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本格的情報化:日本再上昇の途

March 1, 1999 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

1999年03月04日

『NIRA政策研究』 1999年 Vol.12 No.3

公文 俊平

要約:日本は第二次産業革命の成熟段階での追いつきにはめざましく成功したが、それが仇となって第三次産業革命の展開には大きく立ち遅れてしまった。しかし1970年代以来の長期下降過程は、遠からず上昇に転換するだろう。そこで「後手の先手」を取ることが、日本の再上昇の有望な戦略となる。

1.情報化の歴史的意義

 現在進行している世界の情報化には二つの側面がある。その第一は、近代化の第三の波の開始である。人間の「エンパワーメント」、つまり目標達成能力の増進過程としての近代化の波は、まず軍事化(武力の増進)の波としてスタートし、それに産業化(経済力の増進)の波が続いた。現在はさらにその次の情報化(知力の増進)の波が始まっている。

 軍事化の時代には主権国家が誕生し、国際社会で国威の増進・発揚競争に努めた。つまり国家は、戦争によって領土や領民を獲得し、外交によってそれを国威に転換しようとした。産業化の時代には、産業企業が誕生し、世界市場で富の蓄積・誇示の競争を行ってきた。つまり企業は、工場で生産した財やサービスを市場で販売することで、それを富に転換しようとしてきた。情報化の時代には、情報智業が誕生し、地球智場とでも呼ぶべき新しい場で、智すなわち知的影響力の獲得・発揮の競争を行うようになる。つまり智業は、自分が創造した知識や情報を智場で普及・通有することで、それを智に転換しようとする。

 産業化の時代には市場がその他の社会的活動(たとえば医療や教育)にとってのプラットホームとなったように、情報化の時代には智場がその他の社会的活動(たとえば政治・行政やビジネス)にとってのプラットフォームとなるだろう。今日のインターネットは、まず智場として発展している。

 産業化の時代になっても国家は消滅しなかったように、情報化の時代になっても国家や企業が消滅することはないだろう。むしろ国家や企業は、新しく台頭する智業と相互補完的な役割を果たしつつ、さらにいっそうの進化をとげるだろう。

 ただし、情報化の時代に国家の性格が変化することは、大いにありうる。とりわけ、国家がこれまで行ってきた国威の増進・発揚競争は、その正統性をまったく失うことになるだろう。しかし、企業による富の蓄積・誇示競争は、情報化時代にも依然として発展し続けると思われる。それどころか、産業社会は現在、19世紀末の第二次産業革命(重化学工業革命)に続く、第三次産業革命(情報通信産業革命)の時代を迎えている。これが世界の情報化の第二の側面である。

 ほぼ100年ごとに新しく始まる産業革命の時代は、前半50年の突破段階と、後半50年の成熟段階に分けてみることができる。あるいは約75年の突破段階と、同じく約75年の成熟段階とが、互いに25年ほど重複しつつ継起しているとみることもできる。後者の見方にたてば、現在は第三次産業革命の突破段階がその最後の25年にさしかかろうとしているところだといえよう。すなわち、情報通信革命はまず、1950年代のメーンフレーム・コンピューターの登場と共に始まった。次に1970年代の半ば以降、コンピューターのダウンサイジングが始まった。人はこれをしばしばパソコンの時代と考えがちだが、より正確には、マイクロチップスの時代だというべきである。現在パソコンの総数は世界全体でたかだか三億台程度だと思われるが、マイクロチップスの総数は、500億ともも700億ともいわれている。つまり後者の方が圧倒的に多い。マイクロチップスは、さまざまな機械や設備のいたるところに埋め込まれて、生産から消費にいたる人々の日常生活のあらゆる部面を支えているのである。

 そして今日、情報通信産業革命の突破段階は、アメリカを先頭として、いよいよその第三期に入ろうとしている。(それは同時に、成熟段階の第一期の開始とも重複している。)そこでは、孤立性の強かったこれまでのコンピューターに代わって、ネットワークそれ自体が巨大な分散協調型のコンピューター(コンピューティング・ネットワーク)として動くようになるだろう。その個々のノードとなるさまざまな情報機器は、人々やさまざまな物に装着ないし埋め込まれ、超広帯域の光ファイバーや無線回線で互いに結び付けられて、互いに不断のコミュニケーションとコラボレーションを行い始めるだろう。最終的には、スィッチングもルーティングも無用になり、知識や情報が遍在する海の中で、放送と通信とが完全に無差別となる世界が出現するだろう。

 しかし、それに至る道は決して平たんではない。なぜならば、既存のメーンフレームやマイクロチップスのプログラムの中には、日付処理のバグ(2000年バグ)を残しているものが少なからずあって、2000年までにそれをすべて除去することはもはや不可能だからである。その結果、恐らく今後かなりの期間にわたって、われわれの社会生活はさまざまな部面で「2000年問題」の影響をまぬがれえなくなるだろう。近代文明はかつて、19世紀システムから20世紀システムへの転換に際して、世界的な不況や戦争を経験しなければならなかった。同様に、20世紀システムから21世紀システムへの転換も、かなりの摩擦を伴いつつすすまざるをえないと思われる。財政赤字や長期不況はすでにおなじみの問題である。今回の場合、大戦争は考えにくいが、それに代わる大問題が、この2000年問題ということになりそうである。今回の転換が、前回ほど悲惨な事態を経験することなく完了することを、切に祈りたい。

2.日本の地盤沈下

 さて日本だが、近年の日本は、世界的な情報化の流れに加わるうえでも、コンピューターの2000年問題に対処するうえでも、他の諸国に比べてかなり立ち遅れてしまった。恐らくその最大の原因は、第二次産業革命の成熟段階での追いつきにさいして経験した、めざましすぎる成功にある。産業化の後発国だった日本は、もともと第二次産業革命の突破段階(重化学工業の軍事・ビジネス利用の段階)から成熟段階(乗用車や家電に代表される耐久消費財の大量生産の段階)への移行にさいして、いったん躓きを見せた。つまり、軍需から民需への転換、とりわけ大衆的消費需要の喚起と充足に失敗して軍事優先の途を選び、敗戦・占領の憂き目を見た。戦後の日本はその反省の上に立って、後に「一国繁栄主義」などと揶揄されることにもなった国内での平和と経済的繁栄の実現に専念し、それが第二次産業革命の成熟段階第三期(1950‐1975)において日本が達成しためざましい成功につながったのである。

 しかし日本は、戦後の高度成長期が同時に第三次産業革命(情報産業革命)の突破段階の第一期としての意味をももっていたことの自覚が、いささか不充分であったように思われる。いや、むしろ自覚はいちはやく生まれたものの、途中で挫折してしまったというべきだろう。現に、1960年代後半の日本では、未来学ブームの中で、情報化論、情報産業・情報社会論が世界にさきがけてはなばなしく展開された。これらの言葉自体、英語からの翻訳ではなくて、日本語としてまず創られたのである。ところが、1970年代に日本をおそったニクソン・ショックや石油ショックと、それとほぼ同時に起こった高度経済成長の終焉に対処する過程で日本が選んだのは、情報化(第三次産業革命)の推進ではなくて、減量・省資源経営であり、従来の大量生産の努力をさらにいちだんと強化する形でのモノ作りとその輸出への専念であった。つまり第二次産業革命の継続の推進であった。そして日本はそれにもまためざましい成功を示したのである。

 こうして、1980年代に再来した情報化ブーム(ニューメディア・ブーム)の中では、日本の関心は、情報技術のビジネス利用よりはむしろ、大衆消費産業へのその応用に向けられた。日本のハイテク技術資源は、高品位テレビやビデオ・ゲーム、あるいはカラオケの開発に、惜しみなく投入された。さらにいえば、日本の情報技術の精華は、第二次産業革命成熟期の事実上最大の産業となったパチンコ産業に集中しているということができよう。

 しかし、これらの大衆消費サービス産業は、いかに「情報化」しようとも基本的に第二次産業革命の成熟段階での消費サービス産業の特性を脱却できない。つまり、そこで消費される情報の「コンテント」は、基本的に他人の(プロフェッショナルの)作ったものであり、「消費者」は結局のところその枠からは脱却できないのである。近年爆発的に普及してきた、双方向通信メディアとしてのケータイ(携帯電話)との決定的な違いがそこにある。その小遣いと自由時間のますます多くの部分をケータイでの通話に注ぎ込んでいる現代の若者(彼らは情報社会の「智民(ネティズン)」の先駆形態だとみなすことができるだろう)たちは、お互いの会話という形で、コミュニケーションのコンテントを自ら作り出している。その分、テレビの視聴やゲーム、あるいはカラオケに費やす時間は減少傾向にある。恐らく彼らやその次の世代が成人になる時代の日本では、さしものパチンコ産業も衰退に向うのではないだろうか。彼らが次に進んでいくのは、テレビ電話であり、自分たちが作った動画像の自由な検索や編集、あるいは送受信を可能にする次世代の高速インターネットだと思われる。

 こういうと、いや日本の産業界は情報技術のビジネス利用を決して忘れていなかったと言う反論が帰ってくるかもしれない。数値制御工作機械や産業用ロボットでは、明らかに日本は世界の先端を走っていたのである。しかし、この種の自動機械は、「情報通信」産業革命としての第三次産業革命の本流をなすものとは、必ずしもなりえなかったように思われる。日本は、何よりもデータ通信やインターネットの領域で、世界の情報化の趨勢から、とりわけインターネットの通信プロトコルであるIPを全面的に採用した放送・通信統合型のIPネットワークの台頭に代表される高度情報通信技術の展開とそのビジネス利用の趨勢から、大きく立ち遅れてしまったのである。1990年代に入って、アメリカやヨーロッパが新しい長期経済発展の波の上昇期を迎えたといわれている中で、日本がひとり長期不況と巨額の財政赤字、金融システムの不安や情報化投資の停滞に苦しんでいる現状は、それを如実に示している。

3.日本再浮上の途:後手の先手を

 21世紀を迎えるころから、第三次産業革命はいよいよ、突破段階の第三期と同時に、成熟局面の第一期をも迎えることになる。つまり、「高度情報化」が広く人々の日常生活の中に浸透してくるようになる。それは同時に、成熟のための手段となる新しいタイプの情報通信インフラや各種のアプリケーションの出現と普及の過程ともなる。上述した「IPネットワーク」の急激な構築は、その一側面である。

 しかし、そうはいっても新しいタイプのインフラやアプリケーションの開発と利用はまだ始まったばかりである。だとすれば、日本がここでいわば「後手の先手」を取るチャンスは十分に残っているのではないか。そのためには、遅れ馳せながら旧いタイプの情報通信技術のビジネス利用をはかるといった戦略を大胆に転換して、最初から成熟段階向けのインフラやアプリケーションの開発と利用に全力をあげる必要がある。「需要が見えない」と不安がるのでなく、「供給が追いつかなくなる」ことを怖れるべきである。具体的には、通信で言えばISDNやATMの普及よりも、全光通信や広帯域無線通信システムの全国的な構築に向かうことである。また、インターネットについては、動画像を処理するための世界標準作りをめざすことである。コンピューティングで言えば、従来のパソコンやワークステーションから、たとえばJAVAの標準を全面的に採用したコンピューティング・ネットワークや「情報家電」の開発と利用に向かうことである。

 そうした路線の転換が成功する可能性は、十分にある。私のみるところでは、幕末(1950年代半ば)以来の日本の近代化には、それぞれ約30年にわたる下降と上昇の大きな周期的うねりがあり、1970年代の半ば以来、日本は3度目の長期下降過程に入っている。おそらく、上昇の山の頂上あたり(1850年代、1910年代、1970年代)に発生する内外の環境条件の大きな変化の認知と対処にさいして発生する社会的なタイムラグが、それを生み出しているのだろう。つまり、何か大きな変化が起こっていることは漠然と理解できても、それにどう対処すべきかという判断や、従来のいきがかりを捨てて新しい路線に転換しようという決心や社会的合意の形成までに、約一世代ほどの時間がかかるのではないだろうか。そうだとすれば、次の本格的上昇への転換は、まだ後数年たたなければ始まらないかもしれない。しかし、逆にいえば、後数年のうちに、新しい上昇へのチャンスは確実にめぐってくるのである。過去でいえば、明治の半ばから大正の始めにかけての「富国強兵」の時代、あるいは故司馬遼太郎氏の卓抜な表現を借りれば「坂の上の雲」をめざして日本が驀進した時代(1885 - 1915)や、戦争の焼け跡から立ち直って「高度経済成長」路線をひた走った時代(1945 - 1975)が、それぞれ「上昇の三十年」にあたっていた。過去からの類推でいえば、下降の底の2005年あたりから始まる次の三十年期は、近代日本の第三の上昇期(2005 - 2035)となることが期待される。

 実際、過去の経験からすれば、日本の強味は、他にさきがけた突破の試みよりは、他よりも遅れた地点から始めるキャッチアップの努力の中にある。今回もまた、情報化の波にいったんは乗り遅れた日本では、新しい上昇過程の開始と軌を一にして本格的な情報化がようやく始まり、いったん本格化した情報化の勢いは、その後当分はとどまるところを知らない形で続くのではないだろうか。

 だがもちろん、複雑系としての人間の社会が、物理的あるいは生物的な周期のリズムに厳密にしたがっているはずはない。そうだとすれば、いずれその時さえ来れば必ず新しい長期上昇過程は始まるのだ、と考えて安心してばかりいるわけにはいかない。一つの社会が、上昇へのモメンタムをまったく失ったきり、歴史の表舞台から永久に姿を消してしまうことは、十分ありうる。かつての極東の軍事大国日本が「大東亜戦争」に敢え無く敗北し、次に焦土の中から復興して世界の経済大国となった日本も、「2000年問題」を契機とする経済混乱になすすべもなく沈没して、もはや三度目の挑戦を試みる気力はどこにも見出せなくなるといったシナリオを、荒唐無稽として一蹴し去ることは、どこまで可能なのだろうか。

 他方、下降過程が必ず三十年続くと決めてかかる必要もまたない。なぜいま自分たちの社会は下降過程にいるのかという理由がはっきりしさえすれば、未来への進路を明確に見定めたうえで、それを実現するための上昇を今すぐにでも開始することも、決して不可能ではないだろう。われわれは、遅くとも今後両三年のうちに新しい上昇へのきっかけをつかむ努力を、惜しまないようにしたいものである。