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chikyu_chijo - March 1, 2005

第3回 : 監視社会論 - 再考(2)

March 1, 2005 [ chikyu_chijo ] このエントリーをはてなブックマークに追加

青柳教授近影 本シリーズにおいて、3回にわたって続く「監視社会論-再考」、その第1回目は前号、「監視社会論の系譜」(第1章)として紹介した。そこではま ず、監視社会は情報化社会の必然的な産物であること、また監視にも「権力による」ものと「隣人による」ものの2つがあること、監視には、管理や権力の維持 のためという側面と、保護や協力のためという側面の両面性があること、したがって「無条件に排すべき概念ではない」ことについてを考察した。今号では、第 2章として「プライバシーと監視社会」について考えてみる。

国際大学グローコム教授 青柳 武彦

第2章 : プライバシーと監視社会

 監視社会に対する批判の根拠のひとつは、それが人の人格権、特にプライバシーを侵害するという点にある。しかし、プライバシーは必ずしも確立した 法的な概念ではなく、曖昧な要素がなしとしない。そこで「プライバシーとは何か」及び「監視社会においては本当にプライバシーが侵害されるのだろうか」に ついて考えてみよう。

2-1 プライバシー権の生成

ウォーレンとブランダイスの論文ウォーレンとブランダイスの論文:ウォーレンは元弁護士の製紙事業家。ウォーレン夫人は、当時地元の新聞に自宅の盛大なパーティ等がこと細かに掲 載されるのに悩んでいたので、ウォーレンは元同僚のブランダイスに相談した。自宅で立派なパーティを行うことを報道されても、社会的な評価が下がるわけで はないから名誉毀損にはならないが、私事を公衆の好奇の目に曝したくないという願望は「社会的に認められて良いはずである」と彼らは考え、これを護るため には、新しい法益の概念が必要であるとして、本論文の共同執筆に至ったもの。この論文は1890年に刊行された「ハーバード・ロー・レビュー 193」に掲載された。

"プライバシー権の概念"が形成されるに至ったきっかけは、1890年に発表されたウォーレンとブランダイスの論文「The Right to Privacy」である。同論文ではプライバシー権を「Right to be let alone」、すなわち、放っておいてもらう権利と規定しており、プライバシー権の生成と確立にきわめて大きな働きをした。この論文は、いわゆる"プライ バシー擁護論者"たちにしばしば引用されるが、彼ら擁護論者の言うような"プライバシー賛歌"ではない。

 同論文は「プライバシー権は決して優越的な権利などではなく、公共の利益などの下では制限されるべきである」ことも同時に論じており、その意味で はきわめてバランス感覚に優れた論文である。プライバシー権は近代以降に成立した「高級かつ脆弱な人格権」であるので、他の基本的な権利や自由と対立、ま たは競合する場合には、譲るべきことが多い権利であることをまず認識するべきである。

プライバシーとは何か

 プライバシー権について、いままで最も定説化してきた定義は「自己情報をコントロールする権利コロンビア大学のアラン・F・ウェスティン教授 は1967年に著した「プライバシーと自由」の中で「プライバシー権とは、個人、グループ又は組織が自 己に関する情報を、いつどのように、また、どの程度他人に伝えるかを自ら決定できる権利である」と述べた。」というものである。これはコロンビア大学 のウ エスティン教授が1967年に著した「プライバシーと自由」の中で主張したものである。監視されるということは、自分の姿、行動などについての自己情報が 本人の知らないうちに「他者に渡ってしまう」わけであるから、この定義によると、自己情報をコントロールする権利を「明らかに侵害されている」との図式が 成立する。

 しかし本当はこの定義は誤っており、したがって「監視はプライバシー権侵害である」という図式も"常に"成立するとは限らないのだ。自己情報をコ ントロールするのは、プライバシーの概念そのものではなく、プライバシーを護るための「手段・方策」である。つまり手段が自己目的化している。

 おまけにウエスティンの定義は論理的にいって「自己情報は本人のものであり、之をコントロールすることは可能かつ現実的である」ことを前提として いることになるが、これは情報化社会ではすでにまったく成立していない命題である。これでは、余りにもプライバシーの範囲が広すぎて、公共の利益を損なう 危険性が多い。そのように見ていくと、プライバシー権はより制限的に定義して、その代わりに「しっかりと護る」ことが望ましいのだ。

プライバシー権の定義

 それでは「プライバシーと監視社会」という命題を考察するにあたって、より妥当でかつ自律権をも包括した定義とはどのようなものであろうか。学界 においてもまだ新しい定説はないので、筆者の提言を紹介しておく。

 プライバシー権とは不可侵私的領域における個人情報の公開の可否、公開する場合の程度と対象を自ら決定する権利、及び不可侵私的領域に属する事柄 について、行動や決定などを行うにあたり、公権力や他者から介入を受けたり、妨げられたりすることのない権利をいう。

青柳説 プライバシー権の定義

 つまり、すべての私的領域がプライバシーというわけではないのだ。不可侵というのは、侵害された場合のダメージが著しくて、法的保護が必要である という意味であり、その要件は、次の4つであると考える。

  •  (1)私生活上の事柄の領域
  •  (2)一般人の感受性を基準として公開を欲しないと思われる領域
  •  (3)非公知の事実の領域
  •  (4)公開によって不快や不安の念を覚える領域

 じつはこの4点とは、本邦初のプライバシー裁判である「宴のあと事件3)」において、1964年に東京地裁の石田哲一裁判長が下した判決の中で述 べたものである。以後、プライバシー権に関する裁判の判決において繰り返し引用されており、現在でも立派に通用している考え方である。 3.宴のあと事件:三島由紀夫の小説「宴のあと」に東京都知事選に社会党から立候補して落選した元外務大臣・有田八郎と、再婚(59年の落選後、離婚)相 手の料亭「般若園」の女将を題材としたモデル小説が「プライバシー侵害である」と裁判になったもの。第一審東京地裁の1964年(昭39)9月28日の判 決において石田哲一裁判長は「言論、表現の自由は他の名誉、信用、プライバシー等の法益を侵害しないかぎりでその自由が保障されているもの」とし、侵害の 要件として本文に掲げた4条件を示した。

プライバシー権の法環境

 法益としてのプライバシーといっても、わが国では明文化された準拠法がないので、法律制度的にもきわめて曖昧な状況にある。いまのところ、憲法第 13条の幸福追求権をプライバシー権の根拠とする説がほぼ定説化しているが、私人間(しじん・かん)効力の問題私人間(しじん・かん)効力の問題:憲 法は、政府や地方自治体の公務員が護るべき基本原則を規定しているが、私人間の関係は自由として「国家は介入し ない」ことを保障している。しかし現実にはそれでは"弱肉強食の世界"になってしまうので、多くの社会的立法が行われて"弱者"を保護し、憲法の理念が実 現されるようにしている。したがって、憲法は公的機関によるプライバシー権保護は規定しているが、私人間に介入することは、社会的立法による成文規定なし にはできないと考えられる。と適用条項が明確でない適用条項が明確でない:憲法第13条(幸福追求の権利)説が最も優勢であるが、異論も多い。こ のほかにも、第19条、第21条2項後段、第23条、第 31条、第33条、第34条、第35条、第38条1項等が、プライバシー権に関係する条項として指摘されている。という重大 な問題点がある。そうなると、現実的な救済措置は、民法上の不法行為または債務不(完全)履行に基づく損害賠償請求による事後処理しかない。刑法上は名誉 毀損罪と侮辱罪の隣接犯罪として扱われているが、それだけでは盗撮、盗聴、パパラッチ行為などの事前取り締りを行う根拠とはなりがたい。

2-2 防犯カメラとプライバシー

 防犯システムの将来性への期待は、産業的な見地から照らしてみてもきわめて大きい。社団法人日本防犯設備協会が2003年12月に実施した「防犯 設備機器に関する統計調査防犯設備機器に関する統計調査:平成16年版「警察白書」97ページ参照」によると、防犯カメラ等の防犯設備関連の市場 規模は平成14年度(02年度)には1兆1190億円に達し、しかも年々拡大 している。しかしその一方において、人権保護関連の団体や各マスコミ、一部の有識者たちがプライバシー問題や"監視社会到来論"を言い立てて猛烈な反対運 動を展開している。プライバシーと監視社会の問題点が凝縮されている分野である。

防犯カメラの必要性-激増する該当犯罪

 平成16年版警察白書によれば、刑法犯の認知件数は、近年ようやく増加傾向に歯止めがかかったとはいえ、依然として240万件前後もあり、戦後最 も犯罪件数が少なかった昭和48年当時(約119万件)のおよそ2倍の水準にある。内容をみると、強盗や住宅対象の侵入盗が増加しているほか、少年による 凶悪犯が多発し、来日外国人などによる組織犯罪も深刻化している。また、刑法犯のうちでも街頭において敢行される犯罪(街頭犯罪)や住宅などに侵入して敢 行される犯罪(侵入犯罪)の発生件数が依然として高い水準にある。

 平成15年までの過去5年間における刑法犯認知件数の増加数は約80万件であったが、このうちの街頭犯罪街頭犯罪:路上強盗、非侵入盗(ひっ たくり、部品盗、車上ねらい、自販機荒し等)、乗り物盗、粗暴犯(暴行、傷害、恐喝、その他)、性犯罪(屋外強 姦、強制わいせつの増加数は、じつに約50万件、侵入 犯罪の増加数が約10万件に達する。つまり、ここ数年の刑法犯の増加傾向は、まさに街頭犯罪及び侵入犯罪の増加によるところが大きいのだ。これは最近の刑 事事件の傾向を特徴づける大きな要素である。

 こうした状況の中で、地方自治体、警察、地域住民、あるいは量販店やコンビニエンスストアなどの企業、地域住民などの手によって、防犯カメラによ る監視体制の強化と犯罪発生の予防のための努力が進められている。現状では、明らかに防犯カメラの設置は、これらの街頭犯罪及び侵入犯罪の予防及び検挙体 制へ大きく貢献しており、他に有効な手段は見当たらない状況だ。

 防犯カメラの設置に反対する"論者"はこのような犯罪の状況を如何に考えているのか、防犯カメラの利用以外の有効な対処方法があるのかについて、 具体的な提案を行うべきであろう。単なる「反対」だけでは無責任である。

 防犯カメラは、プライバシー侵害の点において、「憲法違反である」と主張するむきもあるが、憲法が、安全で豊かな暮らしをする権利に優越するよう なプライバシーの権利を認めるはずがない。なお、「安全で豊かな暮らしをする権利」と「プライバシーの権利」の憲法上の根拠は同じ第13条 第13条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。である。


防犯カメラとプライバシー

 防犯カメラを設置すると「関係のない人たちまで監視するのは、重大なプライバシーの侵害である」と、息巻く人が必ず現われてくる。しかし、関係の ない人を事前に区別するのは不可能である。網羅的に写すから"事件関係者"があぶり出せるのだ。

 街頭など公共の場で無差別に防犯カメラで監視を行えば、当然ながら個人のプライバシーは影響を受ける。したがって、それが「倫理的な意味でのプラ イバシー」なのか、あるいは「法益として保護すべきプライバシー」なのかを区別せざるを得ない。そして、もしそれが保護すべきものであれば、競合する"防 犯目的"という公共の利益と比較衡量して考えなければならない。

(1)公共の場におけるプライバシー権は縮小する

 個人が"公共の場"に出るということは、自分の姿態や容貌を公衆の目に曝すことについての黙示的同意があると見做されるので、プライバシー権は当 然、縮小する。したがって街頭などの公共の場所やコンビニエンスストアの店頭など"準公共の場"に防犯カメラを設置することの是非は、縮小したプライバ シー権と防犯という公共目的との比較衡量により判断されねばならない。ほとんどの場合、法律的にはプライバシー侵害は問題にならない。

 こうした「公共の場のプライバシーは縮小する」旨の判例として、いわゆる、車内商業宣伝放送禁止請求事件最高裁昭和63年12月20日第3小 法廷判決 商業宣伝放送差止等請求事件 (判例時報1302号94頁)の判決がある。これは原告が、列車内 の宣伝放送は「乗客の静謐(せいひつ:静かで落ち着いていること)を願うプライバシー権を侵害する」ものとして、最高裁まで争ったケースである。1988 年12月、最高裁の貞家克己裁判長は、これを「侵害にはあたらない」として上告を棄却した。

 同判決には、下記の趣旨による伊藤正己裁判官の補足意見がついていた。すなわち「プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるを 得ず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。個人の居宅における"音"による侵害に対しては、プライバシーの保護の程度が高いとしても、人が公共の場 所にいる限りは、プライバシーの利益はまったく失われるわけではないが、きわめて制約されるものになる」とした。

(2)公開された情報にはプライバシーはない

 すでに公開された"公知の事実"には、プライバシー権は認められないから、特殊な場合を除いて、一般的には姿かたちにはプライバシーは認められな い。特殊な場合の例としては、作家の柳美里(ユウ・ミリ)が描いた小説「石に泳ぐ魚」事件がある。これは、顔に大きな腫瘍がある女性が主人公となっている ことから、モデルとされた女性がプライバシー侵害のかどで訴えたものである。この事件は最高裁までいったが、結果は原告の勝訴となった。大きな腫瘍がある ということは、通常の姿かたちや容貌などの一般的な個人情報とは異なる"特殊な情報"であり「本人は周囲のものにだけやむを得ず公開しているに過ぎない」 という判断である。したがって、防犯カメラに写った映像については、そうした特殊なものについての取り扱いには、特に配慮すべきである。

(3)肖像権の問題

 防犯カメラで画像を記録して監視を行う場合には、いわゆる"肖像権"が問題になる。日本では、肖像権について明示的に定めた法律は存在しないの で、その権利保護の具体的な内容、存続期間、権利譲渡の可否などの問題は、必ずしも明確になっておらず、今後の検討課題となっている。ちなみに、肖像権に は、たとえば、自己の写真・絵画・彫刻、その他の肖像などを、みだりに他人に撮られたり使用されたりしない人格権、すなわちプライバシー権の一部としての 肖像権、及び著名人がその肖像の利用に関して有する財産権としての肖像権の二面がある。

 前者の"プライバシー権としての肖像権"については、防犯カメラで人々の姿かたちを写しても、それが、街頭、店頭、野球場、サッカー場などという パブリックな場所の場合においては、前述の通り、プライバシーは縮小する。また一般的な姿かたちに関する情報は"公知の事実"に属するから、裸眼で監視す る限りにおいては、プライバシー権の侵害は成立しない。しかし、Nシステム事件Nシステム事件:高速道路に設置した車両番号を撮影するNシステムが 「プライバシー権侵害である」として裁判になったケース。判決では「搭乗者の容 貌などが写っている可能性がある画像そのものが、撮影後も記録、保存されていると認めるに足りる証拠はない」として原告の主張を斥けた。しかし、もし画像 が記録、保存されていたらどうであったかについての判断は示されなかった。のように監視カメラで撮影してオンライン・データベース化するとなる と、その公共目的(防犯目的など)との比較衡量により判断されるから、画像の利用は当該公共目的の範囲内に厳に限定される。

 後者の"財産権としての肖像権"は、著名人ではない一般の人の場合には、肖像に集客効果などの経済的利益がないから認められていない。著名人の場 合でも、映像を集客目的などに使用しなければ、当該著名人の権利を「侵害したことにはならない」から、通常の防犯カメラ運用の場合においては問題にはなら ない。

 なお、映像や写真などの肖像権と著作権とはまったく異なるものであるが、防犯カメラの資料の著作権はシステムの運用者に属するから、問題になるこ とはないだろう。ただし、防犯カメラで収集した画像データを6カ月以上、継続して蓄積し、かつ検索システムのついたデータベースとしてこれを利用しようと すると、次項に述べる個人情報保護法の対象となる。

(4)個人情報保護法との関係

 2003年5月に成立(同法第4章も、今年4月1日より施行)した個人情報保護法は、個人"情報"を保護するものであって、プライバシー権を保護 するのは、結果的かつ副次的な効果に過ぎない。また、個人情報保護の方法は、個人情報取扱事業者の規制を通じて間接的に行うものに限定されている。本法が 対象としている個人情報データベース等とは「個人情報を含む情報の集合物であって、特定の個人情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的 に構成したもの、及びそのようなものとして政令で定めるもの」(第2条2項)をいうので、防犯カメラで収集したデータを蓄積して、体系的な検索機能つきの データベースを作ったりしないかぎり、同法の対象とはならない。

 また、2003年12月10日に公布された政令によると、同法の対象は、特定の個人の数の合計が、過去6カ月以内のいずれの日においても5千を超 えない個人情報取扱事業者は除外される。たとえ一時的に5千件を超えるときでも、直ぐに消去した場合、あるいは6カ月以内に削除した場合には、同法による 開示、内容の訂正、追加又は削除、利用の停止又は消去等の管理対象外となる。

 したがって、ファイルは可及的速やかに消去し、間違っても6カ月を超えて保持するようなことのないように留意する必要がある。ただし、同法の対象 にはならない場合でも、同法の精神に基づいて個人情報の取り扱いには十分気をつける必要がある。

防犯カメラの積極的な側面

 "監視"という言葉には、表現自体に「否定的な意味」が込められて使われているので、前向きの積極的な意義がなかなか見えないが、じつはこれから の人間社会にとって、きわめて重要な原理を含んでいる。人は他者から監視されていると思うと「かくあるべし」と、自ら思う方向に自らを律する動機が無意識 のうちに発生する。聖人君子であれば、人が見ていようが見ていまいが、常に同じ考え方で同じ行動をとることができるが、凡夫である一般の平均的人間は、そ う簡単にはいかないものだ。

 防犯カメラを「意識する」ことによって、見られている人は"自制心の敷居値"を十分高く保つことができるのである。つまり極端に厳しい取り締まり と罰則を通して公共の安全を図り、かつ公徳心を向上させるよりは、むしろ、こうした人々の"自発的な動機"を有効に活用した方が良いのではないか。 "競争"に代わる人間社会の新しい原理は「協調と共同」であるが、それを有効に働かせるためには相互監視とルール違反に対する制裁が不可欠の条件となる。 また相互監視によるチェック&バランスの原理は、政治、企業、地域社会、その他のあらゆる共同社会に共通に通じるものである。この問題については、次回、 第3回「共の原理を支える監視」において詳述したい。

プロフィール

〈あおやぎ・たけひこ〉1934年生まれ。58年東京大学経済学部卒、伊藤忠商事入社。85年から95年まで、NTTと伊藤忠の折半出資の合弁会 社、日本テレマティーク株式会社社長。その後、国際大学グローバルコミュニケーションセンター(グローコム)に招かれ、95年から2000年まで副所長を 務めた。おもな著書に『ビデオテックス戦略』『電子出版』『ネットワーク戦略』『グローバル企業の情報戦略(共著)』『電子公証システムと法律制度』 『2005年日本浮上(共著)』などがある。また論文も『ビジネス方法特許』『電子商取引の法環境』『情報化時代の個人情報保護とプライバシー保護』『プ ライバシーの法環境』など、こちらも多数ある。