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kumon - July 1, 1997

「頑張れ山田村」

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1997年7月14日

「頑張れ山田村」

日本電子計算機 掲載

公文俊平

富山県の山田村で、パソコンのネットワークを起爆剤として地域の活性化をはかる実験というか運動の先端に立っている倉田勇雄さん (倉田機械設計事務所代表) が、今度『山田村の行進曲はインターネット』 (くまざき社) という題の、とても面白い本を出した。

私は、今年の二月に大分で開かれたハイパーフォーラム (ハイパーネットワーク社会研究所主催) で、倉田さんと岩杉陽一さん (山田村役場総務課) に初めてお目にかかる機会を得た。そして、倉田さんの型破りの発言に度肝を抜かれると同時に、非常に頼もしく思ったことだった。何しろ、倉田さんの発表は、第一声が「お金下さい」で始まったのである。そして、その次の総務庁の方の行政情報化の現状についての発表に対しては、「そんなのんびりしたことでいいのか」と、猛然と噛みついたのである。山田村の地域情報化の試みが、企画として始まってからでもわずか一年半、パソコンの第一陣が村に搬入されてからまだほんの七カ月、それでもうここまで自信に満ちた発言ができるとは。これこそまさに、「進んだ中央対後れた地方」という図式がもはや成立しなくなっていることの証明のような出来事だな、と私は感嘆した。また地方相互間でも、モデルになるところと、それに学びながら追いかけようとするところとの関係は、それこそめまぐるしく変わりうるなと思わされた。インターネットの一年は、人間の通常の世界の七年に匹敵する「ドッグイアー」 (犬の世界の一年) にあたるというのも、さもありなんである。

というわけで、この本が出版されたことを知って、すぐに購入して読んでみたのだが、いたるところに刺激的な発想や、身につまされるような経験談がちりばめられていて、実に参考になった。村内の広帯域LANを赤外線で構築することを試みたり、他の地域と接続するための光ファイバーの敷設には、高圧線の鉄塔を利用してはどうかと発想してみたり、まさしく私どものいう全員参加型の「CAN」 (コミュニティ・エリア・ネットワーク) の一つの典型がここに生まれようとしている。

テレビ受信には衛星を使えばいい。そして受信した電波は赤外線で各戸に配信すれば、ケーブルテレビ用の同軸ケーブルの敷設は不必要だという見通しもその通りだろう。NTT の電話が無用になるとは言わないが、「村内間での日常通信は赤外線を使い、天候が悪く通信が不安定になったり、市外に電話をかける時はNTTを使うのです」と割り切っているところも面白い。もっとも、そのうちに市外電話もインターネット電話ですませることになれば、電話会社の出番はほとんどなくなってしまいそうだ--電話会社自身が山田村で試みられているような地域の情報通信システム(つまりCAN)の構築に全面的にコミットする方向にその営業姿勢を転換していかない限り。

とくに強い共感をもって読んだのは、「情報の管理・運営は自分たちの手で」という理念の述べられている一節である。山田村では、昨年の秋口に起きたポルノ画像の規制問題に直面した時に村としてとったスタンスは「インターネットの規制は基本的に各家族の判断に任せよう」というものだった。その上で、倉田さんによれば、

行政が根元から規制をかけるのではなく、必要であれば端末でアクセス制限をするソフトを紹介するので、それを各自で購入してください、ということだったのです。それでも問題解決にならず事態が悪化するようであれば、村民からの要望に基づいて、情報センターで規制を検討しましょう、という話だったのです。

私も、この考え方、行き方には全面的に賛成である。暗号化技術の利用のような情報の秘匿や他人へのなりすましの問題への対処ならともかく、ポルノや政治的・宗教的発信のような情報の表現にかかわる問題への対処は、まず各人のレベルで行い、それが難しい場合は家族で、それでもだめなら地域のコミュニティで、さらに県で、あるいは国や国際機関での規制を考えるという順序で進んでいくのが当然だろう。ところが、山田村の場合、その一つのステップとしての「行政が規制をかける」というところだけが大きくクローズアップされて全国に報道され、その結果、

マスコミは「山田村は情報通信の自由を侵害しようとしている」と猛烈な批判記事を展開しました。ある地元大学の教授は「検閲にあたる」と、自らのホームページで抗議を展開するなど、一時はちょっとした騒ぎになりました。この問題については、小西助役や岩杉さんら村役場の方々、そして私も、正直なところ頭を抱え込んでしまいました

という状態になってしまった。本当に災難でしたねと申し上げる他ない。これはほんの一例だが、その他にも、山田村の実験が世の注目を集めるにつれて、真剣に学びたい、議論したい、参加・協力したいと思う訪問者たちだけでなく、野次馬気分で見に来る人、一知半解の疑問や批判をなげつける人、最初から悪意があるとしか思えないような仕方でアラ探しに熱中する人、さまざまな人たちが山田村を取り囲むことだろう。

今日の情報革命が、かつてのニューメディア・ブームのような一過性のものでなく、今後十年、二十年にわたって持続することはまず間違いがない以上、山田村が先駆的な実験を試み続ける限り、山田村への関心が消え去ることはないだろう。その関心が、一日も早くより真剣なものになっていき、他の地域の人々との間の実のある交流や協働が広くまた深く展開されていくことを期待しよう。