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kumon_jyouhou_kakumei - May 1, 1997
第一章:情報化夜明け前
May 1, 1997 [ kumon_jyouhou_kakumei ]
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公文俊平
1.1 日本発の情報化論
1963年に発表されて注目を集めた梅棹忠夫の「情報産業論」を嚆矢として、「情報化」あるいは「情報社会」という言葉は、世界に先駆けて1960年代後半の日本でまず作られ、それから世界に普及していった。「情報化」にあたる外国語の単語としては、ロシヤ語のインフォルマチザーチヤ、フランス語のアンフォルマチザシォンがあるが、英語でそれにあたるインフォーマタイゼーションという言葉は、近年比較的多く使われ始めたとはいえ、まだ英語の単語としては定着していない。英語の場合は、ダニエル・ベル流の「脱産業化(post-industrialization)」という、いわば消極的な概念がまず作られ、普及した。 (それは、1990年代の日本で、主権国家や産業企業に続く社会的主体の新しい形として「情報智業」という積極的な概念構成の試みがいち早く行われたのに対し、英語では、「非政府組織(NGO)」あるいは「非営利組織(NPO)」といった消極的な概念構成が行われるにとどまっているのと、よく似ている。)ただし、「情報社会 (information society 」という言葉は、英語でも1980年代にはほぼ定着した。ただし、この言葉は英米よりもむしろヨーロッパ諸国で、より好んで用いられている。
1970年代には、学習研究社の編集者水谷千尋(当時教養図書出版室長)の肝入りで、当時の学界の総力をあげた『講座情報社会科学』(全18巻)が、次々と出版されていった。そして1983年からは第二次の情報化ブーム(ニューメディア・ブーム)の時代が来た。1970年代に二度の石油危機を経験した日本は、20世紀型の産業化へのキャッチアップに成功した余勢を駆って、世界にさきがけて大量の情報化投資を行い、省資源・エネルギー型の産業構造を導入・定着させようとしていたのである。20世紀の覇権国アメリカの凋落ぶりに比べて、一方で高品位テレビ(ハイビジョン)を世界に普及させ、他方では「第五世代コンピューター」の開発の先陣を切ろうと試みた新興経済大国日本の躍進ぶりと野心は、光輝と脅威に満ちていた。1985年の筑波科学技術博覧会は、そうした成果を日本が世界に誇示しようとした、一大ページェントであった。しかし結局のところ、そこでの情報化の実態はといえば、高価極まるメーンフレーム・コンピューターとディジタル交換機技術、そして産業用ロボットに依拠した、むしろ非効率的といわざるをえないものだった。コンピューターの導入は、生産性向上のためというよりは、経営者の威信のためだったのかもしれない。当時の電電公社や政府がこれぞニューメディアの代表として推進したビデオテックスのキャプテン方式は、その技術的精緻性にもかかわらずほとんど実用性をもたない、高価な玩具という他ないものだった。実際、情報処理や通信にかかわるオフィス業務のコスト高も、コンピューター導入のためといえば、それでまかり通る風潮が確かにあった。加えて、各企業は、コンピューター・ソフトウエアの提供をハードウエアのメーカーが、追加の「サービス」として、各企業の個別のニーズに応じてカスタマイズされた形で行ってくれることを期待した。そのため日本では、汎用型のソフトウエアがハードメーカーとは別の企業で開発されて、市場でパッケージとして販売されるというケースは、ごく例外的に見られたにとどまった。コンピューター通信のビジネス利用の面では、多数の中小企業をVANでつないで共同仕入れや決裁を電子的に行おうとするファルマの試みなどが、80年代の第二次情報化を代表するものだったが、いかんせん当時のネットワークの能力には限度がありすぎた。
(とはいえ、こうした表面上の華々しさの陰に、1984年にはUUCP接続によるJUNETが、さらに86年にはIP接続によるWIDEの実験が始まり、受け継がれていった。この流れが1990年代の日本でのインターネットの発展と普及の原動力となっていったことは、忘れてはならないだろう。)
こうして日本のニューメディア・ブームは、バブル経済の空騒ぎと同様に、さしたる成果を残さないままにほどなく終焉の時を迎えた。その苦い経験は後々にまで尾を引き、1990年代の(日本にとっては第三次の)インターネットを中心とする情報化の波の高まりにさいしては、羹に懲りて膾を吹き続けるような立ち遅れをもたらしてしまった。
1.2 フォレスター教授の講演概要
しかし、80年代のニューメディア・ブームとその挫折は、バブルの発生および崩壊と同様、決して日本だけの特産物ではなかった。時期や規模に多少の程度の差こそあれ、ほとんどすべての産業化の先進国が、同様な憂き目をみていたのである。その証拠として、1991年暮れにダボスの世界経済会議で行われた故トム・フォレスター教授の講演の概要を、いささか長くなるが、拙著『アメリカの情報革命』(1994年)からここに再録しておこう。オーストラリアのグリフィス大学の教授だったフォレスターは、情報社会のウォッチャーとして知られ、楽観的なトーンで書かれた『ハイテク社会--情報技術の革命の物語--』(1987)は広い読者を集めていた。(ちなみに、この本の最終章の目次は「結論:岐路に立つアメリカ--日本は次にどうするだろうか?--ヨーロッパは追い付けるだろうか」となっていた。)ところが、この同じフォレスターが1991年の秋に行った講演は、血を吐くような悲痛な反省の言葉にみちみちていたのである。
マイクロチップスの登場と共に始まった "マイクロエレクトロニクス革命" の帰趨をめぐって、1960年代から70年代にかけて、アルヴィン・トフラーを先頭にさまざまなバラ色の未来予測の花が咲いた。そこでは、未来の波を示す" 未来ショック" "第三の波" "メガトレンズ" "脱産業社会" "余暇社会" などのキーワードの周辺に、 "無人化工場" "ペーパーレス・オフィス" "キャッシュレス社会" "エレクトロニック・コテージ" "テレデモクラシー" "人工知能" などの新しいコンセプトが絢爛とちりばめられると共に、その手段となるはずの無数のホットな新製品やサービスが次から次へとめまぐるしく登場していた。
だが、それから二十数年の月日がたった今になってあらためて反省してみると、当時の有識者たちが意図し期待した情報革命の効果は、結局何ひとつ実現していないといわざるをえない。そればかりか、当時は意図も期待もされていなかった深刻な問題が、次から次へと生じてきた。ソフトウエアの信頼性の低さのために、さまざまな事故や障害がおこっている。各種のコンピューター犯罪や、ソフトウエアの違法なコピーがいたるところに見られる。電子的なデータ処理の安全をおびやかすさまざまな "ウィルス" が蔓延する一方、人々はコンピューターによって自分たちのプライバシーが侵害される危険に気づき始めている。そうかと思うと、コンピューターを利用した新しい情報処理・通信技術に、一種の中毒症状を呈する人も少なからず現れている。
このような期待と現実のみじめな乖離のありさまを、個々の分野についてもう少し詳しくみてみよう。まず、オフィスや工場では何がおこったのだろうか。
第一に、急速に到来するはずだった "余暇社会" はいっこうに到来しなかったし、危惧された大量失業もほとんど発生しなかった。コンピューターの導入も、予想されたほど急速でも円滑でもなかった。むしろ、資金、技術、経営上の問題のため、コンピューターの導入が逆に雇用の増大をもたらすケースさえあった。他方、米国の場合、職場での労働はむしろ強化された。米国市民の平均余暇時間は、1973年から89年までの間に37% 減少したし、労働時間は、通勤時間までふくめると、41時間から47時間に延びた。おまけに、副業や家庭での労働も増えた。
第二に工場の無人化も実現しなかった。米国のロボット設置台数は、予測では1990年には25万台になるはずだったのに、実際は3万7千台にとどまっている。それも、一線を退いたりスクラップ化されたものが多いという。世界のロボット販売高は1987年がピークだったが、その理由は、ロボットが人間よりも高くつきすぎたからだった。NC工作機械の普及も予想外に遅く、1988年の報告では11% にとどまっている。米国の工場の53% には、自動化機械は一台も入っていない。さらに、次代の生産システムだと喧伝されたFMSやCIMの進展も遅れている。前者はブースに展示されるところまではいったが、実用にはならない金食い虫だし、後者となると、せいぜい今後の進むべき方向、ないし望ましい夢の段階にとどまっている。つまり自動化の "島々" が互いに情報的に連結されるのは、まだまだ遠い先の話だ。そのためには経営上の専門知識をコード化して意思決定デバイスに入れ、それによって無欠陥機械を無人で制御しなければならないが、そんなことは当分不可能なことがわかってきた。結局1980年代の工場の全面自動化の夢は無残に破れ、むしろ着実な "改善" をめざす方向へと戦略転換がなされたのだ。
第三に、一番ひどい予測の失敗の例ともいうべきものが、オフィスのペーパーレス化だった。米国の現実では、過去30年に、実質GNPが2.8倍になる間に、紙の使用は3.2倍になった。その最大の理由は、FAXとコピー機械の普及にある。他方、電子メールや音声メールはそれほど伸びていないし、いわゆるオフィス自動化機械の市場も予想外に伸び悩んでいる。例外はレーザー・プリンターだが、これも紙食い虫以外の何物でもない。今後EDIでも本格的に普及すれば話は別だが、それはまだまだ大分先の話だと思われる。当面、ジャンク・メールやジャンク・ファックスは増加の一途をたどっている。企業が扱う情報の95% は紙だというIBMの推計(1988年)もある。銀行も、EFT(電子的資金移転)やカードでの取引も可能にはなったとはいえ、依然として紙に頼っている。
第四に、近年の情報化のもっとも深刻な帰結というべきものは、情報技術の生産性向上効果が、大してないどころか、ほとんどないという事実である。これは、製造業を対象とする多数の実証研究の一致した結論だが、非製造業、すなわち、銀行、商業、教育、保健などの分野では、概していえば生産性はむしろ低下したと考えられている。その理由としてあげられているのは、
などである。
では、家庭の変化はどうだったか。何よりもまず、 "第三の波" が、人々を職場から、今や "エレクトロニック・コテジ" となった家庭にかえす、というアルビン・トフラーの有名な予測は、完全にはずれたという他ない。現在のところ、フルタイムの在宅勤務者は、米国の労働力のせいぜい10% にとどまっている。電子ブリーフケースなどを使った在宅勤務の実験は、ほとんど失敗し中止された。その理由としては、家庭での空間的制約や家庭でやれる仕事の種類の少なさ、あるいは在宅勤務者の管理をどうするかといった問題があげられている。しかし、より深刻なのは、人間関係や個人の心理的な問題、つまり、家庭内での摩擦や近所の騒音のわずらわしさ、孤独の淋しさ、仕事と余暇の区分ができないことからおこる仕事中毒、ストレスと燃え尽き、といった問題群だろう。結局、在宅勤務は鳴物入りで実験が始まったにもかかわらず、長続きしなかった。在宅勤務が増えれば交通難が解消されるとか大気汚染が緩和されるといった効果は、せいぜい副次的な効果か希望的観測にすぎない。考えてみればあたりまえのことだが、人は、そのような副次的効果があるからといって動くものではないのだ。
人々の家庭での生活自体も、結局のところ大して変わらなかった。いわゆるホーム・オートメーション、つまり、家事ロボットや壁掛けテレビ、家庭内端末、自動点灯システム等々には、消費者は燃えなかった。なるほど、1970年代から80年代を通じて、いくつかの新しい種類の家電製品や情報機器が家庭にも普及していったことは確かだが--電子レンジ、ビデオ、大型テレビ、CD、留守番電話、FAX、ワープロ、携帯電話等--その結果人々のライフスタイルが一変したというまでにはいたらなかったのである。
また、情報化の進展によって、人々は、家庭の中にいながらにしてショッピングやバンキング、あるいは各種の情報サービスの利用などが可能になるという期待ももたれたが、これらも大して普及していない。ホーム情報サービスでいえば、アメリカのビデオテックス・サービスの普及率は、1985年には5% に達すると予測されていたのに、実際には1% 以下にとどまった。なにしろ、後から考えてみると、ビデオテックスは使いにくいし、遅いし、融通がきかない上に、何より高価だった。ニュース、天気予報、株価、飛行機の出発時間などといったたぐいの情報の魅力は、大したものではない。この種の情報サービスに金を払う気のある消費者は、そう多くはない。ホーム・バンキングは、アメリカだけでなく、ヨーロッパや日本でも試みられたが、いずれも実験の段階を越えられなかった。要するに、利用者としては、大して有用性が見出せなかったのである。何よりも現金の出し入れができないのが決定的に不便だった。そのため、銀行にしてみれば、せっかくホーム・バンキングのための資本投下をおこなっても、それに見合うだけの利用がない結果に終わってしまった。ホーム・ショッピングもみじめな失敗に終わった。フロリダでナイトリッダー社がおこなったビュートロンの実験は、一種の総合型サービスの試みだったが、5千人しか客がつかず、5千万ドルの損失を出して中止の憂き目をみた。その他、カリフォルニアでのタイムズ・ミラー社のゲートウェー・サービスや、シカゴでのセンテル社のキーファックス・サービスなどの試みも、やはり失敗に終わっている。その技術的な理由としては、スクリーン操作が難しすぎるとか、商品の選択範囲が狭い、支払いの仕方や購入した商品の配達のタイミングなどに問題が残った、などの点があげられているが、より深刻な問題として、ショッピングの心理的・社会的満足がえられないこと、つまり、ホーム・ショッピングだと、家を出て、友人に会い、コミュニティと交わる楽しみがないことを、あらためて反省せざるをえないように思われる。
それでは、より広い社会的な領域で期待された変化は、どうなったのだろうか。ここでも変化は遅々としている。学校にやってくるといわれた "教室革命" は、どこにもきていない。アメリカの学校にコンピューターが普及したとはいえ、たかだか30人に一台程度にとどまっており、それすら見なおせという声があがっている。むしろ図書費や教師の人件費にふりかえるべきだというのだ。なにしろ、コンピューター用の教育ソフトにはろくなものがなく、 "コンピューター・リテラシー" などといってみても、言葉だけで内容がないことが分かってきたのである。
パソコン通信のようなシステムが普及すれば、ボタン投票や電子町民大会などが可能になり、 "電子民主主義" の時代が到来するという予測もあった。事実、そのような運動を率先して展開した人々や、そうした方向をめざして市民の啓蒙活動をおこなう試みもなくはなかった。しかし、そうした試みも、全体としての人々の政治参加意欲の減退傾向を逆転させるものにはなりえなかった。人々は今日、メディアからの情報が多すぎて、かえって政治に無関心になっているのだ。それを如実に示しているのが、選挙での投票率の趨勢的低下である。
次に、情報革命がもたらした一連のまったく予想外の新しい社会問題について考えてみよう。それは、新たな社会的脆弱性とでもいうべき問題であって、次のようないくつかの事情に由来していると考えられる。
その第一は、コンピューターの誤動作傾向に由来するものだ。コンピューターは、在来の電気、テレビ、自動車などの技術とは違って、しばしば、信頼性や安全性や予測可能性に欠け、その管理はほとんど不能である。アナログ装置や機械的装置の場合は、部分的故障が多く、すべてがダウンしてしまうことは少ない。ところが、ディジタル電子装置であるコンピューター・システムは、全面的で破局的な事故をおこしがちだ。つまり、ダウンするとなれば完全にダウンしてしまうのだ。そのようなケースは、電話の料金計算や交換ソフト、銀行通帳、現金出納機、電子的資金移転システム、自動車免許データベース、等ですでに経験されている。また、工業用ロボットは時に暴走することも知られている。心臓のペースメーカーやガレージの自動ドア開閉装置は、POS機械やパソコンあるいはビデオ・ゲーム機などからでる電磁波や "電子スモッグ" のために使えなくなることがある。というわけで、コンピューターのハードやソフトの誤動作は、この産業の専門家がいうよりはずっと頻繁におこるのだから、過信は禁物だ。
その第二は、人間の誤用に由来するものだ。世間でコンピューターに帰せられている誤動作の多くは、実は、機械ではなくて人間の間違いによる。さらに、単純な誤用というよりは、意図的な悪用、乱用、破壊行為も少なくない。ソフトの違法コピー、ハッキング、ビールスの散布、コンピューターを利用した詐欺、プライバシー侵害等、その例は枚挙にいとまがない。今日のハッカーやデータ泥棒は、もっとも進んだ金融や軍事システムにも侵入できる。コンピューター・ウィルスの作成者が大学や政府の通信ネットワークを台無しにしたこともある。搭乗券予約のごまかしや携帯電話のチップの再プログラミングのような犯罪例もあれば、秘密にされているはずの医療、金融、犯罪記録などがいつのまにか第三者に入手されていたといったケースもある。
その第三は、コンピューター・システムが複雑になりすぎた結果として生じているシステムの管理不能性だ。これは、そのシステムを作った人にさえ、どうにもならない場合が多い。そもそもシステムの導入の過程で、当初の予算計画に大幅な狂いが発生することがしばしばある。2千万ドルのシステムのつもりが、6千万ドルの追加支出でもまだ動かず、ついに放棄を余儀なくされたバンク・オブ・アメリカの例もあれば、8百万ドルのつもりが1億ドルになり、完成までの期間も6年も遅れたオールステート保険会社の例もある。しかもその規模は近年さらに増大傾向にある。また、ようやくシステムが完成したところで、ありうべき事故のすべてを事前に予想することはそもそも不可能だ。それなのに、今日では、コンピューター・システムは、航空管制から救命システム、原発運営から巨額の資金移動やミサイル制御等、ありとあらゆる重大な用途に用いられている。これらのシステムは、火事、洪水、地震、停電等にも弱いばかりか、ハッカーの侵入や内部のサボタージュといった人的な攻撃にも弱い。処遇に不満をもっていた従業員が、ブリタニカ百科事典の新版の内容を書き換えたという事件もあった。そうかと思うと、狐や鮫が光ファイバーケーブルの被覆をたべてしまったこともある、等々。
その第四は、コンピューターを利用した情報処理・通信システムの利用が引きおこした新しい心理的な病弊だ。それらは、組織の生産性や健全な人間関係の展開にとっての妨げとなる危険がある。たとえば、有用な情報とそうでない情報との区別がつかなくなる "情報過多" 現象はその一つだ。今日、米国だけで、1万4千の出版社が年5万点の新刊書を出している。科学雑誌の種類は4万で、年間百万点の論文を出版しているが、それらの数は年々さらに増える一方だ。ところが、現在の情報技術は、大量の情報の収集、貯蔵、移動は可能にするものの、その解釈はいっこうにしてくれない。今日必要なのは、それらを知的に処理する技術、つまり、 "インフォメーション技術" ではなくて "インテリジェンス技術" なのだ。だが、情報解釈の技術の立ち遅れのために、組織でも、入ってくる情報が多すぎて分析や決定ができないという状態がおこっている。個人の場合でも、米国人のテレビ視聴時間は一日に7時間と7分、ビデオ視聴時間は週に5時間と8分にのぼっている(1987年の統計) 。ラジオの平均保有数は一家あたり5.3台である。これらから、毎日1600の広告が入ってくる。このように一方的に流れ込んでくる大量の情報があるために、30歳以下の世代には知識と関心の低下が顕著に見られるようになっている。つまり、読書のような積極的な情報入手努力が放棄されつつあるわけだ。
いま一つの深刻な問題は、 "ハイパーコネクテッドネス (超接続) の病理" とでもよぶべき人間関係の歪みだ。たとえば、携帯電話やFAXを手離せなくなったコミュニカホリック (通信中毒) の管理者が出現しているし、コンピューター上でシミュレーションばかりやっているるスプレッドシート・ジャンキーもいる。そうかと思うと、大した用もないのに大量の電子メールのやりとりをする電子メール中毒もでてきている。しかし、それで仕事がより良くでき、より賢明な決定ができているかは、疑問という他ない。実際、他人との接触がふえすぎると、仕事の上の関係はかえって壊れてしまいかねない。部下は、むしろ上司にほっておかれたいものなのだ。
結局、1970年代から80年代にかけての情報化の問題点は、こう要約できる。すなわち、人間の必要や能力を軽視しすぎたのが、最大の問題だった。それが一方で予測の失敗をもたらすと同時に、他方で、人間的要因にかかわる予想外の問題の頻発を招いたのだ。そうだとすれば、今必要なことは、 "われわれの視界に人間を取り戻す" ことでなければならない。いいかえれば、技術 (とりわけ情報通信技術) と人間の関わりの見直しが必要なのだ。
生産の現場でさえ、ロボット化は真の解決ではなかった。ロボットは人間以上の問題児だったのだ。実は、一番フレキシブルな製造システムとは、人間自身ではなかったのか。アクセスに値する唯一のデータベースは、生き字引きのような長期勤続従業員の頭の中にあるそれではないのか。もっとも高度なコミュニケーション技法とは、膝突き合わせた話し合いではないのか。どうやら、近年のコンピューター技術の進歩は、それを利用する人間の能力を追い越して進んでしまっていたのではないか。商取引から看護にいたる広汎な社会的活動のすべてにコンピューターをやみくもに導入しようと焦った結果、それらの社会活動の非人間化を--キーをポンと叩いて金を盗むという意味では、犯罪さえもの非人間化を--もたらしてしまったのではなかろうか。コンピューター科学者やその他の熱心なコンピューター利用者に見られる "ナード (おたく) 症候群" とは、ゆっくり反省し考える時間を人間から奪ったコンピューターが引きおこした、 "テクノストレス" の発現に他ならなかったのではないか。そうだとすれば、今なすべきことは、人生の目的の再反省であって、われわれは、自分が何がしたいか、何がほしいかをあらためて熟慮した上で、それに役立つ方向へ技術を向けていかなければならないだろう。
フォレスターのこの反省は、1980年代の日本の情報化の問題点を痛烈にえぐり出しているが、彼自身はとくに日本だけを念頭に置いていたわけではない。また、その中には、今でも依然として通用するもの、同じことが繰り返し叫ばれ続けているもの(たとえば、クリフ・ストールの近著『インターネットはからっぽの洞窟』を見よ)も多い。しかし同時に、今から見るとほとんど隔世の感がするといいたくなるような事態の指摘もまた少なくない。少なくとも、1990年代のアメリカは、いち早くこの種の挫折からは立ち直って、情報化の意義をあらためて見直すと共に、急速な前進を再開したのである。そのような見直しの先頭に立ったのが、ジョージ・ギルダーだった。
1.3 ギルダーの新情報化論
ギルダーは、1989年に出版された『マイクロコズム』(邦訳表題は『未来の覇者』)のなかで、量子科学における物質観の根本的変化がきっかけとなって、エレクトロニクスとその製品--半導体、マイクロチップス、集積回路、マイクロコンピューター--が生まれたことに注目した。マイクロコズムでは、燃料や材料の費用は比べものにならないほど少なくてすむ。物に対して支払っていた金は、頭脳に対して支払われるようになる。ちょうど、量子科学が宇宙を説明する上でニュートン的物体の考えかたを放棄したと同じように、量子経済学は、新しい富の生産を、ニュートン的な物体偏重の考え方から脱却させるだろう。1970年代以来の情報革命の端緒をひらいたのは、まさにこの意味でのマイクロコズムの技術革新だった。それ以前の「マクロコズム」の法則は、「それにふくまれる要素の数がふえると、システムの複雑性が指数的に増加する」というものだったが、「マイクロコズム」では、「要素の数がふえると、システムの効率性はその二乗に比例して増加し、その結果、システムは、より安く、より早く、より信頼性が高くなる」のだ。その場合、個々の素子は、計算速度が遅くても電力消費が小さい方がよい。なぜなら、それらを大量に集積し、並列させれば、必要な計算速度は容易にえられるからである。つまり、マイクロコズムの技術革新の秘密は、「低電力の低速スイッチを非常に小さく作って高密度で並べる」ところにある。また、マイクロコズムでの企業の勝利のための戦略は、市場の大小に関係なく、最大のシェアを実現して、学習曲線の示す費用の逓減効果をフルに生かすことによって、最大の長期的利益をあげるところにある。日本がそれを行っているからといって、批判するいわれはない。むしろ、アメリカもまた、同じ戦略をより積極的に採用すべきである。第二次大戦以降、米国と日本は、量子経済の発展に適した場所としてずっとここまでやって来た。米国が日本にその座を譲るようになったのは、それまで世界の中心に陣取っていた米国企業が、初めて脱落した七〇年代後半のことだった。他方、七〇年代後半から八〇年代前半にかけて、日本はCMOS技術の応用に成功し、それを一般消費者向け製品に利用することによって米国に先行したのだ。
しかし八〇年代も後半になると、米国はようやくCMOS技術での差を縮めた。七〇年代後半以来の米国の産業政策は、八〇年代後半にいたってその花を開いたのだ。米国は世界のコンピューター市場において七〇% のシェアを占め、ますますコンピューター技術分野でのリードを拡げている。技術革新の進展に伴い、産業における付加価値は、急速にハードウエアを使うためのソフトウエアにシフトしてきているが、七五年から八五年の一〇年間に、新しいソフトウエア会社は米国全土で一万四〇〇〇社も設立され、ソフトウエア市場に占めるシェアは三分の二以下から四分の三に上がった。こうして八五年以来、米国のソフトウエアの生産の伸びは、日本のそれを上回るようになった。コンピューター産業に占めるソフトウエア収益の比率は、米国が日本より四倍高く、市販ソフトウエアの生産量も米国が四倍以上を誇っている。しかも、コンピューター産業の成長はさらに続く可能性をもっている。コンピューターの発展のペースは、急激に加速されつつある。
したがって、今日の米国は、もっとも重要なコンピューターおよび電気通信技術の多くの分野で支配力を振るうことによって、未来のビジネスにおいて支配的な役割を果たすすべての可能性をもっている。米国はコンピューター分野において、日本勢より何年も先に進んだのだ。
日本のハイビジョン技術は、もともと大したものではなかった。もし明日の画像技術が、テレビの誕生以来用いられているのと同じ空中波での放送技術の単なる改良版にすぎないとすれば、日本人は家電の分野を支配し続けるだろう。日本人は、過去二十年間より進んだテレビ技術の開発に力を集中し続け、今ではその市場のほとんどを制覇してしまった。ハイビジョンでは、日本はアメリカに少なくとも十年先行している。しかし、過去三〇年の間に、マイクロコズムの力のおかげで、コンピューター技術は、テレビ技術の何千倍、いや、何万倍も早く進んだ。今やテレビの時代自体が終わろうとしている。次にくるのは「テレピューター」の時代なのだ。そこでは、アメリカの優位は決定的なものとなりうる。
以上が、1990年当時のギルダーのビジョンである。その後1990年代に入ると、彼の視野は、「マイクロコズム」を超えて、「テレコズム」と彼が呼ぶ世界と、そこに妥当すると彼が信ずる新しい法則にまで拡がっていった。すなわち、彼の新しい予想では、未来の情報通信の世界は、
相互補完する形で構築されていくことになるのである。
テレコズムの出現を視野に入れて見直してみると、コンピューターの本来の能力は、ネットワークにつながることによって、つまりコンピューターをテレコズムの中に置くことによって、初めて十分に発揮されるようになることに、あらためて気づかされる。かつて多くの人が期待したにもかかわらず一向に実現できなかった情報技術による生産性の革命的向上も、コンピューターをネットワークに連結することによって、初めてオフィ スや工場に具現させることが可能になるだろう。
このテレコズムでは、二つの法則が妥当する。すなわち、
第一の法則は、先にみたマイクロコズムの法則が、光ファイバーによって連結されたコンピューターそのものを要素とするマクロ的な世界に、拡大適用されたものだといえよう。つまり、コンピューターの内部だけでなく、コンピューター同士のネットワークに対しても、マイクロコズムの法則と同様な法則が妥当し始めたというわけである。かつて1980年代に、マイクロコズムの法則を具現したダウンサイジングとオープン・アーキテクチャー化の波に乗り遅れて苦難の道を歩むことを余儀なくされたのは、大型汎用機にこだわり続けたIBMに代表されるコンピューターのメーカーだった。時がうつって1990年代にはいった今、テレコズムの法則を具現した通信回線の "ダーク・ファイバー" 化と全光通信化の波に乗り遅れて苦難の道を歩む運命にあるのは誰だろうか。それは恐らく、集中交換型の通信システムにこだわって、ネットワークに対してインテリジェンスと付加価値をつけようと腐心し続ける電話会社ではないだろうか。
第二の法則は、マイクロコズムにおいては「 (スペースが) 小さいものほど良い」という法則が妥当していたように、テレコズムにおいては、「 (送信路が)短いものほど良い」という法則が妥当する、といいなおすこともできる。マイクロコズムの法則がその後の集積回路の発達の方向をさし示していたとすれば、この第二の法則は、無線通信の今後の発達の方向をさし示しているといえよう。
ギルダーは、『マイクロコズム』に続く著書『テレコズム』の原稿を、一章ずつ書き上げるごとにまず雑誌に発表し、次にインターネットの彼のホームページに掲載している。急速な技術の進歩と転換が続く現在、各章の内容がどれだけの期間にわたって妥当性を持ち続けることができるかどうか、いささか疑問なふしもある。 (たとえば、今の時点でいえば、ギルダーのいう「光通信」は、さしあたり「コネクションレス通信」とでも読み替えておきたい気がする。) そうだとすると、『テレコズム』が一冊の単行本として出版される日は、ついに来ないのかもしれない。だがそれにしても、情報社会の未来を指し示す彼の炯眼には、並々ならぬものがある。
そこで、次の第二章では、フォレスターの反省やギルダーの未来展望を念頭におきながら、一九九〇年代に入ってからあとの「情報革命」の進展の模様を、アメリカと日本について手短にふりかえってみよう。