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「情報革命の推進に正面から取り組もう」

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1997年3月18日

「情報革命の推進に正面から取り組もう」

情報通信有識者会議提言

公文俊平

[以下は、三月四日の「有識者会議」の席上での発言をもとに文章化を試みたものです。ご受理いただければ幸いに存じます。なお、最初の三節は、経済審議会への提言としても提出してあります。]

一、競争から協働へ

本格的な競争体制の到来を告げたはずの米国の新電気通信法施行後一年、「重要なことや革命的なことは何一つ起きなかった」(ハントFCC 委員長)。競争のかわりに、地域電話会社やケーブル会社の間の「デタント」が起こってしまったという。米国の地域電話会社は長距離への進出や、いっそうの光ファイバー化への投資には極めて慎重になっている。ケーブル会社は電話サービスの提供も、データ伝送の双方向化もあきらめたようだ。当面は衛星放送との競争に対処すべく、圧縮技術の採用によるチャネル数の増加に関心を向けているが、中長期にはケーブル事業自体から撤退するかもしれないとさえいわれている。どうしてこういう結果になったのだろうか。明らかなことは、市場でのプレヤーの数を増やしたり、規制を緩和したりするだけでは、「競争」(米国の政府が期待したような競争)は必ずしも生じないということだ。ここでの「競争」は、むしろ他分野への進出よりも、既得の市場シェアを守ろうとする方向で生じているのである。企業間の「競争」の本質が、さまざまな手段による市場での独占的地位の入手と維持にあるとすれば、新電気通信法の帰結が上記のようなものとなったとしても、必ずしも驚くべきことではないだろう。他方、The Death of Competition の著者 James F. Moore は、今日の企業は既成の産業分野の中での同業者間の競争は、新たな技術革新の波の到来している今日、意味を失ったと主張している。たしかに、AT&Tの最大の競争相手が、銀行になったり、クレディットカード会社になったりする可能性は十分にある。だが、それよりもさらに重要なことは、これからの企業経営者は、すべからく明確な将来ビジョンを提示して、新たな「ビジネス生態系」構築運動の第一線に立ち、他の多くの企業や産業、市民団体、あるいは消費者をもその中にまきこんで行くべきだという著者の主張である。そこに創出される新しい経済発展(や社会発展)のフロンティアーを各参加者が協働して開拓していく中で、多種多様な新しい財やサービスが、また新しい職が生み出され、それと共に新たなライフスタイルも形成されていくのである。英国の『エコノミスト』誌が肯定的に取り上げている「テクノポリー」の役割も、同様な観点から理解することができるだろう。21世紀の産業社会では、「独占」や「競争」の意味について、また、それを前提として構築・運営さるべき産業秩序について、新しい理解とビジョンが求められているのではないか。

二、高度情報通信基盤の構築

21世紀の情報社会のための「高度情報通信基盤」とはインターネットに他ならないという認識は、この二年間でほぼ確立したといってよい。最近発表された米国政府の二つのレポート(「電子商取引のグローバルな枠組み」と「アクセス・アメリカ」)の中にも、その認識は明確に示されている。いま求められているのは、インターネットの中核部分のいっそうの高度化と、中核部分へのより高速なアクセス、およびインターネットの全国的・全世界的な普及である。そして、その利用目的は、なによりも日常の業務の生産性の向上にあることも、広く理解されるにいたった。そのためには、数年前の「ビデオ・オン・ディマンド」ブームのさいに想定されたような高速の伝送速度は必要ではない。ここ数年でいえば、数百キロbps から数メガといった「中速」が利用できれば十分だろう。

米国政府は、普及の第一段として、まずすべての学童を今世紀中にインターネットにアクセス可能にすることを目標にしている。日本の場合、もちろんそれも重要だが、むしろインターネットという在来の電話や放送とは質的に異なる21世紀のための情報通信基盤を、独自のアーキテクチャーによって構築するという、いわばインターネット構築の初心に立ち戻ることを考えて見てはどうだろうか。一言でいえば、インターネットはコンピューターのネットワーク(LAN)のネットワークである。だから、まず全国いたるところのオフィスや学校や店舗や家庭に、LAN を張り巡らせ、それらを(必ずしも電話局を経由しないで)互いに連結して一地域の全体をおおうネットワーク(CAN =community area network)を構築し、さらにそれらを広域的に、さらにはグローバルに連結していくのである。最近の技術進歩によって、既設の光ファイバーや同軸ケーブル、あるいは電話の加入者線を利用して、そのようなネットワークを比較的安価かつ急速に構築する可能性が開けつつあるので、その活用をはかってはどうか。

1997年の初頭、日本のインターネットの普及率は、絶対規模で世界第二位に、人口一人当りでみて、世界第一七位に達した。これは、1960年代末のGNP の世界ランキングと同じ水準である。当時、絶対水準での自由世界第二位という輝かしい地位の達成と、しかし一人当りで見ると依然として第一七位にとどまっていることの意味をどう理解するかという(ほとんど無意味な)論議がにぎやかに行われたことが思い出される。

三、サイバースペースのルール作りを

「電子商取引のグローバルな枠組み」において、米国政府は、GII をインターネットと事実上同一視し、これを地球規模でのビジネス活動の新展開のための基盤として利用する決意を表明している。今や、電子商取引(EC) とはインターネット・コマース(IC) のことだという認識が成立しつつある。そして、インターネット・コマースの行われる主要な場が、サイバースペースに他ならないと理解されている。

もちろん、かつての「新大陸」に匹敵する未開の沃野である、サイバースペースに商取引のための妥当な枠組み、ないしルールを導入しようとする米国政府の試みは、歓迎してしかるべきである。しかし、そのさい、われわれとしては、次の二点に注意を怠ってはならないだろう。

第一に、David Lytel も指摘している通り、サイバースペースは決して無人の空間ではない。そこにはすでに数千万にのぼる先住民(ネティズン=智民)が到来して活発に活動しているばかりか、その数は年々倍増する勢いで増加を続けている。今世紀中に二億を越すだろうという予測もある。いかなるルール作りの試みも、かれらの存在や活動(いわゆるNGO-NPO 的な活動)を無視してはならない。

第二に、サイバースペース(およびインターネット)は本来的には、商取引のための市場ではない。それは、何よりもまず情報や知識の普及・通有のための場、つまり智場、である。もちろん、智場は電子市場のための強力無比なプラットフォームとして機能しうるだろう。しかし、智場をプラットフォームとして営まれる商取引のあり方は、これまでの市場でのそれとはさまざまな点で異なっているに違いない。サイバースペースのルール(たとえば、NGO-NPO 法のような)は、第一義的には智場のルールとして構築さるべきであって、順序としてもそれを先にしてしかるべきだろう。電子市場のルールは、智場のルールを前提とし、それを十二分に尊重しつつ、相互に相乗効果が発揮されうる形で、構築されなければならない。

四、「推進の基本方針」自体の見直しを

「高度情報通信社会推進の基本方針」が発表されて、すでに二年の月日が経過した。この間、政府は五カ年計画に基づいて、霞ヶ関WAN の構築を始めとする行政情報化のための一連の措置や施策を逐次推進してきているし、民間でもイントラネット=イクストラネットの構築を中心とする本格的な情報化投資と、情報通信技術の業務利用への取り組みがようやく真剣に行われるようになってきた。

しかし、インターネットの時代は「ドッグ・イアー」とも呼ばれるように、その一年が通常の世界の七年にあたるといわれるほど変化が激しい。情報通信技術の面でも、この二年の間に、インターネットが新情報通信基盤の中核におかれるべきことが明確になってきたばかりでなく、インターネットへの高速アクセスの多種多様な技術がきびすを接して実用化の域に入ったり、新たに出現したりしつつある。米国では、インターネットの中核部分自体の高度化の試みも、民間の「インターネットII」コンソーシアムや政府の「次世代インターネットイニシアティブ」などの形で大々的に推進されようとしている。情報化政策の推進戦略についても、昨年来新たな見直しが行われてきたことは、すでに述べた通りである。

わが国としても、過去の基本方針の単なるフォローアップでよしとするのでなく、今こそ基本方針そのものに立ち返って、その見直しを--たとえば上に示したような観点から--あらためて進めていく必要があると考える。