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別府湾会議99を振り返って

March 1, 2000 [ kumon ] このエントリーをはてなブックマークに追加

2000年03月16日

ハイパーフラッシュ15号・3月発行掲載原稿

公文 俊平

 別府湾会議は、二年に一度、大分県の別府湾地域で、ハイパーネットワーク社会研究所が主催して、今日の情報社会の諸問題を討議するために開かれる会議で、今回は第六回目にあたる。毎回、国内だけでなく海外からも発表者を招待するのが慣例となっていて、今回も、米国から評論家のアンドリュー・シャピロ(マークル財団)、南カリフォルニア大学でマルチメディアを教えているリチャード・ワインバーグ教授、カナダから、光通信を推進するCANARIEプロジェクトの主任技術者ビル・セント・アーノー氏、マレーシアからはマルチメディア大学のアブ・ハッサン・イスマイル教授の参加をいただき、充実した議論を行うことができた。以下は、二日間、三セッションにわたって行われた討論の概要紹介と、要約の試みである。なお、毎回、昼間のセッションの他に、夕食後、浜野東京大学教授がオーガナイザーとなって、マルチメディアのコンテントを中心にクリエーターの方々のお話を伺う特別セッションと、さらにその後で参加者の多くによって夜を徹して続けられる「夜なべ談義」と称する語らいがあるのが、この会議の魅力的な慣例となっている。今回もまた、特別セッションも夜なべ談義も大いに盛り上がり、参加者を堪能させた。特別セッションでは、ワインバーグ教授が米国における最先端のCG技術の紹介、イスマイル教授がマレーシアにおけるCG技術者育成の試みについて、そして特殊映像演出家の樋口真嗣氏が、故・黒澤監督の直筆絵コンテ映像化プロジェクトの様子を紹介した。さすがに、ビジュアル・プレゼンテーションが中心のためその記録は残されていないので、内容の紹介は残念ながら割愛せざるをえない。ここでは、第一セッションでの報告を中心に議論の要約紹介を試みると共に、筆者の総括的な印象を付記したい。

第一セッションの要約

 11月18日の午後から、大分第一ホテルで、来賓の郵政省電気通信局電気通信事業部電気通信技術システム課、塩崎課長補佐の挨拶を受けて始まった第一セッションでは、まず、公文(新ミレニアムのネットワーク)、シャピロ(コントロール革命)、セント・アーノー(光ネットワーク)の三人が基調講演を行った。その後、尾野ニューコアラ事務局長による大分のギガビット・ネットワークの紹介があり、さらに、ニフティサーブを運営してきた現富士通の岡田氏、長崎を拠点として「この指とまれ(ゆびとま)」という名の同窓会ネットワークを主催している小久保氏、WWW千葉ニュータウンの矢野コーディネーター、ベビカムOnlineを運営している安西氏、アライド・ブレインズの安藤シスオペ、二つのメールマガジン(ネットサイエンス・インタビュー・メールとポピュラー・サイエンス・ノード)を編集している森山氏、情報交換サイトのOKWebを立ち上げた兼元氏、メールマガジンWEEKLY SOHOの発行者森氏、オンライン・オークションのマイ・トレード・コムを運営している尾崎氏、インターネット電子レンジを発売したシャープの河村氏など、日本のインターネットの新しい流れを代表する各氏の経験談に耳を傾けながら、活発な意見交換を行った。

基調講演

公文:新ミレニアム初頭の世界の情報通信革命は、インターネット主導で進むことが確実になり、その中で、情報通信システムの幹線、および業務用の通信は基本的に光ファイバーと広帯域無線による全光通信の方向に、いっせいに進んでいる。他方、個々のユーザーが相互に広帯域の通信を行ったりインターネットに高速でアクセスするための方策については、さまざまな選択肢があり、どれをどれだけ重視するかについての戦略は国毎に多様である。たとえばアメリカはケーブルモデムやDSLを重視しているのに対し、ヨーロッパはモバイルとインターネットの結合を重視し、カナダは地域の光ファイバー網をユーザーが自前で敷設・保有する試みを推進している。また、とりわけアメリカでは、インターネットを通信サービスの一つとして組み込もうとする通信サービスの「バンドル化」の流れと、インターネットの中に画像や音声通信など各種の通信サービスを統合していこうとする「統合化」の流れが競合している。しかし、新ミレニアムの主流は、ハイパー研が提唱してきた、地域コミュニティを基盤とするCAN型の広帯域通信システムになるだろう。そのための基礎技術も、10ギガビット・イーサーネット技術の形で出現しつつあるので、日本でもその方向をめざす努力が望まれる。

シャピロ:情報革命は、社会のコントロール力を政府や大企業から、小集団や個人の手に移すという意味での「コントロール革命」でもある。それは情報のパーソナル化や中間的な媒介者の消滅を伴っている。この過程に対しては、強く抵抗する人々がいる一方で、行き過ぎをもたらすほどにそれを強く推進しようとする人々もいる。そうした拮抗する力の働く結果は、バラ色の未来をもたらすものでも、暗黒の未来をもたらすものでもない。公的な価値と私的な価値の一方だけが優先するというものでもない。われわれは、両者のバランスを賢明に取りつつ、技術に対してもある程度の距離を置いて批判的に対するという、リアリスト的な姿勢を保つ必要がある。これが、シャピロの提唱する「テクノリアリズム」の立場であって、アメリカの社会ではまだまだ少数派にすぎないが、若い世代の中には、こうした中庸の立場を支持する人々が増えつつある。

セント・アーノー:カナダには民間企業中心のCANARIEというNPOが作られて、世界で初めての、光によるインターネットのネットワーク化を推進している。既存の電話やCATVのネットワークを融合させるのではなく、新しいネットワークを作ろうとしているのだ。これによって電話は不要になると同時に、ネットワークの費用もこれまでの何十分の一になる。この変化の先頭に立って、LANから出発する広域的なネットワークを、自前で構築していこうとしているのが、地域のコミュニティや、その中の病院や学校だ。新しいネットワークで行われる通信の大半は、コンピューター間、機械間の通信になる。人間同士の通信や、人間と機械の間の通信は、全体のごく一部を占めるにすぎない。通信の広帯域化が必要とされるのは、もっぱらそのためなのだ。

尾野:自分が過去一貫して取り組んできたのは、地域を楽しくしよう、お互い同士が主人公であるようなネットワーク社会を作ろうということだ。その地域に住むこと、またはその地域に縁を持つことが楽しくて経済的に精神的にも満たされるようなコミュニティ・エリア・ネットワークを作ろうということだ。その中で、当面の課題は、(1)常時接続型の高速ネットワークをハード的に構築すること、具体的にはADSLサービスの導入や、CATV網を使ったIPギガビット・ネットワークの構築、さらにはそれを使ったバーチャル・リアリティ映像の発信、(2)それを活用できる活性化したサイバーコミュニティを作り上げること、とりわけコミュニティの中への広告や電子商取引の導入や、メーリング・リストとホームページの一体化、(3)そうした活動を推進する組織をしっかり作っていくこと、具体的にはこれまで進めてきたコアラの再組織、とりわけ株式会社化の可能性の追求、この三つだ。

 以上の基調講演を通じて明らかにされたのは、大都市・大企業のビジネス利用や、一般消費者大衆への情報提供をめざすインターネットの新展開と並んで、地域を中心とする新しい形のインターネットの構築や利用の動きが、明らかに世界的に台頭しつつあるという事実である。また、情報革命に対して、無条件の肯定あるいは否定という極端な立場でなく、冷静な目でさまざまな流れのバランスを取っていこうとする、いってみれば成熟した視点や姿勢が、とくにアメリカの若い世代の間に力を得つつあるという事実である。それは同時に、競争や対立よりは交流と協働を重視する姿勢の現れでもある。こうして、情報革命を契機として、近代社会の全体が成熟に向かいつつあるということができよう。

経験発表

、注目に値する活動を展開しているネットワーカーたちの経験談の中から、筆者がとくに感銘を受けた点を摘記してみよう。

ニフティサーブ:パソコン通信時代に生まれたは、公称350万の会員を擁する日本最大の会員制ネットワークの一つだが、現在では純インターネット・ユーザーと、パソコン通信併用ユーザーとが、ほぼ半々になった。今後は、会員限定のサービス(フォーラムやチャットなど)と、オープンなコミュニティ型サービスとの関係をどうしていくかという問題を抱えている。

同窓会員のための「ゆびとま」:長崎でコンピューターのソフトハウス(社員三名)を経営している小久保さんが、ボランティアで三年半前に始めた、全国各地の学校の同窓会員のために学校名と会員の連絡先のメール・アドレス・リストを提供するインターネット・サイト「この指とまれ」は、半年ごとに会員が倍増して、すでに65万人に達したが、今でもまだ同じ勢いで会員の増加が続いている。この間、小久保さんたちは、会員申し込みの信頼性をチェックするだけでも、不眠不休で働かなければならないという状態が続いている。この間全国に600名のボランティア・スタッフが生まれて、支援を受けているが、技術スタッフが不足なのと、専任スタッフの人件費をどうカバーするかが悩みのたね。この活動を何かビジネスに結びつけることができるかどうかが、次の課題だ。

WWW千葉ニュータウン:計画人口25万人、現在人口8万人の千葉ニュータウンで、生活面の不便を少しでも解消しようとして立ち上げたウェブ・サイトWWW千葉ニュータウンは、現在、メーリング・リスト(三つ、そのうち最大のもののメンバー数は120)、メールマガジン、メールニュースなども提供するようになっている。話題は学校、交通、行政をめぐるものが多い。とりえは、ニュータウンに関する情報提供よりは、お互いのコミュニケーション機会の提供。悩みは、運営経費の支弁と、活動のリーダー役をつとめてくれる人物がいないこと。これをビジネスにしていくつもりはない。

妊婦のためのベビカムOnline:このサイトの運営者安西氏は、サーファーのオンライン・コミュニティを作ったのがネットワーカーとしての活動の最初。サーファーでもインターネットのユーザーがこんなに大勢いるのなら、人々が熱中してくれる興味の対象を核とするコミュニティを作ればビジネスになるのではないかと思って、「子育て」、その中でも妊婦に焦点を合わせたサイトを、昨年の6月に立ち上げた。しかし、まだインターネットにアクセスできる人の数は限られているので、子育てに関する本の出版を先行させている。サイト自体のメンバー数は現在9000人、うち妊婦は2000人。運営の費用は、妊婦メンバーを対象とするさまざまなリサーチからえられる情報料を企業に出してもらう形でまかなっている。人気のあるコーナーは「愚痴の掃き溜め」と、ゼロ歳から一歳の赤ちゃんの育児をテーマとしたもの。アドバイスを受けていた人が、次にはアドバイスする側にまわるという関係ができてきた。

科学のメールマガジン:メールマガジンの成功例(2万部を達成)を作った森山氏は、ネットサイエンスという企業をスポンサーとして、「ネットサイエンス・インタビュー・メール」という冠メールマガジンを発足させた。その売り物が、科学者を対象とした中身の濃いインタビューで、その結果、大学・大学院生、研究者やマスコミ関係者の間に、多くの固定読者を獲得することができた。森山氏自身は、それを通じてサイエンス・ライターとしての声価を高め、執筆の注文がたくさんくるようになった。さらに、最初のメールマガジンの成功を背景として、今度は一般人の科学ファンのためのメールマガジン「ポピュラー・サイエンス・ノード」を、自分の趣味で個人的に発刊したが、これも好評をえている。また、「独断と偏見のSF&科学書評」と題する、テキストだけの個人ホームページも開設しているが、ここにも一日4000から5000のヒットがある。エッセーを読みたいというリピーターが多く、一種のコミュニティがここにできあがっている。

質問に答えるOKWeb:「教えて、答えて」の頭文字をとってOKWebと名付けた兼元氏のサイトは、質問に対する答えをいかに効率よく受けられるかに焦点を合わせて構築された。すなわち、回答者は、自分が単なるアドバイスをしているのか、問い自体に答えているのか、自分は関係者なのか、専門家なのか、自分の答えに自信があるのかないのか、何を参考にしてこの答えをしているかなどを入力出来るようにした。回答がくると質問者の所にメールでその旨通知される。回答を見た質問者は、お礼の意味で、役に立った回答に対しては点を入れる。点の入った回答は、「良回答」として格付けされる、それが回答者のランク付けにもつながる、等々。現在、会員は450、閲覧者は7万、総質問数が434、総回答数が1009、良回答が134となっている。ボランティアで始めたが、企業向けのサービスをする会社組織への移行を準備中。

メールマガジンWEEKLY SOHO:インターネットビジネスの事業開発のかたわら、このメールマガジンを発行(41000部、現在黒字)している森氏は、自分のコンサルティング活動の経験を、起業を試みる人々、あるいはすでに起業した人々に伝えるべく、このメールマガジンを立ち上げた。基本的に口コミを通じて販路を広げて行った。収入は広告に全面的に依存。コンテントは、自分のビジネスをPRしたいという人の提供なので、ほとんどコストはかからない。今は、さらにそのまわりに、インターネット株専門の情報局、「インターネット・ストック」(会員数は現在200)と、スタートアップ企業のための各種の募集やPRの場としての「トライフォース・ネット」を展開しつつある。後者は、その第一段として、ビジネスのプレゼンテーションを無料でウェブに掲載するところから始めた。この事業のコンセプトは「あなたの成功が私の成功になるWe for your success」だ。

オンライン・オークション・サイトのMy-Trade.Com:もともとパソコンのパーツ・ショップを全国展開していた会社が、自社のホームページへのアクセス者を増やすための工夫として、一年半前から始めた。新しいパソコンを買うときには、手持ちの古いものを売りたくなる人が多いことに着目。現在は出品料100円、落札者からの謝礼100円をもらうことにした。(料金の引き落としは、クレディットカードで、1000円以上にまとまってから。)会員数は2万、月間の取り扱い商品点数が1万件ぐらい、平均単価が1万2000円、年商は取り扱い高で約15億円、まだ収入が費用をカバーするまでにはいたらないが、あと1年ぐらい経てば損益分岐点を突破すると期待。オークションの利点は、価格が自動的に決まるので成約しやすいこと。問題点は、知らない人同士、いかに安全に取引を完了させるかということ。そこで、信用照会、取引仲介(まず買い手の方から代金を一旦我々が受け取りまして、確かに間違いなく物を受け取ったということを確認してから売り手に払う)、取引保険などの仕組みを導入。

 これらの経験談には、筆者の言葉でいえば人々の交流と協働の場である「智場」をプラットフォームとして、ビジネスを展開していく上での、貴重な教訓やヒントが数多く含まれているように思われる。

第二日目午前の第二セッション

 会場を湯布院の湯布院ハイツに移して、19日の朝から行われた第二セッションでは、ハイパー研の研究員であると同時に、マレーシアのアジア・ネットワーク・リサーチの代表、APNIC(アジア太平洋インターネット協会)の事務局長、国際大学グローコムの併任研究員など多くの顔を持って多面的な活動をグローバルに繰り広げている会津泉氏から、最近の活動紹介として、(1)インターネットのガバナンス問題、とくにドメイン問題をめぐる最近のICANNの動きおよびそこで議論されている中心的なイシューの紹介と、(2)アメリカで行われたインターネット関係者の会合と日本で組織されたY2Kタスクフォースの活動を中心とするインターネットの2000年問題対応の模様についての詳しい説明とが、まず行われた。ここで、とくに強く指摘されたのは、インターネットのような管理の中心がなく相互接続関係の上に成り立っているネットワークでは、一方では各人が自らさまざまな対応努力を行う必要があると同時に、他方では自分のところだけ対応しても、相手が(とくに外国で)何をどうしているかについての情報がない場合には、全体の動きがどういうことになるかは予想しきれないという問題だった。[結果的には、インターネットは全体として、ほとんど何の問題もなく2000年への転換を終えることができ、関係者は胸をなでおろしたのだが、それは後の話である。]

 続いて、西日本電信電話の野口氏から、大分で全国にさきがけて始まったADSLサービスについての説明があり、そこから議論は他の広帯域アクセス方式、とりわけ無線でのインターネット高速アクセスの可能性や、DSLも含めた全体としての広帯域ネットワークの構築の問題点の検討に向かった。

 その後は、今回の会議に参加した高知県、沖縄県、福岡市、愛知県、静岡県、茨城県などいくつかの自治体の関係者の方々から、それぞれの地域での情報化の試みについての説明をいただき、最後に、ひつじ書房の松本氏がすすめている、個人がインターネットの上で生業をたてられるようにするための、はなはだ興味深い一つの試みである「投げ銭システム」についての説明と、それに対する日経新聞社の坪田氏からのコメントをうかがって、このセッションを終えた。

二日目午後の第三セッションと総括

 昼食の後、会場を湯布院町の蒔絵美術館に移して行われた第三セッションは、恒例による「自由討論」で、その趣旨は、特定のテーマを掘り下げるというよりは、会議の参加者全員が一度は発言する機会を得られるようにすることが主な狙いで、こもごも会議の感想を述べ会う形でセッションが進行した。個人的な深い思いも込めて語られることの多かった各参加者の感想と物語は、そのそれぞれが聞き手に強い印象を与えた。

 以下では、筆者がそのさいに述べた三点のまとめを、その記録をもとに加筆訂正し要約することで、今回の会議全体の総括にかえたい。

 第一に、日本ではこの10年間いろいろなことがあったけれども、結局インターネット革命と呼べるようなものはまだ来ていない。しかし、今回の会議でもはっきりしたように、変化への胎動は日本でも間違いなく始まっている。

 第二に、物理的に見ると人間は世界が一番大きくて、その中に国があって地域があって、職場があって、家族があって、私はほんの小さな一つの点にすぎない。しかしそこから個人の情報空間に入っていって見るならば、自分の中だけにとどまっている情報部分の占める割合が一番大きくて、そのうちの一部は家族や職場の仲間との間にシェアされていて、さらにその一部が地域や国の間にシェアされていて、世界とも分け合っているのは、ほんの一部にすぎない。だから「情報化」という時には、その一番大きな部分での本格的な情報化が起こらなければ、実は国とか世界のレベルで自分の持っている情報を効果的に分け合うということもできないはずである。

 その議論をもう少し広げて見ると、同じことは、私が生み出す価値の空間についても当てはまる。例えば私という個人が毎日生みだしている価値の圧倒的多くの部分は、温泉に入ってリラックスするといったような、私自身にとってだけ意味をもつ価値だ。

 しかし、私の生み出す価値の中には、家事や対コミュニティのボランティア・サービスのように、私の家族にとってあるいは友人や職場にとって、またコミュニティにとっても、価値として認められるものも少なくない。その中の一部には、コミュニティの中でのサービスの交換という形を取れるものもあるだろう。そして、さらにそのほんの一部が、お金に換えられるような、つまりより広い外の世界にとっても価値として認められるような、物やサービスの形をとっているだろう。だから、その最後の部分だけを取り上げてGNPがこれだけあるとか、大きくなったとか小さくなったとか言っているのは、私が日々生みだしている価値全体の中で言うと、ごくわずかな一部にすぎない。

 そして、例えば投げ銭システムで考えられていることは、元々は他人に売れるとも思っていなかったような個人の活動の中に、あるいは表現の中に、他人から見ると投げ銭で評価するのに値するような、つまり商品に成り得るような活動が、けっこうたくさんありうるのではないかということに気がついて、それならそれをどうやって他人のための価値として実現していくか、そのための仕組みをどう作れるかという話だろう。

 他方、「エコマネー」の推進者たちが考えているのは、本来は非常に濃密な家族的・コミュニティ的関係の中で行われる相互行為で、とてもそれをお金で評価するとか、互いに売買するなどということは考えられないもの、たとえば家族の間の家事労働とか、子供が自分の家でする手伝いや、コミュニティのためにする奉仕活動などを、あえてある種のお金で評価したり、家族やコミュニティの内部でのその交換を媒介したりしようとする試みだと言えよう。しかし、その外部に対しても売れるかどうかは問題にしていないので、交換を媒介する通貨も、ある範囲の中に通用範囲が限定されているローカルな通貨を使うことになる。ともあれ、こうした投げ銭やエコマネーのシステムを作り出すことは、これまでにはなかったような新しい経済活動を促進することであり、ひいては地域の活性化や新しい経済発展につながる。私共はそういう方向でできること、なすべきことは、いろいろあるのではないだろうか。

 第三に、私がこれまでいろいろ情報社会の勉強してきたなかで、いまだに一番よくわからないのは、Y2Kって本当になんだろうということだ。2000年までもう後1ヶ月しかないというのに、ほとんどの国で大した動きは起こっていない。なんら問題がないと思っている人もたくさんいる。新聞や雑誌にはずいぶんいろいろ書かれているけれどもピンときてない人が多いということは、実はそういう人たちの方が正しい見方をしているのであって、いろいろと心配している私などは何かとんでもない考え違いをしてるのかもしれない。それは、いずれすぐわかることではあるのだが。

 あるいはことによると、多くの人々の予想に反して、いろいろな問題が起こるのだが、それでも意外にパニックにならずに対応が行われ、しかも全体としては、これまで作り上げてきたメインフレームのシステムとか、あるいはパソコン、ワークステーションのシステムはもう持続出来ない、全体として新しいシステムに取り替えなければならないといったことにだんだん気がついてきて、何年かして新しい情報システムが本格的に立ち上がるのかもしれない。

 今回の会議での発言の中には、この10年の間あまり面白いことは何もなかったとか、人々のやることがどんどん画一化してきたというコメントがあったが、確かにそれはそうかもしれない。しかしそのことは何も、今後50年100年にわたって、同じようにどんどんどんどん我々の見方が狭くなり画一化していくということではなく、過去10年、20年の事態は、日本が下り坂を走ってる間に出てきた事態であって、必ずまたそれは逆転するのではないかと私には思われる。

 つまり、昨日から今日にかけてわれわれが議論していたようなことを、いずれ多くの人が本格的に取り組むようになって、そして世の中も目に見えて変わっていくという時代が次の10年には必ずやってくる。それが来年になるのか再来年になるのか3年後になるのか、あるいはもっと遅くなるのかそれはわからない。しかし、新しい発展のための準備は、すでに始まっている。そういうことではないかと思うので、参加者の皆さんにもぜひその日に備えていていただきたい。