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「日米情報化競争」

March 1, 1996 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

96年3月9日

「日米情報化競争」

公文俊平

因果はめぐるというが、情報化をめぐる日米の動きにも、それがはっきりと現れているように思われる。

1980年代、とくにその後半の日本は、今から思えば慢心し奢っていた。世界最大の債権国は、すでに世界最大の債務国に転落していた。他方、電子立国日本は、情報技術でアメリカを抜いたばかりか、円高と金融緩和がもたらした資産価値の上昇の恩恵をフルに享受し、日本人はアメリカを文字通り買いまくっていた。他ならぬアメリカ人自身が、20世紀が自動車とテレビによるアメリカの世紀となったように、21世紀は集積回路と高品位テレビによる日本の世紀となると考えて、日本をソ連以上の脅威とみなすようになっていた。

しかし、80年代の後半には、情報技術の面でのアメリカの巻き返しはすでに始まっていた。それにいちはやく注目してアメリカの再生を熱っぽく指摘したのが、ジョージ・ギルダーの『マイクロコズム(邦訳:未来の覇者)』だった。

1993年の秋には、アメリカの主要なジャーナリズムが、日本の情報化の立ち遅れをいっせいに書き立てた。ディジタル革命の時代には、アナログのハイビジョンなど物の数ではないとされ、あれほど声高だったジャパン・バッシングの声は、ジャパン・パッシングの流れのなかにかき消えていった。こうして、日本でも遅ればせながら、マルチメディアへの関心が高まり、「高度情報通信社会推進対策本部」が設置されることになった。

1990年代も後半に入った今、あらためて振り返って見ると、アメリカは1990年代の前半に、情報通信産業の既存の巨人たちの間の、どちらかといえば貪欲で近視眼的な競争とその調整に、そのエネルギーの多くを浪費していたように見える。民主党政権が三年がかりでようやく成立させた通信法の改正も、新興のインターネットを押さえ込みつつ、既存の情報通信産業の寡占的再編成を促す、後ろ向きの改正としての性格の強いものになった。新政権が鳴り物入りで打ち出した情報スーパーハイウエーないし全国情報基盤(NII)の構想も、ついに明確なビジョンを結晶させられないままだ。どうやら、日本にまた挽回のチャンスがめぐってきたようだ。

昨年以来、NTTは、いちはやくOCN(オープン・コンピューター・ネットワーク)構想を打ち出し、これを電話にかわる同社の今後の中核事業として位置づけた。不毛な分割論議はさておいて、このOCN型のネットワークが、NTTも含めた複数の事業者によって競争的に展開され、同時に日本全国にOCN幹線につながる広帯域情報通信ネットワークとしてのCAN(コミュニティ・エリア・ネットワーク)がいっせいに構築されることになれば、21世紀の初頭には、再び日本がアメリカの先に出ることも不可能ではないかもしれない。