完、小規模ユーザーやコミュニティ型ネットワークによる補完という方式が考えられる。あるいは、それを第三の区分として立てて、「③ネットワーク型」と呼んでもよいかもしれない。]
次に、コロンビア大学のエリ・ノーム教授たちの通信政策論(1) を紹介しよう。
この議論は、電気通信規制の基本問題は、規制緩和以後には何をするのかということだ、という問題意識に立脚している。いいかえると、電気通信とテレビとケーブルテレビの間の垣根が消滅したら、競争は持続しうるのか、競争は望ましいのか、誰が得をし、誰が損をするのか、といった疑問に答えてみようとしているのである。今日のアメリカの通信システムを律している基本法は、1934年通信法と呼ばれる法律だが、この法律の規定は、あまりに細かすぎて現状には合わなくなっている。そこで、以下の七つの基本項目について代案を考えてみようというのが、この論文の趣旨である。
まず、過去のシステムの特質は、 ①独占に対抗して保護をするために、そして、 ②独占自体を保護するために、規制が不可欠とされていた点にあった。だが、規制の緩和以後の今後のシステムにとっての問題は、多様なネットワークのネットワークの出現を前提として、それは自己調整的なのか、調整する "見えざる手" はあるのか、政府も計画も本当に無用なのか、といったものに変化したのである。
これらの問いに対しては、大別して二通りの答がある。その第一は、伝統派の答であって、技術やネットワークが複雑になればなるほど、集権的な計画が必要とされる、という。しかし、それに対しては、実際問題としては、複雑になればなるほど、計画的運営は困難になる、というハイエク派の反論があり、社会主義圏の経験からしても、反論の正しさを認めざるをえないようだ。その第二は、技術が進めば規制は無用になる、という進歩派の答である。しかしこれに対しても、核エネルギーや航空の分野は、規制がないと危険だという理由で、強く規制されているではないか、という経験的反証を対置することができる。実際、航空業界の規制緩和は、参入と価格についてのみだった。
このような、計画も自由もうまくいかないというような、一見矛盾する反論が共に成立しうるのは、規制ないし規則の "階層性" が正しく理解されていないからである。実は、規制ないし規則には、 ①細目に関する規則--ダイアル・トーンが聞こえるまでの待ち時間等、 ②原則をめぐる規則--1934年通信法や各種の州公益事業法規等、 ③根本的な社会信条--言論の自由や財産権等、のような階層があって、米国は、①と③については、適切な規則の体系をもっている。問題は、今や古色蒼然としてきた1934年通信法のように、②が、現実に即さなくなってもなかなか変わらないままに残されているところにある。どうして、変えられないかというと、第一に、利害関係者が現状変更を嫌うこと、第二に、変えるのはいいとしても、どう変更するのがいいかはっきりしない、といった事情があるからである。
ところで、 "規制緩和" については、従来、二つの解釈がある。その一つは、細目に関する規則の数を減らすというもので、これが通常の解釈である。しかし、今一つの、より有用な解釈は、上位の階層の規則に移っていく (たとえば②から③に移る) というものである。
1934年通信法は、本来、公益事業に係わる法律家のためのものであって、通信産業を規制するための青写真ではない。しかも、規制の内容が伝送メディア別になっている。これが一番困る点である。近年の "規制緩和" によって、伝送メディア間の障壁が撤去され、参入の自由が認められたとはいうものの、現状は性質の違ったネットワークがばらばらにできているだけで、それを統合するための道具や規則や施設がない。しかし、今後はディジタル通信ネットワーク・サービスの統合が、三段階にわたって進むことは不可避である。そのためにも、上の②のレベルでの新原則が必要とされているのである。
三段階の統合とは、次のことを意味する。
ところが、現状では、伝送メディアごとに異なった (それも複数の) 規制モデルがある。コモン・キャリージや私的キャリージへの規制、CATV・放送規制、出版規制等がそれだが、今やメディア (インフラ) は融合しつつあるので、それらを統合した法の上部構造 (=新原則) が必要となるのである。
ノームによれば、このような状況の下での望ましい新原則の内容として考えられるのが、次の七項目である。
ここで、ノームは、1984年のAT&Tの分割以後の米国の通信機器産業の停滞について、こんなコメントをしている。すなわち、停滞の一つの理由は、多くの先進国での電気通信の普及と、そのユニバーサル・サービス化にあった。ユニバーサル・サービスが強制されると、サービス提供者の投資率は下がらざるをえない。そこで、一部の国の通信機製造業は、輸出ドライブ戦略をとり、これが米国の輸入増につながったのだというわけである。
より一般的には、電気通信 (電話) の普及以後の通信サービス提供業者の一般的戦略としては、 ①ISDN等へのアップグレード、 ②輸出、 ③大規模企業ユーザー等へのターゲットの変更、の三つが考えられる。いずれにせよ、独占型の公衆電気通信システムは、 "ネットワーク・ティッピング" あるいは "共用ネットワークの悲劇" とでもいうべき事態に直面して、崩壊の途を辿らざるをえないのである。すなわち、その発展の第一段階では、公衆共用型のネットワークが形作られるが、ネットワークの建設・維持コストの上昇と政治的な再分配の試みの結果、第二段階の私的利用あるいは集団利用ネットワークへの移行が不可避となるのである。さらに第三段階として、新たに形成された私的なネットワーク間の結託 (ネットワーク複合) の動きが起こってくる。(2) 問題は、その時に、そこにどんな規制を入れるかである。
ここで、ノームは、 "ネットワーク" を、複数のユーザーの間の、費用分担の仕組みだと定義した上で、固定費用が大きく限界費用は小さいために平均費用を負担する新規加入者の参加が歓迎される状況を想定して、彼のいわゆる "ネットワークのモデル" を提示する。(3) そのモデルを、簡単に紹介してみよう。
以上は、ノームがグローコムでの講演にさいして持参した論文の要約紹介だが、講演の中では、次のような興味深い指摘がなされた。すなわち、未来の世界での人々のネットワークに対する需要は極めて多様なものとなるので、 "システムズ・インテグレーター" とでも呼ぶべきサービス提供業者の活躍が望まれる。これは、いろいろなネットをパッケージにして売る業者であって、いろんなキャリアの間に価格に応じて需要を配分する機能をもつ。現実には電話会社がその役割を果たすことが多いだろうが、必ずしもその必要はない。なぜならば、システムの統合 (integration)と伝送 (transmission) とは、ただちに等しくはないからである。その意味では、未来のネットワークの中核は、個人のいろいろなニーズに応じて個別的に調整された多様なシステムとしてのPN (personal networks)が占めるようになると考えられるが、これは必ずしも "private networks" というわけではない。なお、情報権との関連では、他人と話す許可を得るために、料金を支払うことが考えられる。しかも、その料金の額は、通話の申込を受ける各人が自由に設定できるようにすることも考えられる。そうなると、テレマーケティングなどは、いっぺんになくなってしまうだろう。
それでは、そのような通信環境の下での "public network " とはどのようなものになるだろうか。明らかに、ネットワークの独占力には制約が課されると共に、ユーザーにはユニバーサルなリーチが、低廉な価格と、高度な品質と、大きな容量とを伴って保証されることになるだろう。いわゆる "common carriage"がそれを担当する。ただし、一種の付加価値税のような、アクセス料という考え方はありうる。また、この部分に補助金を出すことも考えられる。このような状況では、内部相互扶助は不可能になるだろう。そんなことをすると、客に逃げられるからである。そして、この場合の system integratorとは、私のエージェント、代表者のようなものになるだろう。
相互接続とネットワークの統合の手段ができると、競争はますます進む。社会・政治的にも無差別な情報の流れを保証することが重要なのであって、逆に、情報の内容をベースにしたゲートキーパーをネットワークの接続点に作ることは、極めて高価につくだろう。common carriage の right of way といったものを考え、これで private systemsとのマージを考えるのがよさそうだ。
ただし、その場合でも、何らかの規制はもちろん残るし、政府も残ることは疑いない。とりわけ、相互接続を保障するための規制や、コモン・キャリッジと情報の自由な流れを保障するための規制、あるいは補助金制度の再構築のための規制などは、どうしても必要とされるだろう。
ザイスマンのグループに、マイケル・ボラスがいるように、エリ・ノームのグループには、これまた若手の元気一杯の論客、ブルース・イーガンがいる。ここでは、ノームと共に来日したイーガンが持参した家庭への広帯域通信サービスの導入をめぐる問題点を論じている論文の概要を紹介してみよう。(9) ようやくにして日本でも、家庭への光ファイバーの導入 (FTTH) をめぐる政策論議が起こり始めた現在、この論文は熟読に値する内容を含んでいると思われるからである。
この論文の基本テーゼは、米国の電気通信産業にとっての長期目標である、 ①インフラのアップグレード、 ②技術革新の導入、 ③国内生産性の増進を通じての国際競争力の強化、の三つを実現するためには、現在の規制された競争の体制から、協力的競争の体制に移行すべきだ、というものである。イーガンによれば、今日の通信ネットワークの特性は、 ①アナログの銅線と電波(radio) の併存と、 ②サービス別回線の併存 (非統合) とにあるが、明日の通信ネットワークは、 ①ディジタルの光ファイバーと電波の併存と、 ②統合型のマルチメディアを、その特性としてもつものになるだろう。ただし、その場合の統合は、サービスの統合だけで十分で、ネットワークの物理的統合は不要である。
さて、米国の電気通信産業の現状は、一口でいって深刻な矛盾を抱えている。すなわち、一方に業務用から住宅用への、また市外電話から市内電話への、巨大な内部扶助を残しながら、他方では、参入障壁を下げて、競争を促進し効率化しようとしているのである。その背後には、この産業が、投資の立ち遅れ--初期投資も改良投資も共に--という基本問題を抱えているという事情がある。投資が立ち遅れている理由としては、一般的な理由と、特殊的な理由とがある。
まず、一般的な理由としては、需要の不確実性ないし発生の遅れがある。また、特殊的理由としては、各個人の需要は、他人がどれだけ多くネットワークに繋がっているかに依存していることがあげられる (その意味で電気通信業は "public" な産業たらざるをえないのである。) 。
とはいえ、電気通信産業特有の有利な事情もまた存在する。第一に、電気通信産業の場合、投資の総額は巨大でも、その多くは地域的な単位に分割されているために、部分的な取り替えが可能なばかりか、部分によって仕様 (サービス内容) を変えることも可能である。第二に、リード・タイムが短く、建設面での柔軟性も高い。たとえば、ネットワークは "全部" 完成させなくても、それなりに使えるのである。
こらに、電気通信産業には、それ以外にも考慮入れておかなければならない特性がある。
まず、広帯域ネットワークの場合には、設計・建設には多くの代案がある。とりわけ、固定費用と可変費用の間のトレード・オフに関して、多くの代案がある。もちろん、その分、今の時点での決定は、遠い将来にまで影響を及ぼすわけで、今、短期の建設費が最低のネットワーク・アーキテクチャーを選ぶのが最善とは限らない。むしろ、予見可能な未来の需要と技術の変化に強いものを選ぶとか、予見不能な需要変化に対してもどれだけ強いかを予め検討しておくことが大切なのである。この論文で取り上げる、住宅地用広帯域ネットワークの場合でいえば、将来、新型のディジタル無線ループ技術--マイクロセルラー方式の個人用通信システムのような--がでてくるかもしれず、それが衛星と結合すると、光ファイバーに取って代わるかもしれないのである。(10)あるいは、低出力ディジタル光線で音声通話ができる技術も、実験室にはすでに存在しているのである。また、それぞれの通信サービスには、 "ライフサイクル" があることも、忘れるてはならない。それが投資回収に影響してくるからである。
そこで、以下では、そうした点を念頭におきながら、住宅用広帯域通信サービスの未来を占ってみよう。
まず、電気通信サービスの提供主体だが、住宅用の双方向広帯域通信サービスの場合、その提供主体として考えられるのは、ケーブルテレビ会社か、地域の電話会社のみである。しかし、業務用広帯域通信サービスの提供主体は、より多数が考えられる。なぜならば、上の二つに加えて、①プライベートな衛星・放送ネットワーク提供業者、②光ファイバーLAN (LAN) 、③広域ネットワーク(WAN) 、④大都市地域ネットワーク(MAN) 、などがありうるからである。なにしろ、業務用需要の範囲は、医療、高速計算、CAD, CAM, CAE 等々、きわめて大きいのである。加えて、政策や規制によって、ネットワークのセグメンテーションが進めば、業務用サービスの提供主体の数はますます増えるだろう。というわけで、現状では、もっぱら業務用広帯域通信サービスが先行すると考えざるをえない。住宅の銅線電話回線はまだまだ使えるので、その更新にさいしてのみ光ファイバー化を行うという政策が取られ続けるとすれば、住宅用サービスの広帯域化は、業務用のそれに比べて、何十年も遅れてしまうだろう。
ただし、政府が、広帯域ネットワーク通信サービスに関して "インフラストラクチャー・アプローチ" を取って、その提供を促進する手段を講ずるとすれば、話は別である。その場合には、住宅用広帯域サービスが業務用に比べて大きく立ち遅れることはなくなるだろう。(11)
ところで、住宅用広帯域ネットワークの今後の進展の姿や経路については、見解の一致はまだない。 "最適経路" が不明なだけでなく、論者による予想の幅も非常に大きいく、10/20 年説から、未来永劫だめという説まであるのが現状である。だが、そうはいっても、ともかく電話会社やCATV会社としては、既存のネットワーク改善の手を、打っていかないわけにはいかないだろう。他の進んだ通信サービスが競合的に登場してくるからである。また、国策という点からしても、国内の経済的・社会的生産性をあげて国際競争力をつける必要があるからである。
問題は、現時点において、住宅用ネットワークの改善のための賢明な決定を下すのは、まだ困難だというところにある。なによりも、新技術に伴うコストのデータが少ないか、そもそもない。とくに第二、第三世代のネットワーク技術に関するデータがないために、関係者としては、将来技術の一貫性を損ねたり、社会的効率性を損ねたりしかねなくなるような決定を、今することは止めたいという気持になるのも無理はないのである。
それにもかかわらず、需給両面での予想を越える未来の変化に耐えうるような、選択肢があるかもしれない。これを考えてみることが、この論文の眼目である。
まず、未来の広帯域通信サービスとしては、超高速通信という点では共通だが、他の点では基本的に異なる次の二つが考えられる。(12)すなわち、 ①高高速の "active star" 型のスイッチド・ネットワークと、 ②超高速の "passive bus" 型のリング・ネットワーク、とを比較してみよう。ただし、今のところ生産費用のデータはなく、両者の長期的な実現可能性がある程度知られているにすぎない。(13)
すなわち、前者にあたるのは、SONET(=Synchronous Optical NETwork)と呼ばれる、高速パケット交換技術とディジタル光ファイバー伝送路とを使った集中交換型(switched star) のシステムだが、現状ではこちらが先行しており、米国の電話会社は、こちらの方をより好んでいる。後者にあたるのは、パケット交換技術は利用するが、光ファイバーの巨大な容量ポテンシャルを活用する自律分散型 (a passive, more intensively shared arrangement) ともいうべきシステムであって、現在のところ、その実現は、SONET より10年は遅くなると見込まれている。将来、この二つの方式のうちのどちらが優勢になるかは、今のところ予見できない。
しかし、いずれの場合でも、最先進ネットワークへの連結の費用は、一家庭あたり 1,500~15,000㌦と見込まれている。つまり、総加入者数を 1億とみると、総連結費用は、一千五百億㌦から一兆五千億㌦の間となる。
次に、 "光ファイバーの家庭敷設(FTTH)" 路線の問題点について検討しよう。
まず、家庭への敷設費用は、PON(=passive optical network)型のアーキテクチャーを取る場合だと、現在のところ、一軒あたり$3,000-4,000くらいと試算されている。完全交換方式を採用する場合には、もう$1,000くらい余分にかかりそうである。いずれにせよ、将来は、この半分にまで下がるだろう。(14)他方、幹線の光ファイバー化だけであれば、相対的にずっと安くでき、一軒あたりのコストは$100くらいですむと見込まれている。(15)また、上の二つの中間のケース (ファイバー・トゥー・ザ・カーブ FTTC)で、双方向のISDNと一方向のビデオ送信を併用する場合だと、$1,500くらいかかるといわれる (将来は、さらに20% 下がる) 。これだと、 "pedestal" と呼ばれる光ファイバーの終点ノードからは、4-16軒にしかサービスできないが、可能なサービスの内容は機能的に大きく拡がるので、アメリカの電話会社はこれに関心を最も強くよせている。(16)つまり、電話会社としては、当面、CATV会社との競争には、従来の単純な電話サービスに一方向のビデオ送信サービスを加えたもので足りると考えているのである。これだと、FTTCの最低費用分で建設できるというのが、電話会社の狙いめである。
現在すぐというのではなく、1990年代の後半まで待って、広帯域のFTTCかFTTHを設置する場合には、ほぼ上の予測の$500増しの費用がかかるだろう。ただし、今低機能のPON を設置して、後でより先進的なシステム取り替えようとすれば、古い投資はほとんど役に立たなくなる。他方、実際にはいつになったら広帯域の設置コストが予測通りのところまで下がってくるかは、はっきりしないというのが、現在のディレンマである。
それに加えて、電話会社がもっている現在のFTTC構想自体にも、大きな欠陥があるといわざるをえない。なぜならば、そこには交換機能とリアルタイムの双方向性が、共に欠如 (費用が高くつきすぎるので、それらの機能の取付けは考えていない) しており、一方向のビデオ画像をを流すことしか考えていないからである。だが、そんなことで充分な需要が出てくるかどうか、疑問といわざるをえない。さらに、動力の費用という追加的な問題もある。すなわち、システムを動かすための電源と予備電力源が必要だが、光ファイバーは電気を流さないので、銅線を併用せざるをえず、これが余分のコスト要因にになってくるのである。
住宅への広帯域通信サービスの提供を考えるにあたって、供給側のネットワーク・アーキテクチャーの多様性という問題の他に、もう一つ付け加わってくる難問は、未来の家庭の通信需要が明らかでないという問題である。そのため、広帯域環境下でのネットワークの "最適機能" や "ピーク容量" が、容易には決定できなくなる。これは、電気通信産業にとっては、新しい問題である。なぜならば、これまでは、新サービスには、別のアクセス・ラインが対応していたために、ユーザーの側でのピーク容量は考えなくてもよかったのだが、今度は、一本の統合された線がすべての需要に対応することになるので、この問題が生じて来たのである。ところが、 "平均的な家庭" などというものは、極めて考えにくいし、一つの家庭が同時にどんな通信をしようとするのかとあらためて考えてみると、いろんな可能性があって、当惑せざるをえないのである。
しかも、通信路の方には伝送容量の制約--150Mb だと、画像は一度に一つしか送れないし、圧縮したとしても10Mbは必要だ--に加えて、交換の制約 (どんどんチャネルを切り換えたりする場合に直面する制約) がある。あるいは、同じデータベースに同時に何人がアクセスしようとするだろうか、といった問題もある。いずれにせよ、こうした需要は、ネットワークが出来た後に出てくるものなので、事前の予測は至難なのである。
実際、家庭と業務それぞれの未来のトラフィック特性は、現在の趨勢と、新サービスの利用可能性、とに依存すると一応いってよかろうが、意外にまるで違ってくるかもしれないのである。とりあえず予想できることとしては、機械相互間と人間-機械間の通信の増加が極めて急速となることや、ディジタル信号の端末での高度な分散処理が支配的となる(remote computing and intelligence) ことがあげられる。また、ネットワークの費用の大半は、通常の使用量ではなくてピーク時の容量に依存するという事情はこれまでと変わらないにしても、いろんな新しい宅内機器 (CPE)ができると、そのどれをどう使うかによって、ネットワークへの負荷は大きく変わってくるために、ピーク需要量が算定しにくくなる、という新たな要因が付加されてくることも間違いない。
結局、新サービスのサービス・マッピングには、次のような諸次元を考慮に入れざるをえないだろう。すなほち、①ユーザーのタイプ (人間/機械)、②利用のタイプ(固定地、移動地、音声、データ、文書、画像、ビデオ、マルチメディア)③活動のタイプ(娯楽、目的、仕事、保健、旅行、買物、見て回り、読書、聴取、保育、取引等)④トラフィック特性(移動中、破裂的(bursty) 、連続、一様、永続、一時、動的、静止、一方向、双方向 (平衡/不平衡)、相互作用的)⑤特定の利用/活動の要求待ち時間(リアルタイム、容認(認知)可能な遅れ)⑥利用に際して必要とされる計算のレベルと速度(ネットワークの伝送速度に対して)。もとのトランスミッションを利用目的にとって有用な情報に変換するのに必要なネットワーク内計算(たとえば信号処理)のレベルは?⑦ディジタル信号の圧縮(ネットワークから、あるいは宅内機器から)⑧利用/ユーザー側の要求に応じて要望されるレベルのネットワーク/宅内機器機能を実現しうるような、いくつかの代替的なシステム・アーキテクチャー
(利用/ユーザー側の要求は、スループット、ピーク容量、バッファー/ストーレッジ必要量、ダイナミックな帯域配分、ディジタル信号の処理特性などについて、出てくる) などがそれだが、投資決定のためには、これらの要因を考えに入れて工学的な最適化モデルを作るだけではまだ不足で、経済的な最適化モデルも必要だろう。しかし、いうまでもないが、すべての要求を満たす最適モデルなど、考えられない。需要も技術も変化しているという状況下ではとりわけそうである。だとすれば、事前のサービス・マッピングに対する望ましいアプローチは、最適化は諦めた供給側からのアプローチということになりはしないだろうか。すなわち、①一定水準の機能をもつネットワーク技術とアーキテクチャーで、②需要側が保証するピーク容量(帯域)をもち、③通常容量を基準とした加入者一人あたりのコストを最小にする投資、を選ぶ、というアプローチが考えられる。これだと、実験もできるし、コンピューター・シミュレーションも可能になるのである。
というわけで、そのような立場から、一つの広帯域化のシナリオを書いてみよう。それは、 ①電話会社は、 a)短期的には、LEC(=Local Exchange Career)とFTTCのネットワークを、 b)長期的には、LEC とFTTHのネットワークを、めざし、 ②ケーブル会社は、 c)短期的には、光・同軸ケーブルのケーブル・ハイブリッド・ネットワークを、 d)長期的には、双方向型広帯域ケーブル・ハイブリッド・ネットワークを、それぞれめざす、というシナリオである。このシナリオには、次のような特徴がある。
そこで最後に、以上の考察を前提とした将来予想を試みよう。住宅への広帯域通信サービスを実現するには、政府の補助がある場合、つまり、supply-push がある場合だと、第一段階(上のa)またはc)の実現)にまず10年、第二段階 (上のb)またはd)の実現) にもう10年かければすむだろう。しかし、補助のない場合、つまりdemand-pull だけに頼って建設が行われる場合には、第一段階に20年、第二段階にもう20年、合わせて40年の歳月が必要とされるだろう。(17) 以上の分析から、イーガンは次のような結論を引き出している。
受動型のビデオ信号を送るハイブリッド広帯域ネットワークは、後でのアップグレー
ドのための追加コストが大きい。高度な機能をもつ交換型のネットワークシステムが安価に作れるようになるといいのだが、その可能性は少ない。
それにもかかわらず、電話会社が、待ちの姿勢をやめて、上の選択肢にこだわり始めた理由は、近年の電話需要の伸びの大きな減退 (新規需要はほとんどないし、個々の需要者の通信需要の成長率も低い) に比べてビデオのサービスと新しいディジタル・データ通信サービスの伸びが格段に高いことにある。だから、電話会社としては、今すぐ動きださないと市場をさらわれてしまう恐れがあり、とうてい長期的に最適なネットワークのアーキテクチャーができるまで待っていられないのである。そして、少なくとも、上のシナリオに従うかぎり、電話会社の動きもサービスの "統合" をめざす動きだということができるのである。
それに代わる案としては、現状の個別サービス (音声、データ、ビデオ) の継続しかないが、これはいかにも魅力がない。他方、統合の方向に進まない限り、規制官庁は、電話会社がその収益を関連部門(CATV 等) に投資することを許さないだろう。どのみち、将来はリアルタイムの双方向マルチメディア通信が普及するだろうから、それなら今から始めていた方がいい、というのが電話会社の判断なのである。しかも現在の不思議な規制システムの下だと、電話の銅線を新設するくらいなら、ビデオ・ケーブルをつける方が安いのである。
だが、このような選択肢が選ばれる場合には、FTTHはうんと遅れてしまうことにならざるをえない。これが最大の問題である。
現在、アメリカの電話会社は、規制によって手をしばられすぎている。もっと自由にしてやらないと、投資のための資金もえられないだろう。せめて電話会社とケーブル会社の協力を許せばいいのだが、これが現在は違法とされているのである。他方、ケーブル会社は、現在ただ今独占状態を享受しているので、電話事業に進出して強い規制の下に置かれることを好まない。そればかりかケーブル技術の革新にも熱心ではないのである。
そういった点を考えあわせると、即刻改善を必要とする現状の問題点として、 ①短期の利潤と市場シェァの追求に走っている市場の在り方、 ②消費者よりは競争者の利益と縄張りを守るものになっている規制の在り方、の二つがあげられる。ここから、次の政策提言がでてくる。すなわち、メディア間の "協力的競争" によってネットワークへの投資を増やし、 "インフラ" を公的でも私的でもあるネットワークとして構築することが望ましいが、そのためには、
①既存事業者への事業制限を取り除くこと、②参入へのローカルなフランチャイジングの障壁を減少/ 除去すること、3)ユーザー・インターフェースとネットワーク・インターフェース両方の、容易で効率的な相互接続を命令し強制すること、④規制下にあるキャリアーには誘因規制をかけることによって、コスト効率を促進し、内部扶助の誘因をなくし、費用/ 利潤の暴露システムで "ゲーミング" を行うのをやめさせること、⑤次の部面で急速に競争を導入すること、すなわち、 価格設定/ 費用算定の柔軟性、 コントラクト・プライシングの容認、 クリーム・スキミング型参入の容認、⑥連邦と州の投資政策と課税政策を変更すること、⑦規格政策を改革すること、⑧周波数割当政策(spectrum policy) を改革すること、
が緊急に必要とされる。
以上が、イーガン論文の概要である。
この章では、最後にMITの擁する論客の一人、リチャード・ソロモン (Richard Solomon)研究員が、昨年12月のグローコムでのコロキウムの中で示した、米国の情報通信産業についてのビジョンを紹介しておこう。(1) MIT のソロモン達のグループは、ゴア上院議員 (当時) のスタッフたちとも緊密な連絡を取りながら、研究活動を行ってきているそうなので、彼のビジョン知ることは、アメリカ新政権の今後の情報通信政策を理解するためにも、有益だろう。
この図は、1980年ごろまでの姿だ。それから、この図の真ん中にあたる部分に、コンピューター会社が入ってきた。彼らは、規制も受けていなかったし、商売も順調だったので最初のうちは特に問題もおこさなかった。それからCATV会社も入ってきた。彼らは最初、自分たちは放送会社の一部だと思い、そのようにふるまっていたので、誰の注目も引かなかった。ところが、そのうちに彼らは自前で映画を作ろうとして、見事に失敗し、次いで映画会社と組むようになった。電話会社はもともと良い存在だとみなされており、分割されて独占がなくなったことにより、すべての問題がなくなったと思われたが、実はこれが新しい展開の始まりだった。移動体通信の可能性が開けてきたのだ。また、メーンフレームからの売上が突然激減し始めた時、コンピューター会社も目覚めた。コンピューター通信のネットワークという新しい時代が同時に開けてきたからだ。こうして、どの産業にも独占できない新しい可能性が生まれたことが自覚されると同時に、各業界は、古いしがらみや競争、不信からも自由になれないという状態が生じている。とりわけ放送業界は、自分たちが周波数を所有ていると思い込んでおり、FCC のことも自分たちが自由にできる機関だと考えている。しかも、FCC のような委員会は、建前上独立の機関なので、議会の拘束もそれほど受けないのだ。とはいえ、議会はFCC の予算やスタッフを削ったために、FCC は事実上ほとんど仕事ができない状態におかれている。ところが、FCC のアルフレッド・サイクス(Alfred C. Sykes) 委員長は、なぜか放送・映画産業と戦う姿勢を示し、委員会の中で孤立したばかりか、結果的にこれらの産業と議会の両方を敵にまわしてしまった。(2) いずれにせよ、新聞社も放送会社もコンピューター会社も、自分に不利な決定を許す気は毛頭ないので、ここに、いわゆる "グリッドロック (雁字搦めになって誰も身動きが取れない状態)"ができてしまっているのだ。アメリカ人は危機にならないと動かない習性があるので、この状態もまた危機でも起きないかぎり解消されそうもない。ところが、電話の場合、受話器を上げれば通話ができるという状態がある限り、アメリカ人は電話産業が危機にあるとは考えないのだ。
電話会社(BOC,AT&T,MCI)
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+---+-----+
ハリウッド----+コンピューター会社+----- 放送会社
(映画会社) +---+-----+
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新聞社
(1) このコロキウムは、1992年11月19日に行われた、ごくインフォーマルなものである。ソロモンは、機関銃のような速度で、あまり前後の脈絡なしに、ひたすら縦横無尽にしゃべりまくった。以下の紹介は、その中で私が興味を引かれた論点のいくつかについて行う。なお、そのさい、ソロモンたちの別の論文 [Solomon/Rutkowski 92] をも一部参照した。
(2) サイクス委員長は、結局、1993年1 月19日に辞任した。その後、委員長ポストはしばらく空席になっていたが、2 月 5日に、クリントン大統領は、ジェームス・クェロ(James H. Quello) を暫定委員長に任命した。