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kumon - November 1, 1998

書評:濱口恵俊著、『日本研究原論:「関係体」としての日本人と日本社会』

November 1, 1998 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

199年11月02日

『比較文明』 「書評」 Vol14

公文 俊平

 この本は、著者の多年にわたる日本研究の集大成ともいうべき作品で、構想以来刊行までに十二年の歳月がかかっている。収録されている諸論文の最初の執筆時期も、著者の大学院時代から現在まで、四十年近くにわたっている。

 この本を貫く二つのキーワードは「間人モデル」と「方法論的関係体主義」である。著者がその研究者としての生涯をかけて取り組んできたのは、日本人を近代的自我をもたない「集団主義者」とみる、いまだにまかり通っている通俗的で否定的な見解の批判であった。このような見解は、欧米流の「個人主義」ないし「個人モデル」を準拠すべき普遍的な理念型とした上で、日本人および日本社会を、そのような個人を欠く特殊な社会として理解し分析し批判しようとする態度に基づいている。「甘え」(土居)、「集団我」(南)、「タテ社会」(中根)、「恥」(ベネディクト)などのような従来の日本研究のキー概念は、いずれも、自律した個人の示す社会的行為の「欠如態」を記述するために鋳造された消極的な概念でしかなく、そこから出てくる日本像は、日本の現実からは離れた、歪んだものでしかない、と著者は考える。

 そこで著者が、日本の現実に即した積極的な概念として打ち出したのが、相互依存と相互信頼、そして対人関係の本質視という三つの柱をもつ「間人主義」に立脚した「間人モデル」であった。

 しかし、このような日本的あるいはアジア的な「間人」を欧米的な「個人」に積極的に対置し、相互の比較を試みようとすれば、その両者をそれぞれ一つの特殊例として含む、より普遍的な人間概念を構築しなければならない。そのための方法として著者が採用したのが、人間の場所内在的、創発的、非線型的、ホロン的等の「ソフト属性」に注目する「方法論的関係体主義」に他ならなかった。著者によれば、このようなより普遍性の高い方法に立脚することによってはじめて、現代の欧米社会に個人主義を超えようとする動き(価値シフト)が見られることが説明できる。また、世界各国の対人関係観をアンケート方式で調査した結果によると、個人主義的な価値観と間人主義的な価値観は、日本にもアメリカにも共に見られるばかりか、その分布においては両者の差はほとんどないという驚くべき結果も、やはり説明がつく。

 そこから著者は、「間人」と「個人」を同位の概念として互いに対置させるのではなく、「間人」の方を「関係性を内包する点で、一段階ハイアーな視点からのモデルを構成している。両者は、互いに対照化される存在であるというより、一般化と特定化の視点からとらえられるべきであろう」(289ページ)という見方に到達する。

 しかし、ここまでくると、私としてはなんとなくはぐらかされてしまったような、あるいは話がまた振り出しに戻ってしまったような、思いを禁じえない。なぜならば、日本とたとえばアメリカとでは、人々の行動様式や制度のあり方等については、やはり大きな違いがあるといわざるをえないからである。われわれは、その違いを互いに意味ある形で(つまり一方を普遍、他方を特殊とみるとか、一方を他方の「欠如態」としてしかみないといった形ではなく)比較可能にする普遍的な概念モデルと、その下位モデルとしての特殊モデル(つまり特殊なアメリカと特殊な日本にそれぞれ妥当するモデル)を、依然として共に必要としているのではないか。そうだとすれば、普遍的な<にんげん>モデルとしての「関係体」モデルと、特殊的なそれとしての「間人」モデルは、やはり区別しておく意味があるのではないだろうか。

 これまでの「通俗的」な分析に対する著者の反撥は、次のようなことばにこめられている。いわく、「それらの分析では、日本人はともすれば行動上の主体性を欠き、したがってまた、それぞれが個人としてのユニークな意見をもたない、極めて同質的な民族(国民)であって、その帰属する組織に完全に埋没してしまっている、とみなされた。現実の日本人は、必ずしもそのような存在ではなく、相当に繊細な対人感覚を持ち、それゆえに控えめに振る舞うが、連帯的な主体性を強く保持している。このことは、日本人なら誰でも体験的に知っている。また、日本が本当に主体性のない国であるなら、どうしてあのような高度経済成長が達成されたのであろうか。」(267ページ)

 もちろん私も、それには同感である。私どもの『文明としてのイエ社会』(1979年)も、まさにこれと同様な問題意識を背景として行われた共同研究であった。私どもの分析もまた、欧米的な個人主義の文化に立脚しなくても産業化は可能なはずだ、日本の産業化の経験がまさにそれを示している、と見るところから出発していた。実際、戦後の高度成長期の日本は、アメリカではすでに成熟段階に達していた産業化の「二十世紀システム」へのキャッチアップに関しては、まことにめざましい成功を収めたのである。

 しかしそれから四半世紀の時が過ぎた。この間、一九七〇年代に始まっていた情報通信革命の推進と、産業化の「二一世紀システム」への突破(さらにいえば、産業化を超える情報化と、それがもたらす情報社会への突破)には、日本は大きく立ち遅れてしまった。今日の日本は、全社会的な閉塞状況の中で、なすすべを失って立ち往生しているように見える。いまや説明しなければならないのは、過去の日本の成功ではなく、現在の混迷と失敗である。どうやら日本は、すでに確立した他者の成功経験に学んで追いつき追い越すことは得意でも、まだ海の物とも山の物ともつかない混沌の中で、危険と失敗を恐れず挑戦と突破をリードするのは不得手なのかもしれない。ともあれ、日本研究は、ここでもまた戦後の(あるいは明治初年の)「振り出し」に戻ったということができそうだ。

 著者のいう方法論的関係体主義と、それを具体化した間人モデルを基盤とする「日本研究原論」が、この今日的な問題の解明にどこまで鋭い切れ味を見せることができるか。応用編の出現を期待して待とう。