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kumon - September 1, 1996

「しなやかな進歩主義」のすすめ

September 1, 1996 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

1996年9月4日

「しなやかな進歩主義」のすすめ

日経ビジネス「視点」

公文俊平

大蔵省の榊原英資国際金融局長が、『進歩主義からの訣別』という本をだした。彼は、そこでの「進歩主義」の定義として、故村上泰亮が遺著『反古典の政治経済学要綱』で示したものを、そのまま採用している。すなわち、究極の唯一の理想的秩序が、あるいは少なくともそこへの一義的経路が、人間によって認識可能であると共に、人間の努力によって (現世で) 実現可能でもあると信じる思考上の姿勢が、村上のいう「進歩主義」である。そして榊原は、「技術革新の可能性を否定するつもりもないし、成長を敵視しているわけでもない」と言いながらも「われわれが政策レベルでまずしなくてはならないことは『進歩主義』の具体的かつ経済的表現である、『技術革新神話』と『成長信仰』を捨てることであろう」として、「先進国での資源・エネルギーの消費の低下」政策や、「消費者の生活パターンをより非物質的、文化的なものに誘導していく」政策をとり、「基本的には廃棄物を最小化した、できれば廃棄物を出さない生産と消費」に移行する必要を説いている。これは、四半世紀前のローマクラブのゼロ成長論そのものである。

村上は、遺著の中で、上の意味での「進歩主義の否定は進歩の否定ではない」としているばかりか、少なくとも今後数十年は続く情報化や生物科学の応用の過程では「技術革新の制度化・恒常化」が生ずると予想している。

では榊原は、現在ただ今、われわれの眼前で嵐のように進んでいる情報通信技術の革新と、その産業への応用を、どう評価しているだろうか。しかもそうした技術革新の帰結が世界経済にも及んで、とくにアジアを中心に、経済成長の新たな加速が始まっている事態をどう見ているのだろうか。

もちろん、これから21世紀にかけての技術革新や経済成長は、これまでのような物質中心のものではなく、主に「サイバースペース」の中で起こる情報中心のものに違いない。しかし、同時に、利用される主要な物的資源の基盤もまた変わって行く。ジョージ・ギルダーの言葉でいえば、今日の技術革新は、われわれの周辺にふんだんに存在する、「砂(シリコン)とガラス(光ファイバー)と空気(電波)」を利用した技術革新なのである。エネルギーについても、秋元勇巳三菱マテリアル社長が近著『しなやかな世紀』の中で、誠に説得的に述べているように、原子力エネルギーの利用の方向さえ誤らなければ、良質で環境にやさしいエネルギー利用が可能になるだろう。

われわれは、事実としての進歩の可能性をあらためて認めると同時に、村上の定義した狭くかつ強い意味での進歩主義、硬直した単線型の進歩主義とは異なる、新しい進歩主義に向かって、われわれの思想を進化させていくべきではないだろうか。それは、

理想的秩序やそこへの経路は一義的ではなく、人間は自らの責任とリスクにおいて、自らの選び取った理想の実現をめざす存在であり、そうした理想の実現はある程度まで可能だと信じる思考上の態度であって、私はそれを「弱い進歩主義」あるいは秋元の言葉を借りるならば「しなやかな進歩主義」と呼んでみたい。

しなやかな進歩主義の思想的基盤は、デカルト=ニュートン的思考からの脱却をいちはやく果たした20世紀の科学--量子論や複雑系の科学--の中にすでに準備されていた。その意味ではそれは、近代文明の進化過程の中で、生まれるべくして生まれてくる思想であるといえよう。

日本の政治や経済が今日の「閉塞感」から抜け出す一つの途は、旧い進歩主義からの訣別と同時に、この意味でのしなやかな進歩主義を自らのものとするところにあるのではないだろうか。