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chikyu_chijo - May 22, 2005

第5回 : 智民論-情報社会で活躍するのは誰か

May 22, 2005 [ chikyu_chijo ] このエントリーをはてなブックマークに追加

国際大学グローコム教授 丸田 一

 国際大学グローコム-情報社会学シリーズ"地球智場の時代へ"第5回は、丸田一教授(主幹研究員)による「智民論」をお届けする。コンピュータや インターネットといった新技術が登場するたび、私たち社会は"期待と不安"が交錯する中でそれらを受け入れてきたが、一方で、そうした最新技術を真っ先に 道具として使いこなす先進的な人種"智民"と呼ばれる開拓者たちが常にそこにいた。彼ら担い手が切り拓いてきた情報社会の歴史と系譜を、産業革命、情報革 命という近代文明の発展局面に沿って紐解きながら、地球智場を牽引する智民の役割など、未来の情報社会の方向性について、筆を揮っていただいた。

ホリエモン論

 情報社会では、どのようなタイプの人たちが活躍するのか考えてみたい。

 ホリエモンの愛称で少なくとも本稿執筆時点で時代の寵児になりつつあるライブドア堀江貴文社長の行動パターンは、従来の事業家と異なるという意見 が多い。堤義明前コクド会長の逮捕やNHKの海老沢前会長の辞任を巡るトラブルなどがつづき、産業界での新旧勢力の盛衰が際だったことも、この見方に拍車 をかけている。

 たしかに、堀江社長が持つメディアを巡る見通しはこれまでの経営者と異なるし、また彼のような若者が旧勢力と対等に渡り合える新しい環境が出現し ているのは間違いない。一方で、堀江社長の行動は「単に事業家として合理的な判断をしているにすぎない」という意見もある。また、これが新しい行動パター ンだったとしても、野心や行動力などの若者特有の資質や個性、個人の能力によるものとも考えられる。個人的には、強烈なリーダーシップを発揮する垂直的な 組織経営をみるにつけ、むしろ堀江社長が産業界の旧勢力と変わらない古いタイプの人間に思えてならない。

 このように、堀江社長の振る舞いの中から、新しい行動パターンを見出すことは、なかなか難しい。断言できるのは、Tシャツなど軽装で記者会見に臨 むことぐらいだろう。そもそも、産業界にそれほどたくさんの"ホリエモン"は出現しておらず、そこから新しい行動パターンを判別することはできない。

新技術を担う新しい人種の登場

 情報社会で活躍する人はいったい誰なのか、別のアプローチから考えてみたい。

 情報社会は、言うまでもなく、情報通信技術(IT)がもたらした。この新しい技術を"道具"として最も使いこなしているのは、どのような人たちだ ろう。もう少し極端な言い方をすれば、これまでの社会では大衆などと一括りにされて目立たなかった人たちの中で、この道具を使うことによって、初めて高い 遂行能力を獲得するのは誰だろうか。この点について公文俊平は、情報通信技術と担い手との関係を綺麗に整理している公文俊平『情報社会学序説』NTT 出版2004年、pp86-102

 1950年頃、情報革命はコンピュータの登場によってスタートした。このコンピュータをいち早く使いこなしたのが、いわゆる"ハッカー"である。 彼らの多くは、日本においても名高いマサチューセッツ工科大学(MIT)など、米国東部に分布する名門大学在籍のエリート大学院生であり、IBMやCDC などの「情報系テクノクラートが支配していた大学」のコンピュータ・センターで、自分たちがコンピュータを自由に、そして、より使いやすい形で使えるよう に、コンピュータ・システムを「ハック」しようとしていた。

 彼らは、高学歴という意味では、そういったテクノクラートたちと同じであるものの、コンピュータ工学はその当時、一つのディシプリン(大学におけ る専門分野)として確立するにはまだ若すぎて、伝統的な学問の世界からは疎外されており、テクノクラートへのいわば「対抗文化」として出現した。

 1970年代になると、コンピュータの「ダウンサイジング」が始まった。それまでごく一部の高学歴者な有資格者にしか許されていなかったコン ピュータへのアクセスが、多くの人たちに開かれるようになった。そこに出現したのが、"ギーク"と呼ばれる人たちである。ギークとはもともと鶏や蛇の首を 食いちぎって見せるサーカス団の最下級芸人を意味する侮蔑語だった。それが高校などの教育現場において「歪んだ知的傾向をもつ嫌われ者」を指すようにな り、やがてコンピュータ好きのいわゆる"オタク"たちは「コンピュータ・ギークス」と呼ばれるようになった。

 米国の高校では、最上流階級にスポーツ選手の"ジョックス"が位置し、その次に一流大学への進学をめざす成績優秀者たちのことを表す"プレップス "が、そしてその他大勢が続き、ギークたちは最下層に位置する。

 しかし、1990年代に入り、コンピュータが「重要な社会インフラとして広く定着する」にしたがって、彼らギークたちはこの言葉を肯定的に使いは じめ、現在ではギークはむしろ尊称となっている。さらにその後、コンピュータを活用した知識生産の担い手は、"キッズ"と呼ばれる10歳代の若者(ティー ンエイジャー)にまで広がっており、若い世代が次々と登場している。

 一方で、同じ1990年代には、インターネットが商用化された時代でもある。コンピュータの登場、ダウンサイジングに続く、これは「第三の技術革 新」である。インターネットの技術的な特徴を簡潔に言い表すのは難しいが、強いて言うならば、コンピュータが「人間の情報処理を代行することでユーザーを エンパワーする」のに対して、コンピュータ同士あるいはネット同士を結んだインターネットは「コミュニケーションを拡大する」という点に特徴がある。

 ただ、ひとくちに「コミュニケーション」といっても、たとえば、1×1型の電話や1×n型のマスメディアが持つコミュニケーションとは異なる。イ ンターネットというのは「n×n型のコミュニケーション」であり、理論的には1人-n人までの集団(グループ)を「2n」という膨大な種類だけ自由自在に 作ることが可能である。ひとことでいえば、インターネットは集団形成が得意なのである。

 このインターネットという、きわめて新しい技術を使いこなす"担い手"は、果たしていま現れているのだろうか。コンピュータにしろ、ダウンサイジ ングにしろ、技術の登場から10年から20年の歳月を要して担い手が成熟しているところをみると、もうそろそろインターネットの手練者が現れてきてもよい はずである。

国家から企業、企業から智業へ

「新技術」と「担い手」との関係についてを、もう少し歴史を遡ってみてみたい。

 18世紀の産業革命では、動力機械の発明と応用という生産技術の一大革新が起こった。そして、この画期的な生産手段をいち早く活用し、大量生産を 行うようになったのが他でもない「企業」である。企業は工場に動力機械を設置するとともに、労働力を集めて商品を大量生産した。やがて企業は生産販売を通 じて富を競い合い、しかもそれを誇示するようになる。すなわち「富のゲーム」を繰り広げるようになる。

 同様に、15-16世紀に技術的な突破を遂げた軍事・航海技術をいち早く活用したのが「主権国家」である。航海技術の発達で容易に到達可能になっ た世界の中で、主権国家は軍隊という"暴力装置"を使って、人民や土地を独占的に保有するようになり、やがて、主権国家はそうして獲得した領土や植民地を 通じて国威を誇示する「威のゲーム」を繰り広げるようになる。

 インターネットやコンピュータなどの情報通信技術が、動力機械技術や、軍事・航海技術に匹敵すると考えると、情報通信技術の担い手たちが企業や主 権国家に代わる新しい社会の主役となる。彼らは、富のゲームや威のゲームに代わる新しい社会ゲームを繰り広げるとともに、その活動に相応しい国際社会や世 界市場に代わる"場"を作りあげる、と類推することができる。

 情報社会学では、彼らを"智業"と呼び、その構成メンバーを"智民"と呼ぶことにしている。彼らは、自分たちなりに知識や情報を生産するととも に、それらの知識や情報を流通させる。そして他の智業や智民たちの積極的な評価や信頼を獲得して評判を高めるという「智のゲーム」を、まさに"地球智場" という舞台において繰り広げるようになると考えられている。情報社会で最も活躍するのは、じつはこの智業であり、智民たちなのである。

オタク文化は智業のさきがけ

 それでは、現実社会において、智業や智民とはどのような連中なのかを考えてみよう。

 先ほど触れたハッカー、ギーク、キッズなどというのは、技術面から眺めた"初期智民"の系譜と考えることができる。彼らに共通しているのは、コン ピュータを使いこなし、既存勢力に対抗しながら「短期間で絶大な影響力を獲得している」という点であった。そしていよいよインターネットを使いこなす新し い"担い手"が出現しつつある。それはたとえば、ケータイメールを使いこなす普通の女子高校生であり、"ネットコミュニティ"の参加者といった人々であ る。

 ネットコミュニティというのは、電子掲示板やメーリングリスト、チャット、インスタントメッセンジャー、ウェブログなどを使い、インターネット上 に自発的に集まった参加者同士がコミュニケーションを行う一種のプラットフォームである。ここでは、ある程度、匿名性が確保されていることもあって、性別 や年齢、地域や職業などで参加が制約されることなく、また参加者が日々刻々と流動的に入れ替わることに特徴がある。そして、2人で行うチャットから大人数 の掲示板まで作られる集団規模もじつにさまざまである。

 世界最大の掲示板といわれている「2ちゃんねる」では、話のネタとして了解されているものに"本気"でレスを返すと、それは「マジレス」と嘲笑さ れ、このマジレスがまた新しいネタとしてコミュニケーションに再利用される。こうして、ネットコミュニティは、価値相対化された"ネタ的コミュニケーショ ン"で埋め尽くされていく鈴木謙介『暴走するインターネット』イースト・プレス2002年、PART3:誕生するコミュニティ。このようにネット コミュニティの参加者は、意味内容や物語などを生産するというよりも、インターネットが最も得意とする集 団形成を、もっといえばコミュニケーションそのものを目的としつつあるようにみえる。

 また日本発で、もはや世界共通語ともなっている"オタク"も、その意味では「智民のさきがけ」といえるだろう。オタクと呼ばれる人は、特定ジャン ルに対して異常なまでに強い関心を示し、しかも(社会活動から)引き籠もりがちな"マニア"とは違って、特定ジャンルにとらわれない多面的な関心を持ち、 群がって活動したがる、いわば「新しいタイプの評論家」だといえる。たしかに、現代のオタクというのは、コレクションや関連情報を丸暗記するだけではな く、類似作品との比較をしたり、スタッフ・クレジットをチェックするなど、対象を徹底的に研究する。

 "オタク学"を提唱する作家の岡田斗司夫氏は、立派なオタクのあり方について「常に探求心と向上心を持ってより広いジャンルに興味を持ち知識を吸 収しようとすること。そうやって吸収した知識や作品によって磨かれた感性を、自分なりに整理し、言葉にし、発表すること。オタクとは自分なりの作品の見方 を持つ優れた批評家のことである」と述べている新オタク用語『現代用語の基礎知識』自由国民社1997年度版

 一方、「智業のさきがけ」といえそうなのが、NPO(非営利組織)やNGO(非政府組織)といった比較的新しいタイプの社会集団である。彼らは、 決して情報通信技術との親和性が高いといえず、知識生産活動を行うわけではない。しかし「非」という否定語で示されていることからもわかるように、企業や 主権国家とは異質な社会集団として登場しながらも、すでに社会に定着している。営利や統治などを目的としない活動パターンと、水平ネットワーク的な組織原 理を持つことに特徴がある。

 また、知識生産を生業とするシンクタンクは、「智業の組織」を考える際に、別の角度から参考になる。私の所属する某シンクタンクは、ここ10年 来、知識生産を最大化するための組織経営のあり方を模索し続けてきた。当初は研究ドメインやマーケットニーズなどにもとづいて組織ユニットを構成してきた が、研究ドメインの共通性を犠牲にしても、仕事のやり方や知的傾向の近い研究者同士がユニットを組んだ方が「むしろ生産性が高い」ことがわかってきた。組 織における生産合理性の意味が、いま大きく様変わりしつつある。

 こうした幾つかの断片から、智業や智民たちの特徴を「おぼろげながら」掴むことが可能である。

"自前主義"アクティビズムの台頭

 ところで予備軍を含めた"初期智業"や"初期智民"たちは、まるで「辺境から湧き上がる」ように生まれている。新しい文明は、旧文明の影響を受け ても「支配はされない」辺境から起こるといわれるが、まさに同様の状況といえるだろう。その辺境の一つが、すでに紹介した「ネットコミュニティ」である。

 ネットコミュニティは、政治的にも文化的にも中心地から離れたネット空間上に生まれた。これまでは「2ちゃんねる」など匿名掲示板がネットコミュ ニティの象徴的な存在だったが、最近では、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)と呼ばれるコミュニティ型のWebサイトが大流行している。 SNSは、それぞれの友達を互いに紹介することで友人関係を広げ、また同じ趣味や出身校など、好きなグループを作りだすサービスを提供する。ほかにも、自 分のページを閲覧した人を確認する「足あと機能」や友達の紹介文を書く機能などによって濃密でかつ微妙なコミュニケーションを演出することに成功してい る。そして、SNSで生まれる多種多様なグループは、いまや"島宇宙"とでもいうべき新しい世界を形成しつつある。いずれ、この中を泳ぎ回りながら智の ゲームを繰り広げる「本格的な智民たち」が台頭してくるだろう。

 そして、もう一つの辺境が、東京や大阪などの大都市圏、すなわち"中央"から地理的にも空間的にも離れた地方(条件不利地域)にある「地域コミュ ニティ」である。最近、全国各地に伝統的な地域社会とは明らかに異なるユニークなコミュニティ活動が多数出現している。これらを横断的にみると、行動パ ターンや組織原理などで幾つかの共通点を見出すことができるが、その最たるものは「アクティビズムの発現」である。

 インターネットなど、最新の情報通信技術を活用することでエンパワーされた主体は、単に目的遂行能力を高めて目的達成に向けて邁進するだけでな く、その過程で「自分にもできる」ことに気づき、少なくとも身の回りの問題については、主体性を発揮して問題解決を図るようになる。このように「態度が能 動的に変化する」ことが共通している。このアクティビズムを私は"自前主義"と呼んでいる。

 そこで次回は、地域コミュニティの最新事例を取り上げる。これは一般的に「地域情報化」と呼ばれる分野である。そこにみられる社会的影響力の大き さやそこで活躍する新しいタイプの"アクティビスト"たちを紹介しながら、こうした具体的な事例をもとに、いま一度、智民や情報社会について考えてみた い。 (次号へつづく)

プロフィール

丸田一〈まるた・はじめ〉国際大学GLOCOM教授、主幹研究員、副所長。1960年さいたま市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。三和総合研究所(現UFJ総合研究所)主席研究員などを経て、2002年より現職。関心領域は、情報社会学、地域情報化研究、情報文明論。地域情報化活動の支援 団体であるCANフォーラムの運営委員長も務める。おもな著書は『地域情報化の最前線-自前主義のすすめ』(岩波書店)、『知の創造の進化システム?原型 としてのインターネット空間』(東洋経済新報社)、『再考!都市再生』(共著、風土社)、『2005年日本浮上』(共著、NTT出版)など多数。