HOME > COLUMN > kumon > November 1, 1996

kumon - November 1, 1996

「米国情報革命の現状」

November 1, 1996 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

1997年11月01日

「米国情報革命の現状」

NEAC 50 The Birth of The Infomation Age

公文俊平

米国の情報革命は、1970年代のマイクロチップスの発明がひきおこしたコンピューターの小型化、パーソナル化、高機能化によって始まった。コンピューティング・パワーの増大は、ほぼ18カ月毎に倍増するマイクロチップスの集積度の増大の自乗に比例して、つまり三年間で42 =16倍という速度で、進行した。これが、ジョージ・ギルダーのいう「マイクロコズムの革命」である。さらに、1980年代の後半以来、パーソナル化したコンピューター群は、いっせいにネットワーク化され始めた。このネットワーク化は、1990年代を通じて、ネットワークに接続されるコンピューターの数が年々倍増するほどの勢いで進行していくと見られる。コンピューター・ネットワークが発揮するパワーは、ネットワークに接続されているコンピューターの数のこれまた自乗に比例して増大する。つまり、三年間で82 =64倍になる。これが、ジョージ・ギルダーのいう「テレコズムの革命」にほかならない。今日の情報革命は、この二つの革命の効果の相乗によって、それこそ爆発的といいたいほどの速度で進展している。すなわち、ネットワークー化されたコンピューターのパワーの総体は、三年間で16×64=1024、つまり約千倍にもなっている。いいかえれば、年々十倍になっている。ということは、1990年代の初頭の世界のコンピューター・ネットワークのパワーを1とすれば、90年代の半ばには、それは10万になったのである。今やこのパワーが、誰の目にも見えるようになってきたのも当然のことといえよう。さらに今世紀の終わりまでには、このパワーは、90年代の初頭に比べると、実にその100億倍に達することになる。後世の歴史家が、1990年代を「ネットワーク革命の十年」として記録することは疑いないだろう。

しかし、この「ネットワーク革命」は、必ずしも直線的に進行しているわけではない。それどころか、ダイナミックな活力に満ちた企業家たちの行動は、 "恐怖と貪欲" (アンドリュー・グローブ)と近視眼に支配された迷走とさえ言いたい側面を強くもっている。その意味では、90年代、とくにその前半の状況を「新ゴールドラッシュ」と呼ぶのは、なかなか当を得ている。だからといって、一部の人達が予言するような破局的な崩壊が不可避となるわけでもなかろう。むしろ、AT&Tのボブ・アレン会長のいうとおり、

しばらくは混乱が起こるだろうが、アメリカは混乱に強い。今後の十年はアメリカにとってすばらしい時代になる可能性がある。失敗する人も成功する人も現れようが、結果としてこの国には、情報技術を利用するための、より大きくてより良い選択肢を提供する、巨大なスーパーハイウェーが出現するに違いあるまい。

というわけで、この第二章では、1990年代のアメリカの情報革命の進展の跡を、年を追ってたどってみることにしよう。一口で言うと、1991-92年は「ネットワーク革命」の開始が自覚された時期、1993-94年は、第一次新ゴールドラッシュとでも呼ぶべき、ビデオ・オン・ディマンド指向の双方向テレビの開発をめざした驀進の時期、1995-96年は、第二次新ゴールドラッシュとでも呼ぶべき電子商取引指向のインターネット・ブームが爆発した時期であった。そして1997-98年は、新ゴールドラッシュ的な狂奔がようやく治まって、インターネット用の高度な情報通信インフラの構築とその本格的なビジネス利用が進む時期になりそうだ。その結果、今世紀の終わりまでには、まだまだ原型的なものにすぎないとはいえ、情報社会のための新しいNII-GII(全国・世界情報通信基盤)が、光と無線のODN(オープン・デジタル・ネットワーク)として、それを活用する電子化されたビジネスや政府、およびネティズンたちのグループと共に、ようやくその全容を明らかにしてくることになるだろう。

一、新しい合意の形成--1991~92年

1991年から92年にかけて、アメリカの情報通信業界や政府および政界には、情報革命の通信革命化というか、ネットワーク革命化とでもいうべき事態の進展について、いくつかの大まかな合意が形成されてきた。それは、

  1. 情報技術(IT)すなわちデジタル・コンピューター技術の発展を中心に進んできた情報革命が、コンピューターのネットワーク化に伴って、これまではアナログ技術が支配的だった通信の世界にも及び始めた(通信分野でのデジタル革命の開始)、

  2. したがって、既存の通信インフラは、デジタル技術に立脚する「全国情報基盤(NII)」ないし「情報スーパーハイウエー」として再構築されなければならない、

  3. テレビ、電話、印刷、コンピューティング等の諸メディアの融合を可能にする新情報通信基盤の構築に成功すれば、その上に、これまでは別々のものとしてあった家電、コンピューター、通信、マスメディア、出版・娯楽等の諸産業もまた一つに合体した、「マルチメディア産業」とでも呼ぶことが適切なメガ産業が、未来の新たな主導産業として出現してくるだろう、

というものだった。しかし、この時点では、上の三点の合意は、なお三つの未決の問題を残していた。すなわち、

  1. NIIの構築は、誰(政府、民間)が主導するのか。民間だとすれば、どの業界(電話、ケーブルテレビ、コンテント、コンピューター)が先頭に立つのか、

  2. NIIの具体的な形はどのようなものか、

  3. マルチメディアの当面の有望な応用分野はどこか

という問題がそれである。93年以降の新ゴールドラッシュと呼ばれた大競争ないし迷走は、この三つの問題をめぐって生じた。

二、第一次新ゴールドラッシュとその蹉跌--1993~94年

この時期特徴は、右の未決問題との関連でいえば、次の三点に要約できる。

第一に、NII構築の主導権が、民間(とりわけ電話とケーブル会社)の手に移った。そのきっかけになったのは、92年の12月にクリントンが召集した全国経済サミットだった。その席上で、ボブ・アレンAT&T会長がゴアの「情報スーパーハイウエー」構想などに見られる政府主導型のNIIの構築の試みを批判し、それは民間にまかせて欲しいと要求したのである。そして93年に入るや、既存の情報通信産業、とくに地域電話会社とケーブル会社による「情報スーパーハイウエー」構築の試みが、先陣争いや合併・提携などの形をとりながら、いっせいに始まった。

その中で、新政権のスタンスは次第に民間よりに動き、NIIの構築原則も93年9月の9原則から94年1月の5原則へと整理され、競争体制の下にある民間部門の投資に主として依存すべきことを確認する内容のものとなった。(しかし、テレコムに競争を全面的に導入するための連邦通信法の改正は、関係業界、とりわけ地域電話と長距離電話業界の利害調整が難航したためもあって意外に手間取り、96年の2月までかかった。)

第二に、NIIの具体的な形としては、視聴者からの送信も可能な「双方向テレビ」が最も有望だとされた。とりわけケーブル会社は、幹線の光化や双方向通信能力の付加、テレビに付加されるマルチメディア端末としての「セットトップボックス」開発に、いっせいに乗り出した。電話会社も負けじと幹線の光化を推進すると同時に、既存の銅線を使ったままでの広帯域のビデオ伝送を可能にするVDT(ビデオ・ダイヤルトーン)の技術の開発に乗り出した。あるいは、資金力や政治力には欠けるが、すでに同軸ケーブルという広帯域のアクセス網を有している、ケーブル会社との合併を策した。

第三に、マルチメディア産業の当面の応用分野としては、教育や医療のような社会的利用、あるいは企業の情報通信システムのようなビジネス利用よりは、大衆消費者向けあるいは娯楽指向の「ビデオ・オン・ディマンド」が期待を集めた。

だが、第一次新ゴールドラッシュは、94年が明けるころから、さまざまな蹉跌や齟齬に直面し始めた。連邦通信委員会(FCC)によるケーブルテレビ料金の引下げ命令は、電話会社とケーブル会社の合併話に冷水を浴びせる効果をもった。双方向テレビにかかわる技術の開発や実用化は、当初の予想よりもはるかに困難なことが、ほどなく明らかになった。ビデオ・オン・ディマンドへの大衆的な需要も、ほとんど期待できないことがわかってきた。こうして、マルチメディアの「新サービスが市場に出て巨額の収入をあげるのはずっと先のことで、現実には余りにも多くのことを余りにも早く約束しすぎた」ことや、「双方向サービスは進化型の事業であって、革命型の事業ではない」ことが理解されてくると同時に、一時の熱気はたちまち雲散霧消していったのである。

しかし他方では、双方向テレビ・ブームの沈滞を尻目に、これまでの電話や放送とは異なる、「パケット交換による分散協調型の多方向情報通信システム」としてのインターネットへの公衆の関心と参加は、この時期全体を通じて急激な高まりを示し続けていた。インターネット接続サービスの商用化はすでに92年から始まっていたが、94年には、「キラー・アプリケーション」としてのワールド・ワイド・ウェブ(WWW)とくにそのマルチメディア型のブラウザーとしてのモザイク(後のネットスケープ)の普及を梃子として、インターネット上での「ホームページ」の開設がブームとなり始めた。連邦政府の関係者も、公式の席でしばしばインターネットに言及するようになった。

94年に見られたもう一つの注目すべき動きとして、NII-GIIの構築に果たす無線通信技術の役割への関心の高まりがあげられる。そのきっかけは、ゴア副大統領が3月のITUブエノスアイレス会議で行った演説だった。彼はそこで、数十・数百の低軌道(LEO)衛星群が地球上のどの地点にも供給する電話あるいはデータ・サービスこそ、テレコムのユニバーサル・サービスを実際的で手頃な価格で入手できるものにしてくれる、というビジョンを示したのである。その直後に、先発の "イリディウム" に加えて、 "テレデシック・システム" や "グローバルスター" などの、グローバルな電話・データ通信システムの認可申請がFCCに対して行われた。さらにメトリコム社は、僅か一億ドルの費用で、全国的な無線通信システムの建設が可能だと言明した。確かに、地球全体を安い料金でカバーする広帯域ディジタル無線通信技術がいったん実用化の段階に入れば、それが既存の通信技術や産業におよぼす影響は、想像を絶するものがあるだろう。そこで、このようなほとんど予想外の事態に対応すべく、米国政府は、FCCにこれらの申請を積極的に認可させる一方、技術評価局(OTA)に、この種の新技術の可能性やそれが及ぼす影響を評価するための研究プロジェクトをも発足させることにしたのである。

二、第二次新ゴールドラッシュとその蹉跌--1995~96年

いったん鎮静した新ゴールドラッシュは、1995年に入ると再び新たな盛り上がりをみせた。第二次新ゴールドラッシュの特徴は、次の三点にまとめることができる。

第一に、そのきっかけとなったのは、「米国のビジネス界によるインターネットの発見」(ビント・サーフ)だった。コンピューター・ソフト業界最大手のマイクロソフトは、同社の未来をインターネットに賭けると宣言した。ケーブル会社のTCIも同様な決意を表明した。長距離電話会社のAT&Tも、ようやくインターネット接続サービスの提供に本腰を入れはじめた。こうして、この時期には、インターネットこそNIIの主流であることが、広く承認されるようになった。

第二に、しかしながら、そのインターネットの特に一般ユーザーレベルでの利用の仕方は、既存の電話回線とモデムを使った「ダイヤル・アップ接続」によるものがほとんどだった。電話会社やケーブル会社は、インターネット用の本格的新回線網の構築よりはむしろ、既存の回線網を利用したインターネット接続用回線の提供や、接続サービスそのものの提供に、もっぱら力を集中した。

第三に、インターネットの利用の仕方も、本格的なビジネス利用というには程遠いものがあった。企業の中には、WWWのホームページを使った情報提供を、安価で手軽な広告媒体としか考えないものや、ホームページをすぐさま商品の販売に利用しようとするものがめだった。ユーザーの側にも、もっぱら新奇さを追いかけたり、ポルノなどの手軽な入手場所として利用したりしようとする傾向が強かった。インターネットを企業内・企業間・企業とその顧客間の双方向のコミュニケーション手段として利用したり、共通の統一的な標準に基づく取引手段としたりする必要性や可能性の指摘は多くなされたとはいえ、その線上での地道な取り組みはまだまだ不十分なままにとどまった。

その結果、96年に入るころから、過熱するインターネット・ブームへの批判や反省の声が、さまざまな形で聞かれるようになってきた。

インターネット、とりわけWWWの利用が普及するにつれて、回線の混雑や、画像や音声を含むデータの入手速度の遅さに対する、一般ユーザーの不満が一気に高まった。WWWとは「ワールド・ワイド・ウェート」なのかという声も上がった。地域電話会社は、電話料やインターネット接続料の定額制をよいことに、電話(とくに増設した二台目の電話)をつなぎっぱなしにするユーザーの激増に悲鳴をあげた。また、今や電話会社と競合し始めたインターネット・サービス・プロバイダーによるダイヤル・アップ接続サービスの提供に対しては、彼らがローカル・アクセス・チャージの支払いを免除されているという理由で、強く反発した。

他方、インターネットの電子商取引利用も、時期尚早であることがたちまち明らかになった。いったんは競ってホームページの構築に走った企業も、顧客の興味を引きつけ続けられるだけの魅力のあるホームページの運営には、予想以上のコストがかかることを思い知らされた。速度の遅さに加えて、セキュリティーやプライバシーへの不安、安価で確実な電子貨幣による決裁の技術や制度の未発達などが、ネックとなった。未知の商取引の仕組みに対する一般ユーザーの関心も、物珍しさ以上の域をでなかった。

イーサーネットの開発者として有名なボブ・メトカーフは、以前からインターネットのこのようなあり方に対しては批判的だったが、いち早く95年12月に、インターネットは96年に「破局的に崩壊する」という予言を行った。さらにその後、分散協調的なシステムとしてのインターネットの全体が崩壊するという予言は非現実的ではないかという反論に応えて、96年7月のアトランタ・オリンピックにさいして大量のトラフィックが集中する結果、システムの部分的な崩壊が起こるという第二の予言を行った。だが、この第二の予言は明らかに当たらなかった。ただし、その理由は、インターネットが大量のトラフィックの集中に対処する能力を発揮しえたからではなくて、そもそもそれほど大量のトラフィックの集中自体が発生しなかったことにあった。したがって、メトカーフ予言の正否にはまだ最終的な決着はついていない。

インターネットの主流化は、この新しい情報通信システムがもつ影の側面にも人々の注目をひきつけ、未知のものへの恐怖の念をよびさましている。自分が「情報弱者」となって脱落することへの恐怖もある。そこから、政府によるインターネットの規制の試みも行われ始めている。米国の場合、規制の最初の試みは、すでに95年に始まっていた。95年7月、『タイム』が、インターネット上の情報の大半はポルノだという趣旨の、カーネギー・メロン大学の学部学生による「研究レポート」を大々的に報道したことが引き金となって、米国の政界が「ポルノ・パニック」におそわれたのである。侃々諤々の論議の結果が、96年2月に成立した改正電気通信法の一部に盛り込まれた、「下品」な情報の配付を処罰しようとする「通信品位法(CDA)」となった。アメリカの市民団体はこの法律を違憲として提訴し、6月、連邦地裁は違憲である旨の第一次判決を下したが、最終的決着はまだついていない。その一方で、96年の夏には、ワシントンを中心に、インターネットの「ハッカー・パニック」とでもいうべき現象が見られた。インターネットは、ハッカーの侵入を許しやすいというセキュリティー上の弱点をもっているばかりか、暗号化技術を利用した犯罪者やテロリストの秘密のコミュニケーションの場となっているから規制が必要だというのである。にわかに巨大化したインターネットをめぐるこの種の議論には騒ぎすぎの面があることも確かだが、どうすればインターネットのセキュリティーを高められるか、人々のプライバシーが守れるか、インターネット上での表現の自由や秘匿の自由をどこまで認め、どこまで、またいかに規制すべきかという問題が、今後解決すべき重要な問題として残されていることもまた、否定しがたいところだろう。

主流化したインターネットに対する、政府の対応のもう一つは、インターネットへの課税である。インターネットを利用した州際的あるいは国際的な取引が増えてくると、地方税や国税としての消費税の徴収は困難になる。また、取引の内容が暗号化されていると、所得税や法人税も取れなくなる恐れが生ずる。財政難に苦しむ政府としては、このような事態は到底容認しがたい。そこで、インターネットの利用それ自体や、その上での取引に対して、課税しようとする試みがでてくる。しかし、そうした試みはユーザーたちの強い反発を招くだろう。この問題も、将来に残された重要な未解決問題の一つである。

三、真のNII構築とその業務利用の開始--1997-98

しかし、インターネットをめぐる喧騒の中で、次の二つの事実が次第に明らかになりつつある。その第一は、米国には、光ファイバーによるインターネット用の回線網を本格的・競争的に構築することが、いつでも可能になっているという事実である。幹線網については、光ファイバーの敷設はすでに十分以上に進んでいて、電話用にはその1/4しか利用されていないといわれる。市内網についても、大企業のほとんどのオフィスには、光ファイバー専用線がすでに引かれている。大都市のダウンタウンでは、MFSやテレポートなどの新興企業が、光ファイバー網の敷設競争を進める態勢を整え終わっている。しかも幹線上の情報伝送の高速化も、年と共に進んでいる。

その第二は、既存の電話、ケーブル、セルラー網が、主流としてのインターネット回線網への補助的な(しかしそれなりに高速化された)アクセス網としての新たな役割を、当分の間果たしていくための技術が、いよいよ実用の段階に入りはじめたという事実である。XDSLと総称される既存の電話線を高速化する技術とケーブル回線を利用した高速インターネット接続を実現するケーブルモデムが、97年からいっせいに実用化し始める。それよりは遅れるにしても、デジタル・セルラー電話の広帯域化の技術(CDMA)も、開発されつつある。

しかも同時に、企業でのインターネット(ないしイントラネット)とマルチメディアの本格的なビジネス利用のための技術の開発と利用も、急速に進んでいる。コンピューターと電話を統合して利用するためのCTI技術や、パソコン用ビデオ会議システム、ネットワーク上で利用できるロータス・ノーツのような各種のグループウエア、さらに三次元のグラフィックスやバーチャル・リアリティのビジネス利用のための技術などが、続々と利用可能になりつつある。

こうして、気がついてみるとアメリカでは、事前のビジョンはともかく事実として、新情報通信インフラの構築とそのビジネス利用が、「新ゴールドラッシュ」の狂奔のいわば背後で、いつのまにか着々と進んでいたのである。

確かに、昨年来のインターネット・ブームを中心とした第二次新ゴールドラッシュは、ほどなく終わりを告げるだろう。しかし、それはインターネットの崩壊やインターネットへの関心そのものの消滅を意味しない。むしろ、企業も政府も市民たちも含めた、インターネットの着実な業務利用の試みが、これから本格的に始まるといってよいだろう。

メトカーフの予言の外れは、「ネティズン」ともよばれるインターネットの現在の市民ユーザーたちの多くが、巷間言われるほどには一般の市民と異質な存在ではなかったことを意味しているようだ。バンダービルト大学のダナ・ホフマンらの調査によれば、アメリカのネティズンたちは、学歴、所得、政党支持などほとんどすべての面で、一般の市民と同じプロフィールの持ち主であり、唯一の違いは(若年層の比率の高さを別にすれば)どの年齢層でも投票率が優位に高い点にある。実際、オンライン雑誌の『ホットワイアード』の記事などを見ても、今日のネティズンたちは、政治的に無関心な「オタク」族であるどころか、かつての市民革命に匹敵する政治革命としての「ネティズン革命」の主導勢力となるポテンシャルをすでに備え始めているように見える。彼らはまた、企業との関係においても新しい役割を発揮しつつある。すなわち、かつての「大企業体制」の下での受動的な消費者としての役割に甘んじるのではなく、企業との積極的なコミュニケーションやコラボレーションを行うことで、「ユーザー・ドリブン」型の情報革命の展開の牽引力になりつつある。

そうだとすれば、第二次新ゴールドラッシュの鎮静と共に、今度こそ新しい情報通信インフラ(真のNII)自体の構築の試みと、その本格的な業務利用の試みが、97年から98年にかけて自覚的に進められていくことになるだろう。

四、終わりに

現在進行中の情報革命は、さまざまな面で人類が初めて経験する巨大な社会変化である。参考にすべき青写真など、どこにもない。その意味では、新しい可能性に最初に直面したアメリカが、随所で混乱し迷走してしまうのは不可避だろう。また、未知のものに対する恐怖や反発も、いたるところで見られるだろう。しかし、世界は、アメリカのこのような経験の中に、多くの教訓を見いだすに違いない。他方、アメリカもまた、一歩遅れてアメリカの後を追う、あるいは独自の進路を模索する他の地域の経験に、学ぶべきものを見いだすことができるはずである。現在のような突破局面では、先行しているとはいっても、その開きはそれほど大きなものではないだろう。あるいは、一見開きが大きく見えても、凄まじいまでの情報革命の進展速度からすれば、後発組が短期間で追いつき追い越す分野もないとはいえない。いずれにせよ、情報革命が生み出している強い正和ゲーム状況を前提すれば、自由な情報の交流と自発的な協働の促進こそが、すべての地域にとって最善の戦略だと思われる。