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2001 - July 1, 2001
村上泰亮の論考をめぐる旅
July 1, 2001 [ 2001 ]
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西山裕
はじめに
この連載エッセイでは、村上泰亮の論考の内、以下の三つを順次とりあげる予定でいる。
『新中間大衆の時代』が一冊の書物となって世に出たのが1984年1月。その後の大著『反古典の政治経済学』が出版されたのが1992年8月。今回たどろうとする三つの論考は、この二冊の著作にはさまれた1984年から1987年にそれぞれ掲載された。その内容はその後もひきつがれ、『反古典の政治経済学』に発展したかたちで反映されている。つまり、村上の視線が追った思想の大きな流れが、この三つの論考の中に立ち現れてくる。わたしたちは、その姿をたどることができる。
それにしても、村上の論考はどれも内容がたいへん豊かである。それらは多層的な視点を持った構造があり、そこに埋め込まれた要素のつながりは個別の論考の中にとどまらず、相互に関係し合って通奏低音のごとき響きを発している。その全容を解説することなど、とてもわたしの手にはおえない。また村上の文体は独特のテイストを持っている。それを伝えるためと言い訳をしつつ、実はわたしの非力な読解力によって、引用に多くを頼ることとなった。お許しをいただくとともに、これを機会に原論文を読んでいただけることを願っている。
大衆社会現象と文明の転換点「ゆらぎの中の大衆社会」を中心に
村上泰亮が一貫して見つめていたのは、文化と文明をめぐる思想、言いかえればある総体的解釈を回復する道筋であったといえるだろう。その意味で、文明の転換点を現象面からもとらえ、その構造を明らかにしようとする意図をもった「大衆社会論」に注目していた。まずはじめに、「ゆらぎの中の大衆社会」にそれをたどってみよう。
大衆社会論の系譜
わたしたちのまわりでは、「大衆」という言葉が多様な意味で使われている。「大衆消費」や「大衆社会」という言葉も、その意味は一様な使われ方をしている訳ではない。「大衆消費」については、産業化の進展と技術革新との関係を見据えて検討しなければならないが、それは次回の『二十一世紀システムの中の時間』以降をたどる中で見ることとして、今回は、「大衆社会」とはなにか、そして現代社会は「大衆社会」状況にあるのか、という議論に焦点を結んでいくこととしよう。
「大衆社会論」は、「大衆」というものが社会の表面に大きく登場することによって始まる。それは、社会の平等化と産業化の進展によって、力を持った「大衆」の誕生であった。まず、フランス革命と産業革命が「歴史の表面に大衆を解き放った」(オルテガ)、その社会現象の大きな潮流を捉えた時期を、「大衆社会論」の第一期といって良いであろう。そして、第二次大戦を通じて「大陸ヨーロッパからアメリカへと文明の指導権の譲位が行われた」(村上)、その分析と理論化をした時期を第二期に大きく分けられる。村上は、トックヴィル、ブルクハルト、オルテガを挙げ、「これら三人のヨーロッパ的知性を代表する存在の議論をたどれば、われわれは「大衆社会論」の原型、あるいはその第一期形成の本質を知ることができる」とわたしたちを導いた。
まず、上記3人の活躍した時期を確認しておこう。それぞれの思想家が活躍した時期のずれと、それぞれが行った社会現象に対する解釈を重ね合わせることは興味深いが、ここでは年表に書名を記するにとどめる。(上図参照)
オルテガを代表とする第一期大衆社会論は一般に、「外的」構造(階層制度)の支えなしには、文明の中核的価値の維持と強化が図れないと考えた点に限界があった。文明の指導的役割はヨーロッパにあり、特にそのなかに、ある指導的階層を形成しなければ成立しえないと考えていた。そのために、平等化が進むアメリカという新しい社会が内包していた可能性から、オルテガやブルクハルトは目をそらすことになる。そうした中で、当時(1830年代)のアメリカ社会が持っていた新しい潮流を、正(ポジ)の像として定着させたトックヴィルの想像力には驚くべきものがある。トックヴィルは「平等化傾向のうえに、それなりの価値を中核としたしかも強力な社会が成立するというシナリオを鮮やかに描いてみせた」と村上は書く。しかしそのトックヴィルにしても、「十九世紀後半以降の産業化の巨大な運動量は、彼のすぐれた予見力をさえ超えていた」という村上の指摘は、現在のわたしたちが産業社会から情報社会への移行を考え、その行く末を構想する上で重要な示唆を含んでいると思える。
今わたしたちは、産業社会と情報社会の動きが重なり同時進行する複雑な時代に生きている。村上は先行する文明と次の時代を担うX文明との転換期において、ひとびとが想像力を発揮し、将来像を正しく結ぶことの困難さを示した。
「(やがて)先行文明は大衆社会状況を示しながら衰弱していくだろう。したがってX文明への転換期には、どこかで、そしてどれかの側面で大衆社会状況が出現する。
しかし厄介なのは、それと同時に新しい文明の胚芽が、やはりどこかで、そしてどれかの側面で生まれてくるということである。しかも先行文明の眼からみれば、寄生しているにすぎない異常なものの肥大と、やがて新種に成長する新しい芽の発生とは共に負の存在であり、両者を識別することはあまりにも難しい。先行文明の理想型と現実との間に生じるズレの拡大の中に、トックヴィルがしたような正(ポジ)の像の発見が可能なのか。そのような課題を転換期の人間は課せられる。」
こうした転換期の思想的課題を村上と共有しより発展させたのが公文俊平であり、その著作『情報文明論』(1994年)と、最新著作『文明の進化と情報化』(2001年)へ続く一連の仕事である。
外的構造・内的構造を軸にした分類図式
ところで、後にコーンハウザーが「貴族主義的大衆社会理論」と呼んで批判した第一期大衆社会論について、わたしたちが勘違いをしてはならないのは、知的な能力や訓練は文明の全体的展望をもつために必要ではあるが、知的な人々がその文明にとって適切なエリートであるとは限らないという認識を明確にしていたことである。オルテガらのこうした認識は西部邁や村上も同様であった。『反古典の政治経済学』で村上は、穴倉に閉じこもり保身的に専門化する人々を痛切に批判している。少し長いけれども引用しよう。
「制度が豊かさと安全を保障する現代の高度大衆消費社会では、インテグリティへの感覚の鈍さについて、一人一人が生活の上で責任をにわかにとらされることもない。人々は、一貫性の追及を放棄しようとし、そしてその放棄を互いに許し合おうとしている。そのうしろめたさを忘れるために、正義のための犠牲の羊が作り上げられる。その意味で現在の大衆社会状況は、思想の衰退を加速している。
<中略>
インテグリティの崩壊や、アイデンティティ喪失の不安から逃れるためにもっぱら他人の思想を口移しに借りてくる人々、群がることによって生きていく人々がいる。彼らをここでは「大衆」と呼ぼう。大衆の反概念は、周知のように「エリート」である。しかし現代のエリートは、殆どが「専門家」である。専門家たちは、専門を超える問題からは視線を逸らして自分の穴倉に立てこもろうとする。したがってオルテガ=西部邁のいうように、殆どの専門家たちもまた大衆である。なぜなら、彼らも穴倉の外では他人の考えを借りることによって生きていくことになるから。官僚やジャーナリストや学者がそれぞれ得意の分野で示す有能さに欺かれてはいけない。彼ら現代のエリートは、思想の衰弱に最も巧みに掉さして、自分たちの組織・業界・学界を守る人々であり、まさしく現代の「大衆」の最も進化した変種なのだから。」(『反古典の政治経済学』第1章/思想の解体する時)
先に上げた「外的」構造=制度構造に対する「内的」構造=自立的な判断構造について考察する重要性がここにあるといってよいであろう。村上は、コーンハウザーの有名な社会構造の整理図式にこうした内的・外的構造の考えを入れ、以下のように整理しなおした。
そして村上はこのように解説している。
「彼(コーンハウザー)のいうエリートの自律性の軸は、実は自律性そのものの軸ではなくて、社会の中核的価値を守る制度化、とくに階層制度化の強弱の軸である。そして彼のいう非エリートの自律性の軸は、実は中核的価値が人々の判断構造の中にどれだけ内化(内在化)されているかの軸であって、エリートに関するものか非エリートに関するかは本質的な問題ではないのである。
前者の軸は、われわれのいう古典的な第一期の理論、コーンハウザーのいう貴族主義的理論の重視した軸であって、この種の理論は、外的構造、制度、とくに階級制度に注目する。後者の軸はわれわれのいう第二期の理論、コーンハウザーのいう民主主義的理論の重視した軸であり、この種の理論は、中核的価値が人々に内在化し浸透していくことに期待を抱くのである。」
期待と危機感の地域社会
前記した分類図式で見るならば、「大衆社会」とは、外的側面と内的側面の両面において構造が弱くなった社会ということができる。村上は「ゆらぎの中の大衆社会」の冒頭で「大衆」の原語である mass にふれ、「本来形態の定まらない質量(マッス)を、つまり無気味な無定形性を暗示している」とした。そのうえで、「大衆社会(mass society)」の元来の語感には、無定形な、構造を失った非人間的な集塊という含みがあり、一方の日本語としての「大衆」は親しみをもって呼ばれるところの“多くの人々”を指しており、このようなヨーロッパ語感的な無気味さはかつて登場しなかったことを指摘している。しかし現在のわたしたちは、こうした語感の片側に単純に共感することはできないように思える。わたしたちは「大衆社会(mass society)」の持つある種の無気味さをたしかに見ている側面と、日本的な「大衆」のあまりにも人間的なゆえの弱さと可能性を見る心象の両方を、現代社会の「ゆらぎ」の中に感じているのではなかろうか。
今の日本に生きるわれわれの「大衆社会」感は、欧米の、特にアメリカでのコミュニティに対する危機意識と共通するものがあるように思える。日本でも、益々社会的に分断されていく個と急速に進み始めた情報化の進展によって、ひとびとはmass societyという語が含む無気味さを感じ始めている。同時に、高齢化、少子化、核家族化、教育制度の無力化、倫理的基盤(イエ社会としての企業や地域コミュニティ)の弱体化は、従来日本人の多くが持っていた「大衆」の一員としての共有感を喪失させつつある。
一方、アメリカでもアンドリュー・シャピロが「コントロール革命論」の中で、「利己的および社会的な両面の理由から、ローカルなところに焦点を合わせることの重要性を認めよう。理想的とはいえないにしても、真の帰属感をもち、経験を共有しコミットメント感を生み出せるところは、そこしかないのだ」という悲壮とも思える叫びを上げている。そこには、地域社会に新しい秩序形成の役割を期待する気持ちが、世界規模で大きく働いていることがうかがえる。このことは、現代社会が「大衆社会」状況にあることを示しているともいえる。
今後、村上が論じたところの内的構造=ひとびとの自律性を強化し、分断された個人相互の連携を促進するとともに、制度的構造の弱体化を補完する形で機能するさまざまな中間的組織が重要な役割を果たすことになるだろう。特に地域社会での中間的組織の役割は大きい。現在その一部がNPOなどの形で現れ始めてはいるが、そのような中間的組織の形態と形成過程はさまざまであって、当分の間のわれわれは、多くの試行錯誤に耐えていかなければならないだろうと思われる。村上も書いているが、現代社会では強力な権力を行使して階層制度を維持するという手法がとりえないことを考えれば、社会を構成する人々が、自律的に考え行動する強さを持たなければならない。村上は『生涯設計計画-日本型福祉社会のビジョン』(共著)の中で、新しい社会の人間像は「強い、安定した、自由な個人」であるとした。そのとき、おそらく社会は多元的であり、そこに向けた移行過程が分権的社会システムを構築する作業であることは間違いないだろうと思われる。
そして旅のつづきへ
村上の中では、歴史の大きな流れとその中に立ち現れるさまざまな現象、そしてその時代を生きた思想家個人の思索が、まるで動画によるコラージュの如く描かれていたのかもしれない。「ゆらぎの中の大衆社会」をたどる旅は、この論考の結びを引用することで終わることにしよう。そして産業社会の性格を「生産と時間」「消費における時間」といった、「時間」というものを軸にした切り口からたどる「二十一世紀システムの中の時間」へこの旅を進めることにする。
「現在われわれは、二重、三重、あるいは四重の文明の視点にとりかこまれている。二十世紀型産業文明はある面では衰えつつあるようにみえる。しかし産業化そのものについても、独走状態の先端技術の華々しさからは活性化のイメージをうけとることもできる。戦後日本型の亜文明は追いつくことを中核的価値としており、本質的に過渡的な性格をもっている。それがまさしく歴史的な使命を終えたという実感も深い。しかしその中から、固有文明が再び自己主張を始めている。
さらにいえば、ヨーロッパ文明の壮麗さに対するわれわれの敬意も全く失われてはいない。これらの作り出すさまざまの重複する「ゆらぎ」の中から、将来についての正の像を結んでみようとする努力がさまざまな人によって行われているのであろう。中核的価値がこの文明の重複効果の中で不確かになっていることは確かであるが、しかし、状況は単純な「大衆社会」のそれではあるまい。時には大衆社会を思わせ、時にはX文明を思わせる「ゆらぎ」の中で、眼を凝らす時期はまだまだ続きそうである。」(村上泰亮「ゆらぎの中の大衆社会」より)