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kumon - May 1, 1996

「情報化ギャップをどう見るか」

May 1, 1996 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

1996年5月4日

「情報化ギャップをどう見るか」

日経ビジネス「視点」

公文俊平

先日、ソウルで開かれた情報社会についての国際会議に参加してきた。いろいろ興味深い論点が出された中でも、多くの発言者が、情報強者(information haves) と情報弱者(information have-nots) との間の格差の拡大を憂慮していたのが印象的だった。

確かに、情報強者ないし情報富民と情報弱者ないし情報貧民への階級分化は、単なる空想ではなく、現実に生じつつある問題であり、社会的に決して望ましいとはいえない事態であることも否定しがたい。しかし、ではわれわれには何ができるのか、あるいは何をすべきなのか。

この問いにへの答えの手掛かりは、産業化の歴史の中にありそうだ。産業化の初期には、経済的な強者と弱者への階級分化が起こった。機械化がそれをもたらしていると考えた人の中には、機械の打ち壊し運動に走る人々も現れた。しかし、この「ラダイト」たちの運動は、産業化に向かう滔々とした歴史の流れを押し止められなかった。カール・マルクスのような共産主義者は、ラダイトの運動を歴史発展の鉄則に逆らおうとするものと嘲笑し、むしろ産業化が徹底的に進んでいくところに、事態の新たな展開が起こることを期待した。すなわち、失うべきものは鉄鎖しかない経済弱者( プロレタリアート) が圧倒的に多数になることで、その政治力を強めて革命を起こす結果、階級は廃絶されると予想した。

しかしそのような革命は、産業化の先発国ではついに起こらなかった。現実に生じたのは、産業化が進展する中で、一方での経済の論理の貫徹と、他方でのそれを補完する社会政策の採用だった。すなわち、出生率の低下と資本蓄積の進行は、労働力の相対的希少性や生産性を高め、階級格差の是正に貢献した。反独占政策や所得再分配政策の採用は、経済面での平等化をさらに推進した、等々。もともと、正和ゲーム性(win-win)を特徴とする市場交換の世界で、商品の売り手と買い手の間に何か絶対的な対立関係があるかのように考え、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる一方だとする想定自体が、根本的に誤っていたのである。

同じことは、今日の情報化に対してもあてはまるのではないか。情報格差の拡大をもたらしているのがコンピュータだからといって、コンピュータを打ち壊したり、その導入に反対したりするのは、有効な対策とは言えない。他方、情報化の行き着く先に、圧倒的多数の無知な情報弱者と、彼らを情報操作する少数あるいは一人の情報強者 (ビグ・プラザー) への階級分化と、その帰結としての情報プロレタリア革命を予想ないし期待するのも、その非現実性においては情報ラダイトとえらぶところはないだろう。

情報社会で本格的に普及すると予想される「智のゲーム」は、情報や知識の普及・通有を通じて、自らの知的影響力の拡大をめざすゲームである。したがって、そこでは、情報や知識を与え惜しみ、独占していることには何の意味もない。しかも、情報や知識は分けても減らないという意味では、情報社会の「智のゲーム」は産業社会の「富のゲーム」以上に強い正和性をもっているといってよいだろう。

だとすれば、恐らく最善の対応策は、多少不愉快でも、当分は情報革命の積極的な推進に努め、その結果としての情報格差の拡大は甘受することではないだろうか。それでもいずれは、情報機器やネットワークの値段も下がり、使い方も容易になる中で、知識の拡大と普及がどんどん進行するようになる。そうなれば、産業社会での労働者の経済的地位の改善に似た、情報社会での自然の平等化傾向も働きだすだろう。その時点で、知識・情報の反独占と再分配のための政策を、補完的に導入するとよいだろう。なお、再分配政策の中でとくに重要なのは、情報・知識の直接の再分配よりも、その理解力を高めるための政策だと思う。