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「情報革命とNTT問題 」-情報通信はただになる-

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1996年12月02日

「情報革命とNTT問題 」-情報通信はただになる-

VOICE 平成9年 一月号

公文俊平

一、

現在急激に進行している情報革命は、多くの変化をわれわれの生活にもたらそうとしている。その中でもとりわけ重要なのは、誰でもどこでもいつでも、基本的な情報通信サービスなら事実上タダに近い価格で、ふんだんに利用できるようになるということだ。

このことをもっとも端的に指摘したのは、90年代の初めのジョージ・ギルダーの「砂とガラスと空気の技術革新」論だった。曰く、砂、つまりシリコン・チップの技術革新によって、来世紀の初頭には、価格が百ドルを切るチップ一個に、十億のトランジスターが集積されるようになる。つまり、今日のスーパーコンピューターの何台分もの機能が、この一個の安価なチップの上に凝縮される。これは、情報処理の費用が事実上タダになることに等しい。同様に、ガラス、つまり光ファイバーの技術革新によって、一本の光ファイバーでも、現在空で使われている周波数帯域の千倍にもあたる帯域が取れるようになる。他方、空気、つまり無線周波数帯域それ自体も、波長分割多重通信技術の革新によって、事実上無限に利用可能になる。これらは、通信の費用が事実上タダになることに等しい。

これまでのところ、コンピューターの世界では、費用の低下は価格の下落にほぼ直結していた。他方、通信の世界では、費用の低下は料金の下落をそれほどもたらさなかった。この違いは、前者が競争環境にあったのに対し、後者は規制環境の中におかれていたところにあるといってよいだろう。しかし、今後は通信の世界にも競争が導入されるにつれて、費用の低下がそのまま料金の低下に反映されるようになっていくだろう。

世界銀行のサイモン・フォージは、95年の初めに発表したレポートの中で、2005年までに電話料金は事実上無料 (現在の 5~1 % ) になると予測している。94年 9月現在、英米間の長距離電話の費用は一分10セント (ただし料金は60セント) にまで下がってきたが、2005年には、さらに一時間 3セントにまで下がるだろう。しかもその場合の費用とは、音声電話のではなくて、完全動画テレビ電話のそれになるだろう。その結果、グローバルな "テレ経済" が成立し、テレコムの利用は、最貧国にとっても基本的権利とみなされるようになるだろう。だから電話会社は、基本サービスからは料金は取れないと覚悟して、高度の付加価値サービスに転換するしかないのである。(1)

現在の電話の費用は、長距離網よりも市内加入者線とその交換機の費用が中心になってきている。ところが今後は、その部分の費用も、無線化でどんどん下がっていく。とはいえ、まだまだ端末の費用がかなりかさむが、しかし、そここそコンピューターの進歩と競争を通じて、費用も価格も年々着実に下がり続ける部分なのである。

そこでフォージは、こんな結論を引き出している。第一に、高価な広帯域通信システムを家庭やオフィスに慌てて入れさせようとすべきではない。その応用分野を娯楽中心にして、消費者に投資費用を負担させようとするのも誤った戦略である。先進国の場合でさえ、家庭にまで光ファイバーを入れる (FTTH) などは論外だ。あまりにも高価につきすぎるからである。第二に、グローバルに見れば、現在の電話のシステムを途上国に建設していくという戦略も誤っている。これまた高価につきすぎるからである。むしろ、今ある電話をもとにして、最小限のグローバルなテレコム装備を追加していくのが正解だろう。その場合、新市内網は無線とし、長距離は光ファイバーにするといい。用途としては娯楽などよりも、コミュニケーションそれ自体を考えるべきだ。その場合のネットワークの構造は、インテリジェンスのほとんどは端末に持たせた、安価で単純なものがいい...

二、

私もこのような見方は妥当だと思う。では、現在のわが国での情報通信論議、とりわけNTT の「経営形態」をめぐる論議に同じ見方を適用してみると、何が言えるだろうか。

第一に言えるのは、「電話」、それも過去のアナログ技術に基づく電話のあり方を基準にして、今後の情報通信のあり方を考えてはならないということである。

すでに現在でも、NTT の電話網はデジタル技術の導入によって、「市内」と「長距離」を区分することに技術的な意味はなくなったといってよい。距離による費用の違いも、事実上なくなっている。現に今の長距離電話には、「ダイナミック・ルーティング」がすでに適用されている。たとえば、浦和から横浜に電話する場合に、回線の混雑状況に応じて、交換機は、直結ルートだけでなく、名古屋経由や仙台経由ルートなどの中から、空いているルートを自動的に選択する。

長距離電話は、近年の技術革新によって費用が最も急速に低下したばかりか、さらに今後もいっそうの低下が見込まれる分野である。ということは、NTT から長距離電話だけを切り出して他の長距離電話会社と競争させた場合、料金の低下には歯止めがかからなくなる可能性が強いことを意味する。長距離電話の料金が、事実上ゼロに近いその限界費用にどんどん近づいていけば、総費用をカバーすることはできなくなってしまうだろう。さらに、公専公接続による長距離電話サービスや、インターネット電話、あるいはデジタル衛星電話との競争という条件が加われば、この傾向はいっそう加速される。長距離電話事業は、それだけでは存立しえなくなるに違いない。そうだとすれば、電話の仕組みも料金も、市内と長距離の区別のない、エンド・ツー・エンドの全国一律 (将来は世界一律) 制にするのが、最も合理的だろう。ただし、現在のような通話時に回線を排他的に専用する仕組みが残るかぎりは、定額制料金に移行するよりは度数制を維持する方がよいだろう。

それでは市内網自体についてはどうか。フォージも指摘しているように、交換機とそこに集中する有線加入者回線とからなる音声電話の市内網は、技術的にはすでに時代遅れになっている。銅線を光ファイバーに置き換えてみたところで、その状況に変わりはない。それは早晩光になるはずのものではなくて、早晩消滅すべきものなのである。そうだとすれば、いかにこの分野での規制を緩和してみたところで、このような状況の中に、在来型の市内電話の設備を新たに構築して参入してこようとする企業などあるはずがない。NTT をいくつかの地域会社に分割してみたところで、そんな競争は起こりそうもない。その意味では、市内網の「独占」状況は--有線部分のみについて見るかぎり--変化しようがないだろう。今後新規に敷設される可能性のある電話回線は、無線網くらいのものだろう。事実市内での競争は、有線と無線の間ではすでに熾烈になりつつある。その意味では市内網の「独占」状況は--電話というサービスについて見るかぎり--すでに崩れつつある。ここでも、今後の問題は、通信料金の高止まりというよりはむしろ、あまりにも急激な料金引き下げ競争による既存企業の経営破綻、あるいは既存企業と新規参入企業の共倒れの可能性の方にあるのではないだろうか。(2)

実際、フォージが予測しているような通信料金の大幅な低下 (十年以内に現在の 5~1 % へ) が、市内・長距離を併せた電話料金の分野で全面的に実現するならば、現在は 5兆円台にのぼっているNTT の電話料金収入は、有線電話の利用量自体は大して伸びないとすれば、年間2500~500 億にすぎなくなってしまうことになる。つまり、NTT は、電話会社としてとどまり続ける限り、現在のNCC よりも小規模な企業に、たちまちのうちに収縮してしまうことになる。これでは、NTT の分割論議も何もあったものではない。実際、NTT の「電話事業」それ自体をいくつかに分割することには、ほとんど何の意味もないのである。それどころか、市内電話部門を地域分割などした場合には、すでに米国の地域電話会社の間に見られるように、サービスのアンバンドル化やオープン化、あるいは相互接続条件の決定などをめぐって、独占的ないしは共謀的行動がかえって強まる恐れさえある。

三、

第二に言えるのは、現在の情報通信政策の中心には、高度情報通信サービスの提供、それもインターネットの普及ための環境整備を、据えるべきだということである。

インターネットとは、一言でいえば、コンピューターの「ネットワークのネットワーク」である。つまり、その基本単位は局地的なネットワーク(LAN, Local Area Network) である。多数のLAN を光ファイバー (もしくは無線) で互いに直接に (つまり電話局などは経由しないで) 、そして何重にも (いってみればマトリックス状に) つなぎあわせていったところにできあがるものが、インターネットに他ならない。その場合のLAN 相互間、あるいは地域的なネットワーク相互間の接続は、それらが自らをグローバルなインターネットの一環だとみなすかぎり、原則として無条件かつ対等になされてしかるべきである。

その意味では、インターネットには「長距離網」ないし「幹線網」なるものは、本来不必要だともいえる。実際、通信への需要の内容から考えても、未来の通信トラフィックの大半は身近な職場や地域コミュニティ内部の情報交換になるだろう。現在ですら、インターネットのトラフィックの八割は、ローカルなものだという指摘もある。海外から、あるいは中央からの情報の一方的送信が人々の情報生活の中に占めるウェートは、未来の情報社会ではどんどん小さくなっていくだろう。(3)

だがそうだとしても、「幹線」がいかなる意味でも不要になるとまではいえない。たとえば、日本のような島国のインターネットを海外のインターネットと接続しようとすれば、有線の場合であれば、比較的少数の「幹線」に集約する方が経済的だろう。また、インターネットの普及の初期にあって、個々のLAN が広い範囲の地域にまばらに散らばっているような場合には、当面は近隣の幾つかのLAN をまとめたもの同士を互いに「幹線」で接続する方が、やはり経済的だろう。さらに言えば、LAN から出発して近隣のLAN との相互接続網を拡大していくよりは、まず接続用回線網自体を、広域的にも地域的にも、先に別途構築しておいて、次々に生まれてくるLAN(や後述するCAN)をそれに接続していくというアプローチの方が、より手っとり早いだろう。しかし、いずれ全国いたるところに無数のLAN が構築され、それらが高速回線によって互いに何重にも接続されているようになれば、最初に作られた「回線網」、とりわけ広域的な幹線網は、その役目を終えるか、あるいは一種のバイパスとしての副次的な役割に後退していくことになるだろう。NTT が今年から提供し始めるOCN(オープン・コンピューター・ネットワーク) は、ここでの文脈でいえば、インターネットの普及の初期に必要となる広域的幹線網にあたるといえよう。

この意味でのOCN の構築が、それも複数の企業による競争的かつ補完的な構築が、日本の情報革命の推進にとって焦眉の急であることは論をまたない。しかしそれは、全国的幹線網に関するかぎり、現在すでに実現しつつあることであって、そこにとくに深刻な「ボトルネック」があるわけではない。

より重要な課題は、中央省庁や大企業だけでなく全国いたるところに、学校や病院、市役所や中小企業、商店街や団地に、LAN をなるべく速くそしてくまなく構築し、それらを相互に--恐らく主としては光ファイバーによって--接続していくことである。私は、市町村ないしはその一部をなすコミュニティを単位として構築された地域的なインターネットのことをCAN (Community Area Network)と呼ぶことを提案しているが、このCAN こそが、これまでの電話の市内網に代わる、インターネット時代の新しい市内網になるといっていいだろう。そのようなCAN は、少なくとも当面は、OCN に接続されることによって、全国的あるいはグローバルなインターネットの一環として機能することになるだろう。いいかえれば、OCN のような幹線網にとっての最大の顧客は、CAN になるだろう。

そのさいの問題は、CAN という市内網が誰かによって独占的ないし排他的に構築・運用されていることではない。問題は、それがまだどこにも存在しないところにある。では誰がそれを作るのか。道路などと同様に、自治体もしくは公団型の企業体に任せることも考えられる。電力・ガス等の公益事業や建設業、運輸業、農協や生協、その他ありとあらゆる業界の参入もありうる。商用でなくて自前の構築・運用をめざす組織が出現してもいい。もちろん、NTT の地方支社あるいはその他の情報通信企業自身が、それに乗り出していけない理由はない。ただ、NTT がそこで主要な役割を果たそうとすれば、それぞれの地域の事情に応じて柔軟で多様な対応ができるような、権限の分散が必要とされよう。

ところで、先に述べたように、CAN の場合にも、LAN 間の相互接続のための地域回線網のマトリックスを、LAN 自体の普及にさきがけて、いわば地方自治体や通信企業による先行投資としてまず構築しておき、それによってLAN の普及を促進するという戦略は、十分考えられる。狭義のCAN は、むしろそのような地域回線網を指すとさえいっていいかもしれない。(4)

いずれにせよ現実のCAN は、地域によってその様相を異にする多種多様な事業体や方式によって、構築・運用されることになるだろう。そして、それぞれの地域内での事業者やユーザー間の相互調整を行うための組織--たとえば「地域情報化委員会」とでも呼ぶべき組織--の制度化が必要とされることも考えられる。

四、

以上、インターネットの普及にとっては、新しいタイプの市内網や広域網の構築が不可欠であることを指摘した。とはいえ、既存の通信回線やサービスはインターネットにとってはいっさい無用だということにはならない。たとえば、ここでいうLAN やCAN の構築には、かなりの時間と費用を必要とするだろう。その前に、ともかく個人としてインターネットへのアクセスを果たしたいというニーズは当然ありうる。あるいは、自宅からもしくは移動中に会社のLAN やインターネットにアクセスしたいというニーズもあろう。

これまでのところ、そのようなニーズを主として満たしてきたのは、既存の電話 (固定電話もしくはセルラー電話) からの「ダイヤル・アップ」によるインターネット・アクセスであった。しかし、ダイヤル・アップによるアクセスには、速度の限界があった。通常の電話線だと14.4K から28.8K 、ISDNでもたかだか64K から128Kがせいぜいで、これでは文書やメールはともかく、大量の画像や音声の受信には時間がかかってかなわない。それに、多数の人々が同時に、しかも長時間にわたって電話でのアクセスを行えば、電話回線の混雑が生じてしまう。現在の電話は、そのような事態を想定して作られてはいないからである。現に、市内電話に定額料金制や回数料金制を採用しているアメリカでは、長時間インターネットにつなぎっぱなしのユーザーが増えたために、一般の電話通話に障害が生ずるという問題が、とくにカリフォルニア州で深刻化している。そこで、インターネットへの高速のアクセスを混雑なしに (電話交換機を経由することなしに) 実現することが、当面の課題となってきている。

アメリカの場合、従来のダイヤル・アップ・アクセス速度の百倍から千倍にあたる10メガから30メガの速度を実現する高速アクセス技術(5) として、

  1. 電話線を利用したXDSLと呼ばれる一連の技術、
  2. ケーブルテレビ用の同軸ケーブルとケーブルモデムを利用するもの、
  3. 「無線ケーブルテレビ」の技術をインターネット受信に利用するもの、

などがようやく実用化の域に達しようとしている。中でもXDSLは、

  1. 電話の加入者線の両端にそれ用の機器を追加するだけですむ、
  2. 交換機を通さない常時アクセスが可能になる、
  3. 双方向の高速通信が比較的容易にできる、

などの利点があるために、当面の本命とみなされている。『エコノミスト』誌によれば、現在の電話線は、電話のためにはその容量の0.5%しか利用されていないが、XDSLの技術は、残りの99.5% の部分を使って、インターネットへの高速双方向の常時アクセスを実現しようとするものだという。この技術が十分な信頼性と経済性をもって実用化されるならば、双方向性に劣るケーブルモデムや無線ケーブルは駆逐されてしまうかもしれない。

他方、XDSLの普及によって、銅線を光ファイバーに置き換えるFTTH (ファイバー・ツー・ザ・ホーム) への需要も、当面は遠のいてしまうだろう。かりに、FTTHの展開が必要とされる時期が来るとしても、それは一回線あたり数百メガから数ギガの容量を要する高精細動画像のオン・ディマンド高速電送サービスが現実化するような、かなり遠い将来の話になると思われる。

日本の場合、インターネットへの高速アクセスのための技術の展開の試みは遅れている。その中では、ケーブルモデムが比較的早く実用化されつつあるが、何分、ケーブル自体の普及が遅れているというハンディがある。また、NTT は今のところFTTHの実現に全力をあげており、XDSLへの関心はあまり強くないようにみえる。

そうだとすれば、当面 NTT以外の事業体にXDSLの展開を期待したいところだが、そのためには、加入者線のオープン化が絶対の必要条件になるだろう。なぜならばそのような事業者(恐らくインターネットの接続サービス提供業者)は、NTT から加入者線の線芯 (ドライペア) を借りてサービスする以外にないからである。(6) その意味では、NTT を、地域と長距離会社ではなしに、回線保有会社とそれ以外の会社に分けるという考え方には、一理があるといってよいだろう。

五、

以上で私の議論の本論はおしまいである。以下は、付記としてお読みいただきたい。

これから、低廉な料金でのインターネット・アクセスの高速化が真剣に試みられたとしても、それが広汎に実現するまでには、なおかなりの年月がかかるだろう。同じことは、インターネットを利用した動画像の放送、あるいは電子貨幣の利用その他の各種の「高度サービス」についても言えそうだ。一部で喧伝されてきた「通信と放送の融合」にしても、現在のテレビと電話の融合は無論のこと、インターネット上での双方向通信と放送の融合でさえ、それほど容易には起こりそうもない。まして、インターネットあるいはその後継システムが、一般市民が広く利用できる安価で安全な娯楽やショッピング/バンキングの手段となるのは、まだまだ何十年も先のことだろう。

つまり、今はまだ新しい財やサービスへの広汎な大衆的需要の盛り上がりなどを期待すべき時ではないのだ。インターネットにしても、まずは自分の身のまわりでのコミュニケーションや業務の効率化・高度化のための手段として活用することを考えるべきだろう。企業の場合でいえば、顧客やベンダーとの間の緊密な双方向のコミュニケーション・ツールとしての利用や、「イントラネット」としての社内業務用利用によるオフィスの生産性の徹底的な向上の努力こそが、インターネット利用の第一段階でなければならない。そのためにということなら、今はまだ非常に高価につく回線の高速化や高度のアプリケーションの導入は、必ずしも絶対の必要事ではない。むしろ企業としては、これまでの「生産系列」や「流通系列」の枠を一歩踏み出して、双方向のコミュニケーションの場としてのインターネットの特色を活用して、企業の内外にわたる、より柔軟でオープンな「信頼系列」作りを着実に進めていくことの方が、よっぽど有用だと思われる。

だがその一方で、インターネットの一年は、犬の一年 (ドッグ・イアー) と同様、通常の人間世界の七年にあたるともいわれるように、インターネット自体の急速な普及の中で、これまた極めて急速な技術革新や新しいアプリケーションの登場などが進んでいることにも、疑問の余地がない。ごく近い将来についてさえ、どのような新しい技術やアプリケーションが出現するのか、現在競合しているもののうち生き残って普及していくのはどれか、などを的確に予測することはほとんど不可能である。実際、過去数年のアメリカでの情報革命の軌跡を辿ってみるだけでも、「貪欲と恐怖」(アンドリュー・グローブ)に支配された企業が近視眼的に右往左往している姿が、はっきりと浮かび上がってくる。「双方向テレビ」や「ビデオ・オン・ディマンド」がマルチメディアの本命ともてはやされていたのは、ほんの二三年前のことでしかない。そして今はほとんどインターネット一色だが、すでにそのブームにはかげりが見える。なかなか思うように情報が流れてこない「ワールド・ワイド・ウェブ」ならぬ「ワールド・ワイド・ウェイト」や、いっこうに儲けには結びつきそうにない電子商取引(EC)への苛立ちと不満が嵩ずる一方で、ポルノや犯罪が横行するかに見えるインターネットへの規制論も高まっている。

しかし、どのみち長期的な見通しや計画はたてられそうもないとすれば、最善の対策はまさに近視眼的に行動することかもしれない。つまり、周囲の動向に絶えず目を配りながら、大勢から遅れないように努力し、あるやり方が失敗したと思えばただちに別の可能性に賭けるといった機敏な対応が必要なのではないか。あるいは、かりにあるやり方で望外の成功をおさめたとしても、それに安住することなく、すぐ次の有望な手を模索するといった身のこなしこそが、現在のようなパラダイム転換と未来への突破の試みがグローバルに行われている時代の、適切な生存戦略なのではないか。

              
  1. 96年の半ばに来日した米国のFCC のピーター・カウヒーは、英米間の長距離電話の費用は、すでに一分 5-6セントにまで下がったと述べていた。

  2. アメリカの場合、セルラー電話事業は、一営業地域内に二社しか許可されない複占制になっている。そのために、セルラー電話料金が高すぎるという批判や不満が強かった。1994年の時点で、一加入者あたりの平均使用料月額が80ドルなのに対し、事業者の費用は、資本コストまで加えても月20ドル程度にすぎないという指摘があった。にもかかわらず、競争原理を全面的に導入したという触れ込みで1996年に改正された電気通信法においても、この分野での複占には手がつけられていない。

  3. もちろん、職場やコミュニティの一部が物理的な距離とは無関係な「バーチャル」なものになる結果、遠距離通信へのニーズが増大することは間違いないだろう。しかし、比重という点からいえば、依然として物理的にも近い地域の中での通信の比重が圧倒的であり続けるのではないか。さまざまなモノ(自動販売機や駐車場スペースから、スーパーやコンビニに陳列されている商品にいたるまで)がインターネットのアドレスをもつようになり、モノとヒト、モノとモノとの間の通信が活発化するようになると、その傾向はさらに強くなりさえするかもしれない。

  4. ここでいう狭義のCAN にあたる市内網は、従来の市内電話網のような電話局を中心としたスター型ではなく、市内全域を被うマトリックス型の構造をもつものになるだろう。したがって、その総延長も、市内電話網とは比較にならないほど短くてすむ (おそらく百分の一かそれ以下) だろう。
    なお、CAN の構築を促進するためには、本文で指摘したようなNTT の保有するアクセス設備のオープン化や、NTT の地方支社への権限委譲に加えて、NTT 以外にも電力や下水道など各種のライトオブウェイを有する団体が保有するアクセス設備のオープン化政策や、各種の業法における公益事業特権や業務委託の弾力化のような、地方自治の拡大政策も採用されることが望ましい。

  5. 実際問題としては、動画像の大量送信にこだわらなければ、一ユーザーあたりの通信速度は、少なくともここ当分は、 500キロから1メガもあれば十分だろう。10メガとか30メガの速度を強調するのは、技術的可能性もさることながら、依然として数年前の「双方向テレビ」の夢が捨てきれないからではないだろうか。つまり、インターネットの場合も、市民 (とりわけネティズン) の間の双方向のコミュニケーションやビジネスのための利用よりは、一般大衆の娯楽のための利用へのニーズが大きいはずだという思い込みがあるからではないだろうか。

  6. 加入者線のオープン化は、XDSLのためと限らなくても、当面、より低速 (たとえば128K) でのインターネット接続用にも、強力な手段となりうる。たとえば、高速でのOCN サービスに加入したISP(インターネット・サービス・プロバイダー) が、個人のユーザーに128Kでのアクセス権を OCNプロパーよりも安い価格で再販するために、加入者線の線芯部分をNTT から借りるといった使い方が考えられる。