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公文レター No.31

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1998年07月10日

「NTT第二法人営業本部のワークスタイル革命」

公文レター No.31

公文 俊平

 梅雨もそろそろ明けて、暑い夏がはじまるころになりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 先日、改組直前のNTT関東支社法人営業本部を訪問して、同社のイントラネットを見学してきました。そして、ほとんどカルチャーショックといいたいほどの強い印象と感銘を受けました。「日本でも本当にこんなことができるんだ」と驚かされました。それは、単なるイントラネットの導入の試みという以上のものでした。むしろ、既成のワークスタイルそのものを革命的に変えて新しいオフィスワークの形を創造しようとする、はなはだ興味深い試みでした。そこで今月は、このNTT関東支社(現第二法人営業本部)の試みについてご報告し、私なりの感想を述べてみたいと思います。

新オフィス環境

約束の時間に関東法人営業本部の受け付けを訪れました。人影はありません。カウンターの上には、モニターが一つおかれていました。何気なくそのモニターを眺めると、今日の訪問予定者として、「国際大学グローコム」という名前が大きく出ています。さらに、インターネット上の私のホームページまでそこに出ているではありませんか。これにまず驚いてしまいました。しかも、案内されたオフィスの中には、大きなモニターが何箇所かにおかれていて、同じ画像がそこにも映し出されています。つまり、オフィスの全員に報せたいと思うカレントな情報が、これらのモニターに適時映し出される仕組みになっているわけです。

 法人営業本部の一番新しいオフィスは、三つのスペースに分かれていました。

 第一のスペースは、各人のいわば普段の仕事場です。そこにはいくつもの大机と、個人用の脇机が散らばっています。一人一人の決まった座席というものはありません。出勤してきた社員は、好きなところに脇机を引っ張っていって腰をおろしていいのです。脇机の中には、自分用のパソコンや若干の資料類が入っています。しかし大抵のオフィスを埋め尽くしている大量の紙は、どこにも見あたりません。ずいぶん風通しがよくなっているなというのが、私の第一印象でした。

第二のスペースは、打ち合わせ用のスペースですが、環境のよい窓側にあり、プランターのパーテーションで囲まれた空間で、プランターを適当に並べ替えて仕切りを作り直すと、そこがたちまち臨時会議室に早変わりです。(もちろん、会議室自体は別にあります。)その広さは、打ち合わせに参加する人数に応じて、好きなように変えられます。

 第三のスペースは、少し離れたところにある集中作業のための空間です。そこには仕切りのついた机が並んでいて、それぞれの机の上にはデスクトップコンピュータが置かれています。報告書の作成など根を詰めた仕事をしたい人は、ここに閉じこもることになります。数時間でも1日でもよければ、1週間、10日にわたってでも、ある特定の机とコンピュータを占有していてもいいのです。

 個人の座席をあらかじめ決めてしまわないことのメリットは、いくつもあります。在宅勤務や外勤の人も少なくない職場では、全体のオフィススペースが節約できます。その代わりに、椅子に十分お金をかけて、快適に座れるようにしているのだそうです。進行中のプロジェクトのどれに参加しているかによって、チームごとにいっしょに座っていることもできます。その日の気分で、場所を変えることもできます。また、新人が、この人の仕事のノウハウを知りたい、学びとりたいと思う先輩のそばに、しばらくの間席を占めることもできます。横から先輩の仕事ぶりを見ていることで、一種のOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)ができるわけです。

 各人には、携帯電話とLANカードのついた1台のノート型パソコンが支給されていて、仕事に必要なデータはパソコンの中に入っています。あるいはLANにつないで、適当なデータベースから取り出すことができます。だから紙がいらなくなるわけです。書類の代わりに、パソコンをもって移動するのです。そのため、オフィスのいたるところには、パソコン用の電源と情報コンセントがあり、行った先で自分のパソコンをこれらの電源と情報コンセントにつなげると、そこが仕事場や打ち合わせの場所になります。

 おそらく将来は、無線LANの形にすれば、オフィスにいちいち情報コンセントを取りつけなくてもよくなるでしょう。またパソコンが同じ種類のものであれば、大量の予備バッテリーを準備しておくことで、電源コンセントの数もそんなに多くしなくてもすむでしょう。(それとも、最近の腕時計のように、いずれは太陽電池と内蔵電池の組み合わせで、事実上無制限にパソコンを走らせることができるようになるのかもしれません。)周辺機器とも赤外線で通信できるようになれば、からみあったケーブルからも解放されるでしょう。紙もケーブルもなくなったオフィス空間が、とてもすっきりしたものになることは確実です。

 もちろん、このようなシステムを導入した当初は、多くの社員が戸惑いを覚えたといいます。各人の決まった席がなくなると、心理的にどうにも落ち着かない気分にさせられたのでしょう。不満の声があちらこちらから聞かれました。しかし2、3カ月もすると、みんな次第にこの新しい職場環境になじみ、不満の声は消えてしまったそうです。(GLOCOMのような研究所で、このようなオフィス配置が採用できるかどうかは、さすがに疑問ですが、それにしてもオフィスの作り方については、たえず研究していく必要があるなと思いました。)

新しいオフィスワークの形

以上はいわばハード面のオフィス環境ですが、私がもっと驚いたのはソフト面の環境、つまりイントラネットのユニークな利用の仕方と、それが生み出している新しいオフィスワークの形でした。

 法人営業本部のすべての部局というか職場は、それぞれのホームページをもっています。各ホームページには、その運用責任者の個人名が示されています。さらに、職員全員が自分の個人ホームページをもっています。個人ホームページは、最初は自己紹介の作成からスタートしたのですが、そのうちにだんだん進化していって、今では、自己紹介や現在の担当業務を示す「マイホーム」のほかに、個人の業務履歴を示す「セカンドハウス」、趣味を掲示する「リゾートハウス」、各自の仕事にかかわる資料を入れておいたり、プロジェクト管理を行ったりするための「書庫・書斎」の四つで構成されるようになっているのだそうです。この本部のイントラネットの最大の特徴は、部局のホームページと個人のホームページが、互いにさまざまなリンクを張りあう形で、有機的に連携していることです。

 このイントラネットに含まれている情報としては、頻繁に問い合わされる項目や資料(研修や社内外のイベント情報、電話番号、備品や資料の保管場所、各種の届け出書類や転出入時の各種の書類の記入方法等)、社内配布資料(社内報やマニュアル、新商品や製品の紹介等)、説明用資料(提案資料や報告書)、各人の覚え書き資料(検討資料やメモのたぐい)などがあります。それらの情報が、あるものは部局のホームページに、あるものは個人のホームページに収められていて、それぞれの間にリンクが張られているわけです。

 たとえば、社内報の編集部のホームページを例にとってみましょう。そこには、現在編集中の新しい社内報の目次、つまり個々の記事の表題と、その筆者名が並んでいます。執筆が完了した記事には「new」と、まだ完了していない記事には、「工事中」といった注記がなされていて、どの(誰の)記事がすでにできあがり、どの(誰の)記事はまだできていないかが(このページが社内に公開されているとすれば、編集部だけでなく他の社員たちにも)一目でわかります。

 それぞれの記事の表題からは、その執筆者の個人のホームページにリンクが張られています。ですから、社内報の読者が記事の表題をクリックすると、そこからその筆者のホームページに入って、内容を直接読むことができるのです。逆にいえば、それぞれの記事の筆者は、書き上げた記事を編集部に送る必要はありません。編集部のホームページにあるその記事の表題に、自分が書いた文章(あるいは執筆が遅れていることへの言い訳やお詫びの言葉)をリンクさせるだけで済むわけです。

 全く同じことが、各人の営業日報や、業務報告についてもあてはまります。つまり、それらの日報や報告のたぐいは、各人が自分のホームページに載せておけばよいのです。上司は、部下のホームページの中の必要な項目にあらかじめリンクを張っておきます。そうすれば、上司はまず自分のホームページに入り、そこからいつでも、状況を知りたい部下のホームページに飛ぶことができるのです。報告を受けたければ、部下を呼び出したり電話したりする代わりに、報告が書かれているはずのホームページ部分に対して張られているリンクを、マウスでクリックするだけで、必要な情報が得られるというわけです。もちろん特別な相談があるときや、緊急あるいは例外事態が発生したときには、もっと直接的な情報の伝達方法がとられることは当然です。

 つまり、社内で通有される各種の情報は、各部局のそれぞれのホームページの当該箇所に、その項目名を掲載し、そこから、それぞれのデータを管理している担当者の個人ホームページ(のなかのデータそれ自体)にリンクを張っておけばいいのです。そうすれば、データのほしい人は、必要な項目をクリックするだけで、その内容を見ることができます。担当者にいちいち電話で問い合わせたり、紙のお知らせを大量に配布したりしなくてすみます。これだけで、担当者が問い合わせの電話に応対する時間や紙の使用量、あるいは書類のコピーや配布のために費やす時間が、大幅に節約されることになりました。資料の印刷や配布に費やす時間がなくなり、問い合わせも半分から1/5に減ったために仕事の中断が激減し、提案書の作成に要する時間も、たとえば2日かかっていたものが1時間ですむといった具合に大幅に節約でき、マニュアル類も写しが不要になったためにペーパーレス化が実現した、といった効果があがっているそうです。

業務の「アルファにしてオメガ」――イントラネットの個人ホームページ

NTTのこのイントラネットの新しさは、個人ホームページの活用にあります。各人の個人ホームページこそが、業務の結節点になっているのです。それぞれの社員は、出勤してから帰宅するまで、いや移動中であれ在宅勤務中であれ、もっぱら自分のホームページを通じて、他の社員や部局との接触を保ちます。

 各人のホームページは、なによりもその人のワークスペースになっています。各人の「ペーパーワーク」はすべてその上で行われ、作成されたデータや文書は、すべてそこに記録され、保存されます。そして、必要な限りで、その内容は他の同僚や将来的には外部の顧客や一般の人々に対しても、開示され通有されます。言い換えれば、他の人々がそれに対してリンクを張ることを許すのです。

 同時に、各人のホームページには、他の社員あるいは部局、さらには外部のホームページへのリンク集が作られています。つまりそれは、その人が毎日の仕事に必要とする外部のデータへの入り口にもなっているのです。あるいはその人に対する通有や開示が認められた、社内の他の同僚あるいは部局のデータへの入り口にもなっているのです。

 各人の仕事の重要な一部は、仕事の中で発生した、あるいは作成されたデータの、どの部分をだれに対して通有を認めるのか、あるいは広く開示するのかの決定です。また、だれのどのようなデータに対してリンクをあらかじめ張っておくか、あるいは削除・追加するかの決定です。

 ということは、各人のホームページこそ、その人の仕事ぶりを一目瞭然に示すものだといえましょう。その人が毎日どんな文書やデータを作っているのか、どんなデータをどこから取ろうとしているのか、どういう部局や個人とコミュニケーションやコラボレーションを行っているのか、そういった情報のほとんどが、このホームページから得られることになります。各部局のホームページにそれを運用している社員の個人名が明記され、同時に個人ホームページも他の同僚に対して開示されているとすれば、社員一人一人の自負心や責任感も強まることは当然でしょう(もちろん、だからといって――いやそうであればこそ――各人が自分のホームページのすべてを他人に対して開示したり情報の通有を認めたりする義務はないはずです。自分のホームページの少なからぬ部分は、いってみればその人自身のプライバシーに属するものといえましょう。)

情報の発信から情報の記録・通有・開示へ

近年の日本では、「情報」と呼べば「発信」と答えるのが、ほとんど決まり文句のようになっています。とりわけインターネットの、それもホームページとなると、「全国に対して、いや世界に対して情報を発信するための強力な手段」だと考えることが普通です。

 しかし、この意味での「発信」という言葉は、考えてみればずいぶん押しつけがましいというか、一人よがりの言葉です。そもそもこの意味での「発信」は、普通の辞書にはのっていません。たとえば広辞苑の最新版では、「発信」は、第一に信号を発することであり、第二に郵便・電信を出すことだと説明されています。私のパソコンに付属している『ブックシェルフ』という辞書集によれば、「発信」とは、第一に電報または郵便物を他に送ること、第二に電信・電話・ラジオ放送・テレビ放送などの電波・通信を送ること、となっています。しかし、これでは「地域からの情報発信」といううたい文句の「発信」の解釈としては不適切でしょう。

 これが英語になると、もっと奇妙なことになります。同じ辞書集の和英辞典を引いてみると、「発信」という名詞は動詞の「発信する send」の派生語とされていて、例文として、

彼は電波に乗せてメッセージを発信した He 「sent [put] out a message on the radio. / He radioed the message.このニュースはローマで発信された This news was telegraphed from Rome.というものしか出ていません。「発信」という名詞にあたる一番近い意味の英語は、多分「コミュニケーション」なのでしょうが、「コミュニケーション」には「発信」ほどの一方的な押しつけがましさはありません。もともと控えめであることを美徳としていたはずの日本人が、なぜ情報となると「発信」などと臆面もなく言い出すのでしょうか。それはきっと「欧米的な自己主張」の意味を、いささか自分勝手に解釈してしまったからではないでしょうか。いわゆる「王党以上に王党的」になるたぐいです。

 そこであらためて考えてみましょう。「情報」との関係で、私たちがしなければならないことは何でしょうか。それは自分の方の「特殊事情」や「売り物」を、あるいはくどくどと、あるいは目いっぱいに飾り立てて、聞く側の都合もかまわず一方的に発信して、その「理解」や「評価」を相手に訴えかけることではないと思います。そうではなくて、私たちが第一にしなければならないことは、自分の置かれた社会関係の中で、情報や知識の重要性を正しく自覚し、一人一人がそれぞれ責任をもって情報を処理(収集、創造、加工)し、その過程や成果を記録に残すことです。そして、必要な限りで、あるいは可能な限りで、それを他の人々と通有する、あるいは他の人々に開示することであると思います。つまり、情報処理とは、何よりも自分自身の興味や必要や仕事のためになされるものであり、同時にまた、その一部は他人と「コミュニケート」するためになされるものではないでしょうか。

 多分、情報というキーワードを念頭においていえば、私たちの標準的な世界イメージは、次のようなものだったのではないでしょうか。すなわち、世界の中に自分の職場があり、職場の中に自分という個人がいる。自分は、職場の同僚やさらには広く世界から情報を受け取りつつ、自分なりの判断で自分のとるべき態度や行動を決めている。しかし、情報は単に受けとるだけではいけない。すべからく積極的に発信しなければならない。これからの世界では、「顔のない」国や会社や個人でいるわけにはいかない。積極的な自己主張、自己説明が必要なのだ、云々。

 このイメージは多分、右の図-1のように表わすことができます。

 これに対し、私は、次のような考え方を提案したいと思います。すなわち、情報「発信」という言葉はとりあえず忘れる。その代わりに、情報の「記録・通有・開示」を、私たちの情報生活の中心的な課題とする。そして、その前提のもとに、必要な情報を互いに「取信」しあう、これです。

 もちろん、場合によっては情報の一方的な「発信」が必要不可欠になる場合もあります。毎日の仕事の中で、例外あるいは緊急の事態が発生した時、なんらかの事情でこれまでのルーティン的な業務の仕組みに変更が生じた時、あるいは、どうしても他人に特別に訴えかけたいことがある時、などがそれです。しかしそれらでさえ、その発生がある程度予想されているものであれば、あらかじめ、「今週のお知らせ」といったたぐいの項目を自分のホームページの中に作り、特別に報せたい情報はそこに書き込んでおくことにした上で、関係する同僚や部局に、そこに対してリンクを張っておくように頼んでおけば足りるのです。同様に、自分のホームページにも、自分がその「お知らせ」を知りたい、あるいは知る必要がある、同僚や部局のホームページの当該項目に対してあらかじめリンクを張っておき、定期的にそこを開いてみることを自分の仕事の一部として習慣づけておけばよいのです。(もちろん、「n 対 n」の情報リンクをお互いに張り合うことがわずらわしければ、「お知らせ」のクリアリング・ハウスのような部局を作り、各人はそこの「お知らせ」のページに対して、情報受信用のリンクと、情報発信用のリンクをそれぞれ張っておけばよいでしょう。)こういった方式が普及すれば、「CC」される電子メールや、「緊急」連絡のために出される電子メールの数は、大幅に減少するでしょう。あるいは、直接の「報・連・相」を受ける必要が劇的に減少するでしょう。「そんな話は聞いていない」といういい方は通用しなくなり、その代わりに、「そこを見るのを忘れていた」という言い訳が必要になってくるものと思われます。

 図-1との対比でいえば、このような考え方は右の図-2のような世界イメージに対応しています。ここで中心的な位置を占めているのは、一人一人の個人です。その個人の情報宇宙に属する情報の一部は職場の同僚との間に通有され、さらにその一部が、広く世界に対して開示されています。各人は、通有や開示が認められているかぎりでの他人の情報宇宙に属する情報を、自由に探索し入手してくるのです。他人が通有や開示を認めていない情報を取ろうとするのは、他人の情報権の侵害になります。

 私はこれまで、情報権の三要素として、

  1. 情報処理の自律権(オートノミー)とセキュリティ
  2. 自分が生み出した情報の自己帰属権とプライオリティ
  3. 自分にかかわる情報の管理権とプライバシー

を考えてきました。(それぞれの要素の下線部が、本来的な行為権にあたり、二重下線部がそこから派生する他人に対する要求権にあたります。)しかし、ここで述べたような視点を追加するならば、情報権のもっとも基本的なものは、自分が何者であるかを規定する自己規定権であり、そこから派生するアイデンティティ権(つまり自分が行った自己規定を尊重せよと他人に要求する権利)ではないでしょうか。

 さらにいえば、自己規定には常に二つの基本的要素が含まれます。すなわち自分はどの点で他人(のどんなグループ、たとえば家族やコミュニティ)と同一であり、どの点で異なっているかを示すことが自己規定なのです。それは典型的には、姓(氏とか家のような、自分が所属しているあるグループの名称)と名(そのグループの中で自分を他人と区別する符丁)によって示されます。自分が勤めている会社(ないしその部局)の名前と、自分の個人名といった自己規定もあります。

 いささか余談になりますが、実はこのように、自己規定――いうならば「直接的自己規定」あるいは「相対的自己規定」――は決して一通りではなく、多様でありえます。家族の一員としての自己規定や、会社の一員としての、自分が所属するスポーツクラブや政党、宗教団体等々の一員としての、といったさまざまな自己規定がありうるのです。そしてしばしば、究極の「個人」あるいは真の「自己」とは、そうした多様な自己規定の「共通部分」だという捉え方がなされてきました。それは一種の「メタ自己規定」です。しかし、私が上に示したような見方からすれば、「共通部分」としての「メタ自己規定」はあきらかに不充分です。なぜならば、真の「自己」は、いかなる「直接的・相対的自己規定」よりもさらに豊富な存在、無限に多様な直接的・相対的自己規定を許す存在なのですから。つまり、図-2でいえば、「自己」の中には好きなだけ多くの「職場」や「家族」等々の所属グループを書きこめる余地があるのです。その意味での自己規定は、決して完結することのない規定の試みにほかなりません。多分、自己規定には、それとは異なった超越的・絶対的な規定の仕方もありうるのでしょう。

ワークスタイルの革命?

NTT関東支社の上記のような試みは、単にオフィスワークの形を変えただけではありません。それはほとんど、私たちのワークスタイルそのものの革命につながる試みだといってもよいでしょう。毎日の業務の中での情報は、その「記録・通有・開示」を媒介として、「発信」し「受信」するものから、「取信」するものに変わりました。それによって、私たちの日々の「情報生活」の形も内容も、自覚した個人が、組織の中で責任をもって主体的に行うものへと変わったといえましょう。私は正直なところ、日本の組織で、とりわけNTTのような既存の大組織で、ワークスタイルのこのような「革命」が可能だとは、考えてもいませんでした。しかしまさに「なせばなる」のです。

 NTTでのこの試みを推進してきたのは、潮田関東法人営業本部長(当時)でした。潮田さんは、QC(クオリティ・コントロール)運動の豊富な経験をおもちですが、今回の試みも、一種の情報QC運動としてとらえています。それは正解だと思われます。私は、潮田さんがそのきっかけを作ったワークスタイルの革命の試みが、情報QC運動の形をとって、全国的に展開されるようになることを期待します。

 今回のNTTの経営形態変更に伴い、関東法人は解散して、その法人営業本部は、NTTの第二法人営業本部に変わりました。新たにその本部長に就任した潮田さんの指揮の下で、400人の職員が、1カ月足らずの間に、自分のホームページを新しく作ったそうです。共通につかえるホームページの雛型が用意されていて、その一部を書き換えるだけですむので簡単でした、と潮田さんは説明してくださいました。確かに、最初から素晴らしいホームページを作ろうとしても、それは無理というものでしょう。だれでも取っ付きやすいサンプルを提供することが、大切なのです。最初の第一歩を踏み出しさえすれば、あとは私たちのお手の物のやり方で、それを次第に「改善」していけばよいのです。

 私は、潮田さんたちが実現しつつあるワークスタイルの革命に、強い印象と刺激を受けました。同時に、私たちGLOCOMの面々が、情報化の推進に熱心でありながら、そのホームページの利用という面では、潮田さんたちの試みに一歩も二歩も遅れていたことを深く反省しました。現に私自身、自分のホームページのメンテナンスを、まだ自分ではできないでいます。いわんやそこを自分の最も主要な作業空間としては利用していません。まさに情報の「発信」の場として利用するにとどまっているのです。ですから当然、自分がそこを毎日みたりはしないのです。私はいま、私自身を含めたGLOCOMの所員の一人一人が、自分のホームページをもち、そこを各人の中心的な作業空間とすることが何よりも必要だと思います。もちろん、GLOCOMの全部局やプロジェクトも、その担当者自身がその作成やメンテナンスにあたる、それ自身のホームページをもって運用していかなくてはなりません。

 その第一歩として、私は、GLOCOMの全所員に第二法人営業本部の見学を勧めました。今月のGLOCOM全体会議では、各人がその感想を述べ合い、そこで学んだことや得たヒントを自分たちの毎日の業務にどのように取り入れていくかについて、話し合いました。それをもとにして、GLOCOMもホームページの、いや私たち自身のワークスタイルの改革を進めていきたいと思います。ここから出発する私たち自身の試みが、今後どのように進んでいくかは、また別の機会にご報告しましょう。

公文レター No.31