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kumon_letter - December 1, 1995

公文レター No.2

December 1, 1995 [ kumon_letter ] このエントリーをはてなブックマークに追加

1995年12月10日

「プラットフォーム・ビジネスの登場 」

公文レター第2号

公文俊平

十二月に入って、師走特有の慌ただしさと活気が町に溢れています。

今回は「公文レター」の第二号を、お届けします。今回は、お正月を控えていることでもあり、少し私の夢についてお話してみたいと思います。

プラットフォーム・ビジネスの登場

前回の研究協力委員会での講演の中で、ハワード・ラインゴールドさんは、インターネットが人と人との間のコミュニケーションのための新たな手段であり場であることを強調し、インターネットこそが経済的・社会的な革新の "プラットフォーム" となると述べました。

"プラットフォーム" という言葉は、もともとコンピューター業界で使われ始めた言葉で、異なるアプリケーションや機種、あるいはメーカーの間で共通に使える技術基盤(とそれを具体化したハードウエアやソフトウエア)を意味していました。それが近年では、より広く、さまざまな "産業活動の基盤" という意味で使われるようになってきています。そうなると、従来からあった "インフラストラクチャー" という言葉と意味が重なってきますが、国領二郎さんによれば、「インフラストラクチャーがハードウエアを中心に考え、規模の経済性と公共財としての提供を想定しているのに対し、プラットフォームは信用情報供与など取引の調整や仲介を行うソフトな価値を重視する」のだそうです。国領さんたちは、プラットフォームが、ビジネスとして私的に提供される場合に特に注目して、これを "プラットフォーム・ビジネス" と呼び、次のような定義を与えています。

プラットフォーム・ビジネス:誰もが明確な条件で提供を受けられる商品やサービスの供給を通じて、第三者間の取引を活性化させたり、新しいビジネスを起こす基盤を提供する役割を私的なビジネスとして行っている存在のこと(1)

今井賢一さんは、さらに進んで、21世紀の新しい産業組織を、第一図のような形で概念化しています。それは、さまざまなインフラとプラットフォームがいくつもの層 (レヤー) をなして重なっている産業活動基盤の上に、個々の産業が乗っているというものです。産業組織のこのような変化の原動力が、近年の情報革命にほかなりません。コンピューターのダウンサイジングとネットワーキングによって生み出された分散処理情報通信システムが、この新たな産業インフラ/プラットフォームの各層を貫通する共通原理になっているのです。 国領二郎さんは、そのはなはだ刺激的な近著の中で(2) この新しい産業組織の下では、これまでの20世紀型の「囲い込み型」経営戦略はもはや有効性を失ったので、これからは「オープン型」経営戦略への転換が必要だという問題提起を試みています。

市場のプラットフォームとしての智場

国領さんの新経営理論については直接お読みいただくとして、ここでは、今井さん国領さんのインフラ/プラットフォーム論を、私流にもう少し拡大解釈してみたいと思います。

私は、相互の説得(型のコミュニケーション)を通じて知識や情報を普及・通有する場としての "智場" を、相互の取引を通じて財やサービスを販売・購入する場としての "市場" とは別のものだと考えています。しかし、これからの情報社会では、 "智場" は、 "市場" にとってのプラットフォームとなって、市場を自分の上に取り込むというか乗せるようになっていく、と予想しています。かつての経済理論が想定していたような "完全情報" などどこにも存在しない世界、とりわけ新しい知識の創造と技術の革新が急速に進む世界では、智場は、市場が必要とする情報を提供したり、人々の相互信頼関係を醸成したりするための基盤となるのです。

そればかりか、智場を通じて提供される知識や情報は、人々の投資行動や商品の販売・購買行動を、さまざまな形で制約・拘束するようになっていく可能性があります。人々は、投資の収益の大きさを予想する以前に、それが倫理的に "正しい" 投資であるかどうかをまず判断しようとするかもしれません。あるいは、その "面白さ" の有無を、意思決定の重要な要因の一つとするかもしれません。同様なことは、商品の販売や購買についても言えるようになるでしょう。いいかえれば、人々がビジネス上の意思決定に際しても、それがなんらかの倫理基準に合致している証拠を得たいと思うようになるとすれば、それを智場が提供することが求められるでしょう。そういう役割を果たせる智場は、まさに未来の市場にとってのプラットフォームになります。ここにも、智業と企業の協働が期待されているということができそうです。

革新の主体としてのネティズン

かつてシュンペーターは、資本主義はその成功のゆえに活力を失って社会主義に道を譲ると予想しました。確かに、20世紀の産業社会が生み出した大企業体制は、次第に "官僚制化" して活力の低下傾向を示していました。そのような傾向は、今日の日本の "半社会主義的" ともいわれる経済では特に顕著かもしれません。そこへさらに智場からの余分な制約が加わるとすれば、産業経済の活力はますます低下する恐れがないとはいえません。

しかし、今井さんや国領さんの注目する新しい産業組織の出現や、私のいう新型の智業やネティズンの出現は、その恐れを杞憂に終わらせるものだと思います。新しい産業/智業組織の一番上のレヤーを占めるのは、個人あるいは小規模組織としてのネティズンたちであって、彼らの活発な活動こそが持続的な革新の実現を保障してくれるでしょう。おそらく産業組織の下のレヤーほど、独占的な大企業の存続する余地が多く残ると思われます。しかし、下のレヤーのそれぞれが上のレヤーにとってのプラットフォームとしての役割を果たすかぎり、また独占的大企業による複数のレヤーにわたる事業活動が厳しく制限されているかぎり、未来の産業/智業社会の全体としての活力は維持されることになるのではないでしょうか。その意味では、シュンペーターの予想は半分しか当たらないだろう、と私は思います。

なお、ここで私はこれまでの "ネティズン" の定義を若干拡張したくなりました。前の定義は、

  ネティズン:ネットワークに棲んで智業に従事する人々
だったのですが、これを
  ネティズン:ネットワークに棲んで智業や産業に従事する人々
と拡張したいと思います。あるいは、 "智業や産業" のことを "広義のビジネス" と呼んでもいいでしょう(政府部門による行政サービスの提供は、すでに20世紀のシステムで、広義の産業に含められていました)。いずれにせよ、21世紀のGNPの少なからぬ部分は、ネティズンたちが生み出すことになるでしょう。かれらは、その一部を市場を通じて販売もしますが、かなりの部分は自分自身で消費・投資したり、他人に贈与したりするに違いありません。

智業のためのプラットフォーム・ビジネス

ちなみに、企業のためのプラットフォーム・ビジネスが考えられるのと同じような意味で、智業のためのプラットフォーム・ビジネスも考えられそうです。教師や研究者の一部を、特定の学校や研究所に囲い込むかわりに、さまざまな "アカデミー" のメンバーとして、そこから外での講義や共同研究にでかけることにし、個々の学校/研究所と各種の "アカデミー" との間の取引を仲介するプラットフォーム・ビジネスを作るというのはどうでしょうか。そうしたビジネスができれば、学校での管理業務にうんざりしている教師たちの多くは、より自由な生活を可能にしてくれる "アカデミー" の方に喜んで移っていくのではないでしょうか。学位は取ったが定職につけないでいる若い研究者たちにとっても、 "アカデミー" は魅力ある基地になりそうです。

個々のネティズンの信用や資格を保証する "ネティズン・カード" を発行する会社も考えられます。終身雇用制度のなくなった社会では、短期雇用契約の仲介者としての役割を果たすプラットフォーム・ビジネスの有用性は、大きくなるに違いないと思われるからです。

 このようなニュー・ビジネスに関心をお持ちの方はいらっしゃいませんでしょうか。実は私は、智業プロパーにも関心がありますが、同時にこういったビジネスに参画してみたいなという密かな夢ももっています。


(1) 今井賢一、国領二郎編、『プラットフォーム・ビジネス-オープン・アーキテクチャー時代のストラティジック・ビジョン-』、InfoCom Review, 1994年冬季特別号、p.4 。

(2) 国領二郎、『オープン・ネットワーク経営-企業戦略の新潮流』、日本経済新聞社、1995年。