HOME > COLUMN > kumon > June 1, 1996

kumon - June 1, 1996

「地域の情報化とインターネット」

June 1, 1996 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

96年6月10日

「地域の情報化とインターネット」

公文俊平

日本では、アメリカより約一年遅れて、1993年の11月ごろからマルチメディア・ブームが起こった。図1にあるように、 "マルチメディア" という言葉を含む新聞記事の数は、このころからはねあがっている。それは、アメリカの新聞や雑誌が、日本の情報化の立ち遅れをいっせいに指摘し始めたのと、ちょうど同じ時期だった。しかし、喧伝される "マルチメディア" の実態は何かということは、なかなかはっきりしなかった。

アメリカの場合、マルチメディア・ブームあるいは情報化の "新ゴールドラッシュ" は、 "対話型テレビ" とか "ビデオ・オン・ディマンド" と呼ばれる、視聴者の要求に応じて映画やニュースを送信する、テレビ放送の高度化の試みとしてまず始まった。しかし、1994年も後半になると、対話型テレビの技術開発は予想以上に困難なばかりか、それに対する需要もそれほど大きくは見込めないことが明らかになって、マルチメディア・ブームはいったん退潮した。だがそれと同時に、それまでのマルチメディア・ブームとは別のところで、爆発的な成長を始めていたインターネット、とりわけその上での "ワールドワイド・ウェブ(WWW)" を利用した情報提供の可能性が、ジャーナリズムにわかに注目されるようになった。そして1995年には、アメリカのビジネス界もまた、インターネットの可能性に真剣な関心をよせるようになった。こうして「マルチメディアとはインターネットと見つけたり」とでも言いたくなるような、新ゴールドラッシュの第2次局面が始まったのである。現在では、あまりのインターネット・ブームの激しさに対する反動現象も現れている。インターネットの上でのポルノの氾濫--実際はそれほどのことはないのだが--を規制しようとする動きはその典型的なものである。

このインターネット・ブームに関しては、日本での関心の高まりは、アメリカとほとんど同時だった。図2に見られるように、1994年の秋から、最初の関心の高まりが起こっている。そして、1995年の後半になると、ほとんどインターネット一色といいたいくらいに、インターネット関連の記事が激増している。朝日新聞が最初に記事の中で "インターネット" という言葉を使った時には、わけの分からぬ言葉を使うなという読者からの抗議がきたそうだが、それから一年もたたない間に、この言葉は今年の流行語大賞を受けるようになったことから見ても、変化の激しさが実感できる。

インターネットとは、一言でいえば、共通の標準に従って互いに結びついた、コンピューターの "ネットワークのネットワーク" だということができる。これに対し、インターネットを構成している個別のネットワークは、LAN(ローカル・エリア・ネットワーク)と呼ばれる。あるいは、コンピューターを利用している企業や行政機関などの組織を単位に考える場合には、 "イントラネット" と呼ばれることもある。つまり、インターネットとは、共通の標準に従い、共通のアプリケーションを載せることができるいくつものLANあるいはイントラネットが、互いに結びついたものだといっていい。

今後の情報社会にとっての "高度情報通信基盤" の具体的な形が、このインターネット、あるいはそれを原型としてさらに進化したもの--私はそれをODN(オープン・ディジタル・ネットワーク)と呼んでいるが--になることは、まず間違いない。

このODNは、とりあえず幹線部分と、末端というか現場部分に大別してみることができる。 "ネットワークのネットワーク" というインターネット本来の構造からすると、特に幹線部分を切りわける必要はないとも言えそうだが、現実の問題としては、あらゆる地域に隙間なくLANができて、隣接するLAN同士がつながって全体としてのODNができあがっていくというわけには、なかなかいかないだろう。むしろ、あちこちにできたLANが、もともとは電話の中継用に作られた光ファイバー幹線網を転用したもので互いに結びついていくというのが、高度情報通信基盤構築の実態だろう。実際、インターネットのいわゆる一次プロバイダーたちは、まず海外(ほとんどは米国)との間に太い回線を設け(国際電話会社の回線を借り入れる形で)、続いて国内にも幹線をはりめぐらし、その何箇所かに設けられたアクセス・ポイントにまで、LANからの専用線を引かせる、あるいは電話回線自体を使ってそこにアクセスさせる(ダイヤル・アップという)形で、インターネットへの接続サービスを提供している。

NTTが昨年の七月に基本構想を発表し、今年の二月にそれをさらに具体化したOCN(オープン・コンピューター・ネットワーク)構想は、まさにこのインターネットないしODNの幹線型のネットワーク間相互接続サービスを、国際的に遜色のない価格で提供しようとするものである。実際のサービスの提供は、来年のことになるが、ともかくもこれでようやく、日本も本格的に高度情報通信基盤を構築していく態勢がととのったことになる。もちろん、ODNの幹線としてのOCNは、NTTだけが独占的に提供するものではなく、それ以外にも相互接続性をもった多数のOCNサービスが、競争的に提供されることが望ましい。また、OCNを借り入れて、多様な情報通信サービスを二次的に提供する企業も、どんどん出現してきてほしいものである。NTTはまた、自社が保有する通信回線と提供する通信サービスの "アンバンドル" 化を行い、他の事業者による通信サービスの提供用に自社の回線を開放する用意があるとも言明している。そうした開放に実質的な意味があるのは、電話型のサービスよりもOCN型のサービスの提供用に、回線が利用される場合だろう。したがって、こうした回線開放が軌道に乗れば、OCN型のサービスの提供はさらに加速されるだろう。

それと合わせて、OCNサービスの価格も、それが実際に提供される今から一年後には現在の半分になっており、それからさらに年々例えば25% ずつ下がっていく(つまり5年で四分の一になる)ような状況が出現することを期待したい。そうなれば、OCNサービスへの需要は、それこそ爆発的に増大するだろう。コンピューター産業では、すでに過去20年ほど、チップの価格性能比が一年半ごとに半分になり続け、その結果としてハードウエアであれソフトウエアであれ、性能あたりの価格は、何百分の一、何千分の一に下がってきている。同じようなことが通信の世界でも起こりえないはずはないというのが、通信技術の専門家の意見である。今まではそれを、主として規制の壁が阻んできたといっていいだろう。私たちは、大分で、NTTと協働してマルチメディア地域実験を試みているのだが、これまでの最大の悩みは、実験期間が修了した後で、地域の情報化の努力をどうすれば続けて行けるのかということだった。何しろ、想定される情報通信サービスや機器の価格が高すぎて、どうするわけにも行かなかったのである。しかし、今回のNTTの発表で、どうにか未来への展望が開けたという思いがしている。もちろん、さらにいっそうのコストと価格の引き下げの努力を続けてほしいわけだが、ともあれこれでようやく、わが国の情報化も軌道に乗り始めたなというのが、私たちの率直な思いである。

しかし、いうまでもないことだが、幹線だけでは真の情報化にはならない。それと同時に、先にLANあるいはイントラネットと呼んだ、現場部分のネットワークが構築されていかなければならない。それも、全国いたるところに、歩調を合わせてその構築が進められることが望ましい。それでこそ、ネットワークの全体としての有用性も高まるし、OCN自体も十分な需要をもって、商用サービスとして存続・発展していくことが可能になるだろう。米国のインターネットでは、1980年代の終わりごろから、接続されるコンピューターの数でいえば、年々倍増、その上を流れるトラフィックの量でいうと月々10% 以上(つまり年々3~4倍)という驚異的な成長が続いている。まだしばらく、この傾向は続きそうである。日本でも、かりに、OCNに加入する単位ネットワークの数が年々倍増すると同時に、契約回線速度も年々50% 上がっていくとすれば、価格を年々25% ずつ引き下げていったところで、売り上げも年々2倍以上の率で伸びていくと期待できるだろう。

それでは、LANやイントラネットの利用の主体は誰になるのか。行政と(大)企業、そして地場の中小企業や地域住民がそれだろう。

行政については、昨年の二月に政府の高度情報通信社会推進本部が発表した "基本方針" に基づいて、中央の各省庁のLAN化を1996年度中に行い、1997年度にはそれらを互いに結びつけた "霞が関WAN" を構築することが、すでに決まっている。さらに、それを各省庁の出先機関や関係機関あるいは自治体と結び付ける全国行政ネットワークが、今世紀中にはその骨格を整えるに違いない。

企業とくに大都市の大企業については、昨年の暮れあたりから、 "イントラネット" への関心がにわかに高まってきた。それまでは企業のプライベートな情報通信ネットワークの外で発展してきたインターネットの標準(TCP/IPプロトコルなど)や、インターネット用の主要なアプリケーション(WWWやそのブラウザーなど)を、企業の情報システムにも取り入れようというのである。それが拡がれば、個々の企業あるいは企業集団の情報システムには、一方ではいわゆる "ファイアーウォール(防火壁)" によってセキュリティーを確保しつつ、他方では必要に応じて外部とのオープンなコミュニケーションやコラボレーションを展開していく可能性が開けてくるだろう。これは、日本の企業が、20世紀の "囲い込み型経営" から21世紀の "オープン型経営" (国領二郎)へとその経営パラダイムを転換していくためにも、必要不可欠な前提条件となる。

これらの行政ネットワークや企業ネットワークの構築・運用は、一部は行政や企業自らの手によって、また一部は商用のネットワークや情報通信サービスのプロバイダーの手によって、自発的にまた競争的に推進されていくに違いない。問題は、地場の中小企業、あるいは地方都市や農村部の住民を対象とした地域のLANないしイントラネットである。私はそれをCAN(コミュニティ・エリア・ネットワーク)と総称したいのだが、このCANは、これまでの電話とは基本的に異なった種類のネットワークである。電話の場合は、個々の加入者の自宅やオフィスから電話局まで、それぞれ一対の加入者線が引かれている。これらの加入者線は、電話局に集中する "スター型構造" をとっている。ところが、CANの基本型は、団地の中や商店街の中を、一本の大容量の光ファイバーがループ状に引き回され、そのいたるところに "情報コンセント" が出ていて、さまざまな情報機器をそれにプラグインして利用するという、 "情報ループ" 型のものになると思われる。

この意味でのCANの構築と運用が、それぞれの地域の自前で、あるいは商用プロバイダーの手で、進められていけば問題はない。しかし、なかなかそういうわけにもいかないだろう。そうだとすれば、それぞれの地域の自治体が、積極的、先進的な住民や企業と協働して、イニシァティブを発揮することがぜひとも望まれる。私たちは "地域情報化委員会" と仮称しているのだが、なんらかの第三セクター型の協働組織を中心に、地域の行政と企業と住民が結集して、全員参加・利用型のCANを構築する仕組みを作ってはどうだろうか。全国いたるところに、いっせいにCANを構築するとなると、既存の通信業者の手にあまる仕事になるだろう。電力業者だけでなく、建設業者、道路・ガス・上下水道事業者から電気工事業者まで、ありとあらゆる人びとが構築に参加できるはずだし、またそうすることが望まれるに違いない。また、私たちも日々痛感していることだが、CANあるいはLANの保守・運用は、多くの技能と労力を要する仕事である。信頼できるLANマネジャーの大量養成・再訓練と展開が緊急に必要とされるだろう。情報社会の新規雇用の最大の分野は、ここになると思われる。さらに、構築されたCANに載せる情報コンテンツの作成や更新にも、多くの人材が必要になる。いやそもそも、このCANをどのように上手に利用して、何を実現するのか、そのためのヒントや知識の供給も重要な仕事である。ゲームに "攻略本" が付き物であるように、CANにもその "攻略本" というか利用の手引きが必要不可欠なのである。構築、運用、利用のすべての面で、必要十分な人材を地域が育て上げ、集めえた時が、情報社会をめざす地域の活性化が実現する時だろう。