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kumon_jyouhou_kindaibunmei - July 1, 2000

情報化と近代文明4

July 1, 2000 [ kumon_jyouhou_kindaibunmei ] このエントリーをはてなブックマークに追加

公文俊平(所長)

第3章:内からの経済成長と情報化

第1節:情報化のグローバル・パス とグローカル・パス

 先の第二章では、現在進行中の情報化(広義の情報化)には、三つの側面があると指摘した。すなわち、第二次産業革命および第三次産業革命としての側面と、第一次情報革命としての側面がそれである。

 これから21世紀の初頭にかけて、第二次産業革命は、成熟からさらに爛熟とでもいうべき局面にさしかかっていくだろう。すなわち、各種の機械、とりわけ消費者用機械(耐久消費財)がますますコンピュータ化すると同時に、通信ネットワークに常時接続しているようになっていくだろう。そこから家電の“情報家電”化といった見方が出てくる。1

 しかし、現在の情報化を、過去の第二次産業革命の延長として捉えるだけでは不十分である。あるいは短絡的でさえある。むしろ新しい種類の社会変化としての、第三次産業革命や第一次情報革命の方に注目することが重要であり有用である。そこで、以下では、単純化に過ぎることは承知の上で、第三次産業革命の流れを“グローバル・パス”と、第一次情報革命の流れを“グローカル・パス”と呼んで互いに対比させてみよう。もちろんこの二つの流れは、対立的なもの、二者択一的なものというよりは、同時並行的、相互補完的、さらには相互浸透的なものでさえあるだろう。2

グローバル・パス

 まずグローバル・パスの方から見ていこう。100年前の、第二次産業革命(重化学工業革命)の出現から突破にかけての局面を思い起こすならば、そこで生じていたのは、単に一連の新技術や、それを具現した新産業が台頭したという以上の深い変化だった。すなわち、電力・電話網や道路網のような新しい社会的インフラや、株式会社のような新しい大規模経営形態の出現も同時に見られた。3 また、農業や軽工業あるいは政府のような既存の組織が、競って“電化”を推進すると同時に、重化学工業の生みだした新しい製品やサービスを自らのビジネス・プロセスに導入するための“リエンジニアリング”を行ったのである。

 同じことは、現在にも当然あてはまる。つまり、第三次産業革命の突破を成功させるためには、新しいインフラと、新しい経営および産業組織の形態、そして新しい技術や財・サービスの“ビジネス利用”こそが、緊急不可欠なのである。新しいインフラの中心は、“インターネット”あるいはその進化形態としての“光と無線の広帯域IPネットワーク”であろう。その中核をなすものが、これまでのリング型(SONET)に代わるメッシュ型のトポロジーをもつ光ファイバ幹線網と、その上で光スイッチや光の対称多重化・非多重化装置を使って実現される高密度波長多重型の全光通信であり、それを補完する役割を果たすのが、広帯域の光無線通信と次世代のセルラー・ネットワークになる。4

 新しい経営形態とは、自立・分散・協調的な“モジュール・ネットワーク型経営組織”やオープンな標準とプラットフォームを前提とする、“レヤー別産業組織”であろう。そして、情報通信技術や財・サービスのビジネス利用の中心は、少なくとも今後当分の間、インターネットのプロトコル(IP)を企業内の“イントラネット”や企業間の“イクストラネット”として縦横に活用した、“e-ビジネス”なかんずく企業対企業の“B2B”におかれるだろう。5

 また、第三次産業革命の開始という観点からすれば、そこでの主導産業となる情報通信産業自身についても、そのあり方は、これまでの音声中心かつ1対1の双方向通信システムとしての電話ネットワークや、動画像中心かつ一対多の一方向通信システムとしての放送ネットワークが、単に部分的に進化したり融合したりするだけでは到底すまないという認識が得られるはずである。急激に進化していくのは、これまでは小さな脇役にすぎなかった機械間通信が中心で多対多常時接続型のデジタル“データ通信”システムであって、いずれはその上に、これまでの電話や放送の機能も、載せようと思えば容易に、また極めて安い費用で、載せることが可能になるのである。たとえば、あと数年もすれば、企業のPBX電話のほとんどは、企業内LANを通じて受発信する“IP電話に”なってしまうだろう。あるいは放送の世界にも、従来のアナログ放送をデジタル化するのではなくて、放送それ自体をインターネットの仕組みの上に載せた“IPマルチキャスト”が台頭してくるだろう。

 さらにいえば、第三次産業革命自体が出現から突破の局面へと移っていく中で、コンピュータ(とそのハードウエアやソフトウエア)主導から、通信ネットワーク(とその上でのサービス)主導への転換が起こるだろう。たとえば、パソコンその他の情報通信機器にどのようなOSが使われているかは第二義的な問題にすぎなくなり、むしろその間の相互接続性、相互運用可能性の有無が重要になってくるだろう。ソフトウエアや情報コンテントも、パッケージとして販売されるのではなく、一定額の使用料を払いつつ必要に応じてネットワークからダウンロードしてきて使う、あるいはネットワークから自動的に提供されるようになるだろう。

 ところで、現在が第三次産業革命の初期局面、すなわち出現からようやく突破に向かいつつあるところで、まだ成熟にいたるにはほど遠い局面にあるとすれば、ここでいう“グローバル・パス”の主要な利用者は、依然として大都市中心型の既存ないし新興の大組織(政府や多国籍企業)であって、それが提供するサービスの中心も、これらの組織が利用するイントラネットやイクストラネットのためのものになることは当然であろう。

 それでは、このような利用者のために、グローバル・パスではどのような情報通信サービスが提供されるのだろうか。最近急速に普及し始めたのは、1990年代の初めにインターネットが民間に開放される中で登場してきた、インターネットへの接続サービスの提供者であるISP(インターネット・サービス・プロバイダ)が、いまやASP(アプリケーション・サービス・プロバイダ)という呼び方がふさわしい方向に向かって自己再組織しつつあるという見方である。

 とはいうものの、それでは「アプリケーション・サービス」なるものの具体的な中身が何であるかという点をめぐっては、議論はまだ十分収束していない。私には、むしろとりあえずNSP(ネットワーク・サービス・プロバイダ)とでも総称しておく方がより適切なように思われるが、ここでは、それらの侃々諤々の議論の中でもとくに注目する価値があると思われる二つの見方を、まず紹介してみよう。その一つがESP(エクストラネット・サービス・プロバイダ)としての側面を指摘するデービッド・ウィリスの見方 6 であり、もう一つがMSP(メタサービス・プロバイダ)としての側面を指摘するケビン・ワーバックの見方である。7

 ウィリスは、情報技術部門はいまや、自社の社員でさえない人々(契約者、取引先、情報のシェアに関心を持つ競争相手など)までサポートしサービスしなければならなくなったとして、これまでの“企業ネットワーク”の範囲の拡大にまず注目する。そこでのサービスの具体的内容は、電子メール、電子会議、文書通有、ファイアーウォールの後ろにあるアプリケーションやデータへの接続などだが、それらすべてを自社内で行うには限度があるので、いずれは共通のイクストラネット・プラットフォームを使って、公衆網からアウトソースするようになるだろうと考え、そのようなサービスに特化したプロバイダのことをESP(エクストラネット・サービス・プロバイダ)と呼ぼうと提唱している。

 ESPは第一に、ウェブ・ホスティングのような標準的IPサービスを企業向けに提供するが、そのためにもしっかりしたデータ・センターのインフラや、伝統的なアウトソーサーが持つ最良のサービス・マネジメント経験が必要とされる。また、混雑した公衆用接続点のいくつかを利用するだけにとどまらず、大きな広がりと容量をもつバックボーンを介したインターネット接続が必要になる。さらに、最大手のISPたちとの間でピアリング協定を行って、できる限り広い範囲へのトラフィックの円滑な伝送をユーザー企業に対して保証しなければならない。でないとアウトソースする意味がなくなるからである。

 しかし、これからのESPに期待されるサービスは、そうしたホスティング・サービスだけにとどまらない。それに加えて、セキュリティ管理も必要になる。セキュリティ管理とは、強度なデジタル認証や「関心(を共有する人々)のコミュニティ」のためのPKI (public key infrastructure)提供サービスなどを指す。また、もう一つ不可欠なのは、個々のユーザー企業にとっての公衆網の上でのVPN(Virtual Private Network)のマネジメントである。イクストラネットの多様なユーザーたちは、電話によるダイヤルアップや専用線による広帯域アクセスなど、さまざまな形でVPNにアクセスしてこようとするだろうから、アクセス形態をどれか一つに決めてしまうことはできない。だからすべてのアクセス形態に対するサポートが必要になる。そして、そこからさらに進んで、さまざまな個別アプリケーション・サービスやディレクトリー・サービスも要求されるようになっていくだろう。ただし、現状ではこれらの多様なサービスのすべてを単独で提供してくれるESPはまだ出現していない。したがって、今、強力なイクストラネットを作って活用しようと思えば、いくつかのプロバイダのサービスをまとめるしかない、というのがウィリスの結論である。しかし、いずれこの状況は改善され、本格的なESPの出現が見られるようになるというのが彼の見通しである。

 ウィリスのこのような議論は、IPネットワークを使ってビジネスを展開しようと思う企業ユーザーの立場からのものである。要するに、トラックを使ったビジネスをしようと思う企業にとっては、自動車道路があるだけでは足りなくて、ガソリンスタンドから修理センター、交通管制サービスから道路情報サービス、さらにはハイウェーパトロールや駐車場や配送センター、等々のサービスが必要になるという議論と同じことである。

 これに対し、ケビン・ワーバックは、インターネットでの通信サービスを提供するキャリアやコンテント・プロバイダの大手にとって、ネットワークの急激な拡大が生み出すボトルネックを解消するための、新しい種類のネットワーク・サービスが緊急に必要とされるようになったという観点から、MSP(メタサービス・プロバイダ)の台頭について論じている。

 ワーバックによれば、インターネットの急激な成長に対処するには、通信帯域や機器の情報処理能力を増やすだけでは到底足りない。ユーザー数やトラフィック量が爆発的に増えた 8 だけでなく、今や多くのユーザーが広帯域のパイプをもつようになりつつあるからだ。とりわけ難問は、彼らの多くが同時に同じサイトにアクセスしようとする場合に、これをどう処理するかだ。それに対する最初の答えが、アクーマイ社が先頭を切って始めた「コンテント分散サービス」に他ならない。単に「インターネット・データ・センター」に置かれるホスト・サーバーの能力や数を増やすだけは、ピーク時への対応方式としては費用がかさみすぎるために、この新サービスがにわかに注目を集めるようになってきたのである。

 アクーマイ社の新サービスは、既存のネットワークと並行する独自のバーチャルなメタネットワークを構築し、その上での新しいサービス(つまり、メタサービス)を提供するものである。すなわち、世界中に多数のサーバーを分散配置し、時々刻々複雑な計算を超高速で行って、どのサーバーにはどのようなコンテントをどのルートを通って送っておくのが最適かを算出して実行しようというのものである。アクーマイ社のそうしたサービスはめざましい成功をおさめているが、それにつれて、基本的な伝送サービスと新付加価値サービスとが分離し始めた。そこでワーバックは、これをネットワーク・サービスの分断化の新段階でもあると位置づけている。もちろんこれまでも、ISPによるインターネット接続サービス、ISPに対する幹線のルーティング・サービス、ユーザーに対するウェブサイトやアプリケーションのホスティングなどが垂直統合されるのではなくて、それぞれ分離して提供されるようになってきてはいたのだが、今や情報配信自体が別個の分散的サービスとして分離され、インターネット上の新しいレヤーであるバーチャルなエンド・ツー・エンドのネットワークによって提供されるようになりつつあって、そのためのプラットフォームが、インターネットの価値核となりつつあるという。つまり、単にネットのパフォーマンスが向上するだけでなく、ネット上でのパワーのバランスが変化しつつあるというのが、ワーバックの主張なのである。9

 ところで、メタサービス・プロバイダの行う新しいサービスとしては、コンテント分散以外にもさまざまのものが考えられる。たとえば、商取引支援や広告、ゲーミングその他のアプリケーションのためのサービスやインフラが、これからどしどし出てくることだろう。10

 こうして新しく出現してきたメタサービス・プロバイダたちは、インターネットの縁とかコアでなく、別の平面(メタネットワーク)に位置している。彼らが提供するメタサービスは、インターネットそのもののオペレーティング・システム(OS)、つまりその上に他の種類のサービスやアプリケーションを載せるための基本的プラットフォーム、の一部として進化していくことだろう。

 では、ここでいうグローバル・パスそのものの構築・運用主体は誰であろうか。恐らくその中心になるのは、20世紀型の大企業よりはむしろ、第三次産業革命の中で広汎に成立してくる、レヤー別分業の原則に立脚したモジュール・ネットワーク型の企業群や、それらが構成する“プラットフォーム”型の産業組織になるのではないだろうか。確かに、1990年代の一時期、とくに米国やカナダなどで新しい通信法が成立して通信事業に競争が導入される中で、まず顕著に見られたのは、データから動画像、パイプからコンテントの提供にいたる多種多様な情報通信サービスを全体として“バンドル”し、“グローバル”に“エンド・ツー・エンド”で、しかも“ワンストップ・ショッピング”で提供するという新しい集中・合併、垂直統合の動きだった。しかし、今になって振り返ってみると、そうした垂直統合型のグローバルな巨大情報通信コングロマリットは、第二次産業革命時代の意識を引きずった過渡的な試みにすぎなかったように思われる。これらの巨大企業は、マイクロソフトの分割命令や、ワールドコムとスプリントの合併不許可の動きなどが示すように、一方において政府(とりわけ米国政府)の反独占政策による淘汰圧力にさらされている。他方においては、昨年秋の“シアトルの戦い”や、今年に入っての巨大ウェブサイトへの攻撃などが示すように、智民(ネティズン)からの反資本主義攻撃の標的ともなっている。しかし、かりにそうした圧力がない場合でも、これらの巨大企業は早晩、新型の企業や産業組織との競争に敗れて没落していく運命にあるように思われる。

 ただし、新たに台頭してくるスタートアップ企業群が、これまでのインターネットの伝統をそのまま継承した、関係者の合意に基づいて形成されるオープンな標準 11 に立脚した、相互接続・運用の可能なネットワークを自動的に作り上げていくという保証はない。現に、“メタサービス”というコンセプトを提唱したワーバック自身、今生まれつつあるインターネット上の新しいレヤーとしての“メタネットワーク”は、そのまま放置されれば私有型(プロプライァタリー)の標準に立脚した、閉鎖的な“インテリジェント・ネットワーク”として発展していく可能性が高いという懸念を表明して、適切な政策的規制の必要を説いている。ワーバックによれば、インターネット上に生れたメタネットワークは、かつて電話のシステム上に生れた信号網(SS7)に似ているが、全く同じというわけではない。SS7は、音声インフラの上にかぶせられたプロプライァタリーなパケット交換ネットワークであって、物理的なリンクも通信プロトコルも電話の音声チャネルとは別になっている。しかし、インターネットの場合は、どちらも同じIPインフラの上で動いている。しかも、インターネットのこのバーチャル・レヤーは、通信のコンテント自体を運んでいるばかりか、インターネットそれ自体のオープンなプロトコルの上に構築された分散的システムになっている。ただし今のところはそうであっても、それが将来ともオープンであり続けるかどうかは未定という他ない。インターネットがオープンで分散的なシステムとして出現してきたという過去の経緯は、それが今後もそのようなシステムであり続けることの保証にはならないからだ。だから、未来のインターネットをオープンで分散的なものにしたければ、「アンレギュレーション」ではなくて、適切な政策的介入が必要だというのが、ワーバックの主張である。12

 問題は他にもある。もしもグローバル・パスの追求が、もっぱら私企業によって、市場での自由な競争を通じて試みられる場合には、企業の投資は、現に、あるいはごく近い将来に、大きな需要が見込まれる地域や部門に集中するだろう。その直接の結果は、国の内外での情報力や経済力の格差、すなわち“デジタル・ディバイド”の拡大であろう。現在の日本は、先に見たような“情報家電”型の機器やサービスを別にした本来の第三次産業革命の進展の面では、米欧の情報化先進国はもちろん、一部の途上国に対しても、すでに大きな差をつけられている。13 同時に、このところようやく本格化しつつある格差解消努力のほとんどは、インターネット・データ・センターの構築やインターネット広帯域アクセス・サービス提供の試みなどに見られるように、大都市、とりわけ東京に集中している。つまり、このままで行けば、国内の“デジタル・ディバイド”が今後一気に拡大する恐れがある。だからといって、“社会主義型”の中央政府主導による計画的な格差解消の試みは、実行可能性という点でも有効性という点でも疑問が多い。

 だとすれば、中央政府主導ではない形の、グローバル・パスに代わる、あるいは少なくともそれを補完しうるような経路を探してみる必要がある。その有力な候補になりうると思われるのが、次に見るグローカル・パスである。

グローカル・パス

 ここで、視点を地域コミュニティに移してみよう。個々の地域コミュニティにとって、グローバル・パスが情報化への外からの道、つまり外から始まった変化がそれを通じて地域コミュニティの内部にも及んでくる経路であるとすれば、グローカル・パスは、知的エンパワーメントを基盤とする意識や行動様式の変化を経験しつつある智民たちが、同じく知的エンパワーメントを達成しつつある政府(とくに地域の自治体)や企業(とくに地場の企業やSOHO)との協働を通じて構築し利用する、いうならば地域コミュニティの“内からの”情報化を推進するための経路である。もちろん、そのことは、個々の地域コミュニティが閉鎖し孤立化することを意味するものではない。むしろ逆である。個々の地域コミュニティは、自分自身の中だけではなく、自分たち自身を互いに結びつけるような、分散協調的な知の通有と協働のシステムを作り上げるのである。言い換えれば、各地域に構築される情報通信ネットワーク、すなわちCAN(コミュニティ・エリア・ネットワーク)は、インターネットのインフラやプロトコルを通有して、相互運用が可能な形で相互に接続されるのである。

 このようなグローカル・パスのための情報通信インフラは、次のようないくつかの特性をもっていることが要求される。第一に、それは、地域コミュニティのすべてのメンバーのための多対多の双方向通信のニーズを満たすものでなければならない。したがって、ネットワークが常時接続型のものでなければならないことは当然として、通信速度も上り・下りが対称型でなくてはならない。コミュニティのメンバーは、情報の受け手であると同時に、いやそれ以上に、情報の出し手となることを望んでいるからである。14 第二に、地域コミュニティの通信需要は、ジョージ・ギルダーのいう“通信の局所性の法則”に従っている。つまり、大まかに見て、コミュニティ内の通信が8、コミュニティ外との通信が2の比重を占める。同じことは、たとえば家庭内や職場内の通信と、その外との通信の比重についてもおおむね妥当するだろう。15 そうだとすれば、LANやCANを構成する通信パイプの帯域は十分に大きいものでなくてはならない。幹線の太さが最大で、末端にいくほどパイプは細くなるというイメージは、とりわけグローカル・パスについてはそぐわないものになる。

 グローカル・パスのための情報通信インフラの具体的な構築は、ネットワークの中心ではなく、その縁から、あるいは家庭やオフィスのLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)から出発する形をとる。そして、グローバル・パスの視点からする(ネットワークの中心あるいは幹線部分から最終ユーザーの端末機器にいたる)“最後の1マイル”に対して、(LANから外に出ていく)“最初の1マイル”あるいは“最初の100フィート”という視点が強調される。

 つまり、自宅の、自分の会社のオフィスの、自分の村や町の、さまざまなコンピュータや情報通信デバイスを、とりあえずLANの形で相互につないで局所的なネットワークにしようとするところから出発する。そうするとその中では当然、何十メガとか何ギガといった高速で通信できる。そして次に、それらのLAN同士を、たとえば光ファイバのメッシュや広帯域の無線(電波もしくは光)でつないで、CAN(コミュニティ・エリア・ネットワーク)を作る。一つの地域コミュニティ全体をカバーするようなネットワーク、あるいはさらに、いくつかのコミュニティをつなぐネットワークを作る。それらをさらにお互い同士つないでいって、広域のWAN(ワイド・エリア・ネットワーク)にしていこうとするのである。

 しかも、そうするためのLANの線や機器、それからLAN同士をつなぐための光ファイバや光通信のデバイスは、誰か通信事業者に敷設してもらうのではなくて、基本的に自前で設置する。自分たちの力だけでは足りないなら、自治体や政府と協力してやろうとする。もちろん一緒に協働してくれる企業(とりわけ電力、ガス、水道などの公益事業体)があればなお結構だけれども、基本的に自前で構築し、所有していようと考えるのである。もちろんその場合でも、そうして作られたシステムの運用や保守は通信会社に委託するということは十分考えられるし、どうせ線を引くのだから、一度にたくさん引いておいて、余った分は有料で貸すとかしようとする。それがグローカル・パスを支える基本的な哲学である。16

 そして今日では、意欲や経済力だけでなく、こうしたアプローチを支える有力な技術もまた、本格的に展開し始めている。その一つが、人口密度の大きくない農村部向きの、構築費用も運用費用もごく低廉な、高速広帯域無線LANの技術であり、今ひとつが高速イーサーネットの技術である。後者は、いまのところ銅線を使って10メガから100メガ、さらにはギガビット/秒の伝送速度を実現しているが、これがあと2、3年のうちに光ファイバで結ばれた10ギガビット・イーサーネットとして展開できるようになる。このすばらしいところは、LANからCAN、さらにはWANにいたるまで、基本的に同じ技術、同じ標準で構築できることである。現在はまだ標準化が限られた範囲のネットワークについてしか進んでいないけれども、やがて直径にして数十キロから数百キロの範囲をカバーする10ギガビット・イーサーネットが、容易に展開できるようになるはずである。そうなると、さらにその先に見えてくるのが、ローカルなネットワークから出発したグローカル・パスが、基本的にボトムアップで協調的なアプローチによって、LAN・CAN・WANの間の技術的・構造的な境界のない同質的なネットワークとなって、一つの社会全体に広がっていくというビジョンである。

 このように、自分たちの身の回りから出発して遠くまで広げていくという方向を追求するというのが、グローカル・パスの王道である。ただしその場合に、必ずしも厳密な意味でのボトム・アップである必要はないというか、一種のトップダウン型のアプローチもありうるのではないかという議論が各地で見られる。たとえばスウェーデンでは、国や首都(ストックホルム市)の主導で、全国に及ぶ全光ネットワークの建設が計画されている。カナダのCA*netプロジェクトは、典型的な官民協働型のアプローチをとっていると同時に、トップダウンでの幹線建設とボトムアップでの出資者所有型の“コンドミニアム・ファイバ”の敷設を並行して進めている。アメリカには、電力会社のような公益事業体が積極的な役割を果たすようになることへの期待がある。

 確かに、どの地域にも電気は電話以上に普及している。コミュニティのほとんど全戸が電力会社の顧客である。つまり、電力会社は、どの家計では誰がどういう職業をもち、どんな家族構成で、どのくらいの電力をいつ使っているかといったたぐいの個人情報を、比較的容易に入手できる立場にある。そうすると、そこが通信も兼業するとなれば、課金の自動化やメーターの自動読みとりから、各種の家電機器や情報通信機器の集中制御や遠隔運用なども含めて、新しくかつ有用なさまざまのサービスが提供可能になるだろうと考えられる。それに電力会社は、すでに大量の光ファイバを自前で敷設し、通信事業者に貸したりもしている。さらにいえば、ことによると、既設の電力線、とりわけ家庭やオフィス内に入ってきている部分を、広帯域ないし中帯域の通信回線としても利用できるようになるかもしれない。もちろん、電気の通っている銅線を通信回線としても利用しようとすれば、ノイズの発生等対処すべきさまざまな技術的ハードルがあるが、現在でも1メガビット/秒程度通信速度なら実用化に耐えることが分かっている。あるいは、もっと速い20数メガビット/秒くらいまでの双方向通信が可能になったので、とりあえず10メガビット/秒を月額数千円というサービスで、通信事業者が計画している同種のサービスと競争しうる形で提供しようとしている会社(アンビエント社)もある。さらに驚くべき例としては、通電している電力線の周囲に発生する磁界を利用して、2.5ギガビット/秒もの高速通信を可能にしたと主張している会社(メディアフュージョン社)さえ出現している。

 そこまで行くと話が大きくなりすぎるが、ともかく電力会社やその他の公益事業体が、グローカル・パス型の地域情報化のひとつの主要な担い手になる可能性は大いにあるだろう。もちろん、それとボトム・アップのアプローチとを組み合わせることも考えられるし、電力会社が旗振り役になって地域の通信会社や地方政府を糾合して広帯域通信サービスを展開しようとする動きも、現にアメリカでは起こっている。いずれ日本でも本格化すると思われる電力事業の自由化の流れは、さらにそれに拍車をかけることになるだろう。17

 それはそれとして、グローカル・パスの上で考えられるのは、そこに新しいタイプのサービス・プロバイダが成立する可能性である。ここではそれを、“CANサービス・プロバイダ(CSP)”とひとまず呼んでおくことにしよう。CSPが、一方で地域の情報通信インフラ作りにかかわる可能性をもっているのはいうまでもないとして、ここでとくに強調したいのは、対個人サービスと対コミュニティ・サービスである。そして対個人サービスの中で可能性がとりわけ高いように思われるのが、個人情報の保護と、個人に代わって行う購買代行サービスである。

 その意味はこうである。ネットワークの上には近年、さまざまな“ドット・コム”企業が立ち上がって、個人を相手にする、いわゆる、BtoCビジネスがさまざまな形で試みられてきた。しかし期待したほどにそうしたビジネスが伸びていないのは、会社と取引すると個人情報を取られてしまう、悪用されてしまうという恐れが原因の一つになっているとみられている。私自身も、ついこの間まで、洋書はamazon.comから買うことにしていた。そして、amazon.comにアクセスするたびに、私の過去の購買行動のデータに照らして「あなたのような人にはこういった本がお気に召すのではないか」といっていろんな本を推薦してくれる。しかも、かなりの大幅な割引価格を提示してくれることにすっかり満足していた。だがある日、ふと気が付いたのは、もしもamazon.comが、私ならこの種の本を喜んで買うだろうと知っているのであれば、その私に対しては割引率をそんなに大きくすることはない、むしろ他の人の平均購入価格の1割や2割位高くしても、私なら喜んで買うだろうと考えていたとしても、当然といえば当然ではないかということだった。もしもその可能性があるとすれば、私としては、amazon.comが推薦してくれた本は他のオンライン書店ではいくらで買えるのか調べてみたくなったとしても、これまた当然ではないだろうか。そこからもう一歩進むと、私は、ネットワーク上で動く“エージェント”(たとえば“eボット”というエージェントがすでに存在している)を使っていろんな書店をまわらせて、もっとも安い値段をオファーしている店をみつけて、そこで買えばよいということになるだろう。現にアメリカでは、すでにそうしている人がいるために、amazon.comとしては対抗上、eボットが自社のサイトに入ってきたらこれをシャットアウトするといった方策を講じているという。そうすると今度は、それではその防壁を乗り越えていけるような、より強力なエージェントを開発しよう、利用しようという人が出てくるだろう。

 amazon.comはまた、最近もう一つの問題を引き起こした。それは、ワンクリック・ショッピングという注文の仕方、つまり顧客の過去の購買データやその他の個人情報を同社のサーバーに蓄積しておいて、次には、買いたい商品を選んでマウスを一回クリックするだけで、注文手続きを全部完了するという仕組みについてビジネスモデル特許を取り、その独占をはかっていることである。しかし、このような仕組みはとくに高級なものでもなんでもなく、誰だって考えつくようなことで、ほとんど公知の仕組みだといってもいい。アメリカ特許庁は、どうしてそんなものに特許を認めたのか、これはアメリカ特許庁がネットワークに関していかに無知であるかを証明する出来事であるといって憤慨している人もいるほどである。だがそれはともかく、amazon.comは事実としてこの仕組みについてビジネスモデル特許を取得し、それをもとにして、同様な販売方式を採用している競争相手の書店を訴えたりもしているために、それに対してネティズンたちの反感が盛り上がっている。そこで「みんなでamazon.comをボイコットしよう」といった趣旨の檄文がメールになって飛んできたりすることになる。そうなると、私も考えこんでしまわざるをえない。少なくともamazon.comが反省するまで、サイトに行って見るのはともかく、そこから本を買うことは控えようという気になる。

 そういった経験をすると、いったんはうまく成立したかに見えたオンライン書店とその顧客との間の相互信頼関係は、必ずしも安定的に持続しえない性質のものにすぎなかったことに気づく。とりあえずはあるドット・コムを信頼して、その忠実な顧客になっていたけれども、ある時、その関係を乱用、悪用されていたこと、あるいはそうされる可能性があることに気づく。そうなると、このままではいけないなと思うようになる。現にたとえば、ダブルクリックという会社は、自社が集めた個人情報を乱用しているという理由で、その顧客から訴訟を起こされている。そうなってしまうと、このようなビジネスモデルは壊れてしまうだろう。

 それでは今後、個人情報の取得と利用を前提とした、個人相手のオンライン商取引はどうなっていくのだろうか。もちろんその答えは、まだ容易には出せない。だが、一つ考えられる可能性は、新しいタイプのサービス・プロバイダが地域に出現してくることである。それは、基本的には非営利の事業体であって、そこがまず個人のあるいは消費者の立場にたつことを宣言して、その人たちの個人情報は集めるけれども、それは直接そのままの形では絶対に外には出さないと約束する。そして私がオンラインで買い物したいと思ったときには、直接売り手のサイトに行くのではなくて、まずこのプロバイダのサイトに行って注文を出す。そうすると、このプロバイダが私の代わりに買い物に行ってくれるのである。たとえばamazon.comのサイトに行って、適当な個人名を名乗って、あるいは誰かのエージェントであると告げた上でクライエントの個人名は明らかにしないままで、「かくかくの分野に興味があり、これまでにこんな本を買っているのだが、あなたはどんな本を推薦するか、それをどんな値段で提供してくれるか」とか質問する。そこで条件が折り合えば、あるいは他にもいくつかのサイトをまわって、もっとも良い条件の売り手を見つけたところで、このプロバイダは目的の本を購入し、私にそれを譲り渡すのである。そうすれば、最終の買い手が私だということは、このプロバイダしか知らない。つまりもとの売り手にはわからないことになる。もとの売り手にわかるのはたかだか、世の中にはかくかくしかじかの趣味や関心を持ち、過去にこんな購買行動を取った買い手がどこかにいるらしいということだけである。このようなプロバイダが私のエージェントを務めてくれる限り、相互の信頼関係はかなり安定的に築いていけるのではないだろうか。もちろん私がこのプロバイダのサービスに対して、しかるべき手数料を払うことは当然である。

 以上はこのプロバイダが行う購買代行業とでも呼ぶべきサービスの一例だが、このよう考え方を更に発展させれば、新しい福祉社会のビジョンのようなものを作ることも可能になりはしないかと思えてくる。すなわち、それぞれの地域に足をおいた“顔の見える”プロバイダが、その地域のコミュニティのメンバーを自分の会員として持ち、互いにしっかりした信頼関係を築くというか、一種のコミュニティ自体を自分が世話役になって組織して、それこそ揺り籠から墓場までの多種多様なサービスをしかるべき料金ないし会費を取って提供することによって、そのプロバイダも存続できれば、会員も満足することが可能になるのではないだろうか。

 たとえば、このプロバイダを通じていろんな保育園の評判を聞いて、自分の子供のために最適なところを紹介してもらう。あるいは学校や塾、病院などについても同じようなことをしてもらう。さらに、就職について、転職について、結婚について、退職について、生涯学習の仕方について、資産の管理について等々、それこそ私の日々の生活のありとあらゆる面で、私に代わって情報を取ったり集めたり、なすべき各種の行為の提案や代行までしてもらう。そういう非営利のNPO、あるいは私の言葉でいう「智業」、こういうものがグローカル・パスの展開に伴って、今後各地域コミュニティの中に出てくる可能性は、十分考えられそうである。

 さらに、より狭い意味での対コミュニティのサービスとしては、たとえば“エコマネー”のような新しいタイプの局地的通貨を発行することがある。すなわち、これまでは売れる(つまり他の財やサービスと交換できる)などとは到底考えられていなかったような各種の個人的な財やサービスを、そうした通貨を媒介として交換可能なものにし、そのコミュニティの中で、あるいはいくつかのコミュニティの間で流通させることによって新しい経済発展を図っていく。あるいはエネルギーや食料の地域的な自給と流通のシステムを作る。また、そういう方向をめざす活動を組織するとか、そのために役立つ各種のサービスをも提供するようなプロバイダのあり方も考えられる。それについては節をあらためてより詳しく見ていくことにしよう。

1 現在は、コンピュータ化もさることながら、ネットワーク化の方がより顕著な傾向だとすれば“情報家電”というよりは、“ネット家電”というべきだとか、いや、家庭で共同使用するよりは、一人一人が自分用の機械を持つようになっていくのだから“ネット個電”というべきだといった意見もある。これらは、本文で見た第三次産業革命や第一次情報革命の側面にも留意した見方だと言えるだろうが、基本的に第二次産業革命の延長線上に新しい事態の展開を理解しようとしているという点では、不満が残る。

2 そしてもちろん、第二次産業革命の流れもまた、グローバル・パスおよびグローカル・パスとは同時並行し、相互補完および相互浸透的だといってよい。

3 第二次産業革命の後発国ロシアでの革命を“共産主義”によって推進しようとしたレーニンが、「共産主義とはソビエト+電化だ」と規定したことは有名である。これをもじっていえば、「情報文明とは智業+インターネットだ」ということもできそうである。

4 これによって、IPのパケットがATMやSONETのような高価な装置を経由することなしに、直接光ファイバの上を流れる“IP over glass”が実現する。その先のコンピュータが、これまでのような電子的な装置として残り続けるか、それともコンピュータまで光化するかについては、識者の意見は分かれている。また、“最後の1マイル”のアクセス網部分まで比較的早い時期に光化して、いわゆる“FTTH(ファイバ・ツー・ザ・ホーム”が実現するのか、それともまだ当分(少なくとも5年から10年)は、既存の電話線や同軸ケーブルを利用した各種のDSLやケーブルモデムによる広帯域(より正確には中帯域)通信が主流を占め続けるかについても、意見は分かれている。カナダや北欧はともかく、少なくともアメリカに関する限り、既存の電話会社はようやくDSLサービスの提供に本腰を入れ始めたところで、FTTHはまだ視野の外にある、それどころかまだ当分(少なくとも5年)は、家庭や中小企業のインターネット・アクセスは、アナログの電話によるダイヤルアップが過半数を占めるだろうと予想されている。他方日本は、全光通信技術の開発では世界に先鞭をつけたものの、その商用化はまだほとんどめどさえついていない。IPネットワークに特化した光ファイバ網の構築(とりわけメッシュ型のトポロジーをもつネットワーク)も遅れている。アクセス網については、NTTは“πシステム”と呼ばれるPON方式によるFTTH型のネットワーク構築にコミットしている一方で、中速とさえいえない狭帯域(個人や中小企業向けには最大144キロビット/秒、大企業向けには1.5メガビット/秒)の日本固有の方式によるISDNサービスの維持・拡大にこだわり続けている。ケーブルモデムの普及は、CATV網自体の普及が遅れた分、米国やカナダに比べると遅れが目立っているが、電話線を利用したDSLとなると、その遅れはさらにはなはだしい。

5 実際、1980年代の情報化論議の中では、情報化の進展は、まず“ビジネスの情報化”から始まり、それに“社会の情報化”(政府、病院、学校等)が続き、“家庭や個人の情報化”はようやくその後になって起こるだろうと見通されていた。それが、1990年代のインターネットの普及拡大過程で、一方ではさまざまな“ハッカー”の活躍と、他方では“ウェブ”が開いたかに見えた対消費者ビジネスの可能性のために、“B2C”もしくは“C2C”が一気に立ち上がるのではないかとか、20世紀の家電がそのまま進化して21世紀の情報家電にいたるのではないかといった幻想が、一時期広がっていたように思われる。

6 David Willis, Divining an ESP Strategy, Network Computing - CMP via COMTEX, Jan 22, 2000.

7 Kevin Werbach, Meta Service Provider: The Internet's SS7 Network. Release 1.0, Dec 15, 1999.

8 たとえばインターネット上の最大のポータルであるヤフーのサイトからは、現在1日4億、月100億ページがダウンロードされているし、ヤフーに匹敵するもう一つの巨大サイトを運用しているAOLでは、その2300万人の会員うちの160万人ほどが同じ瞬間にアクセスしてくる。

9 ただし、コンテント分散サービスに対するワーバックのこのような見方に対しては、若干の異論もある。ジョージ・ギルダーは、将来、帯域と貯域(ストーレッジ)の拡大が一段と進めば、アクーマイ社が行っているような最適経路計算は不要になり、むしろミラー・イメージ社が行っているような多数のミラー・サーバーの分散配置だけで済むようになると予想している。George Gilder, "The Storewidth Paradigm,"GTR, Nov 1999.

10 カナダのゼロ・ナレッジ・システムズ社が1999年の初めに発表し、年末からサービスを開始した、匿名および偽名でのインターネット通信のための「フリーダム」サービスは、その具体的な一例である。同社はそのために特別のサーバーを25ヶ国150カ所に設置し、独自のバーチャル・ネットワークをインターネットの上にかぶせた。同社はこの「フリーダム」サービスを、五つの偽名付きで年間$49.95の使用料で売り出している。

11 国家間の協定によって成立し、一般に勧告ないし強制される標準のことをデ・ジューレ(de jure)な標準といい、市場での競争の結果として広く受け入れられるられるようになっていく標準のことをデ・ファクト(de facto)な標準と呼ぶとすれば、関係者間の討議と合意に基づいて形成される標準のことはデ・コンセンスー(de consensu)な標準と呼ぶのが適切だろう。

12 ワーバックは、電話のシステムとの比較で、この点をさらに立ち入って考えてみようとしている。電話会社は、SS7のネットワーク上に、その高度な機能をコントロールするためのプラットフォームとなるソフトウエア・レヤーを置き、それをIN(インテリジェント・ネットワーク)と名付けた。そして、これによって電話のネットワークが革新的な新サービスに対して開かれることを期待したのだが、それは失敗に終わった。そこで政府は、1980年代から1990年代にかけて、この部分をこじ開けて、それを「アンバンドル」して既存の電話会社のサービスと相互接続したり、競争相手(VANプロバイダ等)も自分の高度サービスを開発したりできるようにしようとした。これがONA(Open Network Architecture)決定であり、このONAは、議会が1996年通信法に規定したアンバンドリング要求のモデルとなった。だが、結果的にはONAもまた失敗に終わった。電話会社の方は「アンバンドリング要求は煩雑で費用がかかりすぎる」と苦情を言い、競争相手の方は「電話会社が自分たちの足をひっぱり、本当に欲しい機能にはアクセスさせてくれない」と不満を述べた。そこでFCCは、さらにそれに加えていろいろの細かな規則や技術上の命令を出したものの、電話におけるONAの枠組みを使って競争的な新サービスを作り出せた企業はほとんどなかったのである。

13 たとえば、電話の相互接続料金引き下げをめぐる日米交渉の米国側の代表者、リチャード・フィッシャー氏は、NTTの高い料金のおかげで、日本は「情報時代に歩みいるという面では、米国やヨーロッパ、韓国はもちろん、ラテンアメリカ諸国からさえも、はるかに遅れている。デジタル・ディバイドはすでに存在し、日本はその底にいるのだ」と述べたという。(Peter Lqnders, "U.S. Says It May Bring WTO Case Against Japan for Telecom Fees," The Wall Street Journal. March 24, 20000.

14 その意味では、上り・下りの速度が非対称で、下りが優先されているケーブルモデムやADSLは、視聴者が情報を一方的な受け手にとどまっているマスメディア時代の尻尾を引きずっている。したがって、グローカル・パスのためのインフラとしては不適切といわざるをえない。

15 人間同士の会話やテレビの視聴がコミュニケーションの中心になると考えていたのでは、ここでいう“通信の局所性”の法則はいささか誇張に過ぎると思われるかもしれない。しかし、たとえば家庭内のLANには、それぞれが通信機能を持った数十、数百の多種多様なデバイスが接続されていて、それぞれが四六時中情報を送り合っていると想像してみれば、この法則のいわんとするところがより理解しやすくなるだろう。

16 類似の考え方を表明した米国の文献としては、Deborah Hurley and James H. Keller, eds., The First 100 Feet: Options for Internet and Broadband Access. The MIT Press, 1999の序論がある。

17 しかし他方では、電力会社は電話会社以上に独占慣れしているために、通信事業に参入するにしても、どうも動きが鈍いとか、官僚的にすぎるという批判もあることは事実である。