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kumon - April 1, 1996

「インターネットの未来」

April 1, 1996 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

96年4月28日

「インターネットの未来」

トロント講演会 記録

公文俊平

The Future of the Net -- some perspectives of a Japanese social theorist --

Fellow netizens! With a Mac on my lap, I have flown from Tokyo to share with you my thoughts on the future of the Net and our civilization. However, my cultural background psychologically forces me to make an excuse, rather than a joke, right at the beginning of my talk that I'm not sure to what extent my thoughts can be relevant to you who are mostly from North America and who are, so to speak, techies, or science and technology oriented specialists. There are two reasons for that.

First of all, the area I've come from is not only culturally unique just like most other parts of the world but also, unlike some other parts, technologically challenged. I suppose that "technologically challenged" is the politically correct expression to refer to a person or place that is behind in terms of both development and application of the latest information and communication technologies. Japan still substantially lags behind many other nations, whether industrially developed or developing, in the spread of the Net. Our government hasn't paid much attention to its promotion. Our universities and research institutions have been, with a few eminent exceptions such as Jun Murai's group, too closed to make sincere efforts to develop and share with others their networking resources. Our telcos and broadcasting companies have shunned away from delving into new or multimedia, particularly the Internet. In addition, there is practically no viable cable TV industry in Japan. It is only within the last several months that all this began to change finally and drastically. 1995 was truly the year that not only American business but also Japanese society became seriously interested in the Internet. (See Figure 1).

Second, my specialty is social theory, which still remains an intellectually challenged discipline of human knowledge. What is even worse is the fact that, for the last twenty some years, I have been engaged in a so-called broad gauge narrative telling and theorizing of the process of historical evolution of a society and a civilization, that is, Japan and the modern civilization. In this age of renewed interest in specialization and outsourcing it is no wonder that many people are dubious about the use of such a theory. Nevertheless, I am convinced that in this age of a sea change in technology as well as in society, it is indispensable for us to share a common vision of the future and to make collaborative efforts to realize it, while always being ready to remake the vision as new realities unfold. Moreover, there is a saying in the game of Go of which I am a fan that the onlooker sees most of the game. As an onlooker of contemporary industrial society and civilization, I may have seen at least some of our competitive game of informatization. That is the reason why I accepted your kind invitation and have flown here.

私は今日、三つのことについて話してみたい。

第一は、私が、外からの観察者として、近年のアメリカでの情報革命 (information revolution) の進展状況をどのように捉えているかということだ。とくに、昨年はインターネットに対する急激な関心の高まりが見られたが、それと共にいくつかの深刻な問題も生じているようにみえる。たとえば、netizen たちの間では今、Communication Decency Act の制定に抗議するキャンペーンが繰り広げられているが、インターネット上でのコミュニケーション活動の規制の問題はどう考えたらよいだろうか。私はそれを、近代社会での個人のエンパワーメントの増大傾向とその力の社会的な規制の必要という観点から、今日の私の話の第二の主要なポイントとして取り上げてみたい。また、インターネットの商業化、大衆化に伴って、 "ネットワーク・コンピューター" とか "information appliance"の可能性が、広い関心を集め始めている。私はその可能性を、産業化の歴史に照らして、再検討してみたい。これが私の話の第三のポイントになるだろう。

このようなアプローチからもおわかりのように、私は、今日の "information revolution" の意味を理解するための理論的な観点として、二つのものを考えている。その第一は、近代社会は、その進化の最初の局面で、軍事革命の結果として近代主権国家 (modern sovereign state) と国際社会 (international society)を生み出し、次にその進化の第二の局面で、産業革命の結果として近代産業企業 (modern industrial enterprise) と世界市場 (world market) を生み出したが、今日のinformation revolutionは、近代社会の進化の第三の局面の到来を告げるものであり、その結果として、近代情報智業 (modern information intelprise)と地球智場 (global intelplace)とでも呼ぶことのできる新たな社会的主体と広域的な社会システムとを生み出そうとしているのではないか、という観点である。その第二は、そうはいっても産業化それ自体はまだ依然として進行していて、現在は、18世紀末の第一次産業革命と19世紀末の第二次産業革命に続く、第三次の産業革命の、いってみれば突破(breakthrough)の段階--つまりまだまだ成熟の段階にはいたっていない--にあるという観点である。つまり、information revolutionには情報社会革命とでも呼ぶことが適切な側面と、情報産業革命としての側面とがあり、現在はその両者が同時進行しているというのが、私の基本的な認識である。

それでは、まず第一のポイントから話を始めよう。アメリカの情報通信業界や政界が、急激に進行し始めたinformation revolutionの性格について、次の三つの点で大まかな合意を形成したのは、1992年のことだったと私は見ている。その三つの合意というのは、

  1. ディジタル革命、つまり情報処理のディジタル化の流れが、今や、アナログ技術に 立脚してきた通信の世界にも及び始めた、
  2. そうだとすれば、新しい広帯域のディジタル情報通信ネットワーク-- "情報スーパーハイウエー" とか、 "全国情報基盤(NII)" などと呼ばれた--の構築が早急に必要だ、
  3. その基盤の上に、これから21世紀にかけて、 "マルチメディア産業" とでも呼ぶことが適切な新しいメガ産業が発展していくだろう、

というものだった。もちろん "マルチメディア" という言葉自体はもっと以前からいろいろな意味で使われていた。だが、ここに到ってその意味はより限定されるようになった。つまり、マルチメディアとは、第一にディジタル技術を前提し、第二に広帯域の通信ネットワークを基盤とする、ニューメディアをさす、ということになった。

しかし、1992年の時点では、少なくとも二つの未決論点が残っていた。すなわち、

  1. 新しい情報通信基盤とはどんなもので、誰がその構築を主導するのか?

    たとえばそれは、有線が中心なのか無線が中心となるのか、双方向テレビ型のものになるのか、それともインターネット型のものになるのか、構築の主導者は、政府なのか民間なのか、民間だとすれば、電話会社 (長距離か地域か) か、ケーブル会社か、コンピューター会社か、それとも "コンテント産業" か、

  2. マルチメディア産業への当面の大きな需要はどこから出てくるのか、

    娯楽やニュースなのか、それとも教育・医療・福祉のような社会的応用分野なのか、あるいは企業や政府の業務利用なのか、

といった論点がそれだった。

そこで1993年から94年にかけて起こったのが、情報通信産業での "新ゴールドラッシュ" (正確にはその第一次というべきだろう) だった。そのきっかけとなったのが、以前から情報スーパーハイウエー構想を唱えていたアル・ゴア・ジュニアーが副大統領となった民主党新政権の登場だ。ただし、米国の情報通信産業は、全国情報基盤の建設の主導権を、たちまち政府の手から奪い取った。1992年の12月に大統領就任予定者となったクリントンの呼びかけで開催された全国経済サミットの席上で、ロバート・アレンAT&T会長が政府主導型の情報スーパーハイウエー建設構想を真っ正面から批判したというニュースは、強く私の印象に残っている。政府はたちまち後退して、主導権を民間の手に委ねることにした。それから約一年の後に公表された民間投資と競争原理を中心とする有名な全国情報基盤構築五原則は、米国政府の姿勢の変化を明白に示すものだった。

この第一次新ゴールドラッシュの時期に米国の情報通信産業が飛びついたのは、娯楽やニュースの番組の提供をより高度な形で行う "双方向テレビ(interactive TV)" 、あるいは "ビデオ・オン・ディマンド" だった。ケーブルテレビ会社ばかりか、電話会社までも、既存の電話のネットワークの上でビデオ画像の送信を行おうとした。電話会社は、ケーブルテレビ会社の買収を試みる一方では、銅線による広帯域伝送を実現すると期待されたADSLの技術に注目した。ケーブルテレビ会社は、テレビの双方向化によって、ビデオ・オン・ディマンドに加えて電話やホーム・ショッピング、ホーム・バンキングなどのサービス提供もできる "フル・サービス・ネットワーク" の構築実験に走った。

しかし、 "双方向テレビ" の夢は、どうやら迷夢にすぎなかった。それを実現するためにテレビに装着する "セットトップボックス" の技術の開発と実用化は容易ではなく、かりに実現できたところでそれほど大きな需要は見込めそうもないことが、すぐに明らかになったのだ。双方向テレビを専ら視野に入れた1994年の通信法改正案は、既存の業界間の利害対立の調整に失敗して廃案になってしまった。1995年の改正案も、最終調整に時間がかかり、ようやくこの2月になって成立をみたことは、皆さんがご承知の通りだ。このような経過を見ていると、米国の民間部門、とくに既存の情報通信産業の貪欲ともいいたいような活力と共に、その近視眼ぶりにも、強い印象をうけざるをえない。

だがその一方で、インターネットは1980年代の終わり以来、その規模を年々倍増させる勢いで、急激な発展を続けると共に、その運営を政府 (全米科学財団) から民間の手に移し始めていた。1993年から利用可能になったワールドワイド・ウェブの技術と、そのブラウザーとしてのモザイクやネットスケープの成功は、高度情報通信ネットワークとしての一般ビジネス・ユーザーの関心を一気に引きつけた。

こうして、1995年に入ると、新ゴールドラッシュは、インターネットのビジネス利用をめざす第二次の局面を迎えた。この年の 5月に米国を訪問した私の同僚たちの前で、電子フロンティアー協会 (EFF)の代表のミッチ・カポーアは、双方向テレビ対インターネットの競争について、「試合終了、勝者はインターネットだ」と言い切った。同じころ、TCI 社は、これからはインターネット接続サービスの提供をめざすと発表した。インテル社も、ビデオ・オン・ディマンドの市場には見切りをつけ、ケーブルテレビでパソコンをつなぐ推進力となる、と述べた。その後を追うように、長距離電話会社最大手のAT&T社や、いくつかの地域電話会社も、インターネット接続サービスの提供に踏み切り始めた。コンピューター・ソフトウエア会社の雄、マイクロソフト社も、同社の未来をインターネットに賭けると宣言した。多くの企業が、いっせいにインターネットの上に自社のホームページを開設したり、インターネットを電子市場として利用した取引の可能性を追求したりし始めた。まさに、1995年は、「米国のビジネスがインターネットを発見した年」(Vint Cerf)になったのである。一般市民の間でも、インターネットへの関心は爆発的な高まりを見せ、最近の調査によれば、北米だけで2400万人がインターネットにアクセスするようになっているという驚くべき結果が発表されている。ごく近い将来には、それを買ってきて電話線につなげばその日から "ネットサーフィン" が楽しめる、一台の値段が 500ドル程度の、 "ネットワーク・コンピューター" も発売されそうだ。こうして、1990年代のインターネットは、民営化、市場化、大衆化の傾向を急速に強めている。

しかし、インターネットへの関心のこのような高まりが、今後も続くという保証は必ずしもない。双方向テレビの夢を追って走った第一次新ゴールドラッシュが二年もしないうちに挫折したように、インターネットの夢を追って走り出した第二次新ゴールドラッシュも、短期間で挫折してしまうかもしれない。現に、ボブ・メトカーフは、昨年の12月に、「1996年、インターネットは破局的に崩壊する」という "予言" を発表して注目を集めた。ペンシルバニア大学の David Farber やバンダービルト大学の Donna Hoffmann は、Communication Decency Act の成立が象徴しているように、インターネットは今や反動期に入りつつあるとみている。確かに、今回の通信法改正の内容を見てみても、インターネットの広汎な構築と利用のための制度やルールの枠組みを作ったものというよりは、新興のインターネットの発展を抑えつつ、むしろ旧い情報通信産業の分野での既存の巨人たちの競争ないし相互吸収合併を許すものだという解釈は、十分に可能なように思われる。コロンビア大学の Eli Noam が予想するように、その結果は、少数の寡占的な情報通信メガ企業の出現をもたらすかもしれない。この三月に米国の情報通信企業の一部が、インターネットでの電話を禁止するようにFCC に提訴したというニュースも、このような見方を裏付けるもののように思われる。

もちろん私は、米国でインターネットが完全に圧殺され崩壊してしまうという見方に与するものではまったくない。AT&Tのアレン会長がいうように、アメリカは「混乱に強い国」であり、一見近視眼的に見える競争の混乱の中から、未来に向かうbreakthroughをなしとげるのが得意な国である。したがって、インターネットの未来についても決して悲観的になる必要はないと思う。実際、最初に私が言及したような歴史の大きな変化の流れからすれば、情報社会革命と情報産業革命のための情報通信基盤(information-communication infrastructure)としての役割をはたす、今日のインターネットを原型とするようなオープンなコンピューター・ネットワークがより高度化して普及していくことは、ほとんど歴史の必然だろう。しかし、そこに至る道は決して平坦なものではなく、さまざまな紆余曲折は十分ありうる。1980年代の後半に20世紀型産業化の成功に有頂天になった日本が、information revolutionに立ち遅れてしまったように、1990年代の後半には、アメリカが発展のテンポをやや落としてしまう可能性もないとはいえない。

そこで、今日の話の第二のポイントである、私のいう「歴史の大きな流れ」の話に入ろう。最初に述べたように、私の考えでは、現在進行中のinformation revolutionには、情報社会革命と情報産業革命の二つの側面がある。

産業化と呼ばれている社会変化の過程は、近代化と総称されるより長期的な社会変化の中の、一つの波にすぎない。近代化は、一五~六世紀の軍事革命によって本格化した、軍事化の波から始まった。その中から、いくつもの "modern sovereign state" が形成された。modern sovereign stateは "international society"に参加し、軍事力の行使、ないしはそれを行使するぞという脅迫を通じて、 "国威" の増進・発揚競争に加わった。だからこそ、international society の理念は、平和または安全の達成、保障におかれた。

次に一八~一九世紀の産業革命によって本格化する産業化の波が続いた。その中から多数の "近代industrial enterprise"が誕生し、これらの企業は "world market" に参加し、取引を通じて利潤あるいは "富" の獲得・蓄積競争を行うようになった。world marketの理念は、繁栄または豊かさの達成、維持におかれた。

とすると今日のinformation revolutionは、近代化の第三の波にあたる "情報化" の動きを本格化させるものと見ることができる。この中から、多数の "近代information intelprise" が誕生してくるだろう。 "近代information intelprise" とは、国家や企業に並ぶ近代社会での第三の重要な社会的主体であり、対話による説得を通じての "知的影響力(智)" の入手・増進をめざして、 "global intelplace"とでもいうべき場で競争する。インターネットは、まさにこのglobal intelplace の原型とみられる。global intelplace の理念は、平和や繁栄よりは "愉しさ" --pleasureあるいは Ivan Illichの言葉を借りれば conviviality-- を志向するものになるだろう。

近年NGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)などと呼ばれる組織のめざましい台頭と活躍ぶりが注目されているが、それらの実体はまさにここでいう智業にあたる。産業化のとくに初期の頃は、国家と企業の協働が重要な意味をもっていた。同様に、情報化のとくに初期には、企業(や国家)と智業の協働が重要な意味をもってくるだろう。科学技術のパトロンとしての役割も、その多くは国家の手から企業の手にうつっていくだろう。また、産業革命を経る中で、古いタイプの商人資本家や職人のギルドの多くが没落していったように、information revolutionの過程では、古いタイプの智業、つまり既存の大学その他の研究教育機関や、芸術やスポーツの組織、あるいは、宗教・思想・政治運動組織などは、新しい智業に足元を救われて没落していく可能性が高い。少なくとも、新旧両智業の間の競合・摩擦はほとんど不可避的に発生するだろう。

企業の活動が都市に棲む市民(シティズン)たちによってとりまかれ、支えられていたように、智業の活動は、ネットワークに棲むnetizen たちによってとりまかれ、支えられる。netizen は、市民、とりわけ "大衆" とよばれるようになった二〇世紀の市民に比べると、商品や情報の探索や入手の面で、さらには生産や発信の面でも、はるかに積極性を発揮するだろう。彼らは、受動的なカウチポテトにとどまるのは愉しくないと考える。そこで、みずから主体的にネットワークからネットワークを駆けめぐり、自分が面白いと感じる情報や商品を探し求める。これが "ネットサーフィン" である。 "エージェント" と呼ばれる機能代行型の特別なソフトも使う。あるいは自分が見つけだした情報や創り出した情報や作品の中から公開したいものを、ネットワークに提供する。

そういうわけで、netizen は、企業や智業からの情報の一方的な受け手、あるいは単なる説得の対象となるのではなく、自分で積極的に疑問を出したり、要求や提案を出したりする。だからこそ、netizen を対象とするビジネスは、コミュニケーションあるいは相互説得の過程を重視しないわけにはいかなくなるのだ。そこで問われるのは、まさに "感性" =愉しさの質なのだ。レジス・マッケンナも指摘しているように、企業がインターネットを、これまでのマスメディアと同様な広告やマーケティングの場としてしか見ないならば、たいした成功は望めない。情報社会では、コミュニケーションのあり方と、それを支える人間の意識自体が大きく変化していくからだ。そこに産業革命としてのみならず、社会革命としてのinformation revolutionの本質がある。

インターネットはもともとコミュニケーションの場として発展してきたのだが、実は、そのコミュニケーションの形自体が、情報社会では大きく変わってきつつある。

 産業社会、とくに個人主義の文化に立脚する産業社会での社会的なコミュニケーションの機能は、少数者対不特定多数のマス・コミュニケーションと一対一のパーソナルコミュニケーション機能とに大別されていた。そのためのメディアも、電気通信の世界でいえば放送と電話にそれぞれ分かれて発展した。だから企業も、日常のビジネスでは電話を多く利用する一方、広告や広報活動にはマスメディアを利用するというのが、これまでのコミュニケーションの支配的な形だった。

ところが、今日のnetizen や智業の間では、 "コミュニティ・コミュニケーション" とでもいうべき、新しいコミュニケーション機能が重視されるようになってきた。このコミュニティ・コミュニケーション自体はさらに、 "パブリック・コミュニケーション" および "グループ・コミュニケーション" という二つの機能に分けられる。

情報の発信者が自分の公開したいと思う情報だけをコンピューターに載せて公開し、受信者の方が自分で(あるいは "エージェント" と呼ばれる代行ソフトを使って)あちこち探し回って、自分に入手可能なものの中で、自分に関心のある情報だけを取ってくるという方式のコミュニケーションが、パブリック・コミュニケーションだ。産業社会のマス・コミュニケーションに比べると、パブリック・コミュニケーションは、発信者の公開したいと思うものの中から選ぶという意味ではより控えめだが、受信者が積極的に情報を求めて歩くという意味ではより能動的だといえよう。また、発信者の数は、マス・コミュニケーションの場合よりもはるかに多くなるだろう。

それに対し、グループ・コミュニケーションは、単なる個人間のコミュニケーションというよりは、ある範囲の人々の集団(グループ)の間での緊密な協働(コラボレーション)の支援を目的とするコミュニケーションである。

現在のインターネットは、何よりもこの意味でのコミュニティ・コミュニケーションの場として発展しつつあるといえる。現在のインターネットの上のアプリケーションでいえば、パブリック・コミュニケーションのもっとも代表的なメディアは、ワールドワイド・ウエブ(WWW)のサーバーとブラウザーだろう。他方、グループ・コミュニケーションのメディアとしては、各種の電子メールや電子会議用のソフトがあるが、企業ではさらに、ロータス・ノーツのようないわゆる "グループウエア" の利用も広く普及し始めている。

しかし、コミュニティ・コミュニケーションの顕著な特徴のひとつは、それぞれの個別のコミュニケーション機能を満たすためのメディアがハード的およびソフト的に分化し続けていくよりは、たとえばインターネットとその上でのWWWあるいはその後継者の中に、むしろ継目なしに統合されていく傾向を示しているところにある。

このような情報社会革命は、国家や大企業ばかりでなく、個人や各種の小集団の "エンパワーメント" をもたらす。それは、近代社会を構成する個人を含めた各種の主体の間の力のバランスを大きく変える可能性がある。それも小規模な主体に有利な方向にである。ピーター・ヒューバーがその近著(Owell's Revenge) で的確に指摘したように、ジョージ・オーエルが『1984年』で描き出したビッグ・ブラザーによる管理社会の悪夢は、産業化の20世紀システムのbreakthrough局面に出現した全体主義化の傾向をそのまま未来に延長した結果、180 度方向を誤った予想にすぎなかった。すでに産業化の20世紀システム自体、その成熟と共に、自由民主主義への傾向を確かなものにしていた。そして、産業社会が産業化の21世紀システムに向けてのbreakthroughの局面に入り始めた1970年代の半ば以来、管理社会よりはむしろ無政府社会に向かう新しい傾向が現れた。その底流をなしているのが、情報化による個人のエンパワーメントに他ならない。

このエンパワーメントは、さしあたり二つの方向に個人の能力を拡大させる。その一つが情報を表現するパワーの拡大である。社会の他のメンバーにとってindecentだと思われる情報でも、そうしたければ勝手にどんどん流せるようになる。もう一つが情報を秘匿する力の拡大である。強力な暗号化システムが誰でも手軽に入手できるようになると、自分の持っている情報や自分の行う通信の内容を、第三者にとってまったくアクセス不能なものにしてしまうことが、容易に可能になってしまう。そこから、この種の個人のエンパワーメントを無条件に歓迎容認するよりはむしろ、それに一定の枠をはめようとする動きが、他の社会的主体、とりわけ国家の側に、出てくるようになる。今回のCDA (Communication Decency Act) は、前者の力の規制の試みだし、近年米国政府が執拗といいたくなるまでに繰り返している暗号化技術の利用の法的規制の試みは、後者の力の規制の試みである。

似たような問題は、過去の近代化の歴史の中で、何度も繰り返し現れてきた。近代化過程とは、さまざまな形での主体のエンパワーメントの過程に他ならなかったからである。近代国家の出現の大きな契機となった軍事革命は、同時に社会の中の個人を含むさまざまな下位主体の、軍事的エンパワーメントの過程でもあった。そこから、私的主体による武力の保有や行使をどこまで制限すべきか、逆に私的主体の "革命権" を保障するためには武力の保有や行使をどこまで認めるべきか、という重要な政治的イシューが発生した。そして、アメリカを除くほとんどの近代国家では、私的主体による武力の保有や行使は、国家による安全の保障とひきかえに、全面的に禁止された。つまり、軍事力は近代国家が独占するという集権的な解決がとられたのである。

近代化の第二の波となった産業革命は、社会的主体の経済的エンパワーメントの過程でもあった。さまざまな試行錯誤の後、多くの近代国家が標準的に採用した解決は、一種の分権的解決であった。つまり、国家は、私的主体による財産の保有と使用の権利を容認した。しかし、国家による所得の再分配や社会福祉プログラムの実施とひきかえに、私的主体への経済力の過度の集中は抑制された。すなわち、産業での独占が禁止されると共に、巨大な富の相続や高額の所得に対しては、累進的な課税が行われたのである。それ以外に、経済力自体を国家が独占しようとする社会主義的な集権的解決の試みも一部では行われたが、これは結局破産に終わったことは周知の通りである。

現在進行中のinformation revolutionは、社会的主体の知的エンパワーメントの過程にほかならない。知的エンパワーメントが何を意味するかという点については、二つの方向から考えてみることができる。その一つは、知的エンパワーメントとは、結局軍事的あるいは経済的エンパワーメントなのだという見方だ。冷戦後のアメリカの主敵は、コンピューター・ハッカーで、これからの戦争は対ハッカー戦争の側面を重視しなければならないというような、米国の軍部の一部にあると言われる見方は、その一例である。ディジタル革命の時代には、ディジタル・コンテンツを握るものが経済を制するといった見方は、そのもう一つの例である。いずれも、情報化によってこれまでの軍事力や経済力のバランスに大きな変化が起こりかねないことに着目しているといえよう。

そうした見方に少なくとも一面の真理があることは疑いない。しかし、知的エンパワーメントを、軍事的あるいは経済的なエンパワーメントとは別の範疇に属するものだと考えることも、もちろん可能である。社会関係の中での知力とは、ひっきょう知的影響力であり、知的影響力とは、何よりも他人を説得し、他人を自分の信奉者にしてしまう力のことなのだ。あるいは、故ケネス・ボールディングが『21世紀権力の三つの顔』で採用した分け方によれば、知力は、脅迫(threat)力と交換(exchange)力に並ぶ第三のパワーとしての "統合(integration) 力" だともいえる。日本の官僚の権力は、官僚がもっている知識や情報を基盤にした知的説得力によるところが大きいといわれるが、近年の情報化はまさに日本社会の知的影響力のバランスを、個人や企業からなる民間部門にとって有利な方向に、変化させているのではないか。そうだとすれば、現在の日本に台頭している官僚批判はその当然の帰結にすぎない。

民主主義社会では、それがどのような形のものであれ、個人のエンパワーメントは歓迎すべきものだといえる。知的エンパワーメントとなれば、なおさらそういえよう。しかし、他のあらゆる力と同様、知力もまた、それが社会の一部に過度に集中してしまうと、さまざまな問題を引き起こす。そうだとすれば、国家であれ個人であれ、大きすぎる知力(あるいはその基盤となる知識や情報)の保有や利用に対しては、何らかの制限を課する必要がでてくると考えざるをえない。

一つの対応策は、知力の国家独占をはかる1984年型の "情報社会主義" である。しかし、それは経済の社会主義化以上に弊害が大きく、しかも究極的な実効性には欠けると思われる。軍事力や経済力に比べると、知力は、それを奪うことが極めて困難な力ではないだろうか。同じことは、 "知的財産権" の強化という形で、企業に知力を集中させようとする試みについてもいえる。情報社会のnetizen たちは、さまざまな形で、国家や企業による知力の独占の試みに抵抗したり、裏をかいたりしようとするだろう。そうだとすれば、おそらく、知力の場合は、経済力の場合以上に強い分権的な解決を工夫する以外にないと思われる。

とはいえ、そのことは知力の保有や行使を完全に私的主体の自由に委ねてよいことを意味しない。やはり、制限すべきある一線があるはずであって。私には、情報の秘匿力、つまり "暗号化技術" の利用の制限がそれではないかと思われる。私たちは、 "下品" なあるいは攻撃的な知識や情報の表現に対しては、比較的容易に対処することができる。見ない、受け取らない、という仕方もあれば、中身を吟味してから捨てるという仕方もあります。そうだとすれば、表現力の拡大に対処する最善の方法は、それを当該主体 (個々の国家、コミュニティ、家族、そして最終的には個々人) の自由な判断にゆだねることだろう。しかし、第三者には解けない暗号となると、ほとんど打つ手がない。したがって、国家が、国や国民の安全保障を目的として、私的主体の暗号利用に一定の制限を加えることには、十分な正当性があると思われる。

一方で、国家に知力が集中しすぎることは望ましくなく、他方で私人が暗号を無制限に利用することも望ましくないとすると、ここに一つの新しい社会契約の可能性が開けてくる。それは、私人による暗号の利用には一定の制限を課することと引き換えに、国家による私人の情報の収集や利用にも一定の制限--かなり厳しい制限--を加える、という契約である。とりわけ、個人の思想や信条はもちろん、学歴や病歴や家族暦、資産や所得や職業などに関する情報は、当該個人の同意なしには収集も利用もしないことにするのである。そうすると、これまでの政府の "統計" の多くも収集や公開ができなくなるだろうが、推測統計学の手法を応用すれば、そのほとんどはなんらかの集団(ポピュレーション)に関する情報として、一部のサンプルから推計が可能になるはずである。集団全体に関する情報を必要とする国家や企業は、進んで情報の提供に応じてくれる個人のサンプルからの情報を入手して、推計を行えばよい。ことによると、未来の情報社会では、各人が保有するプライベートな情報は、最大の経済的資源あるいは資産の一つとなり、誰でも、それを売るつもりになりさえすれば、相当な収入が保証されることになるかもしれない。

日本はかつてその近代化の第一局面において、いちはやく庶民の刀狩りを行って、戦国時代を終わらせ、200 年以上にわたる平和-- "徳川の平和" --の基を築いた。さらに幕府や諸藩は、自らも鉄砲を事実上捨ててしまった。日本には、官民の相互信頼の文化がある。これに対し、 "革命戦争" をへて成立した国家である米国には、自国であれ他国であれあらゆる政府に対する不信感が根強く残存し、国民の武器保有の禁止を困難にしている。その意味では、情報化がもたらしつつある広汎な知的エンパワーメントという事態への対処としての新しい社会契約は、日本においてまず結ばれるかもしれない。

次に、私の話の第三のポイントにうつろう。産業社会は、これまで二度の大きな産業革命を経験した。蒸気機関と機械による工場生産がもたらした一八世紀末の最初の産業革命(軽工業革命)は、 "産業化の十九世紀システム" を生み出した。電動機と内燃機関、そして化学的に合成された各種の新素材がもたらした一九世紀末の第二の産業革命(重化学工業革命)は、産業社会を「産業化の二〇世紀システム」に移行させた。そして二〇世紀末の今、情報通信技術の革新によって、第三次の産業革命(情報産業革命)が始まり、産業社会は "産業化の二一世紀システム" をめざすbreakthroughの局面に入った。information revolutionが生み出したサイバースペースの新たなフロンティアの開拓を通じて、質的に新しい経済成長が可能になる時代が始まったのだ。

このように、近代の産業社会は、ほぼ百年ごとに、技術革新の主要な波を経験したのだが、それに伴って、産業の種類や構造だけでなく経営組織のあり方まで、大きく変わってきた。例えば、今日のいわゆる大企業組織は、第二次産業革命の産物にほかならない。第三次産業革命は、企業組織のあり方をさらに変化させ、ネットワークを作って結びついた企業群の間に、柔軟で多様な連携と協力関係が時に応じて展開されるいわゆる "バーチャル・コーポレーション" を生み出すだろう。

産業革命によって区切られるほぼ百年の期間は、前半の "breakthrough" の局面と後半の "成熟" の局面に分けてみることができる(Figure 2)。breakthroughの局面には、新しい産業や職種も生まれてくるが、それに置き換えられて滅びていく産業や職種もまた発生する。breakthroughの局面ではまた、新しい技術革新の成果は、既存の産業でまず生かされ、生産性の急上昇とコストや価格の大幅な引き下げをもたらす。たとえば今世紀初めの米国では、農業が重化学工業の成果(農業機械や肥料、農薬、トラック)をいち早く取り入れることに成功して、米国は農業と工業の両面で世界の経済的覇権を握ることができた。

Star Tribune紙は、1980年から2020年までの40年間を、一つの長期的な技術革新の波の時期として捉えている(Figure 3)が、これは、私のいう第3次産業革命のbreakthrough局面(1975 ~2025) とほぼ一致する。つまり、私の解釈では、21世紀産業化の技術革新はそれで終わってしまうのではななくて、さらにその先に、成熟局面での技術の革新と普及の時代が続くのである。技術や産業構造が比較的安定し、それが供給する財やサービスへの大衆的な需要が、人々のライフスタイルの変化を伴って大々的に生まれてくるのは、この成熟局面になってからのことだ。成熟局面になると、大衆需要を満たすような大規模生産や流通のシステムが開発され、産業革命の成果が広く社会に普及し、人々のライフスタイルを変えていく。一九世紀の鉄道や蒸気船がもたらした大量輸送手段の発達や二〇世紀の加工組立型の耐久消費財 (つまり消費者用機械) の大量生産技術の発達は、それぞれ成熟局面への移行に貢献した。二〇世紀後半に普及した乗用車や家電製品、あるいはマスメディアは、産業化の二〇世紀システムの成熟段階を代表する産業の産物だった。

このような観点に立つと、現在は、産業化の二一世紀システムへのbreakthrough局面にあたっていることになる。とすれば新しい情報通信技術の成果を取り入れるのは、一般大衆よりも、まず、いまの企業や政府、あるいは私のいう智業などの組織であるはずだ。そうだとすれば、家庭での娯楽利用より、さまざまな組織での "ビジネス利用" こそが、新技術の応用の中心になるはずだ。つまり、各種の組織の日常業務の中に、電子ネットワークの利用が不可分のものとして取り入れられ、生産性がそれこそ革命的に増大するという過程が、まず起こらなくてはならない。また、その前提としての業務の標準化、さらには企業組織や産業組織の改革や法制度の改正などが、行われなくてはならない。

だから、breakthroughの局面においては、過去の成熟局面の経験を単純に未来に延長して未来を予想するのは危険だ。たとえば、今日の情報産業革命がただちに "information appliance"を生み出す、と決め込むのはやや性急ではないだろうか。もちろん、人々のライフスタイルの転換を象徴する未来のinformation appliance は、いずれは出現し、広く普及するに違いないが、それは情報産業革命がその成熟局面に入るころ、つまりまだまだ何十年か先のことだと思われる。

ところが、先に見たように、マルチメディア産業の出現がもてはやされる中で、アメリカや日本の多くの企業、とりわけ情報通信産業や家電産業、あるいは商社などの関心がまず向かったのは、 "ビデオ・オン・ディマンド" や "フルサービス・ネットワーク" などに代表される家庭・娯楽利用だった。あるいは、数年前の "PDA " や現在の "500 ドルコンピューター" に代表される "information appliance"だった。だがそれは、産業化の二〇世紀システムの成熟局面での経験を単純に未来に延長して、物事を見ていたという点で、正しくない見方だった。いまはまだ、新たな産業化でいえば、その初期のbreakthrough局面にあることを忘れてはならない。二〇世紀の家電に匹敵する二一世紀の "information appliance"は、いずれは出現してくるだろうが、それは基本的に二一世紀の産業社会が成熟局面に入った後の話だろう。

しかも、その時のinformation appliance は、二〇世紀のテレビのような "カウチポテト" 型の消費者行動を依然として前提したものにとどまるはずがない。買ってくるとその場で "プラグ・アンド・プレー" ができるというのはいいが、それでできることはネットサーフィンだけだというのでは、情けなさすぎるだろう。

この点については、二〇世紀の自動車とラジオ・テレビのケースが、興味深い示唆を与えてくれる。一九世紀の終わり、つまり第二次産業革命の初期には、自動車も無線電話も、その原型になるものがすでに出現していた。自動車の場合、運転手が自分で操縦する移動装置というコンセプトは、かなりの論議の的となった。一般大衆の使う移動装置としては危険だし難しすぎる、という懸念もあった。しかし、結局のところ、もとのコンセプトが生き残り、二〇世紀の車社会が生まれた。他方、無線電話は、当初は双方向の通信装置として開発された。つまり、受信だけでなく発信もできた。しかし、その市場はいっこうに拡大しなかった。ようやく機能を限定して一方向の受信機に仕立て直した時、新しい需要が爆発した。こうして、二〇世紀の市民は、移動の面では自ら能動的に行動するドライバーとなる途を選択する一方、通信の面では、受け身の "カウチポテト" となる途を選択したことになる。

二一世紀になっても、市民のこのような性格は大きくは変化しないだろうという見方もある。だから、これから構築していく高度情報通信基盤も、基本的には市民の受信能力を高めることに主眼を置けばよく、個々人の発信へのニーズはあまり重視しなくてもいいというわけだ。現在のテレビを高度化した "双方向テレビ" は、このようなコンセプトに立脚している。局から視聴者への線は高速大容量のものにするが、視聴者から局への線は、受信したい番組や買いたい商品を選んで知らせるだけの機能や容量があれば十分だとされているのだ。

しかし、先に述べたように、現在は、情報産業革命とならんで、情報社会革命が起こっている。産業化そのものを超えるような、人びとの意識や価値観や行動様式の激変が起こっているのだ。だから、二一世紀の "netizen"たちは、二〇世紀の市民たちが自動車のドライバーとして活躍したように、未来の情報機器のオペレーターとして、情報の積極的な探索や発信を行うに違いない。そしてその活動領域は、今日みられる市民の経済活動や政治活動を、量的・質的に大きく越えたものになるだろう。今日NGOやNPOなどと呼ばれているタイプの組織--より積極的に規定するなら私のいう近代information intelprise--が、さらに増え、さらに多様な活躍を繰り広げるだろう。しかし、環境・資源問題の深刻化などを考えると、netizen たちは、物理的な移動の面では、車や航空機による移動、とりわけ個人的なドライブは、自粛したり諦めたりするようになりそうだ。

だとすれば、未来のinformation appliance は、まさにそのようなニーズに応えることを目標として、開発されていくべきだろう。そのためにもまず、そうしたinformation appliance をどこでも利用可能にするための高度な情報通信基盤が、 "コミュニティ・エリア・ネットワーク(CAN)" として、全国的に構築されなければならない。これからの地域の活性化は、このようなコミュニティ・エリア・ネットワークの構築と利用に、決定的に依存してくると思われる。 日本の場合、情報化への取り組みは、ようやく昨年あたりから本格化し始めた。昨年の二月に、政府は、「高度情報通信社会推進の基本方針」を発表し、それにもとづいて「行政情報化の五ヵ年計画」や各省庁の個別実施計画が次々に策定されている。今年度は、中央省庁にLANを構築し、来年からそれらをインターネット・プロトコルによる広域的なWANとして互いに連結する。このWANはまず中央省庁から始め、地方支局や関連機関、さらに地方自治体におよんで行くことになっている。大企業では、今年になって、イントラネットのコンセプトが急速に普及し始めた。つまり、企業の情報システムにも、インターネットのプロトコルやアプリケーションが取り入れられ始めたのである。

このような状況の中で、NTTは、昨年七月、電話にかわる新たな高度情報通信基盤としてのOCN(Open Computer Network)構想を発表し、今年の二月それをさらに具体化したビジョンを公表した。実際の構築は来年から始まることになるが、これでようやく、日本にもインターネットの幹線部分の接続サービスが国際的に遜色のない低料金で提供される可能性が見えてきた。NTT の構想に刺激されて、他のNCC もこの三月に、同様な回線提供サービスを来年から行う計画をいっせいに発表した。つまり、幹線部分でのインターネットの提供競争がようやく始まったのである。

しかし、幹線だけでLAN のないインターネットは、ほとんど形容矛盾である。現在緊急に必要なことは、東京や大阪のような大都市あるいは大企業だけでなく、全国いたるところにLAN あるいは私のいうCAN をはりめぐらせ、それらを相互接続していくことである。CATVの普及が著しく遅れている日本の場合、これらのLAN やCAN のほとんどは、光ファイバーによる "情報ループ" の形を取って、つまり電話ともCATVとも異なるネットワークとして、新たに構築される必要がある。私たちは、というのは私が関係しているグローバル・コミュニケーション・センターとハイパーネットワーク社会研究所のことだが、今年はこのようなCAN を全国的に構築するためのキャンペーンを、その構築や運用の制度的な仕組みやルールの研究と併せて、精力的に展開していこうと考えている。こうした考え方や活動方針について、ぜひ皆さんの助言やコメントをいただきたいと思う。ご静聴に感謝する。