HOME > COLUMN > 2003 > May 1, 2003

2003 - May 1, 2003

無線タグで実現する社会と制度設計

May 1, 2003 [ 2003 ] このエントリーをはてなブックマークに追加

中島洋(GLOCOM主幹研究員)
庄司昌彦(GLOCOM研究員)

庄司  サプライチェーン・マネジメントの効率化という観点から、無線タグによるAuto IDやRFID(Radio Frequency Identification:無線自動認識)といわれる技術について研究しています。昨年末からは各省庁でも研究会が立ち上がり、この1年から半年の間にAuto IDやRFIDに対する関心が高まってきているようです。

 この技術は、インターネットの出現と同じくらい革命的なことだと言う人もいるほど、社会に与えるインパクトが大きいらしいのですが、ただそこから出てくる情報には技術論が多く、社会的な意義や政策論についてはまだ深められていないような気がします。今日はこのような問題意識から中島先生のお考えをうかがえればと思います。

 

■トレーサビリティシステムとサプライチェーン・マネジメント■

中島  まず、この問題には二つのとらえ方ができると思います。技術が社会を変えるということと、もともと社会が潜在的に持っていたニーズを実現する手段として技術が登場し、普及していくという二つです。私としては、社会が潜在的ニーズを持っていて道具がうまく開発されたことで、隠れていたニーズが実現していくと見ています。

庄司  その意味で最も社会的なニーズに近く、実用に近づいているのが、BSE(牛海綿状脳症)の問題で話題となった食品トレーサビリティ技術ではないでしょうか。RFID技術を開発している会社の方々とお話をしますと、これまでは製造業者や物流側の関心で開発していた技術でしたが、この問題をきっかけに、消費者にとってどのようなメリットがあるのか、ということを強く意識するようになったそうです。

中島  これまでも識別技術としてはバーコードがあって普及しています。閉じられた流れの中では有効に使われていますが、これは情報量が少ないので、あらゆる個体を一貫して識別することはできません。また消費者からは、もっと徹底的に上流から下流まで一貫して大きな情報をしかも簡便に管理してほしいという要求も強まっています。そういうなかで、Auto ID[技術が自動認識の手段として登場してきました。技術が出たことで、潜在的なニーズが表面化してきたというのが、最初に押さえるべき点です。

 BSEの問題において、牛肉パッケージの安全性を見分けることとは、食べてきた餌が識別できるのか、生産履歴をきちんと管理しているのか、その情報に流通業者や消費者がアクセスできるのかということです。個体の牛が解体されて最後は100グラム単位まで小さくなると、いままでのバーコードよりも高度で簡便な方法、つまり手間やコストがかからない方法がないか、ということになります。

 牛肉の安全性は、BSEにかかわることだけではありません。餌に使用された農薬、ホルモン注射等の問題もあります。さらに畜産物だけでなく、農産物全体が多くの問題をはらんでいることもわかってきました。野菜や果物についても、農薬や化学肥料の使用状況を知りたいとなってくると、情報の管理は複雑になります。

 そこでトレーサビリティシステムへの要求になるのですが、単純に考えると新しいシステムを追加するのでコストがかかりますから、生産者も流通業者も正直なところやりたくない。単純に見ると結果的に負担は消費者に転嫁されるように見えます。しかし実際にそのコストを消費者が払うのかというと、難しいですね。安全な物は高く、安全でない物は安くなって、安全でない安い物ばかりが買われると投資が回収できなくなります。

 そうしたなかで、トレーサビリティシステムには、かけたコスト以上にメリットがあるというのが、サプライチェーン・マネジメントと組み合わせた発想です。これまでの話では、消費者が生産者や流通業者に対して履歴情報を要求していますが、Auto IDシステムとサプライチェーン・マネジメントをうまく組み合わせると、生産者も流通状況や在庫情報を知ることができ、在庫を減らしたり流通コストを削減するメリットがあります。すると、トレーサビリティシステムの導入はむしろコスト削減になる。消費者の要求を満たし、かつ消費者にも生産者にも、流通業者にも負担を生じさせず、全体としても負担が減るということになります。

■プライバシーと自由に対する懸念■

庄司  食品に限らず、他のさまざまな商品についてもAuto IDを利用したシステムの研究が進んでいます。先日、MIT(マサチューセッツ工科大学)のAuto IDセンターにうかがって、ジレット社がかみそりのパッケージに無線タグを付けて、万引き防止や在庫管理に取り組んでいるのを見てきました。また、ベネトンはそこから一歩進んで、洋服のタグに無線チップを付けて顧客サービスに利用する、という報道もありました。これは、それを付けている人が店に入ってくると、購入履歴がすぐにわかり、「先日セーターを買った方ですね。今度はそれに合うバッグが出ました」というように顧客個人個人に応じたサービスができるというわけです。カスタマイズされた的確な情報が出てくるのは、ちょっと気持ちが悪いですが、案外便利かもしれません。私はアマゾンのサイトで、購買履歴を元に自分の関心がある本がおすすめされていると「便利だなぁ」と感じますが、メリットを感じる人は多いと思います。

 ですが一方で、いま実験を進めているウォルマートは、顧客が嫌がるのでレジでタグの機能を止めると表明しました。つまり、消費者はメリットを感じると同時に、購買履歴をずっと紐づけて管理されることによるプライバシー侵害への不安も感じているようです。

 技術的には、強い電磁波を当てて物理的に壊す、あるいはON/OFFを切り替えられるようにするといったことはできます。しかし、技術面だけではなく、もう少し広く政策的なところで議論する必要があるのではないでしょうか。

中島  確かに制度設計はこれからの問題です。例えば、僕がカレーパンを好きでいつも食べているのは知られてもいいことですが(笑)、知られると嫌なこと、例えば思想的、宗教的に偏りのある本を買ったとして、いろいろに誤解されたくないという場合には、個人情報を保護する制度が欲しいと思うでしょう。

 いまでも通販で物を買うと、通販会社には誰が何を買っているかすべて記録されます。消費者はその情報を誰かに見られたり、システムに記憶されて個人として分析されたりするのは嫌です。ですから購買履歴や属性情報を、個人が特定できるようには分類しないとか、システムが応答するのはいいけれど人間は見てはいけないとか、アクセス制限をかけてアクセスした人間を記録するとか、あるいはルールを破った人間に重い罰則を科すとか、そういった制度設計によって不安を取り除くことはできると思います。

庄司  インターネットが登場してきたとき、さまざまなコンテンツをコピーして流通させることができるようになり、その流れに乗って、あらゆる著作権を廃止してしまえという議論がありました。それに対して、著作権をかたくなに護ろうとする立場もあり、両極端の議論があります。

 このことから想像すると、今度はプライバシーや自由といったことが激しい議論の対象になるでしょう。情報を完全に隠すのは難しいのだから全部流通させてしまえという極論と、何がなんでも匿名でいたいという極論とのせめぎ合いになってくるのかもしれません。

中島  絶対の自由というものはない、ということがわかってきています。たとえば自分の所有物をどう処分しようと自由だというのが、消費が美徳だった1960-70年代の考え方でした。しかし1980年ごろから意識が変わりはじめ、90年代からは所有に対する制約が強まっています。われわれの資源は、かなり近い未来に飽和してしまうくらいに有限なのだと気づきはじめたのです。日本では家電リサイクル法ができ、「自分で買った冷蔵庫をどのように処分しようと勝手」ということにはならなくなりました。製造業者も、「消費者に売ってしまったのだからもう責任を持ちません」とはいかなくなった。廃棄処分に至るプロセスを製造業者がきちんと管理するように、ルールが変わってきています。つまり、自由という考え方も、相当制約を受けつつある。これは、「所有ではなく使用」と表現できます。持つ権利ではなく、使う権利ということです。

 アメリカでは7、8年前に、軍の調達のためのネットワークシステムでCALS(Continuous Acquisition and Lifecycle Support)というものが注目されていました。継続的な資材調達を、ネットワークを使ってやり、それから製品を生涯にわたってサポートする(ライフサイクル・サポート)という、二つのコンセプトを結合した言葉でした。

 しかし当時、ライフサイクル・サポートは民間ではあまり必要ではなかった。メーカーは、ユーザーに売ったら、その先は追いかけられない、と責任を放棄することができたんです。できれば早く壊れて次のものを買ってもらいたいくらいでしょう。それが90年代の後半から、リユース、リサイクルの問題が出てくると、なるべく壊れないようにして壊れても部品やユニットの交換で寿命を延ばして、全体としては廃棄場に持っていかない仕組みを作らなければならない、と考え方が変わりはじめた。

 Auto IDシステムが機能しはじめたら、ネットワークを通じて最後まで追いかけることも可能になります。部品の消耗具合をモニタリングできるシステムを作って、劣化状況が危険域に達したら交換の要求を発する。製品に不具合が発生した場合にも、メーカーはただちに回収ができます。現在のように新聞に広告を出して気がついた人に持ってきてもらうのではなく、「危険だから回収させてください」と個別に追跡してお願いすることができるのです。

 経済システムが根本的に変わると思います。「物」ではなく「使う便益」を売ることになり、製造業がサービス業に変わります。そういうところへ社会体系が変わっていき、リサイクルが増えると、原材料を発掘して精製するというような産業がスローダウンして、リサイクルして資源を再利用するための新しい産業が誕生してくるのではないでしょうか。部品を交換したり修理したりするサポート分野に、ビジネスチャンスがあると思います。

■物との新しい関係が新しい産業を生む■

庄司  「所有から使用へ」というお話ですが、タグによって物の情報が追跡できるようになると、人と物のつきあい方が変わるということも言えるのではないでしょうか。たとえば、この紙コップはどこで誰が作ったのかがわからないので、ただの抽象的なコップとしか見ていませんが、どこの木からとったパルプで、どの工場の誰が作って、誰が検品して、誰が運んで、というようなことがわかるようになると、物が匿名ではなくて具体的な性格を持ってきます。お茶席で「これは、どこそこの誰々の作で……」と、器を吟味するのと同じようになるわけです。

中島  いまの指摘はおもしろいですね。要するに、いままでの大衆消費時代は、商品の匿名性が高かった。匿名性は産業社会のかなり大きな支柱だったかもしれない。けれど情報社会になると、産業社会から大きく変わるのだといわれていて、匿名性がなくなるのは情報社会の特色の一つです。たしかにコップそのものの匿名性でさえ失われていくという点で、価値観の大きな転換をもたらすかもしれません。

庄司  名もない、周辺情報もない紙コップだからぞんざいに扱えたのだけれど、これにいろいろな情報が付帯していると、ぞんざいにできなくなりますね(笑)。

中島  ISO14001を取得した会社では、紙コップとプラスチックを違う箱に捨てなくてはなりません。どこに捨てようと自由だとはいえません。Auto IDの仕組みができて、ゴミを近くに持っていくと「そのゴミはここです」「それは違います」とゴミ箱の方から捨て方を教えてくれるようになると、捨て方が変わりますね。

庄司  「捨てる」という概念ではなくて、○○山の木から○○工場や○○流通業者へとリレーされてきて、今は私が使用していて、次はこれを素材として使用するリサイクル業者の○○さんにリレーするというように、「捨てる」というより物の「使用権が移っていく」というイメージになりますね。人と物とのつきあい方が、すごく変わりますね。消費者の側から作っている人が見えるのと同時に、作っている人からもどういう人が使っているのかが見えるし、見せることもできる。そうなると、物を介して人と人とのコミュニケーションを深めることもできます。

中島  それはすごくおもしろいですね。

■情報利用の制度設計■

庄司  物を介して人と人とのコミュニケーションが深まっていくような情報社会では、プライバシー保護などの制度設計も変わってくると思います。中島先生はどのようにお考えでしょうか。

中島  情報利用の制度設計という話ですと、情報を隠したい人は隠せるし、見せたい人は見せることもできる。それから義務として、見せなければならないというケースも出てくるでしょう。

 たとえば電力消費量についてみてみましょう。現在、原子力発電所が止まっていて、夏場の電力消費量が危機的な状況になると見込まれています。すると冷房の温度をどうしようと勝手だということが社会全体として許されない状況になってきます。「自分は暑がりだから」と家中のエアコンの温度を18℃に設定する人がいたとしたら、モニタリングして設定温度を強制的に27℃に上げるというようなことを、電力会社がネットワークを通じて調整する。病人がいるのでどうしても25℃にしなければならないということがあれば、個別に申請して例外的にその家は25℃に保つというような配慮は必要です。問題は、電力会社が電力使用の状況をつかむことがプライバシーの侵害だといえるかどうかですね。このあたりをどこまで認めるかというのも制度設計の問題です。どういう権利がどこまで認められるかは、これからおおいに、しかし短期間のうちに論議すべき課題です。

庄司  そうですね。あらゆる物が来歴の情報を持ちそれが流通するようになると、メールをやりとりしたりウェブサイトを見るのとは比較にならないぐらい、情報が身のまわりにあふれるようになります。それに合わせて、私たちは情報の扱い方や依存の仕方、あるいは距離のとり方、つまりリテラシーやふるまいを相当学ばなければならないと思います。しかもそれは、日本国内だけではなくて、外国人も、大人も子供も、社会で生きる人はみんな同じルールのもとでふるまってくれないと困ることになると思います。

中島  そうですね。しかもそこで利害がぶつかりますから、どう調整するか。問題が起きてから直せばいいという簡単なものではなくて、あらかじめ想定しておかなければならない部分が相当あります。あらかじめ仕組みを作っておかないと、使える技術が出てきても適用段階でストップしてしまいます。

 ただ、国際協調は難しいでしょう。その制度のために、厳しくやっている国が競争力を失うことになると、難しくなります。空気の汚染度も電力事情も国によってばらつきがあります。プライバシーがない国も、高度に保護されている国もあります。現在の状況がまちまちであれば、問題意識もばらばらです。国際協調を待っていたのでは時間がかかりすぎる。とりあえずは国内を調整して日本のモデルを作り、価値観を共有している国との協調を図るのがいいのかもしれません。

■利便性とプライバシーの均衡をどう図るか■

庄司  プライバシーがない国という話がありましたが、法律では護られているはずでも、誰かが情報を集めようと思えば集められてしまう可能性がある社会では、実際には被害を受けていなくても、その可能性に萎縮して自らの行為を規制してしまいます。そういう意味で、自由な行動が制約を受けるのではないでしょうか。メリットがあるとしても、常に自己規制をしなければならないというのは、ちょっと窮屈だなという印象があります。

中島  個人にかかわる情報も、絶対に他人には知られてはならないとは限りません。また統計的な情報は、社会を最適に設計するために、むしろ出していくべきだし、あるいは税金を払うためには、自分の所得の情報を出さなければなりません。つまり、個人の情報であっても個人の自由ではないわけです。どこまで個人がコントロールし、どこまで他人に見せるべきかは、いろいろなレベルに複雑に分かれています。それを実感できるような制度設計が必要なのではないでしょうか。

庄司  そうですね。ただ、住民基本台帳にしても、政府が裏でいろいろな情報を紐づけするに違いないと疑う人たちもいます。いろいろな事業者がインターネットを介してAuto ID技術を使おうとしたときに、不信感を持つ人が増えて、それが普及の障害になるかもしれません。そういう人たちを安心させるためには、自己情報コントロールの権利だけでいいのか、情報の保護をどう保障するか、といったことが問題となるでしょう。現在の法律は、身のまわりのあらゆる物が情報を発信する社会を前提としていないと思います。

中島  利便性と自由との均衡をどこに認めるのか。それは人によって違うでしょう。便利ならいいじゃないかという考え方もあります。名前、住所、性別、生年月日ぐらい他人に知られてもかまわないから、日本中どこからでも住民票を取りたいという人もいる。自動車免許の書き替えがネットで簡単にできるなら、会社を休まずに済むという人もいるでしょう。そういう人たちの便益を潰してまで、プライバシーを優先するということでしょうか。片方でプライバシーを護り、別にプライバシーとも思わない人たちの権利も護るというように、各自が自分の情報をコントロールできる権利を持つといった制度設計は可能でしょう。とりあえずは複雑だけれど中間的なところでやらざるを得ないでしょう。

 プライバシーに対する懸念は、次の二つが大きいと思います。一つ目は誰かに自分のことを知られるのが嫌だ、という懸念で、ストーカーに対する恐怖と似ています。二つ目は、企業や政府が情報を使用して自分に危害を及ぼす可能性があるのが嫌だということでしょう。特に二つ目は重要です。いま日本は民主社会ですが、仮に将来、独裁的な人間が政権を握って、反対する人間を監視する仕組みに利用したらどうなるでしょうか。みんなエレクトロニック・コマースで物を買うと買った物が記録されて、何を食べているかで信じている宗教がわかるようになったらどうでしょう。将来、誰かがそれを悪用する可能性もあります。こっちの方が恐怖としては大きい。信任投票で100%信任されるような独裁国では、政府が情報ネットワークを監視したり電話を盗聴したりして、国民の考えを把握しているのではないでしょうか。「なんとなく知られるのが嫌だ」というようなレベルの反発もいいですが、本当に必要なのは政府や企業の暴走を防ぐことです。

■Auto IDが社会の仕組みを変える■

庄司  少し明るい話をしたいと思います。日本企業は情報家電の開発に強いといわれていますが、Auto IDとIPv6の関連では慶應義塾大学の村井純先生を中心に研究が進められますし、ケータイ文化もある意味日本がリードしています。このAuto IDの分野でも日本が先進的な国の一つになる可能性はあると思いますか。

中島  日本の産業の競争力回復のための刺激剤になるのではないかという点は、僕もおおいに期待しています。服に縫い込むとか、本の紙にすき込むとか、いろいろなところに入り込んでいって得た情報を、サプライチェーンの中でネットワークを通じて応用する。これを実験しようとしても、他の国ではなかなかできないですね。ネットワークでは日本、韓国、北欧がいま先進地域です。さらに環境問題やリサイクルに対しても、日本は強い問題意識を持っています。日本社会が持っているインフラとニーズを勘案すると、Auto IDを利用して何か新しい仕組みを作ろうとしたとき、いち早く先進的なノウハウを蓄積できると思います。日本国内にずいぶん新しい産業が芽生えるのではないでしょうか。非常に夢のある話だと思います。

庄司  デジカメや携帯といった超最先端のものは中国では作れなくなっていて、逆に工場が日本に戻ってきていると聞きます。日本の職人的技術がないとできない部分があるということで、そういう人たちの顔がAuto ID技術で見えるようになると、日本の競争力は高まるのではないでしょうか。顔を見せられるようになることで、日本の最先端の物づくりが優位を持てるようになるのではないかという気がします。

中島  顔を見せられるという点では、農産物もそうですね。いま、いろいろなところで農家が顔を見せようとしています。何という農薬を1m2当たりいくら使いましたと細かく書いてあっても、消費者がそれを見て判断するのは難しい。それよりも「私がこれを作りましたから、安心してください」と生産者の顔が見えると、安心感が高まります。これはGLOCOM流に言うと、物を媒介して生産者と消費者が一体化するような新しいコミュニティの生成です。工業社会には、もともとあった人間関係や信頼関係を、大量生産という匿名性によってバラバラにしてしまったという弊害(疎外)があります。人間が潜在的に持っている欲求、A. H. マズローのいう3段階目の人間の類的存在、共同性を求める欲求を実現できないような社会環境が長く続く状況です。この紙コップは相変わらず匿名ですし……(笑)。

 しかし徐々に作った人と使う人の間の関係を、一対一で結びつけられるようなところに近づいています。Auto IDの持つ能力と、ブロードバント、ユビキタスネットワークのインフラが結びつくと、それが実現されるのではないでしょうか。

庄司  ブロードバンド社会というと、動画など大きなデータがたくさん流れる社会というようにイメージされがちですが、Auto IDのような技術が発達すると、むしろ小さい情報がたくさん流れるのかもしれませんね。つまりネットワークのノードが、何億、何兆という単位で一気に増えるが、流れる一個一個のデータは小さい。そういうことに適したネットワークの設計を考えなければならないと思います。

中島  そうですね。光とほぼ同じスピードで結ばれるとなると、地球の反対側でも15分の1秒で届く計算ですから、人間の感覚ではほとんど「同時」です。地球の裏側と同期して物事が起こるような環境が出来上がり、地球が一つになる。そういうことを前提にしたビジネス・モデルを作っていけたら、次の時代のリーディング・カンパニーになると思います。

庄司  原料や物流、保険など、商品に紐づけされているあらゆる情報を、各地に分散している業者から瞬時に持ってくるイメージですね。エージェントやウェブサービス、セマンティックウェブといった技術の延長線上で、機械がそういうことを自律的にやるということも進むでしょう。インターネットが出てきたときに、さまざまなものがデータベースやホームページとして作られたのと同じように、教育も福祉も交通も、さまざまな政策やビジネスもAuto IDに対応するでしょうね。交通も、福祉も、教育もタグ付けすることで、社会制度も相当変わっていくのではないでしょうか。

中島  根本的すぎてめまいがするぐらい、大きな社会変化が起こると思います。それを前提として、法律や価値観など、根本のところで設計し直す必要があるでしょう。GLOCOMは、そういう制度設計に、相当重要な役割を果たすのではないでしょうか。

庄司  非常に興味深いお話でした。今日はどうもありがとうございました。

(2003年4月1日GLOCOMにて収録)