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kumon_letter - May 1, 1996

公文レター No.7

May 1, 1996 [ kumon_letter ] このエントリーをはてなブックマークに追加

1996年05月10日

「公文レター 第七号」

公文レター 第七号   

公文俊平

今、トロントとシカゴへの小旅行から帰ってきたところです。トロントでは、ロン・ベッカー氏(トロント大学コンピューター科学、電気工学、経営学教授)が組織した「紀元2000年以降のインターネット」をテーマとするコンファレンスで、基調講演をしました。その帰途、シカゴに住んでいる娘夫婦のところに立ち寄って、二人の孫娘たちの顔を見てきたという次第です。

今回の「公文レター」では、コンファレンスで入手した材料の中から目ぼしいものを選んでご報告しようと思っていたのですが、あまり新味のある材料はありませんでした。インターネットは、やはり大変な勢いで拡大していることを再確認したこと、カナダでは商用のネットワークではない「フリーネット」型の「コミュニティ・ネットワーク」がアメリカ以上に普及しているのに感銘を受けたことくらいでしょうか。

そのかわりに、私の教え子だったポール・サマビル君から、カナダの話をいろいろ聞くと同時に、何人かの興味深い人物(とりわけ、ジャパン・ソサェティ前会長のウィリアム・マクドナルドさんと、トロント大学経営学部教授兼同大学国際ビジネス・センター所長のウェンディ・ドブソンさん)にも紹介してもらいましたので、そちらのご報告をしようと思います。

サマビル君は、トロントの名家(大叔父さんが昔トロント市長を勤めています)の出身で、スイスやイスラエルに留学した後来日して、自動車の輸出自主規制というテーマで東京大学の国際関係論の博士号をとり、ジャーディン・フレミングやリーマン・ブラザースの調査部でエコノミストとして活躍した後、昨年、十二年ぶりに帰国して、今はリチャードソン・グリーンシールド社の首席エコノミスト兼調査部長をしています。しかし、もともと政治に関心があり、いずれ時期が来れば国政選挙に打ってでたいという野心をもっている人物で、その演説のうまさには定評があります。

三人とも、カナダ経済の現状については、かなり楽観的でした。カナダでもご多分に漏れぬバブルとその崩壊の後、長期不況が続いているのですが、投資は回復し、政府財政は数年のうちに赤字を脱することが確実になり、それがカナダの通貨価値を支えているというのです。また、近年のカナダでは、経済発展に伴う西へのパワーシフトにはめざましいものがあります。ドブソンさんは、アジアとカナダの間の経済関係の緊密化に特に強い関心をよせています。しかしオタワの連邦政府は、そうした変化の意味するところをまだよく理解できていないそうです。

また、マクドナルドさんは、カナダの高等教育にも明らかに復調と発展の傾向があるといってご機嫌でした。マクドナルドさんが引用した資料は、アメリカのジャック・グールマン博士が1993年に発表した北米の各大学の比較データです。それによれば、電気、コンピューター、および機械の三つの工学分野で、カナダの大学が驚くべき好成績をあげています。とくに、昨年までNTTの石井裕さん(現MITメディアラボ)が研究しておられたトロント大学は、コンピューター工学では、MITとUCバークレーに次ぐ第三位、機械および電気工学でも、MITとスタンフォードとUCバークレーに次ぐ第四位を占めるというすばらしさです。それ以外にも、カナダの大学は、電気工学の上位16大学中の六つ、コンピューター工学の上位16大学中の六つ、機械工学の上位18大学中の九つを占めるという健闘ぶりを見せています。今後の情報革命の進展にさいして、カナダが果たす役割には十分注目してしかるべきかと思われます。

私が今回特に興味をもったのは、カナダの政治の動きです。サマビル君の分析によれば、カナダの政治体制は、米国の個人主義にたいして、「コミュニティ主義」を基調として作られています。つまり、カナダでは、宗教、言語、教育などの面で、コミュニティ(とりわけ州政府)がより大きな権限を行使して、個人の自由を制約してきたというのです。その典型がケベック州政府の統治に見られます。しかし、1960年代以降、カナダ政治の米国化、つまり個人主義化の潮流には、顕著なものがあります。自由党のトルードー元首相は、ケベック生まれの人ですが、同州のコミュニティ主義には強い反発を抱いて成長しました。そのため、彼の主導下で行われた1982年の憲法改正は、カナダの政治体制をアメリカの個人主義的政治体制に限りなく近づけようとする性格を顕著に示していました。その後の西へのパワー・シフトは、カナダの文化や政治のアメリカ化傾向をさらに強めています。なるほど、アメリカの文化(テレビ番組や出版物、あるいは人間等)のカナダへの滔々たる流入に対しては、時としてカナダのナショナリズムがそれに反発しはするが、今のカナダ人の多くは内容的にはアメリカの文化、とりわけ個人主義文化を積極的に受け入れる方向に動いています。その結果、ケベック州の分離はほとんど不可避となったというのが、サマビル君の判断です。もっとも、自身モントリオールの出身であるマクドナルドさんは、そうした傾向は認めるものの、分離の実現可能性については否定的でした。そんなことをすれば、ケベック州では、別の深刻な問題が噴出する。たとえば、先住民の権利回復の動きを止めようがなくなる。そうなると、ケベック州のほとんどは先住民に返還されざるをえなくなるが、それは到底認めがたいだろう。だから、結局は分離も思いとどまらざるをえないだろう、とういうわけです。(もっとも、サマビル君にいわせると、マクドナルドさんの意見のこの部分は、モントリオール出身者の感傷にすぎないのだそうです。)

問題はその先です。かりにケベックが分離したとしても、カナダの中ではもっとも「コミュニティ主義」の文化を強く残すケベックが、文化的・政治的にアメリカと一体化することはありえない。結局ケベックは、カナダの他の部分との間に相対的により強い結びつきを残すだろう。もちろん経済的にも、依然としてカナダの一部であり続けるだろう。この点は、サマビル君もマクドナルドさんも、同じ見方でした。

サマビル君の分析はさらに続きます。彼によれば、近年のカナダの個人主義化の傾向は、カナダの歴史の中では振り子の一つの極端な揺れのようなもので、いずれ--恐らくは後十年もすれば--揺り戻しがくるに違いありません。つまり、コミュニティ主義への回帰が再び始まるというのです。その時こそ、自分が政界に打ってでる時だ、というのが彼の結論でした。

私には、これが最も興味深い論点でした。実は、アメリカの中にも、一種のコミュニティ主義の台頭が、近年さまざまな形で見られます。アメリカはアメリカで「個人主義の超克」を模索しているのです。今回のトロント滞在中に、「ネティズン」という言葉を作ったマイケル・ハウベン君のご両親が、私のホテルを訪ねてこられたのですが、お二人は、コミュニティ・ネットワーク作りに、異常なといいたくなるほどの強い情熱を注いでいて、アメリカは、カナダでのコミュニティ・ネットワーク運動に学ぶものが多いと主張していました。また、コミュニティ・ネットワーク作りは、政府が積極的に支援すべきものだと繰り返して主張し、グローコムの活動がビジネスによって支援されていることなど、自分たちにはほとんど理解できない。近視眼的で、目先のことにしか興味のない、アメリカのビジネス界がそんなことをすることなど考えられないと言っていました。二人は、それに加えて、「だからこそNTTを分割することなど、絶対に考えてはならないのだ、アメリカの経験から考えても、分割されて生まれたいくつもの企業が競争し始めた日には、長期的視野などなくなってしまう、とりわけ研究面での貢献は期待できなくなる」というので、私は目を白黒させてしまいました。なにしろ、アメリカ人からこんな意見を聞いたのは、ほとんどこれが初めてだったのです。

確かに、自由競争も、民主主義も、そして個人主義も、すばらしい政治理念です。しかし、その政治理念としての普遍妥当性をあまりにも極端かつ一方的に主張するアメリカ的なやり方は、決して普遍妥当性をもつものとはいえないでしょう。他のアジア諸国や、日本の現実を考えた場合、談合や権威主義にも、そしてもちろんコミュニティ主義にも、一面の真理というか妥当性はあると考えざるをえません。ベルリンの壁の崩壊以後、「歴史の終焉」といわれるほどに一方に触れている理念の振り子は、いずれまた他方に振れる日がくることは間違いないでしょう。そうした動きが、今から十年ほど先に明確な形を取って、世界的な拡がりをもって現れることも、極めてありそうなことに思えます。今から十年後といえば、日本でも、憲法改正がようやく具体的な政治日程にのぼる時だと予想されるのですが、憲法改正のような重要な試みにさいしては、十分成熟した政治理念をもつ人々ないしグループが、主導権をとってほしいものです。一時の激情に駆られて、極端に走ることがあってはなりません。その意味でも、カナダに、日米両国の間をつないでくれるような政治理念や政治勢力が生まれてきてくれるのは、両国にとって望ましいことではないでしょうか。サマビル君の分析の正しさに期待しつつ、新しい流れの出現を刮目して待ちたいと思います。