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2005 - July 8, 2005

情報時代の保守主義と法律家の役割

July 8, 2005 [ 2005 ] このエントリーをはてなブックマークに追加

講師:白田秀彰

法政大学社会学部 助教授

講演概要

 電網界(network world)における法や制度を語る態度は、三つに整理で きる。

 (1)部分社会説──現実界(real world)の法が電網界にも適用されるべ しとする。(2)新領域説──電網界での自生的秩序の形成に任せるべしと する。(3)四規制力説──L. Lessigが『Code』で提唱。電網界での自生的 秩序形成では、現実界での民主的・憲法的価値が保全されない懸念があるの で、民主的・憲法的価値を保全しうるように、電網界の構造を法で操作すべ しとする。

 本論では、環境構造(architecture)が人為的に設定される電網界において、 民主的価値に基づく法が機能し続けるためには四規制力説が適切だと指摘し た。しかしながら、四規制力説には弱点がある。民主的価値というものもま た相対的価値に過ぎず、それが私たちにとって正統性を持ちうるのは、現実 界での長い歴史に基づく価値の承認がなされ、それが常識化しているからで ある。

 一方、電網界においては、環境構造から人為的に設定しうるため、人々の 事物の把握や世界理解といった制度を支える共通理解が分離してしまう懸念 がある。さらに C. Sunstein が『Republic.com』で指摘するように、こうし た分離は完全になしうる。従って、現実界における価値や常識が機能する場 合においては、四規制力説は有力な選択肢であるが、電網界の普及・一般化 に伴い、現実界における価値や常識が希薄化しつつある現状をみると、四規 制力説が機能する状況は長く続かないのではないか。

 本論では、現在の法が承認する価値や常識を再生産しうるような環境構造 を、電網界に実装する必要があることを指摘する。すなわち、新領域説の唱 える自生的秩序が、現在の法が目的とする基本的な価値から逸脱しないよう に、根本的に環境面から枠組みを準備すべしとする。しかし、エリートに よる支配という批判がありうる。これに対して、法制史および比較法研究を 基礎とすることで設計者の恣意を抑制することができると期待する。法がそ の歴史において実現しようとした価値を抽出・発見するという作業は、伝統 的な法学の主たる目的であり、その実践には確固とした実績があるからであ る。

 新たな法学者の役割とは、こうした正統性を再生産する環境構造の実装と いうラジカリズムと、伝統的価値の継承という保守主義の立場を合わせた、 「サイバー保守主義」であろう。

共同討議を受けて

 能力の高いネット利用者は、新領域説に傾きがちだと理解していたが、共 同討議においても新領域説すなわち自生的秩序への信頼が根強いことを実感 した。

 ここでいう新領域説は、一般的には「リバタリアン」と呼ばれる態度であ り、リバタリアンが、法や制度について自生的秩序をもって十分であると考 える根拠については、強固な理論的正当化が二点からなされる。すなわち、 1)権力を独占し法を根拠付ける国家の存在以前から、人間は自発的に利害 の調整を行い社会を形成してきた、という歴史的根拠、さらにそれに付け加 えて、2)人々が緊密に結合しなければ維持されえない自由市場経済におい ては、平和的で合理的な取引関係が必須であるため、利害の調整が暴力的な ものにはなりえない、という制度的根拠である。

 リバタリアンは、国家等の強い力の介入によって、環境に適応して自生し てくる秩序が歪むことを嫌う。それゆえ、電網界の秩序については新領域説 を取ることになるのだが、彼らは、現在支持されている自由主義・自由市場 経済の組み合わせが、非常に長い期間にわたる人類の失敗と反省の上に花開 いた精華であることを看過しているようにも思われる。

 講演でも述べたように、電網界は、これまで私たちが秩序として観念して きた制度を生み出す環境としては好適とは言えない。また、仮に放任してお いたとしても、電網界が何らかの秩序らしきものを生み出しうるとして、そ れがリバタリアンたちの期待するような社会制度に至る保証はない。さら に、そうした制度が生み出されるまで──筆者が推測するに──法の歴史が これまで費やしてきた期間と同程度の期間を必要とするのではないか。

 筆者は、現実界にはすでに経験があり、英知があると信じる。これを電網 界に応用しないのは大きな損失であると主張したい。

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