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kumon - November 1, 1995

「突破局面の技術と産業」

November 1, 1995 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

1995年11月24日

「突破局面の技術と産業」

科学技術ジャーナル:視点 11月発行号掲載

公文俊平

今日の産業社会が "第三次産業革命" の時代に入ったという認識は、日本の外ではかなり広く定着してきたようだ。しかし、日本の場合は、過去の二十世紀型の産業(産業化の二〇世紀システム)への追いつきを見事に達成したという自覚はあっても、世界が新たな持続的経済成長の時代を迎えつつあるという自覚は乏しいようだ。

産業化の歴史を振り返ってみると、一八七〇年代の後半以来、ほぼ百年ごとに大きな産業革命が到来しているが、それぞれの百年期の前半と後半とでは経済発展の性格はかなり異なっている。前半のいわば "突破局面" には、技術や産業の "パラダイム" が大きく変化して、新しい技術に基づく新しい産業構造や産業組織が出現する。突破局面にある社会は、既存の知識や経験の多くが役にたたなくなり、未来の不確実性が極めて大きい、ほとんど五里霧中の社会である。他方、後半の "成熟局面" には、すでに確立した技術や産業のパラダイムを前提とする技術革新が相次いで起こる。つまり、成熟局面にある社会は、さまざまな面で急速な変化が進むとはいえ、その変化の方向は比較的はっきりしていて、未来も予測しやすい確実性の高い社会なのである。

日本の文化や文明は、成熟局面での "追いつき" には極めて適しているようだ。明治の近代化の成功は、産業化の一九世紀システムへの追いつき過程で達成されたものだし、昭和後期の高度成長も、産業化の二〇世紀システムへの追いつき過程の産物だった。

しかし、明治末期から昭和前期にかけての経験が示すように、日本は突破局面への適応には不向きらしい。日本人が個人として創造性や突破力に乏しいはずはないにしても、社会システムとしては、仲間内の平和を旨として、出る杭を打ち、異分子をいじめ、新説や冒険を抑え込み、成功者の成果は寄ってたかって分け合おうとする傾向が、いかにも強い。その点、アメリカ社会がもっている文化や文明とは、はなはだ異質だと言わざるをえない。だとすれば、アメリカの真似をして、 "規制緩和" や "自由競争" の必要だけをお題目のように唱えてみたところで、 "突破" が達成されるわけはないのである。

それでも、突破が必要だとすれば、日本は日本なりの突破のための制度や政策の体系を別途編み出す必要がある。それは、成熟局面での追いつきに有効だった "開発主義" 的な産業政策や分配政策とは、さまざまな点で異なっているに違いないが、それでも、なんらかの産業政策と分配政策の組み合わせであることに変わりはあるまい。実はアメリカでさえ、国際競争力の強化やユニバーサル・サービスの名のもとに、ある種の産業政策や分配政策を実施したり模索したりしている。今日の日本が必要としている突破のための制度や政策の体系はどのようなものかを、今こそ真剣に研究する必要があろう。