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kumon - May 1, 1999

二十一世紀をひらく情報ネットワーク社会の展望

May 1, 1999 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

1999年05月06日

『倉庫』1999年 No.1

公文 俊平

はじめに

 この小論では、近代文明の進化についての私の年来の持論を、なるべくわかりやすい形で述べてみたい。その要点は、次の五つに整理してみることができる。

  • 第一:近代文明はいま、その進化(近代化)の第三局面(軍事化および産業化に続く情報化の局面)に入りつつある。
  • 第二:しかし、近代文明の進化の第二局面(産業化の局面)もまだは終わったわけではない。それどころか、産業化自体が、その第三段階(第三次産業革命)を迎えている。
  • 第三:二十一世紀の初頭は、第三次産業革命がその前半の突破段階から後半の成熟段階に転換する転換期にあたる。
  • 第四:このような転換期には、しばしば大きな社会的混乱が起こる。二十一世紀初頭に予想される最初の大きな社会的混乱が、コンピューターの「二千年問題」である。しかし近代文明は、それを乗り越えて進化し続けるだろう。
  • 第五:だが、近代文明の進化が無限に続くことはありえない。また地球上のすべての人類社会が近代化を達成することも困難であろう。近代社会は、いずれはその発展の限界に達し、新しい文明(智識文明)にとってかわられていくだろう。

一、近代化の流れ

未来志向型文明としての近代文明

 人類の文明は、過去準拠型の文明と未来志向型の文明に大別してみることができる。現在でも地球人口の三分の二以上を含むとみられる、有史宗教に立脚する諸文明(イスラムやヒンズー等のいわゆる宗教文明)は、人生の不変の目標を重視し、過去に現れた救世主や聖人が指し示した正しい教えに従って生きよと説く、反自由主義的な過去準拠型の文明の典型である。これに対し、近代文明は、未来に向かっての進歩や発展の可能性を信じ、目標の達成よりは新しい手段の入手まず必要だとみなし、各人の自由な思想や行動こそがそれを可能にしてくれると考える点で、未来志向型の文明の典型だといえる。

 その意味では、近代文明の進化過程は、まさに、目標を達成するためのさまざまな新しい手段(力)を人間が獲得していった過程でもあった。すなわち、第一に獲得されたのが軍事的な手段(軍事力=脅迫・強制力)であり、それに経済的な手段(経済力=取引・搾取力)の獲得が続き、現在では知的な手段(知力・情報力=説得・誘導力)の急速な獲得が始まっている。いいかえれば、近代化は、まず軍事化の局面から始まり、産業化の局面がそれに続き、今日では情報化の局面に移っているのである。

近代化の三つの局面

 近代化のそれぞれの局面では、新しい権利の観念に立脚する新しい種類の社会組織が生まれ、新しい意識や行動様式をもつ人々がそのメンバーとなった。新しく生まれた社会組織は、新しい相互作用の場の中で、新しいタイプの手段の入手や利用を目指して、互いに競争した。

 最初の軍事化の局面では、国家主権の観念に立脚する近代主権国家が誕生した。主権国家は、国際社会という相互作用の場において、国威(一般的な脅迫・強制力)の増進・発揚をめざして競争した。すなわち、戦争を通じて獲得した領土や植民地を、外交を通じて自国の正当な領有物だと他国に認めさせた。主権国家のメンバーとなった一般の人々、つまり国家の臣民(後には国民)の第一の義務(かつ権利)は、兵士として戦争に参加すること(国民皆兵)になった。

 それに続く産業化の局面では、私有財産権の観念に立脚する近代産業企業が誕生した。産業企業は、世界市場という相互作用の場において、富(一般的な取引・搾取力)の蓄積・誇示をめざして競争した。すなわち、生産を通じて獲得した財やサービスを、販売を通じて社会的に有用な価値物だと人々に認めさせた。産業企業のメンバーとなった一般の人々、つまり会社の従業員(後には社員)の第一の義務(かつ権利)は、生産・販売者として企業活動に従事することになった。もちろんこれらの人々は、近代国家の国民でも同時にあるわけだが、その両面の意味をこめた「シティズン」(市民ないし公民)という呼び名も、近代産業社会では広く通用するようになっている。

 これと同様に、新しく始まった情報化の局面では、共同情報権の観念に立脚する新しいタイプの社会組織が誕生している。これらの組織は、既存の国家(あるいはその政府)とも企業とも異なるという意味で、NGO(非政府組織)とかNPO(非営利組織)などと呼ばれている。私はそれを「近代情報智業」と呼んではどうかと提唱している。なぜならば、これらの新組織は、地球智場とでも呼ぶことが適切な新しい相互作用の場において、智(一般的な説得・誘導力)の獲得・発揮をめざして競争しているからである。すなわち、創造的活動を通じて獲得した知識や情報を、普及を通じて社会的に有用な価値物だと人々に認めさせ、信奉させようと努めている。情報智業のメンバーとなった一般の人々、つまりボランティアたちの第一の義務(かつ権利)は、知識や情報の創造・普及者として智業活動に従事することにある。来るべき情報社会を支えるこれらのボランティアたちのことは、彼らが同時に「シティズン」でもあるという意味をこめて「ネティズン(智民)」と呼ばれ始めている。

智場としてのインターネット

 これまでの近代文明社会では、知識や情報の創造や普及は、知識人とか学者・芸術家などと呼ばれる一部の専門職業人と、マスメディアと呼ばれる一部の企業とが専門に担当する仕事だとみなされてきた。しかし、軍事社会では一般人が兵士(や公務員)となり、産業社会では一般人が生産・販売者となったように、これからの情報社会では、一般の人々が、知識や情報(すなわちいわゆる「コンテント」)の、単なる受け手というよりは能動的な創造・普及者となっていくのである。しかも彼らは、知識や情報を単に創造し普及する「コミュニケーター」として活動するだけでなく、智業が掲げる共通の望ましい(面白い、美しい、善い、正しい)目標のまわりに結集して、その実現をめざして協働活動を行う「コラボレーター」にもなっていくだろう。そう思ってみると、すでに現在でも、さまざまなNGO-NPOが行っているボランティア活動は、まさしく「コミュニケーション(交流)」と「コラボレーション(協働)」を軸としてなりたっていることに気づく。先に私が「地球智場」と呼んだ智業・智民間の相互作用の場は、この意味での人々の交流と協働の場に他ならないが、今日急速に拡大・発展しているインターネットこそは、そのもっとも具体的な現れだということができるだろう。

 いいかえれば、インターネットの本来の姿は、これまでの政府や企業の活動の延長線上にある「電子政府」や「電子商取引」の場というよりは、近代情報智業(およびそのメンバーとしての智民)の活動の場、つまり智場、となるところにあるといえよう。つまりそれは、第一義的には、公権の発動の場でもなければ、私権の取引の場でもなくて、価値ある知識や情報の普及や通有を通じた人々の説得や誘導の場なのである。その意味では、智場は、公権や私権とは異なる「共権」としての情報権の拡大と行使の場だといってもよいだろう。

 しかし、これまでの産業社会において、市場が、本来的には商取引ではなかったその他の社会活動(たとえば教育や医療、あるいは各種の政策行為)のための共通のプラットフォームとしての役割を果してきたように、これからの情報社会にあっては、インターネットのような智場が、その他の社会活動(たとえば行政サービスの提供や商取引)のためのプラットフォームとしての役割を果すことは、十分考えられるばかりでなく、積極的に望ましいことでもあるといえよう。なぜならば、近代文明のこれまでの進化の歴史が示しているように、新しい社会組織や社会活動の形態の台頭は、それが旧い組織や活動を駆逐してそれに取って代わるというよりは、旧い組織や活動を多少とも変質させつつではあるにしてもそれらと共存し、相互補完的な役割を果すようになることを意味しているからである。あるいは、かつての社会主義革命の失敗や、近年の行きすぎた市場化の試みの失敗が端的に示しているように、国家や市場のような単一の原理の中にすべての社会組織や活動を吸収してしまうのは、もともと無理な話なのである。

近代化の歴史の教訓と情報社会

 この歴史の教訓を、これからの情報社会に適用して見るならば、次の二つの結論が引出せるだろう。

 第一に、新しく生まれてくるもの(たとえば智業や智場、あるいはそれらが立脚しようとする新しい権利としての情報権)を、既存の社会的な枠組みの中に押し込めてしまおうとする試みは、必ず失敗する。だから、智業を営利組織や政府組織そのものにしようとしてはならないし、智場(としてのインターネット)を市場に転換させようとしてはならない。情報権を、公権や私権の一部にしようとしてもならない。むしろ、十分な時間をかけてよいから、新しい酒を盛るための新しい革袋となりうるような、権利義務や法律制度の新体系を構築する努力、またそれらと既存の体系との間の相互調整や整合化をはかる努力、こそが必要なのである。

 第二に、新しいものの台頭を重視するあまり、旧いものをひたすら敵視して、その破壊や破棄を性急に試みても、これまた必ず失敗する。旧いものは、適当に修正しつつ活用するという智恵と度量が必要なのである。性急な破壊の試みは、むしろ守旧の反動を誘発し、共倒れに終わる危険のほうが大きい。

 その意味では、これからの情報社会の健全な発展にとっては、新たに台頭してくる智業と、既存の国家や企業との協働が、決定的に重要な役割を果すだろう。

二、産業化の流れ

第三次産業革命

 現に、近代化の第三局面としての情報化(情報社会化)が進展する中で、近代化の第二局面にあたる産業化の流れが終わってしまったかというと、決してそんなことはない。それどころか、産業化の流れは、「情報通信産業革命」あるいは「第三次産業革命」などと呼ばれる近年の一連の技術・経営革命の中で、ますます加速しつつある。

 ところが、戦後の第二次産業革命への「追いつき型成長」にめざましい成功をおさめた日本では、ひところ、「これからは物の豊かさの時代から心の豊かさへの転換が起こる」とか「発展の時代から成熟の時代への転換が起こる」といった考え方が支配的になっていた。だがそれは、今になってみると、過去の成功に幻惑されるあまり、さらにいえば過去の成功の過程で生じていた見落としや失敗(たとえばコミュニティの消滅や公害の発生など)を反省するあまり、新しい産業革命の時代の到来を適時的確に見て取れなかったためだったのではないだろうか。

 実は、すでに1960年代後半の日本では、恐らく「追いつき型経済成長」への成功の余勢をかって、「情報化」あるいは「情報社会」といった言葉が世界にさきがけて創られ、近代化の新しい局面の到来が予感され始めていた。しかしそれが、1970年代の石油危機の到来と共に雲散霧消してしまったのである。石油危機への対応の努力は、情報社会への転換や情報通信産業革命の推進といった方向ではなしに、旧来の第二次産業革命(重化学工業革命)の流れをいっそう強力に推進する方向、つまり、省資源・省エネルギー努力や減量経営努力を強化しつつ、在来型の物作りをさらに積極的に展開して輸出の維持・増大をはかる、という方向にもっぱら向けられたのである。そして日本はここでもまたそれにめざましい成功をおさめた。その結果、1980年代以降に再び到来した情報化ブームは、第二次産業革命の成熟段階の延長線上に、パチンコやゲーム機、あるいはカラオケのような、大衆消費型の「情報家電」や「情報通信サービス」の提供をめざす、という方向をとってしまったのである。これは、今にして思えばいささか時期尚早の試みであった。

産業革命の突破段階と成熟段階

 そのような判断の根拠を、もう少し詳しく説明してみよう。

 過去の産業革命は、一八世紀の後半に生じた第一次産業革命(軽工業革命)以来、ほぼ百年に一度の割で起こっている。すなわち、一九世紀の後半には第二次産業革命(重化学工業革命)が始まり、二〇世紀の後半には第三次産業革命(情報通信産業革命)が始まっている。

 それぞれの産業革命の時代は、前半の突破段階と後半の成熟段階にわけてみることができる。しかも、突破段階の終わりと成熟段階の初めは重複している。図式的にいえば、突破段階と成熟段階はそれぞれ約75年続き、途中で約25年の重複期を持つとみることができそうだ。たとえば、今世紀の第一四半世紀(1900-1925)は、第二次産業革命の突破段階と成熟段階の重複期にあたり、第三四半世紀(1950-1975)は、第二次産業革命の成熟段階と第三次産業革命の突破段階の重複期にあたるということができるだろう。

 突破段階の特徴は、新しい産業技術や経営形態の出現に求めることができる。たとえば、第二次産業革命の突破段階(1850-1925)には、重化学工業技術の出現と同時に、株式会社形態に代表されるような大企業形態の出現が見られた。また、新しい産業技術を具現する製品は、まず既存の組織(政府や企業)の業務に利用されるという特徴もある。第二次産業革命の突破段階にあっては、重化学工業の製品は、何よりも新しい強力な武器の形をとって市場に提供され、既存の主権国家によっていちはやく利用された。これによって戦争のあり方が、大規模破壊型の総力戦へと一変したのである。重化学工業の製品はまた、既存の産業、とりわけ農業によっても広く利用された。突破段階の後半において、トラクターやコンバイン、人造肥料や農薬を採用したアメリカの農業が、生産性の革命的な向上を実現して世界の穀物市場を制覇したことは、周知の事実である。

 これに対し、成熟段階の特徴は、新しい産業の製品が広く大衆市場に普及して人々のライフスタイルを一変させる点にある。第二次産業革命の成熟段階(1900-1975)に見られた最も注目すべき変化は、石油や電力のような新エネルギー源を内燃機関や電動機を通じて利用する中で生まれた小型化し騒音や粉塵を出さなくなった各種の機械群が大量生産されて、生産の場だけでなく消費の場にも広く普及したことだった。つまり、乗用車と家電製品に代表される消費者用機械(耐久消費財)こそが、豊かな大量消費社会を支える物的基盤となったのである。

 突破および成熟の段階という区分を第三次産業革命に対しても適用すると、21世紀の第一四半世紀はその突破段階(1950-2025)と成熟段階(2000-2025)の重複期にあたることになる。

第三次産業革命の突破段階

 第三次産業革命の突破段階は、より詳しく見ると三つの時期にわけられる。

 その第一期は、1950年ごろから始まった大型コンピューターの時代である。(日本では、それに加えていわゆるオフィス・コンピューターもこの時期に広く普及した。)大型コンピューターは、政府や企業の事務処理に広く利用された。1960年代の後半からは、一台の大型コンピューターに多数の低機能端末(ダム・ターミナル)を電話回線経由で接続して計算資源を共同利用する試み、すなわち「タイム・シェアリング」が見られるようになった。

 突破段階の第二期は、1970年代初めのマイクロチップスの発明と共に始まった。これによって、コンピューターのいわゆるダウンサイジングが始まった。コンピューター間の通信のネットワークは、「サーバー」と「クライエント」に機能分化した小型コンピューターが相互に接続し合う形で構築された。一般にこの時期は、パソコンとワークステーションが普及した時期だとみなされがちだが、実は、もっと重要な突破は、数の上ではそれよりも二桁多いマイクロコンピューター(マイコン)が、いたるところの建物や機械装置の中に埋め込まれて、生産や輸送の、あるいはその他の多種多様な機器の働きの、制御や監視を行うようになったところに見られる。実際、世界中のパソコンやワークステーションを全部合わせてもせいぜい数億台というところだろうが、埋めこみのマイコンの数は、数百億台に上っているといわれる。今日の私たちの業務や日常生活は、表面には現れていないこれらのマイコンの働きにほとんど全面的に依存しているいってもよいほどである。

 1990年代の終わりごろから、突破の第三段階が始まった。第三段階の到来を主導したのはインターネットの急速な拡大だった。より正確には、新しい突破は、インターネットの通信プロトコルであるIPプロトコルを採用した光ファイバーと無線の広帯域データ通信ネットワーク(IPネットワーク)への需要と供給の爆発的な拡大の形で生じた。それまでは電話用の回線をもっぱら利用する形で行われていたインターネットが、自分自身の専用ネットワークを持ち始めたのである。さらに、二十一世紀に入ると、これまでの電話や放送のサービス自体までも、IPネットワークのいわば隙間を埋める形で、その中に吸収されていくことは確実である。恐らく今後数年もしないうちに、電話のトラフィックは、データ通信のトラフィックの1パーセント以下の比重しか占めなくなるだろう。なにしろ、一昨年来のデータ通信の規模の拡大速度は、米国ではほとんど年十倍に達しているといわれる。

 突破の第二段階では、マイクロチップスの集積度や性能/価格比は一年半ごとに倍増するという「ムーアの法則」が、全体の変化の速さを規定しているといわれていた。つまり、情報通信革命の突破は、その第二段階にいたって、十年で百倍になるような、これまでの近代化の歴史にはかつて見られなかったほどの急速な発展を実現していたのである。ところが、第三段階に入ると、変化の速度はさらに一段と加速した。変化の速度が年十倍、つまり十年で百億倍になるという目の眩むような速さに達するだろうという予測は、評論家のジョージ・ギルダーがすでに三年ほど前に行っていたので、ここでは情報通信革命の突破の第三段階では、「ギルダーの法則」が全体の変化の速さを規定しているということにしよう。もちろん、あらゆるものが年十倍の速度で成長していくことなどありえない。しかし、基幹部分での爆発的な成長が、社会の他の部分の成長率をも大きく引き上げることは十分ありうるだろう。現に、たとえば米国での電子商取引の規模は、昨年一年間に三倍化して年率90億ドルの規模に達し、次の二年間でさらにもう三倍化すると見積もられている。

 突破の第三段階は、通信ネットワークだけでなく、コンピューターについても始まろうとしている。すなわち、これまでのように、ありとあらゆる機能を詰めこんで、動きが重くなり、使いやすさもなかなか改善されないパソコンに代わって、少数の機能に特化した多様な情報通信機器が登場し、それらがIPネットワークを通じて互いに常時接続されているという状態が、これからは一般化していくだろう。そこに出現するのは、自律分散型のネットワークの全体が一つ(あるいはいくつか)の巨大なコンピューターとしても機能するようになる「コンピューティング・ネットワーク」の世界である。これまでのパソコンに比べるとずっと単純化した(しかし同時にこれまでの埋めこみマイコンに比べると、とりわけ通信能力の面でより高機能化した)個々の情報通信機器は、必要な情報コンテントやアプリケーション・ソフトウエアのほとんどを、ネットワークを介して入手するようになるだろう。また、相互に接続しているさまざまな情報通信機器は、そのユーザーのための「エージェント」となって、互いにコミュニケーションとコラボレーションをしながら、ユーザーが要求する仕事をこなしていくようになるだろう。

 そういうわけで、第三次産業革命の突破は、いまようやくその第三段階に入り始めた。この突破の第三段階は、同時に成熟の第一段階にもなるだろう。つまり、これから急速な構築が進むIPネットワークや、その上に出現するコンピューティング・ネットワークは、第三次産業革命の成熟段階を支える情報通信インフラとして機能するようになるだろう。その結果、新しい情報通信機器は、かつての「家電」にも似た「情報家電」として、人々の情報生活のすみずみにまで入りこんで、そのライフスタイルを一変させるだろう。先に述べたように、情報通信産業革命としての第三次産業革命の時代は、同時に近代化の第三局面にあたる情報化(情報社会化)の局面と重なっていて、そこでは万人が知識や情報の積極的な創造者、探求者、発信者となるのである。

2000年問題

 しかし、このような移行が今後円滑に進むかどうかについては、深刻な疑問がある。いわゆる「2000年問題」の存在があるためである。突破の第一段階と第二段階に普及した大型コンピューターやマイクロコンピューター、あるいはパソコン等のソフトウエアやハードウエアの多くには、信じがたいようなバグが残っている。すなわち、本来四桁で表わされる西暦年号を下二桁だけで処理しているために、西暦2000年が到来したとき、あるいはそれ以前であっても、日付が入力されるべきところに「00」が入力されると、その意味を正しく解釈できなくなって、コンピューターが停止・暴走・誤作動してしまうものが、多数残っているのである。

 もし何の修復も行われない場合には、事務系の場合でいえば、金利や年金の計算、給与や税金の計算、予約や経理の事務などが、実行不能になってしまう。あるいは、誤ったデータが受け渡しされてしまう。制御系の場合でいえば、たとえば発電所の監視システム、新幹線の集中制御システム、航空機の管制システム、広域交通管制システムなどが機能不全を起こすこともわかっている。また、特別な対応がなされない限り、多くの工場の生産活動もストップしてしまうだろうということもわかっている。

 そしてもちろん、バグ修復の努力は多くの分野で行われている。とりわけ、銀行業界や電話・電力業界では、すでに何年も前から対応の試みが始まっており、相当の進捗を見せている。政府や自治体の対応も、大型コンピューターのプログラムに関するかぎりは、かなり進んでいる。しかし、埋めこみのマイクロコンピューターにも同様な問題があることは、比較的最近になって気づかれたにすぎず、問題の存在自体を自覚していないところも多い。概して言えば、中小企業や中小自治体、あるいは途上国などの対応が相対的に遅れている。中小企業の中には生産や貿易活動にとっての要の役割を果しているものが少なくない。また、海外のエネルギーや食糧への依存度が高い日本にとっては、途上国のコンピューター・システムの故障のために貿易が滞ることがあっては一大事である。

 西暦2000年のタイムリミットが来るまでに、全体としてどこまで対応が進むのか、また対応に失敗した場合に備えた危機管理計画がどこまで作られ、どれだけの効果を発揮しうるかは、まだほとんどわかっていない。多くの人々の絶え間ない努力のおかげで、状況が日々変化している(それも改善の方向に)ことは間違いないが、そうした努力の内容や結果についての、客観的な事実に基づく具体的な情報の開示がいちじるしく不十分である。

 もちろん時間切れを覚悟せざるをえない分野もあちこちにあるだろう。対応したつもりでも、見落しがあったり、新しいバグが入ってしまったりしているケースもないとはいえない。そのため、2000年の前後にどの程度の深刻な問題が、どれだけの期間や範囲にわたって続くかを正確に予測することは、ほとんど不可能である。それでもたとえば、2000年問題を論じた先駆的な著書『時限爆弾2000』を出版している著名なコンピューター・プログラマーのエド・ヨードンは、最近になって、自分としては「1年間の混乱、10年間の不況」を覚悟していると述べている。「空が落ちてくることはないにしても、雨は降るだろう」という言い方をしている論者もいる。つまり、対応の比較的進んでいる国々であれば、全国的な長期間の停電といった類の大災害はまずありえないにしても、相当の期間にわたってさまざまな不便不具合が多発することは不可避だというのが、現時点での多数意見だとみてよいだろう。もちろん、対応の遅れている地域や部門では、混乱はより深刻なものにならざるをえないだろう。

 そのように考えるならば、「2000年バグ」の完全な修復ができないために発生する「2000年問題」は、単なるコンピューターの問題を超えた社会問題、すなわち経済的、政治的、さらには軍事的問題となる可能性をもっていることがわかる。

 さらに言えば、2000年バグそれ自体は、突破期の最初の二つの段階にあるコンピューターやそれを要素とするシステムがもっているさまざまな問題の一つにすぎない。たとえば、ウィンドウズ系のパソコンは、仕事をするたびに不要な「ごみ」がたまり、それがパソコンのメモリーを食ってしまってしばらくするとフリーズしてしまうという、設計上の決定的な不備がある。そのために長時間の連続運転ができないのである。

 あるいは、日本の銀行のオンライン・システムは、2000年問題には対応しているとしても、近年の情報通信革命の急進展に対応した業務自体の見直し、とりわけオンラインの商取引の普及への対応が、いちじるしく不十分である。また、日本も含めた世界の電話のシステムは、IPネットワークによって遠からず全面的に置き換えられる運命にある。

 というわけで、産業革命が突破から成熟に移行する転換期には、突破の初期に作られた生産や流通のシステムの全体が、成熟期に適したシステムによって置きかえられなくてはならないのだが、それが円滑に進むという保証はどこにもなく、躓きや混乱がさまざまな形で起こることはほとんど不可避なのである。それに加えて、成熟期には人々のライフスタイルの大きな転換も起こるわけだが、これまたとくに旧いライフスタイルを身につけている中高年世代にとっては、容易なことではないだろう。これも社会的混乱の大きな要因となりうる。

 そればかりではない。すでに述べたように、今回の産業革命は、産業社会から情報社会への移行という、より大きな社会変化と同時並行して起こっている。その意味では、2000年問題のような社会問題は、産業革命の突破段階から成熟段階にかけて直面する問題という以上に、産業社会から情報社会への転換にさいして近代社会が直面し克服していかなくてはならない、大きな社会的問題の一つなのであろう。いってみればそれは、軍事化の初期にあった社会が経過しなければならなかった独立戦争や宗教改革に、あるいは、産業化の初期にあった社会が経験しなければならなかった革命や戦争に、それぞれ匹敵する性質の社会的混乱だと解釈できるのである。

 そうだとすれば、そこから二つの結論が引き出せる。

 第一に、「2000年問題」それ自体は、一部の悲観論者がいうような「この世の終わり」につながるものでは決してありえない。近代化過程は(またその一部としての産業化過程も)、2000年問題の混乱を乗り越えて着実に進展していくだろう。それはちょうど、今世紀前半の二度の世界戦争や大不況が、いかに大きな社会的混乱を招いたにせよ、それによって第二次産業革命の進展が止まりはしなかったのと同様である。

 しかし第二に、2000年問題それ自体の克服に成功したからといって、転換期の困難な諸問題のすべてが解決されるわけではまったくない。また別の新たな問題が、近代文明を悩ませるだろう。たとえば、情報通信機器相互間の緊密なコミュニケーションやコラボレーションを可能にする「コンピューティング・ネットワーク」の出現は、同時に、より深刻な「ハッキング」あるいは「クラッキング」の出現の可能性を秘めている。世界を驚倒させるような大規模な犯罪が、コンピューティング・ネットワークの上で多発するようになるかもしれない。あるいはまた、きわめて急速にネットワーク上に広がり、甚大な被害をまきちらすようなコンピューター・ウィルスの散布が、ネットワーク上での戦争もしくはゲリラ行動の戦術として、採用されるかもしれない。これまでの近代社会と同様、情報社会もまた、決してバラ色一色の社会になることはありえないのである。

三、おわりに――情報ネットワーク社会の展望

 私がこの小論でとりわけ強調したかったのは、近年のあらゆる「ポスト・モダン」論や「反進歩」論にもかかわらず、近代化はもちろん、その第二局面にあたる産業化さえ、まだまだ終わりそうもないということである。終わらないどころか、まさにわれわれの眼前で、史上かつてなかったような速度で、その進化はますます加速しているではないか。もちろん、前節で見たように、近代化の第二局面から第三局面への転換期にあたる情報化の初期(それは同時に産業化の末期でもあるが)には、さまざまな深刻な社会的混乱が発生するだろう。しかし、近代化そのものがそれで中断したり挫折したりしてしまうわけではない。むしろ現在の嵐のような加速的変化が一段落したところにその全容が現れる近代化の第三局面は、それ以前の局面に見られたような荒荒しい闘争や競争、あるいは硬直した進歩主義や手段主義の支配する社会ではなくて、広汎な協働関係のネットワークが社会全体にひろがる、物質的にも精神的にも成熟した寛容な社会になる可能性が強い。それは恐らく、近代化の最終局面というにふさわしい局面になることだろう。

 そして、いうまでもないことだが、近代化の過程、つまり人間がもつ目標実現手段の増大の過程が無限に続くことは、時間的に見ても空間的に見てもありえない。いいかえれば、近代化が、現存する過去準拠型の宗教文明社会のすべてを覆い尽くすことは、決してないだろう。近代化の第三局面で、今後いかに資源やエネルギーの節約と地域的自給化の努力が進むにしても、いずれは百億を越えると予想される地球人口のすべてが、近代文明の達成した豊かな物的生活の恩恵の均霑を受けるようになるとは、まず考えられないのである。そうだとすれば、近代文明の成員たちは、早晩、これまでの近代化を支えてきた進歩主義、手段主義、および自由主義の価値観の放棄をせまられることになろう。それはとりもなおさず、未来志向型の近代文明とは異なるタイプの文明、すなわち過去準拠型の文明への転換を意味する。私のいう「智識文明」への転換がそれである(拙著、『情報文明論』、NTT出版、1994年)。

 そう思ってみれば、新しい文明への転換の予兆は、すでにあちこちに見られるように思われる。近年その台頭が著しいNGO-NPO、すなわち私のいう智業は、さまざまな理念を掲げて人々をその信奉者とし、その実現のための協働行動を組織しようとしているのだが、その中には、進歩の可能性を否定し、「存続」(つまり避けられない衰退あるいは崩壊過程の引き延ばし)を唱道しているグループも少なくない。いずれはその中から、次の文明をリードしうるほどの強い影響力をもった思想や理論、あるいは「宗教」さえ、出現してくるかもしれないのである。そうなった暁には、次代の文明は、未来から見れば過去に属するその時点で啓示されたことになる、究極の真理なり正義なりに即して、構築されていくことになるだろう。ポストモダンの智識文明への本格的移行は、そこから始まるに違いない。