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2003 - December 1, 2003

「排除と囲い込み」の解体で築く新たな協力関係 ハワードラインゴールド著『スマートモブズ』について感じたこと

December 1, 2003 [ 2003 ] このエントリーをはてなブックマークに追加

 

砂田薫(GLOCOM主任研究員)

 

 「群れない」ことがスマートであると信じてきた。だから、『スマートモブズ』(賢い群集)という本のタイトルを見た時、一瞬とまどいを感じたのを覚えている。その逆ではなかったのか、と。

 戦後、日本社会では「群れるな」というメッセージがとても魅力的な響きを持っていた。たとえば、坂口安吾。空襲で炎があがる町を群集の流れに逆らって白痴の女と逃げる主人公を描いた。社会の求心力が「国家」から「会社」へ移っていくと、今度はサラリーマンを辞めて小説家に転じた丸山健二が「群居せず」と語りかけた。小説でも映画でも音楽でも、人はなぜ「群れるな」というメッセージにこれほど惹き付けられたのだろうか。自律した強い人間へのあこがれだろうか。集団の腐敗や暴力に対する嫌悪感のせいだろうか。にもかかわらず、人間は群れずには生きられない弱い存在だという自覚があるためだろうか。

 スマートモブズは、日本では会社の求心力が急速に失われていくのとほぼ同時期に登場した。モブズは受動的なオーディエンスではない。行動する能動的な群集だ。国家でもなく会社でもない、全く新しい群れの形をつくりだそうとする挑戦的な運動なのだ。「群れるな」の魅力と呪縛から解放されるためには、まずはそう理解する必要があるだろう。そうでなければ、新しい共働社会の創造を楽観的に思い描くことはできない。ここで、著者のラインゴールドが示したキーワードは「創発」と「協力」だ。

 「この本には、創発性とノンゼロサムの哲学がある。創発性とは、単純なローカル規則に従って行動すればグローバルな秩序が生まれてくることを指すが、それは予測不可能なものだ。今日、生物学などの諸科学では生命や社会の進化プロセスに創発性があると考えられるようになっている。また、宇宙や人間の進化には、積極的に協力し合うことに成功したグループが生き残るという歴史の方向性が見られる。これがノンゼロサムの哲学だ」(公文俊平所長:10月15日開催のIECP読書会で)。

 では、どのように協力したらいいのか。ラインゴールドは「人間は、大きな挑戦に直面すると協力に向かうが、それが成功するのは、相互監視と相互制裁という助けがある場合だ」(本書343ページ)と語る。そして、実際にモバイルやユビキタス・コンピューティングを中心として、相互分散通信による協力の技術は急速に進歩している。

 しかし、最先端技術に頼らなくても、相互監視と相互制裁はもともと日本社会の伝統的な協力関係に見られた特性だったはずではないか。たとえば、日本企業の特徴は権限の分散化と現場での相互監視にあると指摘されてきた。集団の構成員が共通の目標や役割から逸脱しようとすると、集団全体で圧力をかける。こうした特性によって、従業員間のコミュニケーションコストの削減、現場での柔軟で責任ある対応、活発なTQC(Total Quality Control)活動といった経済効果がもたらされた。日本の企業社会はそもそも中央監視の「ビッグ・ブラザー」ではなく、相互監視の「ビッグ・エブリバディー」だったのである。しかも、この多対多の監視を行うために、センサー内蔵型のウェアラブルコンピュータを身につける必要はまるでなかった。

 とすると、日本の伝統的な協力関係と新たに創発される協力関係は、一体どこが違うのだろうか。ここであらためて、従来の秩序は「排除と囲い込み」の原理の上に成り立ってきたことを思い起こす必要がある。この原理の上で相互監視と相互制裁が機能すると、異質性の徹底した排斥が行われる。だから日本の会社では、すでに述べた経済効果の反面で、マイノリティへの門戸が狭く、ひとたび集団の構成員になると全人格的な参画と配慮が求められるという弊害もあったのだ。「群れるな」というメッセージが魅力的に聞こえたのは、「異質性の排斥に加担するな」という含意があったからだと言えるだろう。

 新しい協力関係とは、国家や会社に代わってNPO・NGO等の新しい組織が求心力を持つようになることではなく、国家や会社や学校などの既存組織の運営原理が根本から変わることを意味している。おそらく最大の問題は、新しい協力関係(つまり群れの秩序)がつくられる以前に、技術だけが一方的に進み過ぎている点にあるのではないか。しばらくの間は、社会と技術との間で生じたギャップがさまざまな問題を発生させるはずだ。なかでも、「協力の精神」の衰弱を「協力の技術」の強化で補おうとして、排除と囲い込みを効率よく実行してしまう危険には最も注意を払うべきだろう。

 自己組織的に秩序を変容させ創発をうながすためには、異質性を積極的に取り込む開放型システムでなければならない。「群がるモバイル族の挑戦」(本書副題)は、まさに排除と囲い込みの原理の解体からはじまる。その成果が確かなものとなるとき、「群れるな」はもはや何の魅力もない古臭いスローガンになり果てるだろう。