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kumon_netizen - April 1, 1996
「おわりに:ネティズンたちの政治化」
April 1, 1996 [ kumon_netizen ]
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公文俊平
1995年は、産業社会の全体にわたって、インターネットへの関心が爆発した年だった。とくに、企業や政府が、インターネットの技術や標準、あるいはアプリケーションを自らの組織内でのコミュニケーションや業務に取り入れようとする、 "イントラネット" 化の動きが本格化し始めた。さらに、インターネットを "プラットフォーム" として、そこに市場の取引関係を載せていこうとする "電子商業(EC)" の試みも、真剣に行なわれ始めている。もちろん、市民ないし智民の間でも、 "ネットサーフィン" や "ホームページ" 作りは、一種のブームのような様相を呈している。図1は、日経新聞に掲載された記事の中で、 "マルチメディア" および "インターネット" ということばをそれぞれ含んでいるものの数を月別に集計したものだが、1995年におけるインターネットへの関心の高まりを、如実に読み取ることができる。そして、今年に入ってインターネットは、完全にマルチメディアの "主流" としての地位を確保した。
それにしても、現在のインターネット・ブームの高まりは、いささか過熱気味といいたいくらいである。そのため、「1996年、インターネットは破局的に崩壊する」というボブ・メトカーフ(イーサーネットの開発者)の予言さえなされているほどだ。また、インターネット上でのポルノの普及やプライバシーの侵害、あるいはさまざまな犯罪行為などの続発をきっかけに、未知の世界への恐怖や懸念も強まっている。その中で、各国の政府は、いっせいにインターネット上でのポルノの規制や暗号化技術の利用の制限などの措置を検討・実施し始めている。インターネットが "主流" 化する中で、一種の "反動" とでも呼びたくなるような政治的な動きもまた顕著になってきているのである。
たとえば、1995年の暮れ、パソコン通信(アメリカでは "商用オンライン・サービス" という)大手のコンピュサーブ社は、ドイツ政府の命令を受けて、200ばかりのUSENETのニューズグループ(alt.binaries)の配信を停止した。フランスでは、ミッテラン大統領の医師だった人物が、フランス政府が秘密にしていた大統領のガンとの闘いについて語った本(『大秘密』)をインターネット上で出版したことが契機となって、郵電大臣が、1996年の3月に開催されるEUの会議で、ザ・ネットの上での電子出版を規制するための国際法を制定しようと呼びかけることになった。インターネット・ブームに沸く日本でも、1996年の2月には、WWWのホームページ上で猥褻な画像を提供していた会社員と高校生が検挙され、大きなニュースになった。同じ月に、中国政府は、インターネット接続の窓口であるチャイナネットへの新規加入の一時停止措置を発表した。また、国際的なコンピューター・ネットワークの「管理の改善のために」、すべてのコンピューター・ネットワークが、既存のリンクをいったん切った上で、今後は当局 (中国郵電省) に認可されたリンクのみを利用するように再登録させると共に、「公序を乱す情報や猥褻な素材の生産、検索、複製、配付を禁止」した。米国では、 "下品" な情報の配布への罰則を定めた「通信品位法」をその一部として含む改正通信法が成立(1996年2月)した。(*) 州のレベルでは、ミシガン州の法律のように、ポルノの配付等を州内で厳しく禁ずるばかりか、州外での行動に対しても州の法律を適用しようとしているところがある。ワシントン州やニューヨーク州は、連邦政府の「通信品位法」に類似した法律を、すでに州内で成立させている。
(*) 改正通信法は、全体としては「インターネットおよびその他の双方向のコンピューター・サービスの持続的な発展を促進する」ことが米国政府の政策だとしながら、その一部である通信品位法では、州間あるいは外国とのコミュニケーションにおける電気通信装置や対話型コンピューター・サービスの使用に対して、次のような規制措置を課している。まず、電気通信装置の使用については、「コミュニケーションの受け手が18歳未満であることを知りながら、猥褻もしくは下品ないかなるコメント、要請、示唆、提案、画像もたはその他のコミュニケーションを、故意に制作、創造、勧誘および伝送開始」したものに対して、25万ドル以下の罰金または2年以下の懲役、もしくはその両方を課することにされている(223節a項)。
また、対話型のコンピューター・サービスの使用についても、同様な罰則が、次のような行為を行った者に対して課せられることになっている。すなわち、「すべてのコメント、要請、示唆、提案、画像またはその他のコミュニケーションにおいて、その文脈上、今日の社会的基準からして明白に不快とされる仕方で、性的なまたは排泄に関する行動や器官を、描写もしくは記述することを、18歳未満の人間に入手可能な仕方で提示するため」の使用が、それに該当する(223節d項)。
また、このd項には、単に対話型のコンピューター・サービスを使用した当人だけでなく、上記のような行為を行う意図を持っている人に対して、電気通信手段の使用をあえて許した人間に対しても、同じ罰則が適用されるとされている。つまり、それと知りながらコンピューター・サービスの使用を許したプロバイダーに対しても、この罰則はおよぶわけだ。さらに、この法律の中には、妊娠中絶に関する議論、とりわけその仕方を教えるような議論を、オンラインで行うことを禁止する条項も含まれている。
処罰の対象となるコミュニケーションの内容の規定が、d項の場合にはa項よりもより具体的になっている点から考えれば、a項にいう「下品」とは、d項にいう内容のものをさしていると解釈することが、一応は可能なように思われる。しかし、それはあくまでも一つの解釈にすぎないのであって、フィラデルフィア連邦地裁も認めたように、この法律の中に、「下品」の定義が直接に含まれているわけではない。(バックウォルター判事によれば、最高裁の過去の判決の中にも、そうした定義の例はみあたらない。)よしんば、そのような解釈に従うとしたところで、その場合でも、実際にはどのような表現が「下品(indecent)」だと判定されるかを事前に確定することは、必ずしも容易ではないだろう。また、「18歳未満の人間」の選別も、効果的に行うことは困難だとすれば、なんらかの意味で「下品」なコミュニケーションを試みた人はすべて、この法律に抵触する可能性がある。(書籍や新聞については、この種の条項が違憲であることは、すでに何度も確認されている。)サービスのプロバイダーについては、この法律は、「プロバイダーなどがそれらの通信を防止する努力を行った場合、罰則を回避できる」という逃げ道を設けてはあるが、「防止する努力」をどう判定するかは、明らかでないが、事実上プロバイダーにコミュニケーション内容の事前検閲を要求しているとすれば、問題は大きい。というわけで、フィラデルフィア連邦地裁は、6月12日、通信品位法のこの規定は違憲であるという最初の判断を下した。
各国政府のこうした試みは、世界各地で、ネティズンたちの抗議の叫びや運動を引き起こしている。とりわけ米国のネティズンたちは、通信品位法の規定を、旧勢力によるサイバースペースへの "弾圧" の開始を告げるものであり、米国憲法修正第一条に保障されている言論の自由に対する攻撃だとして、いっせいに反撃にたちあがった。(*)
(*)もちろん、それ以前にもネティズンたちの政治的な行動がなかったわけではない。たとえば、フランス政府の核実験への抗議としての "ネットストライク" が、1995年12月23日の夕方に行われたために、フランス政府のいくつかのサーバーへのアクセスが、困難もしくは不可能になったという。
抗議行動の具体例のいくつかを見てみよう。大統領が新法に署名したその日、アメリカ公民人権協会(ACLU=The American Civil Liberties Union) を中心に、電子フロンティアー協会(EFF)、オンラインでのニュース社として有名なクラリネット社、他多数の電子出版社等によって、新法を違憲とする訴訟が提起された。同様な訴訟は、APEW (出版社、編集者、著者協会) によってもなされている。APEWには、サンフランシスコ・ガーディアン誌、インターネット・プレス・ギルド、カリフォルニア憲法修正第一条連合などの組織の他、デービッド・ファーバー、ジョン・クォーターマン、T.ブルース・トーバー、また、マックワールド・オンラインのステファニー・ステフファナック編集長、ワイアード誌の寄稿家兼編集者のロージャー・バン・ベイケル等が参加している。
電子フロンティアー協会は、2月1日、通信品位法の議会での通過に遺憾の意を表明すると共に、このような法案の内容が、国民はもちろん議員たち自身の十分な検討を受けないまま、もっぱら議会のスタッフやロビーストによって作られていることを、強く批判した。そして、電子世界での言論の自由の支援の意思を視覚的に伝える象徴として、各人のホームページに "喪章 (ブルー・リボン)"を掲示すると同時に、同協会の喪章のページにリンクを張るキャンペーンを行おうと呼びかけ、多数のネティズンたちは直ちにそれに同調した。
2月3日には、VTW(ボーターズ・テレコミュニケーションズ・ウォッチ)他何十もの組織 (その一覧表は、www.vtw.org/speech/ 参照) が連合して、2月いっぱい、「違憲の通信品位法阻止キャンペーン」を行うように、また法案署名直後から48時間にわたる抗議行動に立ち上がるように、全国のインターネットのユーザーたちに訴えた。具体的には、「各人のWWWのホームページの背景を黒に、文字を白抜きにすることで、インターネットが米国政府から受けたこのような二流メディアとしての扱いを受け入れない意思の表明」をしよう、またクリントン大統領には抗議の電子メールを送ろう、と呼びかけたのである。(*)
(*) この呼びかけ文の中には、実際にホームページを黒く塗り、文字を白抜きにする仕方まで示されている。
さらに、インターネットの上には、CIEC (The Citizens Internet Empowerment Coalit ion, 発音は "シーク" ) も、作られた。これは、通信品位法は市民の言論の自由を侵害し、インターネットの未来を政府の検閲と干渉の下におくものだという信念に立脚して、同法の違憲性を主張する、インターネット・ユーザー、企業、非営利組織、市民運動家たちの連合体である。彼らの理解するところでは、インターネットのユーザーはすべて通信品位法にいうところの "コンテント・プロバイダー" にあたる。したがって、その発信が "下品" ないしは "明白に攻撃的" だとどこかで誰かにみなされると、25万ドルまでの罰金もしくは二年までの投獄に処せられる危険がある。だから、シークに参加して、この法律をひっくり返そうというのだ。シークへの加入申し込み書の書式は、インターネット上で広く配付された。また、シークの活動については、www.cdt.org/ciecで知ることができるが、配布が始まって一ヵ月以内で、加盟者数は2000人を突破し、その後も増加する一方だという。
ここで、ネティズンたちの抗議文の例もいくつか紹介しておこう。(*)
(*) その一つ、ジョン・バーローによる「サイバースペース独立宣言」については、前節を参照されたい。
言論の自由に関する論評活動を多年展開してきた、ロッキー・マウンテン・ニュースのジーン・オットー記者は、アメリカ図書館協会の知的自由委員会および読む自由財団の理事会が提供している、 "ファースト・フリーダム評論サービス" に、「怯えすぎて自分自身を傷つける」という題の評論を寄稿して、テロリストによる爆弾製造法の公開やポルノの氾濫から自分の身を守る方法は、
「思想や言論の発表を政府に統制させることではない。自分が何を受け取るかを各人が決め、自分自身のための限度を確立することだ。見聞きし読むものについての自主的な統制こそ、自分で自分を統治しようと思って人々にとって受け入れうる唯一の答えだ。自己統治は、外から課せられる法律ではなく、内から課する基準によってなされる」
と主張した。確かに、情報の意味を理解する者が自分自身でしかありえない以上、情報は自分で選別するほかはない。
元テキサス州の判事で、今はテキサス大学サンアントニオ校で刑法学を教えているスティーブ・ラッセルは、『アメリカン・レポーター』に「X-ON議会:下品な主題に対する下品なコメント」(*) という記事を寄稿して、通信品位法を可決させた議会を "下品な "表現をふんだんに使って批判した。そして、記事の末尾には、「この記事の転載は永遠に勝手たるべし」ということばを添えた。
(*) "X-ON" というのは、猥褻文書の印(X印)がついているという意味に、通信品位法がエクソン上院議員による修正案として最初に提出されたという意味をかけている。残念ながら、この記事は私の言語能力では、日本語に訳出しようがない。
通信品位法に反対して立ち上がったネティズンたちの運動は、全米の法学生たちによるキャンペーンとか、インターネットのディレクトリーとして有名なYAHOOが募った意見表明メールのアーカイブ公開とか、ほとんど枚挙にいとまがない。
このような動きを見るにつけても、ネティズンたちの政治意識の高まりは、確実に進行しているとみてよいだろう。日本でも、これから今世紀末にかけて、政治改革を要求する大衆的な運動の盛り上がりが起こると思われるが、その中ではネティズンたちやインターネットが主導的とまでは言えないにしても、重要な役割を果たすようになるのではないだろうか。
実際、こうした見通しが正しければ、これまでに最も多くの自由や繁栄を達成した近代文明においてさえ、新しい産業革命や社会革命が進行する中で、既存の政治の仕組みの "革命" という名で呼びたくなるような大きな変革もまた、いずれは不可避になるだろう。そうだとすれば、なるべく平和で円滑な形でそれが達成されてほしいものだ。それは、革命を推進しようとする側についても、押し止めようとする側についてもいえる。それぞれの陣営の内部での主導権争いについても、陣営相互間の戦いについてもいえる。過去の歴史が繰り返し示しているように、過激な革命を誘発しがちなのは、革命や革命運動に対する過度の恐怖や嫌悪がもたらす過度の抑圧、弾圧の試みである。他方、暴力的な革命、行き過ぎた革命それ自体のもたらす犠牲も、余りにも大きいものがある。そればかりか、暴力的な革命はそれ自体、反動というか反革命の動きを引き起こしかねない。つまり、革命の試みが、結果的にその反対のものを生み出してしまいかねないのだ。それは、革命を抑圧しようとする試みが、結果的に革命を促進してしまいかねないのと、同様である。最近始まった、インターネットへの懸念や、その規制の試みが、行き過ぎてしまわないことを願う。同様に、それに対する反発や反対の動きも、行き過ぎてしまっては、それこそ元も子もなくなってしまうだろう。ここで予想したようなネティズン革命が、なるべく平和的に実現してくれることを期待しながら、この稿を閉じよう。