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「今井論文の考察」

October 1, 1996 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

96年10月13日

「今井論文の考察」

ジャパン・エコ- 掲載

公文俊平

1993~94年の日本の「マルチメディア・ブーム」は、ほとんど実体のない空騒ぎに近いものだった。しかし、1995~96年の「携帯電話ブーム」や「インターネット・ブーム」になると、どうやら何かが確かに変わり始めたらしいという印象を禁じえない。アメリカに大きく遅れていた携帯電話の普及率は、電話機の売り切り制への移行と共に爆発的な増加を始め、たちまちアメリカを抜き去ろうとしている。二百万台前後に低迷していたパソコンの年間国内出荷数も、一昨年350 万台、昨年570 万台と急増し、恐らく後二三年で一千万台の大台を突破しそうである。インターネットにいたっては、それに接続されるコンピューターの数で見ても、年々四~五倍増という「瞬間風速」が、一気に実現してしまった。このような状況は、まだしばらくは続きそうである。

日本の中央政府は、95年以来、「行政情報化五ヵ年計画」を策定して、その実現に向けて走り始めた。すでにほとんどの省庁では「一人一台」のパソコンが導入され、LAN の構築も終わっている。来年からは、それらのLAN が「霞が関WAN 」として相互接続されていくばかりか、地方の出先機関や関連機関にもネットワーク化の波が及んで行く。日本の大企業も、インターネットの利用やイントラネットの構築にようやく本腰を入れ始めた。NTT その他の通信企業も、インターネット向けのコネクションレス型のネットワーク--NTT はそれをOCN =Open Computer Network と名付けている--の全国的な提供に向けて、準備を整え始めた。一歩遅れて地方の自治体や住民の間にも、地域情報化ブームが拡がろうとしている。

しかし、近年のこうした新しい動きは、90年代前半の日本を広く覆っていた閉塞感からの脱却をも本当にもたらしつつあるのだろうか。さらには、それこそ "芋づる" 的に、日本の経済だけでなく政治や社会をも巻き込んだ、全面的な情報化の実現に向けての突破につながっていくのだろうか。そう改めて問われると、多くの人は、「まだまだ即断はできない」と答えるだろう。ここで紹介するはなはだthought-provoking な今井論文の価値は、いくつもの事例を示しつつ、確信をもって「山は動きだした」と断定すると共に、さらに進んで、アメリカとは異なる「情報化の日本モデル」とでも呼ぶべき新しい発展の途を示唆しているところにある。

その新しい発展の途とはどのようなものだろうか。今井によれば、それは、既存のシステムを全否定して、一足飛びに新しいシステムに飛び移るなどという、もともとできないことを企てる中からは出現しようがない。むしろ、「外部環境の大変化に対する改革において、 "古いシステム" に "新しいシステム" を重ね合わせ、習合させる」という、過去にも繰返し採用されて成功してきた方法の踏襲を、今回もまた行う以外にない。

そのための方策は、外からの批判や内での複合大不況の経験に触発された自己否定を契機として、古いシステムの自己変革と新しいシステムへの合成の方向の発見に努めることである。具体的には、これからの日本は、

  1. ソフトウエアでアメリカに正面から太刀打ちすることはできない、
  2. 単なるモノづくりの製造業では、アジア新興国とは競争できない、

という「自己否定」から出発して、

  1. アジアにはできない規格品でないモノに、
  2. アメリカに劣らないソフトウエアを組み込み、
  3. かつアメリカにもアジアにもない日本伝統の心豊かなサービスを結び付けた、

「モノとソフトとサービスを連結した新規産業」を作りあげなければならない。それによって、日本の社会が今まさに必要とする生活と社会的活動の「場」を生み出すことが、新しい産業活動として可能になるのではないかというのが、今井のビジョンである。今井の考えでは、それこそが日本がアメリカに対して打ち出すべき情報社会のもう一つのビジョンであり、日本が採用すべき「システム間競争」の戦略に他ならない。

以上のような今井の議論は、今日の日本が置かれている閉塞状況の突破戦略として、極めて示唆に富んでおり、真剣な検討に値するものだと思う。とはいえ、私としては、多少の留保をつけたい点もないではない。

たとえば、今井や松岡正剛のいう日本的な「弱さの強さ」は、情報革命の狂瀾怒濤期において、アメリカ的な「強者の論理」に本当に正面から対抗できるのだろうか。対抗できるとしても、その力が真に発揮できるのは、しばらく時間が経った後のことではないだろうか。 (それは、「日本的経営」の真価が発揮されたのが戦後の高度成長期の後半以降のことだったのと、似ていないだろうか。)

それに、今井の議論には、彼自身も認めているようなアメリカの情報化に見られる「インターネットによる人々の草の根の交流、ボランティア活動などの良質な側面」への目配りがやや不十分なのではないだろうか。私の理解では、今日の情報革命の最大の特徴は、それが過去の "産業化" のいっそうの発展 (第三次産業革命) であると同時に、産業化そのものを超えるという意味での "情報化" (軍事革命と産業革命に続く近代第三の社会革命としての情報革命) としての側面をもっている点にある。つまり、新しい「生活の場」を論ずる上では、市場や産業の動きに注目するだけでは足りない。営利事業とは異質の社会活動の急激な台頭と普及にもまた注目しなければならない。一般にはそのような活動は、 "ボランティア" とかNGO-NPO などと呼ばれているが、私に言わせれば、それは国家による国威の増進と、企業による利潤の獲得に続く、近代第三の社会的主体としての智業(intelprise)による知的影響力 (説得力) の追求を目標とする活動に他ならない。恐らく21世紀は、その意味での新興情報智業と既成の産業企業との間の多様な協働関係が、社会的発展の中核をなしていくと思われる。そして、今日のアメリカでは、第三次産業革命だけでなく、第三次社会革命もまた急速に進行しているのではないか。そして、アメリカの一部に見られるようになった「第三の波政治」や「保守革命」の主張は、産業社会の市民革命に匹敵する、情報社会のネティズン革命を指向する動きではないのか。次の機会には、こういった論点についても、今井の見解をぜひ聞いてみたいものである。