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kumon_youhou_sangyou - March 7, 1993
第六章:情報通信産業の未来像
March 7, 1993 [ kumon_youhou_sangyou ]
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情報化を積極的に推進しようとしている新政権の登場によって、アメリカは、過去数年の情報通信産業の不況から転換するきっかけを遂につかんだように思われる。情報通信の世界に関していえば、今のアメリカは、燃え上がり沸き立っているという形容詞がぴったり来るような状況にある。この報告書の冒頭で紹介した、トム・フォレスターの悲痛な反省の言葉などは、遠い昔のことのように聞こえるほどである。
カリフォルニア大学サンディエゴ校のピーター・コーヒー(Peter F. Cowhey)によれば、(1) 今回の大統領選挙で、クリントン陣営は積極的にネットワーク通信を活用し、当選後も、前章で見たように、ホワイトハウスとの間に電子メールの交換を可能にするプロジェクトや、大統領の演説その他の資料をアノニマス・ファイル・トランスファーのプロトコルに載せて、インターネットやその他の商用ネットから直接入手できるようにするといった試みを、熱心に推進している。ホワイトハウスに入ってみると、カーター時代の内線電話のシステム--誰でも受話器を取り上げると、他人の話を聞くことができる--や、ジョンソン時代の交換システム--ホワイトハウスの地下室で、交換手が主導で電話をつないでいる--に出会って驚いたという話は、クリントンがしばしば演説などの中で引用するお得意の話になっている。市民との直接の対話や交信に熱心なあまり、マスコミとの記者会見はほとんどやらないといった話も聞こえてくる。それらは、コーヒーによると、かなり意識的な戦術なのだという。なぜならば、アメリカの大統領選挙の投票率は、今ではせいぜいのことろ55~50% といったラインに達するのが関の山だが、この階層の人々は高学歴、高収入で、ほとんど全員がパソコンをもちなんらかのネットワークにアクセスしている。だから、敢えてネットワーク通信を強調しているのだというのである。日本の状況と比較すると、遠い国の遙か未来の話のように聞こえてしまうが、事実なのだとコーヒーは強調していた。(2)
また、下院のテレコム小委員会の委員長であるマーキー議員も、1993年の2 月18日に行われたCSTB (=Computer Science and Telecommunications Board)のコンファレンスの際の演説の中で、いよいよ移行と変化の時代が始まったと指摘して、次のような趣旨のことを述べている。
いまや、誰もが、グリッドロックの話や分裂した政府の話、あるいは見当違いの規制国家だとかビジョンの欠如などについて触れた古い演説の原稿を破り捨てている。民主党の議員のやっていることを見るがいい。いまや、ジョージ・ブッシュがスーパーに行ってスキャナーを見て驚いたといったたぐいのジョークを聞いたり、ダン・クェール前副大統領の無知ぶりをからかう記事を読んだりして、にやっと笑うことなどなくなってしまったのだ。... この技術的な移行というか収束は、新メガ産業、すなわち情報産業の創出の方向にむかって容赦なく進行している。その担い手は、コンピューター会社、ソフトウエア・ハウス、電話会社、ケーブル・テレビ会社、無線機器の製造業者等なのだが、このメガ産業の展開と、それに伴うこれまでは別々な技術、違った産業と考えがちであったものの間の融和は、頭がぼうっとなるほどのペースで進んでいるのだ。ハリウッドはディジタル化し始めた。コンピューター制御によって可能になった、映画『ターミネーター2 』に出てきた悪人がその形を間断なく変えていく "モーフィング" のような特殊効果、あるいはディジタル映画やコンピューター・シミュレーションによるプレスクリーニングによって映画製作者に多額の費用の節約を可能にした技術も、今や日常茶飯事になりつつある。今日のハイテク効果は、ハンフリー・ボガートやグルーチョ・マルクスのような往年の名優が "ディジタル俳優" として画面に蘇ることや、ソフトドリンクのコマーシャルでポーラ・アブドウールと躍ったりすることを可能にしているのだ。コロンビア映画社は、自社の映画やインターアクティブ・ビデオを、ディジタル配給技術を使って、電話線や同軸ケーブルで家庭や劇場に供給すると言いだしている。... 歴史的には、政策決定者や規制当局は、電話産業、ケーブルテレビ産業、あるいはテレビ・放送産業を、それぞれ異なる技術に立脚している別々の産業だとみなしがちだった。... そのため、これらの産業にまたがる立法措置や規制措置をめぐる政策論争は "グリッドロック" に乗り上げてしまっていたのだが、今年こそは、成功をもたらす劇的な変化の先端に乗ったという感じがする。ビル・クリントンとアル・ゴアと、そして商務省のロン・ブラウンによって、われわれは、技術の本質とそれが果たしうる経済的な役割が理解できる政権を、ようやく持ったのだ。そればかりではない。彼らはまた、この新しい情報ネットワークがもっている民主的な可能性が理解できる人々でもあって、われわれが注意深く守ってやらなければならない個人のプライバシーという基本原理を、より重視してくれるだろう。われわれはスーパーのスキャナーのことも知らない大統領から、 "PBX"が何であるかが分かっていて、ホワイトハウスのそれが容量不足だと知って不満をいえる大統領をもつようになったのだ...
という次第で、アメリカの知識階級とハイテク産業は、今、にわかに昂奮し湧き立ち始めたのである。(3)
この昂奮は、決してビジネスの世界に限られてはいない。1960年代の後半から次第にその傾向が現れ始めていたように、ハイテク・マインドとアメリカに伝統的な草の根ポピュリズムとが、情報技術に強い中流知識階級を通じて、今や一体化しつつあるということができる。そこで、ビジネス寄りというよりは、ポピュリズム寄りの傾向の強い "昂奮" の例も、ここにあげておこう。マサチューセッツ州レキシントンにある "情報、技術、社会センター" のカーチス・プリースト(W. Curtis Priest)は、「未来を創造する意志:情報ハイウェー、経済安保、およびコミュニティ」と題する、アル・ゴア・ジュニアーとマイク・ネルソン (Mike Nelson)への公開書簡の中で次のようなことを述べている。
まず、表題の三題に共通するものは、 "人" であり、違いを生みだせるのは、未来の創造によってであり、創造は目標の設定とリーダーシップを通じて可能になる、と彼はいう。そして、ブラウン大学のバーティン・グレゴリアン(Vartin Gregorian)学長の言葉を引いて、「子供たちの教育にとって必要なものの提供を市場に頼る人は、後になって子供たちから "わたしたちは、親の愚かさの代償を払わされた" と言われる危険を冒す人だ」という。そして、ゴアのビジョンが商務省によって実現されようとしていることに、強い危惧の念を表明している。もちろん商務省も、またその他の省庁や議会も、果たすべき重要な役割を持っていることを否定はしないが、もっとも重要なのは、 "気のつく公衆 attentive public"なのだと彼はいう。そのような気のつく公衆は、それぞれのコミュニティに4 % ほどの割合で存在していて、未来を形作る活動に熱心に参加している。力を与えること、協働して未来のビジョンを作ることが必要なのは、まさにこの種の人々なのだ。彼らがコミュニティのエネルギーとなって、 "学校がその繭を破って蝶になるのを助けて" くれるのだ。しかし、この "気のつく公衆" や彼らが支えるコミュニティは、リーダーシップとビジョンと目標を必要としている。ここで光って来るのがゴアなのだ。彼は、ギガバイトのテストベッドの資金を用意するだけでなく、彼が我々の多くに向かってすでに表明しているあの未来の "情報ハイウェー" について語ることによっても、そのリーダーシップを発揮できるのだ。
現に、フロリダ州のインディアン・リバー市では、コミュニティ全体が改革を始めている。彼らは、コンピューターとネットワークを取り上げて、彼らの望むコミュニティを築こうとしている。それを視察にいったケン・コモスキー(Ken Komoski) の話だと、「これはすばらしい試みで、すでにそれに参加している子供達の間では、テレビの視聴率が四割低下した」という。我々が目にしているものは、独自の文化的な試みなのだ。アメリカとアメリカ人は、日本流の電子機器との "情事" や、ドイツ流の電子職人的腕や、スェーデン流の精密なロボット工学を超えた未来を形作る機会をもっている。我々には、我々自身が対処すべき学校やコミュニティや生活がある。我々の未来ビジョンに即して情報技術を紡ぎあげていくという仕事は、誰かに代わりにやってもらえる事でもなければ、誰かが我々から取り上げてしまえる事でもない--我々が二流の国家にさせられるのを許さない限りでの話だが。... 我々は次の二十年を導いてくれる長期的、持続的目標を必要としている。その目標、経済的でも精神的でもある目標とは、技術を利用して、自分たちが気にいるような世界を築き上げることだ。それは、テレビや商業主義等々の影響にさからって、それを家族とコミュニティと、そして情報インフラストラクチャーで置き換えていくことを意味するのだ。このような再構築を通じてこそ、我々の復興に内実が与えられ、アメリカ人のための職が得られ、我々の望む未来が生みだされるのだ。
こうした昂奮を背景に、マーキー議員は、1993年 3月31日、彼自身が委員長を務めている下院のテレコム小委員会の公聴会の席上で、情報通信に関する国家目標を次のように設定することを提案した。すなわち、「1995年か1996年までに、あらゆる家庭と職場にインターアクティブなディジタル・サービスを導入する」という目標がそれである。そして、マーキーは、次のように述べた。「我々は非常に急いで動かねばならぬ。このディジタル技術がこの二・三年の間にあらゆる家庭に入るようにして、ソフトとハードの会社が普通の家庭が買える程度の低価格のサービスを提供できるような市場を生みだすことは、国家的な緊急事なのだ。」[TR:930405:12]
マーキー議員はまた、同じ 3月31日に開かれたマルチメディア・シンポジウムの席上では、マルチメディア産業の未来について、次のような見通しを述べている。
すなわち、問題は二つある。第一に、人々がそれを受け入れる準備はできているか。第二に、大多数の消費者がそれを使えるようになるのはいつのことか。第一点については、イエスと答えることができそうだが、マルチメディアの技術が広く受け入れられるようになるためには、 "マルチメディア・マインドセット" でもいうべきものが、創られる必要があるかも知れない。第二の点については、マーキー議員自身、なるべく早く大衆的なマルチメディア・サービスが可能になるように全力を尽くすつもりでいる。その場合、政府がしなければならないのは、個々のマルチメディア技術を評価することでなく、さまざまなマルチメディア技術がその上で競争することによって、発展したり亡びていったりすることができるような有効な "プラットフォーム" を創り出すことだ。そのためにも、全国のネットワークの早急なディジタル化が必要で、そのためには、三つの重要な問題の解決が必要だ。すなわち、まず第一に、既存の電話回線を利用したISDN化や、ADSL (=asymmetrical gigital subscriber line) 技術の利用、第二に、FCC による高品位テレビの標準の決定、第三に、議会による FCCの周波数入札に関する政策パラメターの設定、これである。[TR:930405:41]
アメリカの情報通信産業は、明らかに自信を回復している。とりわけ、個人通信サービス(PCS) の分野では、アメリカには世界を主導するチャンスがあるという見方が強まっている。(1) また、そうした各方面からの要望や期待に応えて、アメリカの情報通信産業は、未来の "新メガ産業" とその基盤を建設すべく、さまざまの新しい試みに乗り出している。ここでは、そのいくつかを紹介してみよう。
タイム・ワーナー系の地域CATV局であるオーランド・タイム・ワーナー・ケーブル社(Time Warner Cable of Orlando)は、 "フル・サービス・ネットワーク" と通称される広帯域の交換型CATVシステムをフロリダ州オーランド市(Orlando) に建設することを計画している。今年の末までにデモ用の運用が可能になり、当初は4000人ほどと見込まれている住宅地域の顧客へのサービスは1994年の初めから開始される。フル・サービスというのは、光ファイバー回線の使用に加えて、ATM でのディジタル交換機、ディジタル圧縮送信技術、およびディジタル貯蔵技術を具えて、 "ビデオ・オン・ディマンド" ( ビデオ番組の注文送信) 、インターアクティブ・ゲーム、遠隔学習、完全動画方式のインターアクティブ・ショッピングなどのサービスを提供するという意味である。さらに、ハイレゾの "テレビ電話(picture phone) サービス" や "個人通信サービス(PCS) " も提供する。企業向けには、競合アクセス・サービス、テレビ会議、高速データ通信などのサービスも提供される。このため、サービスの一部は、既存のベルサウス電話会社のサービスと競合することになる。
このサービスは、ディジタル交換、ディジタル貯蔵の機能が加わっているという点で、タイム・ワーナー社がこれまでクイーンズで行ってきた150 チャネルの "クワンタム(Quantum) " CATVシステムよりも一段と高度なものとなっている。交換機能の付加は、新システムのキャパシティを事実上無制限なものとしたのである。同社は、今回の計画は "実験" の域を超えるもので、 "未来のネットワーク" と位置づけられ、同社の系列下にあるCATV会社を、順次この方向に移行させていこうとしている。
タイム・ワーナー社のCEO ジェラルド・レービン(Gerald M. Levin) は、CATVの完全なインターアクティブ広帯域システムへの格上げは、他の経路を取る場合よりもはるかに急速に、またはるかに少ない費用で実現できるとしている。そうだとすれば、この種のサービスの提供が、既存の電話会社にとっての深刻な脅威となることは確実で、ベルサウス社も、タイム・ワーナー社には電話会社に対するようなユニバーサル・サービス義務やその他の人為的な政府規制のないことを不満として、競争の実態はベル系電話会社に対するこれまでの規制を時代遅れのものにしている、と述べている。 [TR:02/01/93:38]
USウエスト社は、1993年 2月 4日、他の電話会社にさきがけて、その管轄下にある14州にわたるサービス・エリアに、統合広帯域ネットワークを展開し、 "ビデオ・ダイアルトーン・サービス" を提供していくという計画を発表した。広帯域化は新規の建設にさいしてはすべて行うことにする--更新にさいしても行うが--ので、この計画の遂行に当たっては、現行のプロジェクト・レベルを越える投資は必要とせず、また公的政策の変更によって実施のペースが落ちることもない (加速償却などの措置が認められれば、ペースが上がることはありうる) 。1994年中に10万世帯にサービスを開始し、以後90年代いっぱい、年間50万世帯以上のペースで工事を進めて今世紀中に30% の世帯へのサービスを可能にし、2025年までに計画を完成する予定である。
新ネットワークは、FTTN (=Fiber-to-th-neighborhood) と呼ばれるハイブリッド型のアーキテクチャーをもつ。すなわち、光ファイバーを、住区近隣のHDT(=host digital terminals) にまで敷設し、そこからカーブの基盤までは同軸ケーブルと光ファイバーを併用し、信号はそこで、同軸ケーブルを通るビデオ信号部分と、銅線を通る音声信号とに分かれるのである。また、提供されるサービスとしては、ビデオ・ダイアルトーンの他に、 "完全動画点対点ビデオ" 、テレコミューティング、遠隔医療、遠隔学習等も含まれる。 USウェスト社のこうした行動は、つい最近までのUSウェスト社自身をも含めた市内電話会社の行動とは、大きく変わっている。市内電話会社は、昨年の秋、ビデオ・ダイアルトーンの規則の再検討を誓願したさいにも、現行の法規の下では広帯域ネットワークを建設する誘因はないとしていた。ところが、今回のUSウェスト社の決定にあたって、同社のスポークスマンは、「当社の顧客が、広帯域サービスを今日只今欲しいといっている。だから我々は待ってはいられないのだ」と述べたのである。ただし、だからといって規制の廃止を望む電話会社の立場には変化はない。 [TR:02/08/93:6-8]
ボストンにあるテルマーク社 (Telmarc Telecommunications Inc.)のテレンス・マックガーティー(Terrence P. McGarty) 社長は、最近FCC に提出した調査報告書(Wireless Access to the Local Loop) の中で、無線通信技術の発達によって、市内電話の分野で、契約者一人当たりの資本費がほとんど二桁小さく、これまでの市内電話の地域独占の根拠となっていた規模や範囲の経済にも影響されない市内ループ・アクセスのための、新たなパラダイムが誕生したと主張している。(2) これが、彼の考える未来の "パーソナル・コミュニケーション・システム(PCS)" に他ならない。
すなわち、インテリジェントな接続可能セル制御装置を具えたコード分割多重アクセス(CDMA =code-division multiple-access)技術を含む個人通信システム(PCS) の出現によって、これまでの電話会社の存立基盤は蛙飛びに飛び越されたのである。マックガーティーによれば、このPCS にとっては、交換機能は不可欠な要素ではなく、必要ならそれをPCS 会社から購入してもよければ、市内電話会社から分散的に(on a disaggregated basis)購入してもよいし、あるいは第三者としての交換サービス提供業者から購入することもできる。とりわけ、DS3 のフォーマットで音声信号を送出するインテリジェントなPCS のセルは、信号システムの第七フォーマット(Signalling System No. 7 formats) を付ければ、直接のクラス4 のトル・タンデム・アクセス(direct class 4, toll-tandem access)を可能にする。これによって、移動電話の交換局は不必要になり、5 万人の顧客がいれば、一人あたり100 ㌦以下の資本費での敷設が可能になる。これは、セルラー電話の場合の750 ㌦、通常電話の場合の1500㌦と比較すると、きわめて少額である。
他方、PCS 以外の新通信システムは、それぞれ大きな難点をもっている。たとえば、CATVの場合は、音質の悪さや復路の帯域の狭さ等々の技術的な問題点がある。CAP(=Competitive Access Porviders) は、大企業相手のサービスに特化していて、消費者市場には参入していない。セルラー電話サービスのほとんどは、電話会社自体の提供によるものなので、競争があるとはいいがたい。結局、真に有意義な競争は、電話会社と無線会社との間の競争に限られる。
だが、マックガーティーによれば、これほど優れた新無線通信システムの普及を阻んでいるのは、市内電話会社が総費用原則にもとづいて課している高額のアクセス料である。従って、新しい政策としては、市内電話会社を分割(disaggregate)し、限界費用原則に基づいたアクセス料を課すことにすると同時に、競争相手の通信会社に対しては "共同キャリアー" の地位を与えるようにすることが望ましい。[TR:03/01/93:5-7]
上に述べたような試みを含めて、アメリカの電話業界は、このところさまざまな "リストラ" 計画の話でもちきりである。1993年の 3月16日から17日にかけて、テレコミュニケーションズ・レポーツ社の主催で行われた「電話産業のリストラ」をテーマとするコンファレンスでも、電話業界と規制当局それぞれの代表が参加して議論を闘わせた。そこでは、市内電話市場がひましに競争市場化しつつあること、(3) 需要家のニーズがますます多様化しつつあること、需要と供給の両面で、既存の市内電話にとっての最強の競争相手は、無線電話になると思われること、未来の電気通信は有線電話もテレビもセルラー電話もすべてディジタル化すること、などの点で広汎な意見の一致が見られた。とくに、需要家が無線による電気通信ネットワークへのアクセスを強く選択し支持していることは明らかだ、(4) という共通認識が導かれた。しかし、それに対する電話会社の対応策は、まだ決して一つにまとまってはいない。むしろ、既存の規制の緩和を要求すると同時に、既存の規制の網の目をくぐろうとする多種多様な提案や試行が、続々と行われているのが現状である。[TR:930322:21-24]
たとえば、アメリテック社は、地域電話会社の長距離電話への進出が許可されることを条件に、市内電話市場を開放する用意があるという "ユニバーサル・アクセス・プラン" なるものを提出している。ロチェスター電話会社は、市内電話の交換業務を "小売" と "卸売" の機能に分割する計画を出している。パシフィック・テレシス社は、無線電話部門を完全に独立した会社の手にスピンオフさせることを提案した。規制の枠の中で競争に直面するくらいなら、自分自身を解体する方がましだというのである。ただし、それに対しては、そのような分割は、分割された両単位から "範囲の経済" を奪うという批判もある。
"ユニバーサル・サービス" ということの意味も、市内電話に競争が導入されると、変わってくる可能性がある。NYNEX 社のトーマス・トーキー(Thomas J. Tauke) 副社長は、このコンファレンスで、「ユニバーサル・サービスは、過去にそうであったと同様、未来にとっての目標であり続けるだろうが、電話会社としては、もはやある種のサービスの享受を顧客に対して保証することはなくなるだろう。その代わりに、顧客は [欲すれば、そしてそれなりの対価を支払うならば] それらのサービスへのアクセスができることになるだろう」と述べた。
コム・トウェンティワン社(Com21, Inc.) のポール・バラン(Paul Baran)は、1993年の 1月 7日にニュー・オーリーンズで開かれた新技術に関するSCTEの年次大会で、光ファイバー、ケーブルテレビ、無線のすべてを利用した "Com21"と呼ばれる包括的な新電話/ データ通信システムの提案を行った。このシステムは、既存の市内電話のネットワークに比べると、はるかに経済的であって、短距離には免許のいらない無線を使って、コードレス電話型の端末で通信を行う。音声とデータは、ATM の技術を使った高速パケット交換セルの形で伝送される。これによって、このシステムを世界中の他の通信ネットワークとシームレツに相互接続することが可能になる。このシステムはまた、CableLabs で構想中の革新的なケーブル・システムのアーキテクチャーをも包括するように作られる。(5)
インターネットの急速な普及に伴って、分散的なネットワークの上でのさまざまな情報システムの構築の試みが行われるようになっている。その中でも注目すべきものの一つは、イリノイ大学の "全米スーパーコンピューティング応用センター" が、公衆への利用に供すべく設計・構築した、広域にわたる分散的・非同期的協働と、ハイパーメディアによる情報の発見と検索とを目的とする情報システム、 "モザイク(Mosaic) " である。(6) モザイクは、CERNが開発した "World Wide Web" と呼ばれる分散的ハイパーテキスト型情報システムに依拠して作られていて、ネットワーク化された、あるいは単独に存在する広汎な情報宇宙への入口として機能する。したがって、モザイクを通じてアクセスできる情報はすべて、そのユーザーにとっての非同期的な協働作業環境の一部となる。モザイクは、分散的ハイパーメディア、階層組織、および情報の発見と検索のためのサーチ機能などを併せもっている。加えて、モザイクは、科学的なデータを、その情報スペースにおける標準化された要素として処理できる。さらに、モザイクは広域ネットワークの上に完全に分散して存在するように設計されているが、それは、一つにはモザイクが多種多様な共通の情報プロトコルやフォーマットに対応しているために、また、いま一つには、モザイクがその上で作動できる情報ドメインの単純かつ便利な拡張方式を具えているために、可能になっている。
モザイクは、マックからも Xウィンドウからも利用できる設計になっていて、単純なテキスト、フォーマットされたテキスト、あるいはハイパーテキストを画面に表示できるばかりでなく、グラフ、画像、音声、動画、および科学的データなどを、マルチメディアおよびハイパーメディアの文書の一部として、インラインで表示できる。
それ以外にも、モザイクには、情報空間を探索したり、その経過を記録したりするための多様な機能をもっている。たとえば、
等がそれである。
さらに将来は、
なども追加される予定である。
また、モザイクの非同期的な協働支援能力としては、ネットワーク上に分散されているユーザー達による、単純な文書やハイパーメディア文書類の協働的な作成・修正・注釈作業がある。それらの文書類は、緊密で持続的な協働を可能にするために、全体の情報スペースから特定の情報スペースへ、あるいはさらにそのサブスペースへと、容易に移すことができる。非同期的協働のための主要な仕組みの一つは、分散されている文書の統制や修正の作業の支援である。その中には、文書の注釈添付機能--ネットワーク上のどこにある文書に対しても、特定の個人、作業グループ、あるいは一般のメンバーが、注釈を自由につけ、それらを通有することができる機能--や、文書間のクロスリンク機能、文書の訂正を統制する機能--訂正過程をチェックしたり、記録したり、あるいは訂正ができないようなロックをかけたりする機能--などが含まれている。
これまでのハイパーメディア・システムは、科学的なデータをそれが取り扱える情報の基本的なタイプの一つには含めることができなかった。しかし、モザイクは、科学研究に特化したシステムとして、科学的データの処理を支援できる。すなわち、科学的データは、いくつかのフォーマットに従って、他の画像や音声や動画と同様に、ハイパーメディア文書の一部に入れることができるし、それを分析・処理・伝送するための仕組みも準備されている。
ここで、いささか話が変わるが、これまでの“インテリジェンス”活動、つまり諜報活動の未来についても、一言しておこう。冷戦体制の終焉というか崩壊に伴って、軍備の大々的な削減が始まっている。それは同時に、これまでの諜報活動、とりわけスパイ活動のかなりの部分が無用になることを意味しているので、米国の各諜報機関は、文字通り生存を賭けた予算獲得競争--というか予算の削減阻止競争--に乗り出している。
CIA 職員 R. A.ステープルトン博士によれば [Internet Society News, 1-1:44-5]、40年前の冷戦の開始当時は、米ソはそれぞれ相対的に孤立して、自陣営の専門家に頼って水爆や大陸間弾道弾を発明していた。科学者や技術者同士の相互の知的交流はごく少なく、交流した情報といえばスパイ、つまり、それぞれの側の大使館や領事館の外交的“ネットワーク”を経由するものがほとんどであった。しかし、今日では事情は大きく異なってきている。何よりも、政府に比べて非政府機関や個人の力が相対的に大きく増大した。そのため、政府は、情報的に民間部門に依存する程度がますます大きくなっている。そのことは、湾岸戦争のさいに見られたCNN への依存度の高さからも明らかである。また、1991年夏のソ連のクーデターの試みにさいしても、それに抵抗したRELCOMのようなコンピューターのネットワークの活躍にはめざましいものがあった。そして、これからは、インターネットの発達によって、世界は情報的には無国境状態になろうとしている。これは、一面でいえば、ある国が外国に出したくない情報や技術--たとえば暗号化技術--の“輸出”を容易には抑止できないことを意味するが、他面では、他の国々が生み出す価値ある情報にアクセスし易くなったことをも意味する。恐らく、差引き勘定でいえば、得になることがずっと多いだろう。だから、アメリカは、“情報ハイウェー”の建設や利用を国内だけに限るのではなく、そのグローバルな建設・利用を推進して、それを自国のための政策手段として利用すべきなのである。
もちろん、顔をつきあわせた人間同士の接触やコミュニケーションは、依然として重要である。だから、外交官、あるいはとりわけ大使館の科学アタッシェなどが無用になることはないだろう。しかし、それには非常なコストがかかる。たとえば、モスクワに一人の科学アタッシェを置く費用は、給料を別にしても、10万ドルはかかるだろう。東京ならば更に多くの費用がかかるだろう。専用線を借りて、アメリカのネットワークとロシヤなり日本なりのそれとを接続する費用は、アタッシェ一人分の費用で足りるだろう。それに、各国のネットワーク同士がつながっていれば、民間外交も活発に行うことができるだろう。今や、“近代情報技術外交政策 modern information technology foreign policy" について考えるべき時が来ているのである。
また、米国海兵隊の情報将校、ロバート・スティール(Robert David Steele) 少佐によれば [Steele 92]、これまで "国家の911 番 [日本流にいえば110 番] " として活躍して来た米国海兵隊は、今大きな危機に直面しているが、それは、軍事予算の削減もさることながら、戦争そのものの形態の大変化に由来しているのである。
すなわち、スティールの考えでは、これからは、下図の①~④にあるような四つの新型の戦士によって、四種類の新型の戦争が戦われるようになる時代がやってこようとしているのである。
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| ゲリラ戦 |
|物理的隠密行動 | 自然的隠密行動 |
|精密標的化 | ランダム標的化 |
| ①ハイテク・ブルート | ②ローテク・ブルート |
| 貨幣 | 無慈悲さ |
| 経済戦争 --------+-------テロリズム |
| 知識 |イデオロギー |
| ③ハイテク・シーアー | ④ローテク・シーアー |
|サイバー隠密行動 | イデオ隠密行動 |
|データベース標的化 文化戦争 大衆標的化 |
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①ハイテク・ブルート [猛獣] :この型の戦士の特徴は、金にあかせた戦争をするところにある。自己の装備を物理的・電子的に見えなくして敵に接近し、ハイテク兵器による精密標的化攻撃を行うのである。しかし、この型の戦士は、その指揮統制リンクに弱点をもっている。とりわけ商用通信路や金融データベースに依存している場合には、脆弱性がさらに大きくなる。また、ハイテク・ブルートは、能力的に、ローテクの単独・移動標的や非戦闘員の大量移動群相手の攻撃には向かない。既知の予想可能な敵勢力を壊滅させるようなシステムは設計可能だが、曖昧さには対処できないし、非在来型の防御や攻撃にも対処できないのである。
②ローテク・ブルート:この型の戦士は、"low slow singleton"型の不可視性に頼って活動するので、ハイテク・ブルートにとっては、彼らの発見は "干草の束の中の針" を見つけ出すような困難を伴う。ローテク・ブルートたちは、事前に計画された物理的監視活動を困惑させるような、経路や対象のランダム化戦術を用いることが多い。しかも、活動から上がる利益は大きく (麻薬取引などの例を考えてみよ) 、攻撃の犠牲にしうる人間が容易に得られる (テロリズムの対象となる相手) ので、戦士のクラスとしては脆弱性が少ない。彼らは、戦士としては、能力と目標が合致しているということができよう。したがって、ローテク・ブルートは、短期的には非常に強力な戦士である。だが長期的には、イデオロギーを発展させるか、すでにそれをもっているローテク見者と組まない限り、宗教やイデオロギーが与えることのできる精神的・霊的エネルギーを欠くので、打倒は可能だと考えられる。
③ハイテク・シーアー [見者、覚者] :この型の戦士は、知識とサイバー型隠密行動 (知識ベースへの不可視的アクセス) とに依存して活動する。戦士のクラスとしては、通信・情報処理インフラの全体を融解してしまうような電磁気的テロリズムには弱い。しかし個人のハッカーとしては、探知や制御に対する脆弱性は相対的に少ない。他方、彼らは、ローテクのシーアーやブルートを敵にまわした場合には、対処能力をもたない。
ハイテク・シーアーの場合、真の "思考者" と 単なる "過程奉仕者" とを区別することが有用である。今日のコンピューター産業で働いている人々の多くは、後者にすぎない。ハッカーですら、何の考えもなく無目的に活動している限りは、後者に属する。むしろ、最も恐るべき敵は、道徳的動機をもち、精神的に強力で、物的にも (コンピューター等) よく装備されている、非常に小さなグループなのである。(7) なお、個別のハイテク・シーアーがローテク環境 (コロンビアやイラン等) の中にいて、犯罪者や狂信者に奉仕している可能性もある。
④ローテク・シーアー:この型の戦士は、大衆へのイデオロギー的アピールにもっぱら依存して活動する。ハイテク・ブルートからの攻撃に対しては、彼等がその攻撃に手心を加えたり、イデオロギー・文化的高地の奪取に失敗したりする限り、動じない。テロリズムや知識への誘因、あるいは利潤圧力には気付かない。 [いいかえれば、新興宗教の教祖のようなローテク・シーアーは、みずからの信念のとりこになっているので、その限りでは、他人からの脅迫や説得、あるいは取引型の制御の試みには、およそ動じないのである。] したがって、ローテク・シーアーの妥当は、草の根の支持を勝ち取るような包括的なイデオロギー的・文化的キャンペーンによってのみ可能であろう。その意味では、ローテク・シーアーは、既成の共同体にとっての最も危険な脅威である。なぜならば、彼らは、既成のどんな組織でも慎重に堀り崩してしまうような、別個のあるいは並行的な社会的インフラとして作用するからである。要するに、既成の社会がその成員の保護や経済的安定の確保に失敗するならば、ローテク・シーアーがそれとは別の救済と悦楽を約束して、大衆の支持を集めるだろう。ローテク・シーアーはまた、物的により強力で精神的により機敏な敵に対抗して、英雄的な偉業をなしとげさせるような強力なイデオロギー的構築物をもって、人々の道徳の領域を支配するのである。
以上のような分析枠組みは、とくにハイテク好きのアメリカにとって、どのような含意をもっているだろうか。そのいくつかを、次に見ておこう。
まず、ブルートであれ、シーアーであれ、ローテクの戦士たちが、短期的にも長期的にも、ハイテクを打倒しうる能力をもっているという点を、過小評価してはならない。ローテクは、人間的要素に頼って、曖昧さに対処したり予見不能なシナリオを作ったりする上での凌駕不能なほどの能力を、戦争にもちこむのである。そういうわけで、一つの社会全体を支配しようとはせず、適応や共存のさまざまなレベルを発達させようとしている限りでは、このクラスの戦士の根絶は難しい。(8)
今日の米国の軍事力は、戦士のタイプとしてはハイテク・ブルートにもっぱら依存している。しかも、米国は、国家として、外界の現実を自分のもつ戦力構造に適合させようと試みがち--その逆ではなく--である。つまり、米国は、ソ連のような同種の敵に対しては、比較的よく備えることができた。しかし、そんな敵は、これからは現れそうにない。他方、米国は、他の三つの型の敵にたいしては、その攻撃に対して守る上でも、それを攻撃する上でも、およそ脆弱そのものだ。
今日の米国の直面している問題は、米国が、ハイテク・ブルートとしては、二つの泥沼に足を取られた恐竜に似た存在になり下がったということだ。その第一は、情報の泥沼であって、米国は、いずれも、事前プログラム可能な既知の脅威に対処するようにしか設計されていない、古ぼけたセンサー・システムの負担過重に悩んでいる。その第二は、移動性の泥沼であって、米国は、重い兵站列車や地上・空中輸送システムに苦しんでいる。それらは、歩く単体群の脅威に対処しにくいばかりか、航空兵力であれ、火砲や装甲であれ、低強度の敵にはほとんど役にたたないし、駐屯地や後方への個別の攻撃に対しても脆弱である。これまで米国が作り上げたいわゆるC3I のシステムは、他のハイテク・ブルート向きにはよくても、ハッカーの隠密攻撃や麻薬王たちのランダムな攻撃、あるいは狂信者の広汎な破壊攻撃にはとんと弱いといわざるをえない。たとえば、今日の米国の通信の多くは、商用通信路に依存している。政府のコンピューターは、安全手続きが欠如している。しかも、電話のような商用電気通信システムが暗号化やデータ保護がなされないままで広く普及しているので、一人のハッカーが世界のどこからでも侵入して、電話局をダウンさせたり、公開されているシステムをビールスで汚染したりできるのである。また、麻薬王たちは、いっこうに捕まることもなく、国の内外で商売に励んでいる。テロリストも同様である。彼等は、米軍とは別の "ルール" で動いているのである。さらに、米国が持つ文化的な破壊活動への抵抗力の弱さも、今や恐るべきものがある。それは、米国社会が、その文化的な標準化 (英語を国語として教える等) を放棄したことによるところが大きい。今や米国は、国内が九つの文化的な地域に分かれている等、国内での文化戦争の時代に入ろうとしているのであって、対外的な文化戦争を挑むどころではないのである。
それなのに、米国は、新型の戦争に直面しているという自覚もなく、官僚的縄張り争いに日を送っている。もっと安くて早い "シーアー" 能力が必要になってきたというのに、その鈍重で高価な指揮統制過程を変えようとしないのである。
ところが、これからの戦争は、小隊レベルで、相対的に自律的に、余り複雑な兵器体系を用いないで戦われるケースが多くなるだろう。したがって、これからの戦争では、指揮官にとっても一般の兵士にとっても、現地の状況 (文化や作戦地理状況等) の的確な把握能力や、あらゆる情報源に敏感に反応する戦術的知力、および、その場での意思決定能力、などが要求されるようになってくるだろう。そのことはまた、どのような敵を相手にするかに応じて、それぞれ性格を異にする戦力やC3I が別々に必要とされるようになることをも意味する。すなわち、ローテク・ブルートに対するものとしては、特殊部隊の変形としての準軍事的秘密/土着戦力の重要性が著しく大きくなる。いいかえれば、紛争の現地で、しかも必ずしも現地国政府の支援なしに戦える戦力が、必要になってくるのである。また、ローテク・シーアーへの対抗戦力としては、地域専門家、できれば民族的にもその地域の出身である人が、必要になってくる。つまり、ローテクのイデオロギーの意味を的確に理解でき、それに対して防衛や攻撃のキャンペーンが組織できる人が、それである。他方、ハイテク・シーアーに対しては、コンピューターの安全 (防御) および攻撃専門家が必要とされる。米国は、世界中のどこのコンピューターにも秘密に潜入できる人々を、擁していなければならないのである。また、ハイテク・ブルートに対しては、通常兵力の再編成による遠征軍ないし艦船基盤の軍事力を整備することが必要になるだろう。さらに、隠密行動する特殊部隊や土着部隊と連携して精密攻撃をしたり、精密兵器をガイドしたりできるような、自らのハイテク・ブルート戦力の重要性も高まるだろう。
ところが、米国の現状はといえば、こうした新しい脅威に対しては、まったく準備不足だといわざるをえない。早急に、しかるべき備えが必要なのだが、そのためには、独自のセキュリティ対策を講じつつある民間部門との協力も考えられるかもしれない。ただし、両者をどう区分するかは、法律的にも厄介な問題になるだろう。他方、これからはそもそも、政府がこうした問題に対処すること自体が困難になりつつあるとすれば、ある種の安全保障機能や紛争対処・競争機能については、その "民営化" が必要になるかもしれないのである。
しかし、そうした備えを行うための費用は、従来のハイテク兵器が必要とした膨大な費用に比べるとずっと小さいし、準備に必要な期間も短い。要は、早く始めることだ。海兵隊としても、準軍事的 (私服) 作戦を増やすべきだろうし、重要な地域には、秘密の情報支援人間ネットワークを作らなくてはならない。そのためには、語学の習得を、昇進の必要条件にすることも要求されよう。
結局、1990年代に向かっての米国の軍事力にとっての二つのチャレンジは、
だといえよう。そのためには、既存の軍の一部に対する訓練、組織、装備を抜本的に変更することが、今必要とされているのである。
以上のようなステープルトンやスティールの提言は、これからの日本の安全保障を考える上でも、大きな参考になるような、刺激に満ちたものではないだろうか。
次に、アメリカの産業政策、情報通信政策の専門家として知られる、カリフォルニア大学サンディエゴ校のピーター・コーヒー(Peter F. Cowhey) による、これからのグローバルな通信ビジネスの在り方についての見通しを紹介してみよう。彼は、日本の情報通信産業および情報通信政策についても造詣が深い。(1)
コーヒーはまず、フランスの電話設備会社アルカテル社と、アメリカのLAN, WANのリーダーであるノヴェル社の、公的規制観の違いを取り上げる。この両者は、これまでのところ、それぞれの分野でめざましい成功をおさめた会社として知られている。まず、アルカテル社の考えは、次のとおりである。
これに対し、ノヴェル・ヨーロッパ社もまた、自社の成功の理由を、自分たちがネットワーキングのアートを熟知していた点に求める。にもかかわらず、ノヴェル社は、ネットワークの統治に関するグラウンド・ルールのようなものは、まったく不必要だという。なぜならば、彼等は、日々の業務の中でネットワークを発見し、新たにそれを作り上げていったからである。つまり、ノヴェル社の考えでは、ネットワークは、誰か--とりわけ政府--が事前に計画して作り上げるものではなく、自然にできていくものなのである。つまり、両者の考えに違いが起こる理由は、何よりもまず、それぞれがもつネットワークのイメージが違っている点にあるということができる。
その背景には、ハードウェアーの違いと学習戦略の違いがある。
まず、ハードウエアーについていえば、アルカテル社は中央交換・伝送設備を製造しているのだが、これは、メーンフレーム・コンピューターの事業とほとんど同じである。プログラムのコードだけで3000万行を越え、まだまだ増え続けているといわれる。これに対し、ノヴェル社は、ソフトウエアが中心で、それも分散的に作っている。つまり、それぞれのソフトウエアは、いくつかのモジュラーを組み合わせた型のものとなっていて、そのため、容易に更新・変更が可能である。ノヴェル社の製造するハードは端末が中心なのだが、なるべくフレキシブルにしてどんなコンピューターとでもつながるようにしている。ノヴェル社のこの能力はたいしたものであって、ある米国の自動車会社の経営者は、マイクロソフト社とノヴェル社の製品とパソコンがあれば、IBM のメーンフレームはいらないと述べたくらいである。しかも、このパソコンのキャパシティたるや、持続的な急上昇を今なお続けていて、マイクロソフト社の予測では、2001年には、デスクトップ・パソコンのメモリーが110 ギガになると見られる。これは、1993年のアメリカ最大のコンピューターシステム、アメリカンエアライン社のコンピューターシステム全体のメモリーにあたる55ギガの二倍になるという凄まじさである。そして、このような急速な変化にすばやく適応していくのがノベル社の真骨頂であって、電話会社は、とうていこんなに早くキャパシティを増やせないのである。
さらにより根本的な要因としては、学習戦略の変化をあげなければならない。すなわち、絶え間なく進化していくハイテク市場において、主導的な供給者であり続けるためには、最先端の主導的ユーザーと密着して、インターアクティブな学習を続けていくことが不可欠である。
ところが、アルカテル社にとっての問題は、その製造・研究開発部門や販売部門は、直接には電話会社の研究開発部門や調達部門としか接触しないことである。一体、アルカテル社の真の顧客は誰だろうか? 電話会社の研究開発・調達部門は、ネットワーク運用の知識や経験をもっていないので、アルカテル社としては、そこからは有用な情報はえられない。真の顧客は、電話会社の先にいる会社、たとえばトヨタではないかと思われるが、アルカテル社には、この最終顧客からのフィードバックは少ないのである。そのためには、電話会社の販売部門がバイタル・リンクにならざるをえないのだが、電話会社の販売部門がアルカテル社のための強力な情報仲介機能を果たせるとは、到底期待できない。
他方、ノヴェル社の場合は、状況が全く違っている。ノヴェル社は、コンピューター会社とも、最終の顧客とも、共に直接の情報的なつながりをもっている。コンピューター会社はコンピューター会社で、やはり顧客との間に直接の情報的なつながりをもっている。だから、情報のフィードバックという点からいえば、アルカテル社に比べてノヴェル社の方が遙に優れているのである。
それでは、アルカテル社のような機器の供給者が、この問題に対処するためには、どのような戦略が考えられるだろうか。次の二つが考えられる。第一に、今のところアルカテル社とその“真の”顧客との間に入っている電話会社というのは、国営のフランス・テレコムであるが、これは将来民営化される可能性がある。アルカテル社は、その伝統的な顧客であるフランス・テレコムからのフィードバックをより効果的なものとするために、フランス・テレコムが民営化されると、その株の過半数を買い入れようという戦略を考えている。第二に、いわゆる“AT&T型防衛”戦略を発動させて、フランス・テレコムに、もっぱらアルカテル社からのみ調達をさせるのである。
しかし、容易にわかるように、これらの戦略には二つの決定的な欠陥がある。第一に、すでに述べたように、テレコム会社には、顧客からの学習能力がない。そこで、フランス・テレコムに情報仲介機能を果たさせようとしたところで、うまい仲介者にはなりようがないのである。第二に、AT&T型防衛戦略もまた、うまく機能しない。なぜならば、現在の通商法は、政府所有であると民営であるとを問わず、独占状態にある会社が、独占的な調達を行うことを認めていないのである。AT&Tが、独占的調達を行えるのは、それ自体が競争状況におかれているためである。だが、フランス・テレコムは独占会社なので、通商法上、独占的調達ができないのである。
さらにいえば、AT&Tの利点は、それ以外にもある。第一に、AT&Tがもっているネットワークは、単一の集中計画型のものではなくて、そのおのおのが特定の顧客の要求にあわせて作られる多種多様なネットワークのオーバーレー型のものなのである。たとえば、私的なバーチャル・ネットワーク、産業グループ別ネットワーク、携帯電話のネットワーク、といった具合である。第二に、ATT はネットワークばかりでなく、ネットワークとターミナル機器の両方を、顧客に対して売っている。そして、機器の設計自体、特化した個別のネットワークをより効率的に利用することを目的として行われている。つまり自分の単一のネットワークが先にあって、その利用のことだけを考えて機器を設計するというアプローチは、もはや取られていないのである。というわけで、AT&Tにとっては--他の通信会社にとってもそうだが--顧客 (からの情報) と機器の二つが、これからの競争力の源泉になっているのである。
今日進行中のコミュニケーション革命には、もう一つの側面がある。それは、マルティメディアにとってのコミュニケーション・ボトルネックの解消が進んでいるという側面である。その第一は、無線通信の発展である。今日の無線は、T1(1.5メガ/ 秒) の速度でデータの送信が可能になってきた。それも、点対点から、一点対多点、さらに双方向通信システムの展開が起こりつつある。これによって、既存の電話のネットワークのバイパスが可能になり、地域ネットワークのトラフィックは大きく変貌しようとしている。この方式の何よりの利点は、大量のデータを極めて安価に送れることであって、例えば、一点対多点の一方向伝送方式によるならば、マイクロソフト社がDOS を改訂した場合でも、全顧客に対して、わずか100 ドルの費用で新しいソフトとマニュアルを送ることができるという。ただし、無線の通信システムは、今のところ、マルティメディアが要求するような、本当に大量のデータの高速伝送は無理である。
いま一つの発展は、交換の領域で起こっている。大規模な交換機を使わないでも、パソコンを使って相当な交換機能を発揮させることが可能になったのである。したがって、大規模交換を必要としない特化された私的ネットワーク・キャリアーにとっては、パソコンで足りることになる。もちろん、通信の質の限界は残るが、ローエンドのユーザーには十分アクセプタブルであろう。というわけで、ここでも、ネットワークの分化が起ころうとしているのである。そういった点を考えるならば、今日のコンピューター会社にとっての最大のボトルネックは、現在の電話ネットワークだということになる。現在の電話のネットワークは、高機能サービスにとっても、ローコストのネットワークとしても、何とも中途半端な存在になり果ててしまったのである。
このように窮地に立とうとしている電話会社をさらに苦しめているのが、オーバー・スタッフィング、つまり、電話会社の従業員数の多さである。コーヒーによれば、荒っぽい推測だが、NTT は、現在進めている合理化を実行したとしても、1990年代の終わりには、NJテレコムと比較すると5 倍の人員を抱えていることになりそうだ。だとすれば、電話会社が生き延びていくためには、根本的な変化が必要だということだけはいえるだろう。要するに、グローバルに生じている変化として、ハードウェアの柔軟さ、顧客からの学習、コミュニケーション・ボトルネックへの対応という三つの面での、基本的な変化をあげることができる。これからの世界の電話会社は、この挑戦に応じていかなければならないのである。
それでは、視点をグローバルな通信のネットワークにしぼった場合、未来のネットワークとしてはどのようなものが考えられるだろうか。現在試みられているアプローチとしては、次のいくつかのものをあげてみることができそうだ。
カナダの通信省と民間情報通信企業、研究所、および大学が連携して1989年に設立した組織 "VISION 2000 INC " は、未来の "個人用" の通信と情報処理技術のための開発と協働を促進すると同時に、カナダの新製品や新サービスを世界市場に供給することを目的としている。その活動の一環として、VISION 2000 は、1990年代の個人用マルチメディア通信手段としては、ファクシミリをより進化させた形のものが最善だというビジョンを提示し、その普及に努めている。VISION 2000 のいう個人通信は、個人間対話 (電話など) と個人用情報サービスとに分けられる。後者は、これまではコンピューター端末を走査するオペレーターと交信する形をとるものが普通だったが、これからは、現金自動支払い機に見られるような、コンピューター情報データベースとの直接の交信の形が、ますます多く取られるようになるだろう。単純な個人用情報サービスには、これからも対話型音声応答システム(IVR=Interactive Voice Response Systems) が主流を占め続けるだろうが、より複雑なサービスや画像情報を伴うサービスについては、FAX 型の対話型データベースの方がより有利になってくるだろう。もちろん、コンピューターと直接交信するタイプの情報サービスについては、FAX ではどうにもならないだろうが、それは極めて高度の--したがってそれへの需要も相対的に少ない--個人用情報サービスだと考えることができよう。
VISION 2000 が発行している各種のパンフレットによれば、電話よりも古く1843年にアレクサンダー・ベイン(Alexander Bain)によって発明され、1980年にCCITT のグループⅢの標準が確立した FAXは、現在すでに、電話回線の上のトラフィックとしては、音声に次ぐ二位の座を占めるにいたっている。FAX は、電子メールの10倍の市場規模をもち、後者の二倍の速度で成長している。1991年のFAX の普及率は、モデムの場合の 2% を大きく超える、5 % の水準に達し、しかもモデムとは違って、頻繁に利用されているのである。AT&Tの通話の32% はすでにFAX になっており、国際回線の中には、夜間トラフィックの80% がFAX というものも出現している。世界のFAX 製品の市場規模は、現在約150 億ドルだが、1997年までには、250 億ドルに達すると見込まれている。また、現在すでに、 6本に 1本の電話線にFAX が設置されているが、1995年までには、この割合は3 本に 1本にまで増大するだろう。2000年までには、米国でのFAX の普及率は全家庭の40% 、7000万台 (ビジネスも含めると1 億台) に達すると予想さされている。ただし、これからのFAX の多くは、パソコンに装着されるFAX カードの形をとるだろう。
今日の、FAX の利点は、それがすでに広く普及していること、使い方がやさしいこと、アルファベット以外の文字やさまざまな画像を送れること、集中的な管理や管理者がいなくても個人で利用できること、一点から他の点に直接送信ができること、市内送信が無料 (定額制の電話の場合) であること、などにある。そのため、FAX を利用したデータベース・サービスやトランザクション・サービスは、すでにさまざまな種類のものが実用化されている。
しかも、FAX は、その強力なスキャニング機能をベースとして、さらに高度な通信手段として進化していく潜在力をもっている。たとえば、FAX には、ビデオ・カメラ機能、バイナリー・ファイルを含む各種のファイル転送(FTP) や電子メールその他の高度なデータ通信機能、あるいはパスワードなどのセキュリティ保全機能を、解像度および通信速度の増加や機械本体の小型化・携帯化、あるいはカラー化といった改良に加えて持たせることができるようになり、しかも現在のFAX と同様の使いやすさを維持できる。その意味では、FAX には "その他大勢のための電子メール" となる資格があるのである。さらに、カナダのある会社は、FAX で完全動画の送受信を行うサービスを、現在すでに提供している。こうした進化が進行することによって、近未来のFAX は、今日のものとは抜本的に異なる強力なマルチメディア通信手段--電子メール交信、コンピューター・ファイルの交換、画像・音声・動画通信等の手段--に転化することが期待できるのである。
最後にヨーロッパのテレコムの現状について、ごく簡単に一瞥しておこう [Mason 93] 。ヨーロッパでのテレコム先進国は、フランスと英国である。フランスは、TRANSPACと呼ばれるパケット交換ネットワークに基づいたヨーロッパでも最も高度な情報インフラストラクチャーを構築している。英国は、テレコム産業の規制緩和によって、モデムやFAX のような端末機器の入手が容易になり、それを使った商用あるいは教育ネットワークへのアクセスが急速に増大している。他の国々では、まだ規制が厳しく、ネットワークの利用費用も高価である。その中で、EC委員会は、各国の経済条件を一致させ、技術的標準の共通化をはかる一方で、電子的ネットワーキングの研究開発の支援に努めている。
EC委員会の支援する研究開発プログラムの中では、COMETTとDELTA が重要である。前者は、大学と産業との間の協働を促進して人材の訓練の水準を高めると共に、ヨーロッパ的な拡がりをもたせようとする行動プログラムである。後者は、学習教育の技術的な高度化をめざす各種のプロジェクトを支援するためのプログラムである。具体的なプロジェクトの例としては、シェルをスポンサーとして、英国の国家教育技術評議会(National Council for Educational Technology) が組織しているオランダ-英国間の電子メール・プロジェクトや、英国の教育機関に対して、ヨーロッパの教育機関との間に電子メールや電子会議などのオンラインの交流機会を提供するための、Campus 2000 プロジェクトなどがある。衛星を利用した遠隔教育訓練のためのJANUS プロジェクトも、DELTA 傘下の重要なプロジェクトの一つである。もともとはヨーロッパのいくつかの電話会社がそれぞれ社内教育用に作っていた教育サービスを、広く一般の利用に供するためのコンソーシアム型のプロジェクトとして発展させた、EPOSもある。あるいは、教育訓練用のマルチメディア教材の共同制作・配付システムとして作られたCOSYS というプロジェクトもある。この他、衛星を利用した遠隔学習・教育のための産業と大学のコンソーシアムであるEuroPACEも、注目に値する活動を行っている。
また、ヨーロッパ全域にわたる公的機関や民間諸機関の間の各種の協働作業を調整するための電子会議・ファイル転送システムとしては、EuroKom が重要である。その他、女子の職業訓練の促進のためにECが1988年に作ったIRISと呼ばれるネットワークもある。中小企業間の協働支援のネットワークとしては、BC-Netが有名である。GeoMail 協会を通じて協働するさまざまな企業のための GeoNet と呼ばれるネットワークや、それをバックボーンとする、Electronic Village Hallsのコンソーシアムもある。GeoNetの上では、Poptelと呼ばれる、非営利・非政府団体のコミュニティのためのネットワークも動いている。協働組合をメンバーとする Industrial Common Ownership Movement と呼ばれるネットワーキング運動も、まだ小さいが急速に成長しつつある。ヨーロッパの場合、営利目的のネットワーク利用は競争的な性格が強いが、非営利の団体あるいはコミュニティ部門では、協働関係が目立っている。
1980年代の情報通信産業の特色は、コンピューターの小型化とインテリジェント化が進む一方、それらがローカルなネットワークを作り、さらに広域のネットワークを作って互いに連結するようになっていった点にある。未来研究所(Institute for the Future)のポール・サッフォー(Paul Saffo)もいうように、「これからの情報機器の価値は、それで何が処理できるかではなくて、それがどこに繋がっているかに依存するようになる」のである[TR:930405:28]。あるいは、英国の『エコノミスト』誌[920620]がいうように、「万国のコンピューターが連結する」時代--「万国の労働者」ではなく--がやってこようとしている。それに伴って、これまでは別々の産業と見なされていた、通信産業、情報サービス産業、コンピューター産業が、共通の、あるいは相互接続・運用可能な標準化されたディジタル・フォーマットやプロトコルを媒介として、一つの巨大な "メガ産業" に融合し統合される時代が到来しようとしているのである。
その背景には、人間そのもの、あるいは人間の社会関係についての、認識と理解の転換があるように思われる。大胆に単純化していえば、それは、近代欧米流の "個人主義" から、近代日本あるいは東洋流の "間柄主義" への転換だといえそうだ。いまや、近代人は、 "個人" を超える存在、あるいは "個人" を包む存在としての "グループ" ないし "間柄" を再発見しつつある。それは、反省的思考の方向としては、 "超越論的反省" から "解釈学的反省" への [村上92] 、また、スタティックで "構造主義" 的な "構造の呪縛" から自由になって、ダイナミックな "自己再組織" の方向を追求しようとする "脱構造主義" への方向転換だといってもよい。それはまた、自然・世界認識における、 "還元主義" から "システム思考" へ、 "機械論的決定論" ないし "統計学的確率過程論" から、 "複雑系の理論" ないし "生命系の理論" への転換とも、密接に結びついている。
コミュニケーションあるいは通信の理論においては、長らく、コミュニケーションを一対一の "パーソナル・コミュニケーション" と、一対多の "マス・コミュニケーション" に二分するパラダイムが支配的だった。そして、近代文明が発展させた通信技術あるいは通信インフラストラクチャーの構造としては、それらは、いずれも高度に中央集中的な "交換システム" と "放送システム" という形をとってきた。しかし、近年では、コミュニケーションの第三の主要なカテゴリーとしての "グループ・コミュニケーション" の重要性が認識されるようになり、通信技術あるいは通信インフラストラクチャーとしても、 "自律分散的で "コネクションレス" な通信の構造が構築されるようになってきた。
おそらく、近未来の情報通信ネットワークは、基本的に "グループ・コミュニケーション" 用のものが中核となり、パーソナル・コミュニケーションやマス・コミュニケーション用のネットワークは、その周辺に配置されるか、あるいはその機能のかなりの部分は、グループ・コミュニケーション用のネットワークによって肩代わりされることになっていくのではないだろうか。そして、その結果として、電話は携帯・移動が可能になって場所の制約から完全に解放されるだけでなく、データ通信の付属サービス化することによって通話形式の制約からの解放され、マルチメディア通信の一部として料金的にもごく安価に利用できるものになるだろう。また、放送は、その多くが視聴者からの要求に応じて (オンディマンド) 一気に送信されるものになり、時間とチャネルの制約から解放されることになるだろう。さらに、送ってくるものの内容や送られたものの内容を視聴者が変更することが可能になるという意味では、視聴者には、受信内容の処理がある程度可能になり、自分もある意味で放送の主体になれるようになる。視聴者は、多数の番組の中から選択したり、音の大きさや画面の明るさを調節したりできるばかりではなく、音声や画像などさまざまのメディアに変換できる受信データの表示の仕方を、画面の大きさや解像度、あるいはメディアの組み合わせなど、自らの好みに合わせて自由に選ぶことが可能になるからである。そればかりではない、グループ・コミュニケーションのメディアを利用することで、視聴者は、文字通り自らが発信者となった "放送" を行うことさえ、可能になっていくだろう。(1)
それでは、次代の "グループ・コミュニケーション" の "パラダイム" としては、どのようなものが考えられるだろうか。ここでは、とりあえず次のようなものをあげておきたい。すなわち、
などの特質がそれである。しかし、同時に、未来のグループ・コミュニケーション・ネットワークのアーキテクチャーには、現時点で見るかぎりさまざまな不確定要因が残っている、あるいは新たに出現しつつあることも事実である。たとえば、
などといった疑問は、まだ答えられていないのである。
他方、コンピューターあるいは情報処理との関連でいうならば、近年の関心の方向は、明らかに、大型化・無人化から、小型化・人間中心化の方向に向かっている。つまり、第一章で紹介したトム・フォレスターの講演にもあったように、これからの世界 (とりわけオフィスや工場) では、コンピューターあるいはそれを内蔵したロボットたちが人間にとってかわるのではなくて、主体はあくまでも人間であって、コンピューターの役割は、人間を排除することではなくて人間を支援することにある、とりわけ人間の集団としての協働作業 (コラボレーション) を支援することにあるべきだ、という考えかたが主流を占めつつある。それに伴って、情報活動の重点も、
と向かっているということができる (下図参照) 。先に引用したサッフォーの言葉も、そのような流れの変化をよく示している。
そのような視点に立てば、未来の "突破型メガ産業" としての "マルチメディア産業" や "グループウエア産業" の意義も、なによりもまず、それらが個人の学習やグループのコミュニケーションやコラボレーションの支援のための有効な手段となるところに求められるだろう。具体的な用途としてさしあたり考えられそうなのは、
などといったところではないだろうか。より個人生活に密着した娯楽や学習のための利用、あるいは行政窓口での利用が普及し始めるのは、それよりも一足遅れてであるかもしれない。
図:情報生活の重点の変化
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| グループ |
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| コミュニケーション → コラボレーション |
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| -----↑------+---↑------- |
| 意思決定 | 自己組織 |
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| データ処理 → 学 習 |
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| 個 人 |
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以上見てきたように、アメリカは1980年代末から90年代初めにかけての情報通信産業の不況と挫折からいち早く立ち直って、 "全国情報インフラストラクチャー" の建設と、それを基盤とする "新メガ産業" の展開に向かう前進を開始している。もちろん、アメリカの経済や社会には、巨額の財政赤字や社会的秩序の混乱、特に初中等教育システムの機能不全などといった深刻な問題が残っている。また、政治が "国家的競争力" という観念に、産業界や法曹界が "知的財産権" という観念に過度に囚われてしまいがちなのも、逆説的ながらかえってアメリカの手足を縛ってしまいかねない危険がある。したがって、アメリカが産業化の21世紀システムの構築を主導して、 "アメリカの世紀" の再来に成功するという確実な保障はどこにもない。しかし、ひるがえって日本の現状を見ると、過去の経済成長の成功への慢心と、予想外の資産デフレ効果への驚愕とがないまぜになり、さまざまな弱点を残しながら未来への進路を容易に定めきれないという問題点を抱えていることは否定しがたい。 "追いつき型近代化" を達成した日本は、その国家的国民的目標を喪失してしまう一方では、過去のシステムの惰性や制度疲労から抜け出せないでいるのではないだろうか。そういった観点から、今日の日本が未来の情報通信産業の構築との関連で残している弱点や問題点を、最後に一瞥しておこう。
まず、比較的一般的な弱点としては、次のようなものがある。
第一に、日本人は個人としても集団としても主体性が弱く、自信をもって自分のビジョンを打ち出して他人を説得しリードしていくことができにくい。今日の日本には、政界にも財界にも、強いリーダーシップを発揮できる個人がいなくなっている。日本よりも一歩も二歩も先んじている先発国の先例を手本にして進んで行ける間は、この弱点はそれほど表に出てこないが、いったん日本が "大国" となって、自らが世界に対して自前のビジョンやモデルを示さなければならなくなると、たちまち馬脚が現れてしまうのである。
第二に、タテ割りの "イエ型組織" やそれらを要素とするネットワーク (一揆型、談合型のシステム) は、概して閉鎖的であって、ネットワークの内外でのなわばり争いが強烈である。したがって、これからの未踏技術の開発には産業界と学界との緊密な協力が必要だということは観念的には理解していても、現実問題としてはなかなか実行できない。 "学問の自由" とか "利益追求" といった建前を掲げた反対論に、容易に対抗できないのである。規制の緩和や自由化・開放化に反対しているのは、実は民間部門自身だというケースも多い。
第三に、ありうべき技術進歩の方向への懐疑が強すぎる。チップの集積化のような特定の方向に向かう技術進歩の可能性や、OSI 規格のような超国家的な権威を背景とする技術進歩の可能性については、それを盲信しがちな一方、それ以外の多くの可能性については、今だめなものは今後もだめだとみなす傾向が強い。たとえば、全二重モデムの技術開発への不信はその最たるものであろう。日本がもたついている間に、アメリカではどんどん開発が進み、今ではほとんどISDNの64キロビット/ 秒の速度と実質的に対等な速度を実現した全二重モデムが出現しようとしている。同様な現象は、 "コネクションレス" のパケット交換技術への不信にも見られる。それがルーターの開発の後れとなって現れているのである。あるいはまた、家庭に入っている銅線の電話線の容量の限界への意識過多ともいうべき現象がある。光ファイバーにしなければ、大したことはできないと言いつつ、光にするのは高くつきすぎるとか需要がないといって、結局何もしないのである。他方、アメリカの方では、FTTHが高価すぎるならまずFTTCを実現し、後は信号の圧縮で行こうといった現実的な方針を取ることが多い。
第四に、文化的閉鎖性・異質性の問題とでもいうべきものがある。せっかく世界につながるネットワークが利用できる可能性が開かれても、自分がどうしても必要なデータを取るために利用する位が関の山で、自分の方から世界に対して発信しようとはしない。何よりも、言語や文化の壁の前に立ちすくんでしまいがちである。そこから、日本のインターネット利用の現状を観察して驚いたジョン・バーローのように、 "言論の自由" "個人の自由" の文化をもたない日本人が、果たして本気でサイバースペースの住人になろうとするだろうか、といった疑念も生まれてくる。
その一側面としての日本語そのものの問題もゆゆしい。すでに戦争直後から日本では梅棹忠夫 [梅棹 87, 88-1, 88-2]らが、近年のアメリカではマーシャル・アンガー [アンガー 92]らが、日本語はコンピューターやネットワークには不向きだという主張を展開している。日本語が外国人にそれほど普及していないこと、しかし、日本は外国人に対する日本語教育には、他の先進国比べて力のいれ方がはなはだしく少ないのも、否定できない事実である。他方、日本人は意外に英語ができないし、そのために英語が支配的な電子ネットワークの世界--それも現在ではまだまだ書き言葉が中心の--世界に入っていけないでいることも、これまた否定できない事実である。意外に知られていないことは、日本人の英語の読み書き能力の方が、英語を話す能力よりもむしろ低いという事実である。日本人の多くは、6 年から8 年にわたって英語を勉強してきたので、たとえ会話はできなくても、辞書さえあれば、英語の読み書きはある程度できると信じこんでいる。これが間違いのもとである。現在流通している翻訳書--とりわけ人文・社会科学の学術書の--翻訳の質の低さには驚嘆すべきものがあるが、多くの日本人はその事自体に気がつかない。また、安かろう悪かろうで提供されている翻訳サービスの質の悪さにも気がつかないのである。つまり、その程度に自分の英語力が低いのだが、それが分からないわけである。今後インターネットの爆発的な拡大・普及に伴って、英語の重要性はますます強まるだろう。もし、英語を使わずにすませたいというのであれば、オンラインでの質の高い言語・文化翻訳サービスの提供と利用は、絶対の必要条件だろう。しかし、それに対する多くの日本人の反応は、なんで、日本人にとって、こんなネットワークが必要なのか、あるいはたかが翻訳--その気になれば自分でも少し時間をかければ出来るはずの仕事--に何でこんなに多額の金を払う必要があるのか、といったものになりそうだ。逆に、日本の外での反応も、しょせん日本人にとっては、電子ネットワークの世界は無縁の世界ではないのかとか、なんで自分からは情報をだしてこない日本人、世界的普遍性をもった理論やソフトウエアは作れない日本人を、ネットワークの仲間に入れてやるべきなのか、といった疑念や反発が出てきたとしても、当然だといわなければならない[Barlow 92] 。
第五に、日本人の多くは--なにも日本人だけが例外ではないのかもしれないが--、意外に保守的というか守旧的であって、外国に先例、とりわけ成功例のないような新しい試みには、容易に手を出そうとしない。とりわけ、システムの信頼性、安全性への過度の配慮というか恐怖があって、冒険ができない。自分で責任を取ろうとしない。それどころか、誰かが冒険をしようとすると、まわりがそれを潰してしまいがちである。
第六に、これも日本人に限った話ではないが、この社会には公益事業をよってたかって食い物にする傾向がある。敢えていってみるならば、たとえば、大蔵省は、NTT やJRの民営化を奇貨として、その株を高値で売って国の収入にしようとする。郵政省は、なにかと言えばNTT に寄付を頼んだり、NTT を分割して天下り社長をふやしたりしようとする等々。
こんなことを考えていると、なんだか、大東亜戦争開始の前後が思い出されてならなくなる。当時の日本は、少なくとも一部では世界の先端を行く兵器 (ゼロ戦、空母等) や戦術 (航空戦、雷撃戦) を編み出しながら、その後 (レーダー、ジェット、核兵器等) が続かなかった。米国の弱さばかりが目について米国を軽侮しつつ、自分の弱さに対しては盲目になっていたのである。戦後の日本においては、少なくともアメリカに追いつくまでの過程は良かった。1970年代になっても、当時の電電公社には "スーパー産業化ビジョン" とでもいうべきすぐれた未来ビジョンがあった。すなわち、これからの電気通信は、①半導体、③光ファイバー、③ディジタル化を三つの軸として発展させていかなければならないというビジョンがあった。しかし、結果的には途中で息が切れてしまったようだ。とくに民営化後だめになって、1990年の「21世紀のサービスビジョン」を出したところで、精根つきはててしまったかの感がある。民営化したNTT は、制度の建前の上での利潤追求の自由、競争の自由と、規制当局の本音のベースでの微に入り細をうがった "指導" や "干渉" の前に奔命に疲れてしまったのかもしれない。もっとも、問題は通信産業だけでなく情報産業の側にもあった。日本のコンピューター産業は、ハードウエアの面ではダウンサイジングの波に、ソフトウエアの面ではパッケージ化の流れに、乗り遅れてしまった。とりわけ、LAN, WAN両面でのネットワーク化においては、アメリカの遙かな後塵を排してしまった。こうした立ち遅れは、文化からの反発--たとえばソフトウエアでいえばカスタム・メードに面子を賭けているかのごとくにこだわってみたり、交換手の職を奪うことを恐れて交換機のディジタル化を遅らせたり、文書によるコミュニケーションよりは、顔と顔を合わせたコミュニケーション、あるいは少なくとも電話による会話を重視したりする傾向など--に主として起因するものなのだろうか。つまり、立ち遅れは文化の反発か。それとも、よりいっそうの技術進歩がありさえすれば--たとえば、マルチメディア化とかペン入力、あるいは感情のコミュニケーションが可能になるといった--新しいものの導入利用の障害は比較的容易に克服できる問題なのだろうか。
他方では、すでに発展の基本的な方向は世界的に定まっているが、日本はその線上で大きく立ち遅れていると思い込んだ技術や製品については、万難を排して追いつき追い越そうとする傾向がありそうだ。たとえば、衛星やロケットの技術はその典型例であろう。それにしても、今の日本が夢中になっているものは、いささか時代遅れのものではないのだろうか。たとえば二十年の年月と多額の開発費を投入してようやく実用化の門口に来たMUSE方式のアナログの "ハイビジョン" は、ディジタル・テレビへの移行が世界の流れになろうとしている今日では、戦艦大和のような運命を辿ることを余儀なくされるのではあるまいか。また、日本だけが大量生産に成功したFAX は、それ自体は優れた製品であるにしても、後続の技術革新が伴わないならば、かつての三八式歩兵銃のような位置に止まってしまいはしないか。さらに言えば、ネグロポンテの予想が正しいとすれば、衛星放送にも未来はなく、アンガーの議論が正鵠をついているとすれば、コンピューターでの漢字処理も、結局は行き詰まってしまうことにはならないだろうか。
もっとも、私としては、別段絶対の革新があってこのような議論を展開しているわけではない。むしろ、こうした見方が間違っていることを祈る気持の方が強い。その意味でも、私としては、日本の政府や産業界がなるべく早く、情報通信の未来に関する明確なビジョンについて合意し、それに立脚した自覚的な協働行動を、
の両面で、国内的にもまたグローバルにも展開していって欲しいという思いが強い。そうでなければ、真の「日本の時代」は当分やっては来ないだろう。この報告書が、そうしたビジョンの形成にとって、なんらかの促進的な役割を果たすことができれば、と願う。