HOME > COLUMN > 2001 > December 1, 2001
2001 - December 1, 2001
イスラームの連帯と文化・社会的伝統
December 1, 2001 [ 2001 ]
ツイート
黒田壽郎(国際大学教授)
ニューヨークとワシントンでの同時多発テロに対抗して、アメリカが中東での軍事行動を展開している。アフガニスタンでの米軍の空爆が激しさを加え、民間人の死傷者の数が増加するにつれて、軍事行動に対する反発が高まり、イスラーム世界全体に広がりつつある。もはやこの地域の政治リーダーたちも、この状況を無視できなくなってきた。
このように米軍の民間人への攻撃を非難する感情と運動がイスラーム世界に広がっていることは、イスラームの教えによって殺人は最も忌わしい大罪とみなされており、戦闘行為は戦闘員に対してのみ行われ、非戦闘員に及ぶべきでないとされていることから理解することができるであろう。この点は、私の先の論文(黒田寿郎著「イスラーム教過激派は法を越えた者」)で指摘した通りである。しかしこの問題は、狭義のイスラームの教えにとどまらない側面をもっている。われわれは、ムスリムが国境を越えて同じ感情を共有し、彼らの間では一人の苦痛をも全員が感じとるというほど強い連帯感を持っている点を理解する必要がある。そのような連帯感を理解することこそ、現在の米国の軍事行動が「文明の衝突」にまで発展することを防ぐための重要な第一歩なのである。
先ず留意しなければならないのは、イスラーム化という動きが、共産主義のようなイデオロギーの産物ではなく、民衆の生きざま、アイデンティティーと密接に関わる、伝統的な価値観に深く根差したものであるという点である。問題についての核心を衝いた理解のために、この事実に注目する必要があり、宗教としてのイスラームについてばかりでなく、とりわけ文化・社会的な伝統の主要な構成因としてのイスラームに関する理解を深めなければならない。実際に、イスラームの教えは社会制度、風俗、習慣、発想、思考法といった広範な文化・社会的側面における人々の言動の枠組みとなる伝統の形成に強く関わってきた。その強い関わり方を知るためには、一般にイスラーム法として理解されているシャリーア(shari'ah)と呼ばれるものの特質とその歴史的な役割について検討するにしくはないであろう。
イスラームの重要な構成要素の一つであるシャリーアは、イスラーム法と訳されているが、このような翻訳自体に、すでに誤解の種子が潜んでいる。シャリーアとはアラビア語で、「水場に至る道」というのが原義であり、この本来の意味がその本性を最も良く伝えている。乾燥した砂漠に生きる遊牧民にとって、水場に導く道をわきまえていることは生死を左右する一大事である。これと同様に信徒たちが生きるに当たってわきまえるべき「道」であり、その典拠としては啓典クルアーン(コーラン)と、預言者ムハンマドの言行があり、それを補足するものとして専門的な解釈を必要とする法学者の類推、ならびに合意等がある。この辺の事実についてはすでに多くの解説がなされているが、問題はその歴史的機能に関する認識である。欧米のイスラーム認識には伝統的に大きな偏りが見られるが、この点についてもその誤りは顕著である。簡単に言うと彼らの間では、シャリーアは12世紀以来、重要な歴史的役割を果すことがなかったといういうのが通説であった。その結果、シャリーアと歴史との関連は、ほとんど研究の対象となることがなかったのである。
このような解釈のもたらす誤解は、ある意味では致命的である。先ずシャリーアとは、個々の信徒が自らの生を営むに当たって、さまざまな局面で指示を仰ぐ諸原則であり、これらの定めを遵守することがそもそもの信仰の基本なのである。この世にムスリムが一人でも存在する限り、この道は実践されているのであり、12億にも上るといわれるムスリムが日々実践している事柄が、歴史的になんらの役割も果たさなかったと主張することは、暴論以外のなにものでもなかろう。
忘れられてはならないのは、イスラーム勢が西はスペインから東は中央アジアに至る一大帝国を打ち立てた際、人々は国家の運営、小共同体の維持、家庭生活のありように至るまで、すべてシャリーアに基づいて行っていたという点である。この時代にイスラームは、大帝国の運営をも切り盛りしうるものだったのである。しかしこのような理想的な状態は長くは続かなかった。政治の中枢から堕落が始まり、権力の上層部を世俗化が蝕んでいった。このように時代とともに、イスラーム性は劣化していき、シャリーアの政治的側面は弱体化されていった。
しかし民衆は法学者を先頭に、為政者に対して、シャリーアを国法とすることを要求し、それが受け入れられる限り、その政体をイスラーム的と認めることを譲歩した。このことはイスラームを歴史的に守り抜き、シャリーアの本体をほとんど無傷のまま維持してきたのは誰かを端的に示している。実際に、西欧の植民地支配のもとでも、またしばしば横暴で専制的であった自国の権力者の支配のもとでも、民衆は社会の下層に横たわる共同体の部分では長い時間をかけて、権力の介入を容易に許さない伝統的なネットワークを張り巡らせてきたのである。また時には権力者が、現在のように民衆の生活を十分に守りきる実力に欠ける場合にも、イスラームの教えは、その強い共同体的な性格によって、民衆に小共同体の単位における自衛の術を教えてきた。「隣人に飢える者がいたら、自ら食事に急いではならない。」このような心がけを家庭を始めとして小共同体、国のレベルに至るまで、細かに規定しているのがシャリーアなのである。強い倫理性に支えられたこれらの法的規定は、多くの信徒によって実践され、その結果地域的に強い連帯意識を核とする風俗、習慣、制度が築き上げられているのである。
現在イスラーム世界を訪れるものがすぐに気づくことは、人々の慎ましい生活と、人気の良さであろう。貧しい国家財政にもかかわらず、庶民の生活は相互扶助と連帯精神に満ち溢れている。人々は自らの経験ばかりでなく、先人たちの経験に照らして、自分たちに固有な生活を真に守ってきたのが何であるかを強く自覚している。今日にいたるまで十億に上る人々が相も変わらずこの教えを信じ続け、私的レベルでイスラームの法に固執し続けているのは、宗教としてのイスラームばかりでなく、彼らの文化・社会的伝統にたいする強い自覚によるものなのである。その自覚は決して個人的な範囲に止まらず、多くの他者と共有されているのである。信徒たちの連帯の本性を示すものとしては、次のような預言者の言葉を引くにしくはないであろう。「あなたは信者たちが、さながら一つの身体であるかのように互いに親切、愛情、同情を分かち合うさまを見るであろう。そして身体の一部が痛めば、全体が不眠と熱で反応する。」連帯感は、輻射熱のように国境を越えて行き渡るのである。
外部の観察者には、異文化の中に蓄積されている文化的、社会的伝統にたいして正しい評価を与えることは難しい。しかし日本人にとって解り易い比喩を以ていうならば、イスラーム世界の人々にとってイスラームを忘れ去るということは、日本人に日本人であることを止めよ、というに等しいという点が理解されるべきであろう。十億を超える人々にとり、宗教であると共に文化的、社会的伝統でもあるものから遠ざかる可能性はきわめて低い。新たに創り上げられたイデオロギーに立脚するものではない、千年の余も生きられた伝統に基づくものは、決して軽々に取り除かれることはないのである。
民衆の草の根レベルにしっかりと根を張ったイスラームは、衰えを知らずに次第に自己主張の度を強めている。このようなイスラーム回帰の潮流は、ある種の人々にとっては脅威であろう。この動きが各地で政治的な摩擦を引き起こしているが、われわれは細部の軋轢に捕らわれず、大きな文明論的視点から事態を眺める必要がある。他人の目を驚かす少数の過激派のみに目を捕らわれず、世界の五人に一人が信じているという教え、それが作り上げた伝統の内実について、偏見のない理解を蓄積すべきであろう。
今やわれわれはイスラーム世界の人々と友好的な関係の強化に努めるべき時である。事実、日本はこの世界との関係において植民地支配などの歴史的汚点を少しも持たないばかりでなく、その伝統文化が西欧とは極めて異なり、むしろイスラーム文明の東方の性質に一脈通じるものをもっているが故に、先進国の中では「文明の衝突」を回避するために最も貢献しうる立場にある。われわれは双方の文明を十分に理解し、その衝突を仲裁する第三者になることができる数少ない候補者なのである。
●この論文のオリジナル版は「国際情報発信プラットフォーム/http://www.glocom.org」に掲載されています。