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2003 - March 1, 2003

産業社会の変遷とブレークスルー(2)──フィールドとツールの交代を軸にして──

March 1, 2003 [ 2003 ] このエントリーをはてなブックマークに追加

中野潔(GLOCOM主任研究員)

人口波動とメディア

 今回の図1は、古田による世界の人口波動の理論を図示したものである*1。ただし、斜体の部分は、筆者(中野)の加筆である。古田は、人口の停滞から急増、飽和、若干の減少までを、人口増加の波としている。石器時代からの人口増加の波を、石器前波、石器後波、農業前波、農業後波、工業現波――の五つだとしている。

 筆者が前回(『智場』No.84)示した社会および時代の区分は、狩猟社会、農業社会、工業社会、情報化社会であった。古田は筆者のいう狩猟社会を、石器前波、石器後波に大別し、農業社会を前波、後波に大別し、情報化社会と工業社会との間に境を設けていない。古田の説では、農業前波と後波とを分けるのは、粗放農業文明と集約農業文明というように、農業の性質が変化しているからである。また、工業現波を、近代工業文明による前半部(19世紀から20世紀前半ぐらい)と、加工貿易文明による後半部とに分けている。

 斜体の文字は、筆者が書き入れたメディア関連の大きな出来事である。文字の出現を紀元前約4000年*2、紙の発明を紀元前2世紀ごろ*3、金属による活版印刷術の発明を1450年ごろとした。後述するように、筆者は、メディアと産業転換との関係について立証できていない。このため、ここでは、古田の示した波のちょうど変わり目ごろに、メディア関連の大きな出来事があることを指摘するにとどめる。

メディアとブレークスルー

 図2は、前回も示したものである。言葉が発生した時期には、定説がない*4。このため、狩猟社会の開始と、言葉の発生との前後関係も厳密にはわからない。ただ、類人猿の社会を狩猟社会、あるいは、狩猟採集社会と呼ぶことは可能だと思われるから、ヒトと類人猿との共通の祖先の時代に、狩猟採集社会を営みながら、まだ言語が発生していない時期が、かつて存在していたと推定できる。

 本稿では、農業社会の開始時期を明確に論証することはしない。一般的に、前述の文字発生の時期といわれる紀元前約4000年よりは、後だといわれる。

 文字を書き付けた最初の媒体についても諸説あるが、粘土板に、鋭角に切ったアシの茎などで書き付けたといわれる*5。アシを切るための刃物として石器を用いた可能性もあるが、金属の刃物を用いたと考える方が自然であろう。金や銅の使用(最初は、天然のものを用いたと考えられている)が紀元前約5000年、青銅の使用が紀元前約3000年かそれ以前といわれている*6 *7。

 いずれにせよ、狩猟社会後期のツールである土をキーファクターにし、狩猟社会から農業社会に移るためのブレークスルーである青銅の影響を、時間的な遅れはあるが受けながら、文字が発生、発達したと考えられる。

鉄と鉛と宝石と

 図2で、農業社会と工業社会との境に記してある印刷とは、金属活字を用いる活版印刷術を意味している。グーテンベルクの場合、鉛、スズ、アンチモンを主成分とした合金を、鋼鉄製の字母に流し込んで活字を鋳造した*8。融点が高いため、青銅より遅れて使われるようになった鉄は、その性質を生かして、溶融した他の金属を成形する際の型となったのである。

 グーテンベルクの最初の印刷機は手動であったが、次第に動力を用いて高速に動作するようになる。いずれにせよ、農業社会後期のツールである鉄を重要なキーファクターにし、農業社会から工業社会に移るためのブレークスルーである蒸気機関の影響を、時間的な遅れはあるが受けながら、活版印刷術が発明され、発達したと考えられる。

 活版印刷の発達により、教会に鎖でつながれて寄進者だけが読むことを許されるほど高価だった書物は、どんどん安価になった。一方、鉛や鉄など安価な金属から生まれた活字が、当初は非常に高価なものとして扱われた。特に小さな活字は、ポイント数(文字の大きさ)にしたがって、ルビーやエメラルドなど宝石の愛称をつけて呼ばれた。何ポイントをどの宝石の名で呼ぶかは、西欧各国で少しずつずれている。日本には、6ポイント活字をルビーと呼ぶ専門用語の体系が輸入された。漢字のふりがなに6ポイント活字を使ったので、ふりがなをルビと呼ぶ。

 宝石の一種とはいいながら、小さくカットしては使わないので、活字の愛称にならなかった琥珀(コハク)であるが*9、そのギリシャ名、エレクトロンがElectricityの語源となり、工業社会後期のツールとして広く人々の口の端に上るようになった。この電気をキーファクターにして生まれたのが、電気/電子メディアである。蓄音機(1877年にエジソンが発明)*10、電話(1876年にベルが発明)*11、ラジオ(正式放送は1920年といわれる)*12は、アナログ方式といえるが、モースによるモールス信号での実用的な電信の実演は、1838年である*13。電気/電子メディアには、初期のころから、工業社会から情報化社会に移るためのブレークスルーであるコードがキーファクターとして加わっていたといえよう。

 なお、ここでいうコードは、レッシグのいうコード(社会規範の明文化)やフルッサーのいうコード(文字言語や画像言語によるシンボル化とその解釈の体系)*14よりも範囲の狭いものである。デジタル化を前提としたデータの符号化と、命令の符号化とを統合したものである。

メディアの変化は基幹産業より先行する

 こうしてみると、各産業社会の末期に、次の社会のフィールドとなるファクターを一種のフィールドとして先取りした形で、新しいメディアが生まれている。これは、よく考えると不思議なことではない。メディアは、基幹の産業における指示手段として用いられることが多い。人間の脳の消費エネルギーが、筋肉などの消費エネルギーよりずっと少なくて済むのと同様、基幹産業のためのコミュニケーション手段は、基幹産業の生産手段本体よりもずっと小さなエネルギーでハンドリング可能なのである。

 メディアと産業社会との関係をもう少しみてみよう。文字の出現により、出来事の正確な記録と蓄積、再利用が可能になった。ここからカレンダーが生まれ、スケジュールという概念が生まれる。この流れから来るルーチン性と、金属器による作業の品質確保が、農業を基幹産業として確立させる。「『手順』の発見と道具による裏打ち」――。これが農業の本質だといえるのではないか。

 印刷の発達により、知識表現を複製し、また、たとえば操作手引きのような指示を多くの従業員に正確に伝達することが可能になった。もちろん時代が下るまで、工場内の指示を印刷するような状況にはならなかった。しかし、書物により、従業員の一定割合が一定レベルの素養を身につけ、いろいろな言葉が理解できるようになっているからこそ、口頭や張り紙などで伝える指示も正確に伝わるのである。

 印刷による知識、記録の周知、それによる工程、ノウハウの周知――。ここに動力という要素が加わって、人的組織と動力の革命が成し遂げられ、工業社会が出現したのである。「『組織』の発見と動力による裏打ち」――。これが工業の本質だといえるのではないか。

 そして、電気/電子メディアの出現により、指示の高速伝達が可能になり、意思の交換/交歓が非常に容易になった。電気/電子メディアが、知識、指示の超高速伝達と大量記憶を可能にし、ここに制御という要素が加わって、ネットワークと自動制御の革命が成し遂げられた。「『ネットワーク』の発見とコンピュータによる裏打ち」――。これが情報化の本質だといえるのではないか。

半島、湾岸と大陸

 知的財産のあり方、知的財産の伝承方法、金融、生産活動の強制力、動機付けの変遷に関しては、思い付くまま図2に記してみた。フィールド、ツール、ブレークスルーとの関連で、これらの変遷の様相を説明することには成功していない。

 周期性を感じさせるのが、革命の主役となった場の地理的条件である。農業を生み出したいわゆる四大文明は、環インド洋、東シナ海という半島、湾岸地区に属するといえないこともない。その後、大帝国という存在が出現するようになると、それは、ユーラシアや北アフリカの内陸をも包含するものになる。産業革命は、イギリスに代表される西欧に始まり、米大陸東海岸に伝わった。環大西洋地域が主たる発祥の地だったといえる。その後、超大国といわれるようになったのは、米合衆国とソビエト連邦であり、内陸を含めた広大な版図を有することがその特徴である。

 情報化社会を生み出した革命の主役となった地域がどこであるかを同定することは難しいが、現在まででみるところ、米西海岸と極東という環太平洋地域がその有力候補といえそうだ。今後は、東アジア全域、東南アジア、インド亜大陸、中欧といったところが、情報化社会における主役として浮かび上がってくるのだろうか。

 各産業社会に先行するメディア史上の大きな出来事と、半島、湾岸との関係もまだうまく説明できていない。アルファベットを広め、洗練させていったのは、地中海の交易を担った人々であり、活版印刷術を世界に広めたのは、海洋の覇権を握った国々であろうが、文字の発祥地といわれるシュメールや活版印刷術の発祥地といわれるドイツが沿岸といえるかどうかは、微妙である。

 「コード」にかかわる技術を最も駆使している組織の一つが、英米加豪、ニュージーランド(NZ)による電子諜報組織、エシュロンであろう。これに似た版図を擁するのが、オーウェルの『1984年』*15に登場するオセアニアであり、南北米大陸、英豪NZ、南アを支配する*16。インドや当時でいうビルマで、海洋覇権国家、英国の子として動いたオーウェルが、電気/電子メディアの魔性にいちはやく気付いていたのは、理由のないことではないだろう*17。

*1 古田隆彦[1996]『人口波動で未来を読む』p.192、日本経済新聞社

*2 カルヴェ、ルイ=ジャン[1998]『文字の世界史』(邦訳)、会津洋・前島和也訳、p.241、河出書房新社

*3 薮内清[1984]「紙/紙の歴史」『大百科事典』第3巻、p.640、平凡社

*4 湯川恭敏[1984]「言語/言語の発生」『大百科事典』第5巻、p.59、平凡社

*5 ハロルド・イニス[1950]「古代帝国のメディア」(邦訳)、『歴史の中のコミュニケーション』p.32、新曜社、1995年4月(邦訳)

*6 中野政樹[1984]「金属工芸」『大百科事典』第4巻、p.609、平凡社

*7 中山公男[1984]「青銅」『大百科事典』第8巻、p.387、平凡社

*8 飯田賢一[1984]「グーテンベルク(Johannes Gutenberg)」『大百科事典』第4巻、p.793、平凡社

*9 琥珀を貨幣に使うことはなかったようだが、琥珀に似た金属を貨幣にすることはあった。日本銀行執筆の『エレクトロンと電子マネー』(http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_54.htm)から引用する。【西洋における金属貨幣は、紀元前7世紀ごろにリディア(現在のトルコ西部に位置していた古代の王国)で発行されたエレクトロン貨に始まる。エレクトロン貨は、金塊に人物や動物の絵を打刻してつくられたものであり、この様式がギリシャ、ローマ以降の西洋式貨幣の基礎となった。エレクトロン貨という言葉は、電気・電子を意味するエレクトロニクスにどこか似ているが、実は両者は同じ言葉を語源としているのである。というのも、エレクトロン貨の素材となったのはエレクトラムと呼ばれる金銀の天然合金であり、この合金の名称はその色彩や輝きが古代ギリシャではエレクトロンと呼ばれた琥珀のそれによく似ていることに由来する。】

*10 田村紀男[1996]『メディア事典』p.170、KDDクリエイティブ

*11 同上、p.231

*12 中野潔[2001]『知的財産権ビジネス戦略(改訂2版)』p.219、オーム社

*13 ダニエル・チトロム[1982]「電光石火の電信線」(邦訳)『歴史の中のコミュニケーション』p.167、新曜社、1995年4月(邦訳)

*14 ヴィレム・フルッサー[1996]『テクノコードの誕生』(邦訳)、p.124、東京大学出版会、1997年3月(邦訳)

*15 Orwell, George [1949] "NINETEEN EIGHTY-FOUR" Secker & Warburg (UK)

*16 中野潔[2001]『知的財産権ビジネス戦略(改訂2版)』p.IV、オーム社

*17 中野潔[2000]「書評『一九八四年』」『あうろーら』特別号、p.245、21世紀の関西を考える会、2000年12月