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kumon - May 1, 1996

「情報革命とPCS」

May 1, 1996 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

96年5月10日

「情報革命とPCS」

韓国講演会 記録

公文俊平

1970年代の半ばから始まった "情報革命" には、産業革命としての側面と共に、社会革命としての側面がある。

まず産業革命としての側面について考えてみよう。歴史の教科書などがいう "産業革命" (軽工業革命) は、18世紀の終わりに始まった一連の産業技術や産業組織の革新をさすが、その百年ほど後にも、第2次の産業革命 (重化学工業革命) が起こっている。そしてそのさらに百年後の今、第3次の産業革命(情報産業革命)が、始まったと見られる。つまり、近代の産業社会は、ほぼ百年ごとに、技術革新の主要な波を経験し、それに伴って、産業の種類や構造だけでなく経営組織のあり方まで、大きく変わってきた。例えば、今日のいわゆる大企業組織は、第2次産業革命の産物にほかならない。第3次産業革命は、企業組織のあり方をさらに変化させ、ネットワークを作って結びついた企業群の間に、柔軟で多様な連携と協力関係が時に応じて展開されるいわゆる "バーチャル・コーポレーション" を生み出すだろう。

産業革命によって区切られるほぼ百年の期間は、前半の "突破" の段階と後半の "成熟 " の段階とに分けてみることができる。突破の段階には、新しい産業や職種も生まれてくるが、それに置き換えられて滅びていく産業や職種もまた発生する。技術や産業構造が比較的安定し、それが供給する財やサービスへの大衆的な需要が、人々のライフスタイルの変化を伴って大々的に生まれてくるのは、成熟段階になってからのことだ。20世紀後半の "高度経済成長" は、第2次産業革命の成熟段階に向かう動きにほかならず、そこでの主導産業は、自動車や家電、あるいはテレビや新聞・雑誌などであり、多様な耐久消費財の利用に支えられる "豊かな大衆消費社会" のライフスタイルの普及も、この成熟段階の産物だった。

しかし、今は事情が違う。今は情報産業革命の突破段階にある。今起こっているのは、技術パラダイムの急速な転換、産業構造や企業の経営組織の大きな変動であり、それがもたらす大々的な価格破壊や雇用のミスマッチなどである。これが情報化が社会におよぼしている当面のインパクトに他ならない。突破段階のとくに前半の時期での歴史的課題は、なによりも、新たな経済発展の基盤をなす社会的インフラの構築と、既存産業による新技術の積極的な利用にある。かつて英国がまず銑鉄のレールを引いて鉄道業を推進していったように、今日のわれわれは光ファイバーだけでなく、銅線や同軸ケーブル、あるいは無線など利用しうるあらゆる回線を利用して、コンピューターのネットワークを構築していく必要がある。あるいは、これまでの人間の生活空間に追加される新次元としての「サイバースペース」の構築と開発、その中での新たな秩序の形成に努める必要がある。また、かつての米国の農業が重化学工業の成果をいちはやく応用して生産性の大幅な向上を達成したように、今日の製造業やサービス業は、情報革命の成果を利用した「価格破壊」に挑戦していかなければならない。

他方、過去の成熟段階の経験を単純に未来に延長して未来を予想するのは危険だ。たとえば、情報産業革命が "情報家電" を生み出す、と決め込むのはやや性急ではないだろうか。もちろん、人々のライフスタイルの転換を象徴する未来の情報家電は、いずれは出現し、広く普及するに違いないが、それは情報産業革命がその成熟段階に入るころ、つまりまだまだ何十年か先のことだと思われる。

 情報家電の中身も問題だ。今それを推進している人々は、たとえばゲーム機にモデムとインターネット接続ソフトとが内蔵されてていて、買ってきたその日からそれを電話線につないで "ネットサーフィン" が楽しめるようなものを、その典型例として考えているようだ。しかし、果してそうだろうか。

この点については、20世紀の自動車とラジオ・テレビのケースが、興味深い示唆を与えてくれる。19世紀の終わり、つまり第2次産業革命の初期には、自動車も無線電話も、その原型になるものがすでに出現していた。自動車の場合、運転手が自分で操縦する移動装置というコンセプトは、かなりの論議の的となった。一般大衆の使う移動装置としては危険だし難しすぎる、という懸念もあった。しかし、結局のところもとのコンセプトが生き残り、20世紀の車社会が生まれた。他方、無線電話は、当初は双方向の通信装置として開発された。つまり、受信だけでなく発信もできた。しかし、その市場はいっこうに拡大しなかった。ようやく機能を限定して一方向の受信機に仕立て直した時、新しい需要が爆発した。こうして、20世紀の市民は、移動の面では自ら能動的に行動するドライバーとなる途を選択する一方、通信の面では、受け身の "カウチポテト" となる途を選択したことになる。

21世紀になっても、市民のこのような性格は大きくは変化しないだろうという見方もある。だから、これから構築していく高度情報通信基盤も、基本的には市民の受信能力を高めることに主眼を置けばよく、個々人の発信へのニーズはあまり重視しなくてもいいというわけだ。現在のテレビを高度化した "双方向テレビ" は、このようなコンセプトに立脚している。局から視聴者への線は高速大容量のものにするが、視聴者から局への線は、受信したい番組や買いたい商品を選んで知らせるだけの機能や容量があれば十分だとされているのだ。

しかし、21世紀の市民--私は彼らのことをネットワークの中に棲む "ネティズン(智民)" と呼びたいのだが--は、それでは満足しないのではないか。彼らは、20世紀の市民たちが車のドライバーとして活躍したように、未来の情報機器のオペレーターとして、情報の積極的な探索や発信を行うに違いない。そしてその活動領域は、今日みられる市民の経済活動や政治活動を、量的・質的に大きく越えたものになるだろう。今日NGOやNPOなどと呼ばれているタイプの組織が、さらに増え、さらに多様な活躍を繰り広げるだろう。しかし、環境・資源問題の深刻化などを考えると、ネティズンたちは、物理的な移動の面では、車や航空機による移動、とりわけ個人的なドライブは、自粛したり諦めたりするようになりそうだ。

私が情報化の第二の側面とみなす "情報社会革命" は、人々の価値観やライフスタイルのこのような変化と密接に関係している。実は、情報産業革命の未来を予想するためにも、情報社会革命の性格をよく理解することが、必要不可欠なのである。

私の考えでは、産業化と呼ばれている社会変化の過程は、近代化と総称されるより長期的な社会変化の中の、一つの波にすぎない。近代化は、一五~六世紀の軍事革命によって本格化した、軍事化の波から始まった。その中から、いくつもの "近代主権国家" が形成された。近代主権国家は "国際社会" に参加し、軍事力の行使、ないしはそれを行使するぞという脅迫を通じて、 "国威" の増進・発揚競争に加わった。だからこそ、国際社会の理念は、平和または安全の達成、保障におかれた。

次に一八~一九世紀の産業革命によって本格化する産業化の波が続いた。その中から多数の "近代産業企業" が誕生し、これらの企業は "世界市場" に参加し、取引を通じて利潤あるいは "富" の獲得・蓄積競争を行うようになった。世界市場の理念は、繁栄または豊かさの達成、維持におかれた。

とすると今日の情報革命は、近代化の第三の波にあたる "情報化" の動きを本格化させるものと見ることができる。この中から、多数の "近代情報智業" が誕生してくるだろう。 "近代情報智業" とは、国家や企業に並ぶ近代社会での第三の重要な社会的主体であり、対話による説得を通じての "知的影響力(智)" の入手・増進をめざして、 "地球智場" とでもいうべき場で競争する。インターネットは、まさにこの地球智場の原型とみられる。地球智場の理念は、平和や繁栄よりは "愉しさ" --pleasureあるいは Ivan Illichの言葉を借りれば conviviality-- を志向するものになるだろう。

近年NGO(非政府組織)やNPO(非営利組織)などと呼ばれる組織のめざましい台頭と活躍ぶりが注目されているが、それらの実体はまさにここでいう智業にあたる。産業化のとくに初期の頃は、国家と企業の協働が重要な意味をもっていた。同様に、情報化のとくに初期には、企業(や国家)と智業の協働が重要な意味をもってくるだろう。科学技術のパトロンとしての役割も、その多くは国家の手から企業の手にうつっていくだろう。また、産業革命を経る中で、古いタイプの商人資本家や職人のギルドの多くが没落していったように、情報革命の過程では、古いタイプの智業、つまり既存の大学その他の研究教育機関や、芸術やスポーツの組織、あるいは、宗教・思想・政治運動組織などは、新しい智業に足元を救われて没落していく可能性が高い。少なくとも、新旧両智業の間の競合・摩擦はほとんど不可避的に発生するだろう。

企業の活動が都市に棲む市民(シティズン)たちによってとりまかれ、支えられていたように、智業の活動は、ネットワークに棲むネティズンたちによってとりまかれ、支えられる。ネティズン は、市民、とりわけ "大衆" とよばれるようになった二〇世紀の市民に比べると、商品や情報の探索や入手の面で、さらには生産や発信の面でも、はるかに積極性を発揮するだろう。彼らは、受動的なカウチポテトにとどまるのは愉しくないと考える。そこで、みずから主体的にネットワークからネットワークを駆けめぐり、自分が面白いと感じる情報や商品を探し求める。これが "ネットサーフィン" である。 "エージェント" と呼ばれる機能代行型の特別なソフトも使う。あるいは自分が見つけだした情報や創り出した情報や作品の中から公開したいものを、ネットワークに提供する。

そういうわけで、ネティズンは、企業や智業からの情報の一方的な受け手、あるいは単なる説得の対象となるのではなく、自分で積極的に疑問を出したり、要求や提案を出したりする。だからこそ、ネティズン を対象とするビジネスは、コミュニケーションあるいは相互説得の過程を重視しないわけにはいかなくなるのだ。そこで問われるのは、まさに

"感性" =愉しさの質なのだ。レジス・マッケンナも指摘しているように、企業がインターネットを、これまでのマスメディアと同様な広告やマーケティングの場としてしか見ないならば、たいした成功は望めない。情報社会では、コミュニケーションのあり方と、それを支える人間の意識自体が大きく変化していくからだ。そこに産業革命としてのみならず、社会革命としての情報革命の本質がある。

インターネットはもともとコミュニケーションの場として発展してきたのだが、実は、そのコミュニケーションの形自体が、情報社会では大きく変わってきつつある。

産業社会、とくに個人主義の文化に立脚する産業社会での社会的なコミュニケーションの機能は、少数者対不特定多数のマス・コミュニケーションと一対一のパーソナルコミュニケーション機能とに大別されていた。そのためのメディアも、電気通信の世界でいえば放送と電話にそれぞれ分かれて発展した。だから企業も、日常のビジネスでは電話を多く利用する一方、広告や広報活動にはマスメディアを利用するというのが、これまでのコミュニケーションの支配的な形だった。

ところが、今日のネティズンや智業の間では、 "コミュニティ・コミュニケーション" とでもいうべき、新しいコミュニケーション機能が重視されるようになってきた。このコミュニティ・コミュニケーション自体はさらに、 "パブリック・コミュニケーション" および "グループ・コミュニケーション" という二つの機能に分けられる。

情報の発信者が自分の公開したいと思う情報だけをコンピューターに載せて公開し、受信者の方が自分で(あるいは "エージェント" と呼ばれる代行ソフトを使って)あちこち探し回って、自分に入手可能なものの中で、自分に関心のある情報だけを取ってくるという方式のコミュニケーションが、パブリック・コミュニケーションだ。産業社会のマス・コミュニケーションに比べると、パブリック・コミュニケーションは、発信者の公開したいと思うものの中から選ぶという意味ではより控えめだが、受信者が積極的に情報を求めて歩くという意味ではより能動的だといえよう。また、発信者の数は、マス・コミュニケーションの場合よりもはるかに多くなるだろう。

それに対し、グループ・コミュニケーションは、単なる個人間のコミュニケーションというよりは、ある範囲の人々の集団(グループ)の間での緊密な協働(コラボレーション)の支援を目的とするコミュニケーションである。

現在のインターネットは、何よりもこの意味でのコミュニティ・コミュニケーションの場として発展しつつあるといえる。現在のインターネットの上のアプリケーションでいえば、パブリック・コミュニケーションのもっとも代表的なメディアは、ワールドワイド・ウエブ(WWW)のサーバーとブラウザーだろう。他方、グループ・コミュニケーションのメディアとしては、各種の電子メールや電子会議用のソフトがあるが、企業ではさらに、ロータス・ノーツのようないわゆる "グループウエア" の利用も広く普及し始めている。

しかし、コミュニティ・コミュニケーションの顕著な特徴のひとつは、それぞれの個別のコミュニケーション機能を満たすためのメディアがハード的およびソフト的に分化し続けていくよりは、たとえばインターネットとその上でのWWWあるいはその後継者の中に、むしろ継目なしに統合されていく傾向を示しているところにある。

このような情報社会革命は、国家や大企業ばかりでなく、個人や各種の小集団の "エンパワーメント" をもたらす。それは、近代社会を構成する個人を含めた各種の主体の間の力のバランスを大きく変える可能性がある。それも小規模な主体に有利な方向にである。ピーター・ヒューバーがその近著(Owell's Revenge) で的確に指摘したように、ジョージ・オーエルが『1984年』で描き出したビッグ・ブラザーによる管理社会の悪夢は、産業化の20世紀システムのbreakthrough局面に出現した全体主義化の傾向をそのまま未来に延長した結果、180 度方向を誤った予想にすぎなかった。すでに産業化の20世紀システム自体、その成熟と共に、自由民主主義への傾向を確かなものにしていた。そして、産業社会が産業化の21世紀システムに向けての突破の段階に入り始めた1970年代の半ば以来、管理社会よりはむしろ無政府社会に向かう新しい傾向が現れた。その底流をなしているのが、情報化による個人のエンパワーメントに他ならない。

このエンパワーメントは、さしあたり二つの方向に個人の能力を拡大させる。その一つが情報を表現するパワーの拡大である。社会の他のメンバーにとって下品だと思われる情報でも、そうしたければ勝手にどんどん流せるようになる。もう一つが情報を秘匿する力の拡大である。強力な暗号化システムが誰でも手軽に入手できるようになると、自分の持っている情報や自分の行う通信の内容を、第三者にとってまったくアクセス不能なものにしてしまうことが、容易に可能になってしまう。そこから、この種の個人のエンパワーメントを無条件に歓迎容認するよりはむしろ、それに一定の枠をはめようとする動きが、他の社会的主体、とりわけ国家の側に、出てくるようになる。今回のCDA(情報品位法) は、前者の力の規制の試みだし、近年米国政府が執拗といいたくなるまでに繰り返している暗号化技術の利用の法的規制の試みは、後者の力の規制の試みである。

似たような問題は、過去の近代化の歴史の中で、何度も繰り返し現れてきた。近代化過程とは、さまざまな形での主体のエンパワーメントの過程に他ならなかったからである。近代国家の出現の大きな契機となった軍事革命は、同時に社会の中の個人を含むさまざまな下位主体の、軍事的エンパワーメントの過程でもあった。そこから、私的主体による武力の保有や行使をどこまで制限すべきか、逆に私的主体の "革命権" を保障するためには武力の保有や行使をどこまで認めるべきか、という重要な政治的イシューが発生した。そして、アメリカを除くほとんどの近代国家では、私的主体による武力の保有や行使は、国家による安全の保障とひきかえに、全面的に禁止された。つまり、軍事力は近代国家が独占するという集権的な解決がとられたのである。

近代化の第二の波となった産業革命は、社会的主体の経済的エンパワーメントの過程でもあった。さまざまな試行錯誤の後、多くの近代国家が標準的に採用した解決は、一種の分権的解決であった。つまり、国家は、私的主体による財産の保有と使用の権利を容認した。しかし、国家による所得の再分配や社会福祉プログラムの実施とひきかえに、私的主体への経済力の過度の集中は抑制された。すなわち、産業での独占が禁止されると共に、巨大な富の相続や高額の所得に対しては、累進的な課税が行われたのである。それ以外に、経済力自体を国家が独占しようとする社会主義的な集権的解決の試みも一部では行われたが、これは結局破産に終わったことは周知の通りである。

現在進行中の情報革命は、社会的主体の知的エンパワーメントの過程にほかならない。知的エンパワーメントが何を意味するかという点については、二つの方向から考えてみることができる。その一つは、知的エンパワーメントとは、結局軍事的あるいは経済的エンパワーメントなのだという見方だ。冷戦後のアメリカの主敵は、コンピューター・ハッカーで、これからの戦争は対ハッカー戦争の側面を重視しなければならないというような、米国の軍部の一部にあると言われる見方は、その一例である。ディジタル革命の時代には、ディジタル・コンテンツを握るものが経済を制するといった見方は、そのもう一つの例である。いずれも、情報化によってこれまでの軍事力や経済力のバランスに大きな変化が起こりかねないことに着目しているといえよう。

そうした見方に少なくとも一面の真理があることは疑いない。しかし、知的エンパワーメントを、軍事的あるいは経済的なエンパワーメントとは別の範疇に属するものだと考えることも、もちろん可能である。社会関係の中での知力とは、ひっきょう知的影響力であり、知的影響力とは、何よりも他人を説得し、他人を自分の信奉者にしてしまう力のことなのだ。あるいは、故ケネス・ボールディングが『21世紀権力の三つの顔』で採用した分け方によれば、知力は、脅迫力と交換力に並ぶ第三のパワーとしての "統合力" だともいえる。日本の官僚の権力は、官僚がもっている知識や情報を基盤にした知的説得力によるところが大きいといわれるが、近年の情報化はまさに日本社会の知的影響力のバランスを、個人や企業からなる民間部門にとって有利な方向に、変化させているのではないか。そうだとすれば、現在の日本に台頭している官僚批判はその当然の帰結にすぎない。

民主主義社会では、それがどのような形のものであれ、個人のエンパワーメントは歓迎すべきものだといえる。知的エンパワーメントとなれば、なおさらそういえよう。しかし、他のあらゆる力と同様、知力もまた、それが社会の一部に過度に集中してしまうと、さまざまな問題を引き起こす。そうだとすれば、国家であれ個人であれ、大きすぎる知力(あるいはその基盤となる知識や情報)の保有や利用に対しては、何らかの制限を課する必要がでてくると考えざるをえない。

一つの対応策は、知力の国家独占をはかる1984年型の "情報社会主義" である。しかし、それは経済の社会主義化以上に弊害が大きく、しかも究極的な実効性には欠けると思われる。軍事力や経済力に比べると、知力は、それを奪うことが極めて困難な力ではないだろうか。同じことは、 "知的財産権" の強化という形で、企業に知力を集中させようとする試みについてもいえる。情報社会のネティズンたちは、さまざまな形で、国家や企業による知力の独占の試みに抵抗したり、裏をかいたりしようとするだろう。そうだとすれば、おそらく、知力の場合は、経済力の場合以上に強い分権的な解決を工夫する以外にないと思われる。

とはいえ、そのことは知力の保有や行使を完全に私的主体の自由に委ねてよいことを意味しない。やはり、制限すべきある一線があるはずであって。私には、情報の秘匿力、つまり "暗号化技術" の利用の制限がそれではないかと思われる。私たちは、 "下品" なあるいは攻撃的な知識や情報の表現に対しては、比較的容易に対処することができる。見ない、受け取らない、という仕方もあれば、中身を吟味してから捨てるという仕方もあります。そうだとすれば、表現力の拡大に対処する最善の方法は、それを当該主体 (個々の国家、コミュニティ、家族、そして最終的には個々人) の自由な判断にゆだねることだろう。しかし、第三者には解けない暗号となると、ほとんど打つ手がない。したがって、国家が、国や国民の安全保障を目的として、私的主体の暗号利用に一定の制限を加えることには、十分な正当性があると思われる。

一方で、国家に知力が集中しすぎることは望ましくなく、他方で私人が暗号を無制限に利用することも望ましくないとすると、ここに一つの新しい社会契約の可能性が開けてくる。それは、私人による暗号の利用には一定の制限を課することと引き換えに、国家による私人の情報の収集や利用にも一定の制限--かなり厳しい制限--を加える、という契約である。とりわけ、個人の思想や信条はもちろん、学歴や病歴や家族暦、資産や所得や職業などに関する情報は、当該個人の同意なしには収集も利用もしないことにするのである。そうすると、これまでの政府の "統計" の多くも収集や公開ができなくなるだろうが、推測統計学の手法を応用すれば、そのほとんどはなんらかの集団(ポピュレーション)に関する情報として、一部のサンプルから推計が可能になるはずである。集団全体に関する情報を必要とする国家や企業は、進んで情報の提供に応じてくれる個人のサンプルからの情報を入手して、推計を行えばよい。ことによると、未来の情報社会では、各人が保有するプライベートな情報は、最大の経済的資源あるいは資産の一つとなり、誰でも、それを売るつもりになりさえすれば、相当な収入が保証されることになるかもしれない。

日本はかつてその近代化の第一局面において、いちはやく庶民の刀狩りを行って、戦国時代を終わらせ、200 年以上にわたる平和-- "徳川の平和" --の基を築いた。さらに幕府や諸藩は、自らも鉄砲を事実上捨ててしまった。日本には、官民の相互信頼の文化がある。これに対し、 "革命戦争" をへて成立した国家である米国には、自国であれ他国であれあらゆる政府に対する不信感が根強く残存し、国民の武器保有の禁止を困難にしている。その意味では、情報化がもたらしつつある広汎な知的エンパワーメントという事態への対処としての新しい社会契約は、日本においてまず結ばれるかもしれない。

ここで、情報革命の進展の具体的な過程について日米の経験を比較してみよう。

日本では、アメリカより約一年遅れて、1993年の11月ごろからマルチメディア・ブームが起こった。それは、アメリカの新聞や雑誌が、日本の情報化の立ち遅れをいっせいに指摘し始めたのと、ちょうど同じ時期だった。しかし、喧伝される "マルチメディア " の実態は何かということは、なかなかはっきりしなかった。

アメリカの場合、マルチメディア・ブームあるいは情報化の "新ゴールドラッシュ" は、 "対話型テレビ" とか "ビデオ・オン・ディマンド" と呼ばれる、視聴者の要求に応じて映画やニュースを送信する、テレビ放送の高度化の試みとしてまず始まった。しかし、1994年も後半になると、対話型テレビの技術開発は予想以上に困難なばかりか、それに対する需要もそれほど大きくは見込めないことが明らかになって、マルチメディア・ブームはいったん退潮した。だがそれと同時に、それまでのマルチメディア・ブームとは別のところで、爆発的な成長を始めていたインターネット、とりわけその上での "ワールドワイド・ウェブ(WWW)" を利用した情報提供の可能性が、ジャーナリズムにわかに注目されるようになった。そして1995年には、アメリカのビジネス界もまた、インターネットの可能性に真剣な関心をよせるようになった。こうして「マルチメディアとはインターネットと見つけたり」とでも言いたくなるような、新ゴールドラッシュの第2次局面が始まったのである。現在では、あまりのインターネット・ブームの激しさに対する反動現象も現れている。インターネットの上でのポルノの氾濫--実際はそれほどのことはないのだが--を規制しようとする動きはその典型的なものである。また、アメリカの場合、既存の情報通信産業、とりわけ地域電話会社のインターネットに対する取り組みには、もう一つ腰の定まらないものが見られる。電話がすでにあまりにも普及し、電話回線を利用した多種多様なサービスがすでに提供されていること、さらにADSLやSDSLなどのような既存の電話回線を利用した広帯域通信サービスの開発が可能らしいと見られていること、ケーブルテレビそのものへの参入も可能なことなど、選択肢の余りの広さが、地域電話会社を混乱させているという見方もある。

このインターネット・ブームに関しては、日本での関心の高まりは、アメリカとほとんど同時だった。1994年の秋から、最初の関心の高まりが起こっている。そして、1995年の後半になると、ほとんどインターネット一色といいたいくらいに、インターネット関連の報道がマスメディアでも激増している。

インターネットとは、一言でいえば、共通の標準に従って互いに結びついた、コンピューターの "ネットワークのネットワーク" だということができる。これに対し、インターネットを構成している個別のネットワークは、LAN(ローカル・エリア・ネットワーク)と呼ばれる。あるいは、コンピューターを利用している企業や行政機関などの組織を単位に考える場合には、 "イントラネット" と呼ばれることもある。つまり、インターネットとは、共通の標準に従い、共通のアプリケーションを載せることができるいくつものLANあるいはイントラネットが、互いに結びついたものだといっていい。

今後の情報社会にとっての "高度情報通信基盤" の具体的な形が、このインターネット、あるいはそれを原型としてさらに進化したもの--私はそれをODN(オープン・ディジタル・ネットワーク)と呼んでいるが--になることは、まず間違いない。

このODNは、とりあえず幹線部分と、末端というか現場部分に大別してみることができる。 "ネットワークのネットワーク" というインターネット本来の構造からすると、特に幹線部分を切りわける必要はないとも言えそうだが、現実の問題としては、あらゆる地域に隙間なくLANができて、隣接するLAN同士がつながって全体としてのODNができあがっていくというわけには、なかなかいかないだろう。むしろ、あちこちにできたLANが、もともとは電話の中継用に作られた光ファイバー幹線網を転用したもので互いに結びついていくというのが、高度情報通信基盤構築の実態だろう。実際、日本のインターネットのいわゆる一次プロバイダーたちは、まず海外(ほとんどは米国)との間に太い回線を設け(国際電話会社の回線を借り入れる形で)、続いて国内にも幹線をはりめぐらし、その何箇所かに設けられたアクセス・ポイントにまで、LANからの専用線を引かせる、あるいは電話回線自体を使ってそこにアクセスさせる(ダイヤル・アップという)形で、インターネットへの接続サービスを提供している。

NTTが昨年の六月に基本構想を発表し、今年の二月にそれをさらに具体化したOCN(オープン・コンピューター・ネットワーク)構想は、まさにこのインターネットないしODNの幹線型のネットワーク間相互接続サービスを、国際的に遜色のない価格で提供しようとするものである。実際のサービスの提供は、来年のことになるが、ともかくもこれでようやく、日本も本格的に高度情報通信基盤を構築していく態勢がととのったことになる。もちろん、ODNの幹線としてのOCNは、NTTだけが独占的に提供するものではなく、それ以外にも相互接続性をもった多数のOCNサービスが、競争的に提供されることが望ましい。また、OCNを借り入れて、多様な情報通信サービスを二次的に提供する企業も、どんどん出現してきてほしいものである。NTTはまた、自社が保有する通信回線と提供する通信サービスの "アンバンドル" 化を行い、他の事業者による通信サービスの提供用に自社の回線を開放する用意があるとも言明している。そうした開放に実質的な意味があるのは、電話型のサービスよりもOCN型のサービスの提供用に、回線が利用される場合だろう。したがって、こうした回線開放が軌道に乗れば、OCN型のサービスの提供はさらに加速されるだろう。

それと合わせて期待したいのは、OCNサービスの価格の一段の下落である。たとえば、それが実際に提供される今から一年後には現在の半分になっており、それからさらに年々例えば25% ずつ下がっていく(つまり5年で四分の一になる)ような状況が出現することを期待したい。そうなれば、OCNサービスへの需要は、それこそ爆発的に増大するだろう。コンピューター産業では、すでに過去20年ほど、チップの価格性能比が一年半ごとに半分になり続け、その結果としてハードウエアであれソフトウエアであれ、性能あたりの価格は、何百分の一、何千分の一に下がってきている。同じようなことが通信の世界でも起こりえないはずはないというのが、通信技術の専門家の意見である。今まではそれを、主として規制の壁が阻んできたといっていいだろう。私たちは、大分県で、NTTと協働してマルチメディア地域実験を試みているのだが、これまでの最大の悩みは、実験期間が修了した後で、地域の情報化の努力をどうすれば続けて行けるのかということだった。何しろ、想定される情報通信サービスや機器の価格が高すぎて、どうするわけにも行かなかったのである。しかし、今回のNTTの発表と、その後をすかさず追う形で発表されたNCC各社のOCNサービス提供計画とによって、どうにか未来への展望が開けたという思いがしている。もちろん、さらにいっそうのコストと価格の引き下げの努力を続けてほしいわけだが、ともあれこれでようやく、わが国の情報化も軌道に乗り始めたなというのが、多年この分野の研究にたずさわってきた私の率直な思いである。

しかし、いうまでもないことだが、幹線だけでは真の情報化にはならない。それと同時に、先にLANあるいはイントラネットと呼んだ、現場部分のネットワークが構築されていかなければならない。日本の場合、行政と民間企業については、その構築の方向はすでに定まっている。今年から来年にかけて中央官庁や大企業は、まずLANあるいはイントラネットの構築に全力を向けるだろう。そして、OCNサービスの提供が始まる来年の後半あたりからは、それを利用した広域的なWANの構築が始まるだろう。そうだとすれば、残る問題は、地方都市や自治体、中小企業や市民の利用に供することのできるような、現場のネットワークの構築である。それも、全国いたるところに、歩調を合わせてその構築が進められることが望ましい。それでこそ、ネットワークの全体としての有用性も高まるし、OCN自体も十分な需要をもって、商用サービスとして存続・発展していくことが可能になるだろう。私たちは、それぞれの地域の住宅団地や商店街、学校や病院、工場などを結ぶコンピューター・ネットワークのことをCAN(コミュニティ・エリア・ネットワーク)と名付けている。それは、既存のスター型の構造をもつ電話の市内網とは違った構造のものになると予想している。すなわち、いたるところに「情報コンセント」をもち、それにつなぐだけで、個々の情報端末がネットワーク・コンピューティングの一環として組み込まれるような「情報ループ」を、光ファイバーで構築していこうと考えている。その構築には、既存の電話会社だけでなく、いや電話会社以外の、多種多様な主体が参加できるはずである。電力会社や水道事業者、道路工事や電気工事の会社、コンピューター会社や建設会社など、誰でもよいのである。ありとあらゆる企業や自治体、あるいは市民団体がその建設と運営に参加することで、CANの構築にははずみがつくことだろう。遅くとも今世紀いっぱいに、このCANの原型を構築していかなければならないというのが、私の考えである。

しかし、それだけではまだ足りない。インターネットあるいはODNを考える上での、もう一つの重要な観点が、固定体通信と移動体通信という区別である。これまで言及してきたOCNやCANは、事実上すべてが固定体通信のためのネットワークとして想定されている。しかし、行政であれ企業であれ、あるいは市民であれ、われわれの情報通信ニーズの非常に多くの部分は、移動中あるいは行動中に発生する。近年の携帯電話やポケベルへの需要、あるいは私が「第一世代のPDA」と呼んでいるシャープのザウルスやHPのLX、あるいは富士通の携帯ワープロのオアシス・ポケットなどへの需要の爆発的な高まりは、そのようなニーズを満たそうとする動きに他ならない。そうだとすれば、未来のODNのもう一つの基幹部分となるのは、この種の情報通信ニーズを満たすためのディジタル・無線ネットワーク、すなわち、PCSおよびその端末としてのPDAに他ならない。行政情報ネットワークにせよ、企業のイントラネットにせよ、PCS部分を併せもつことで始めて完結するのである。

アップル社のニュートンの例が示しているように、1990年代の初めに鳴り物入りで打ち出されたPDAのコンセプトは、コンセプトとしてははなはだ魅力的であったにもかかわらず、現実には時期尚早にすぎた。私自身、これまでに5指にあまるさまざまな種類の第一世代PDAを実際に使ってきたが、そのいずれも機能的には一長一短であり、満足しうるにはほど遠いものである。今日も私の鞄の中には、オアシス・ポケットとザウルスとHP200LXとが入っている。私はそれらを、文書処理用、電話帳および辞書としての利用、スケジューラーとしての利用などの目的に使い分けている。しかし、もう一つの不可欠の端末であるNTTドコモのディジタル携帯電話は、残念ながら国外では使えないので、今日は持参していない。実は、私の場合、日本でもまだ、携帯電話をPDAのインターフェースとしては利用していない。現状ではまだ、携帯電話をデータ通信の端末として利用するには、通信速度といい、料金といい、制約が大きすぎるのである。つまり、現在のPCSは、ネットワーク・コンピューティングの手段としては、まだまだごく不完全なものにすぎない。PDAも同様である。しかし、たとえばPHSが64Kbpsあるいは128Kbpsの速度をもつデータ通信端末として機能するようになる日は目前に迫っている。インターネットや自社のLANに接続することのできる、機能的にもより洗練された第二世代のPDAの登場も、いよいよ始まろうとしている。その口火を切ろうとしているのは三菱電機やNTTだが、やがて各社の新製品がいっせいに出そろう今年の後半から来年にかけて、日本では第二世代PDAブームが間違いなくやってくると私は見ている。これらの第二世代のPDAは、やがてPHSあるいはディジタル電話機を内蔵した形のものになるだろう。イリディウムやテレディシックのようなLEOを利用したグローバルなデータ通信システムが構築されて、世界中同一料金で、あるいはさらに定額料金で安価に利用可能になると、PCSの有用性はさらに増すだろう。90年代後半は、固定体通信と移動体通信が、相互補完的に発展していく時代になるはずだ。その意味では、今回のような企画が行われたことを私としては大歓迎すると共に、それに参加する機会を与えられたことを感謝申し上げたい。最後に、お国でのインターネットとPCSのますますの発展を祈って、私の話を終わりたい。