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2005 - August 11, 2005

新生GLOCOM

August 11, 2005 [ 2005 ] このエントリーをはてなブックマークに追加

  • 公文俊平
  • GLOCOM代表

GLOCOM設立の背景

 グローバル コミュニケーション センター(略称グローコム)は、もともと、日本社会を研究対象とし、その研究成果を世界に発信することを目的として、1991年に学校法人国際大学の直轄研究所として設立されました。初代の所長は村上泰亮で、村上が1993年に急逝した後は、私が所長を継ぎました。  村上や私は、1970年代から80年代にかけて、次のような問題意識を共有していました。すなわち、明治維新以降の、とりわけ戦後の、日本の経済的社会的発展には目覚ましいものがある。いまや日本が非西欧社会の中では唯一、近代文明社会の一員となりえたことについては疑問の余地はないが、同時に西欧社会と比べるとさまざまな違いがあることも否定できない。だとすれば、

  • 近代化の一層の進展とともに、そうした差異の多くは消滅していくのか。残り続けるとすれば、「近代文明」という社会的な「種」が、幾つかの「亜種」あるいは「分肢」を持つことになるのか。逆に、消滅していくとすれば、それは日本の一層の変化の結果なのか、それとも西欧と日本が互いに変化しつつ収束していくことの結果なのか。
  • そもそも近代社会とはどのような社会であり、どのような進化経路をたどって今日の状態に到達したのか。今後はさらにどのような進化を遂げていくのか。
  • 日本以外の非西欧社会も、いずれは近代化の途を歩むようになると期待してよいのか。あるいは、近代文明には普及の限界のようなものがあるとすれば、それはなぜだろうか。
  • 日本の近代化の経験はそれら後発国の近代化にとってどのような教訓たりうるのか。また、日本社会の現在の在り方や今後の変化は、先発国の近代化の一層の展開にとって参考にしうるものなのか。
  • このような問題を、異なる文化的・文明的背景を持つ世界の人々が互いに理解可能な形で議論し合うためには、普遍性を持った概念的・理論的枠組みの構築が必要になるはずだが、それはどうすれば可能になるのか。

 グローコムの設立の背景には、このような問題意識がありました。

初代村上所長の提起した方法論

 村上はもともと、近代化とは産業化に他ならないという立場に立って、社会科学の個々のディシプリンを超える学際的・総合的な社会科学としての「産業社会・学」とでも言うべき学問体系の構築をそのライフワークとしていました。1975年には『産業社会の病理』を、84年には『新中間大衆の時代』を発表していた村上は、グローコムでの短い所長時代に畢生の大作とも言うべき『反古典の政治経済学』(1992)と、遺著となった『反古典の政治経済学要綱』(1994)を世に問い、注目を集めました。

 近代文明の今後については、産業化の一層の進展としての「スーパー産業化」と、産業化そのものを超える社会変化の動きとしての「トランス産業化」(つまり情報化)とが同時進行しているというのが村上の見方でしたが、後者の流れがどこまで強力で持続的なものとなるかについては、判断を留保していました。その代わりに村上は、そのような問題を取り扱うための新しい方法論として、これも遺著となった編著『マニフェスト 新しい経済学』(1994)の中で、「進化論的アプローチ」と「ネットワーク論的アプローチ」の二つを提唱しました。村上のこの眼力の確かさは、90年代の後半以降にみられた複雑系の生命学やネットワーク理論の急激な発達によって確認されたところです。

近代文明の新たな局面「情報社会」

 村上の後を受けた私は、続く十年間、「トランス産業化=情報化」こそがこれからの近代社会の変化の主流となる、近代文明は、いまや産業化の次の進化局面に入っているという確信のもとに、『情報文明論』(1994)を世に問うとともに、近代文明の新しい、そして恐らくは最終的な発展局面としての「情報文明」ないし「情報社会」の研究に、グローコムの研究活動の焦点を合わせました。また、そのような観点から所の内外の同僚達とともに、さまざまな政策提言を行ってきました。とりわけ、インターネットのような新しいコミュニケーション・システムの重要性に注目し、その導入と普及を図ってきました。日本社会自体の変化については、私の持論であった「60年周期説」をもとにして、何人かの同僚と一緒に共同研究を行い、「追い付き型近代化」を達成した日本は、1970年代後半以降、長期停滞局面、つまり下降の30年に入っていたものの、情報化の流れの本格化と共に、2005年ごろを起点として幕末以来三度目の長期上昇局面に入るという見通しを、『2005年日本浮上』(1998年)として発表しました。ただし、この本の表題は実はやや誇大広告の観があり、私自身は「日本浮上」ではなく「日本浮上へ」としたかったのですが、営業政策上それでは困るという出版者のご意見に従ったものです。

 そうした試みを通じて、私は、村上がライフワークとした「産業社会・学」は、いまや「情報社会・学」によって補完することが可能になったばかりか、さらにより包括的な「近代社会・学」の体系化が可能になると考えるに至りました。そして村井純さんの強いお勧めもあり、そのためにもまずは「情報社会学会」を設立したいと念願したのですが、私の非力もあってなかなか実現できませんでした。しかし、ようやく今年の春になって、大橋正和さん、国領二郎さん、山内康英さんほか多くの方々のご理解とご協力のもとに、情報社会学会の設立にこぎ着けることができました。新生グローコムが、新学会の大きな支柱となるばかりか、さらに進んで、「情報社会・学」を含めた「近代社会・学」の確立の先頭に立ってくれることを、私は強く期待しています。それはまた、近代社会というか近代文明の後継者としての「ポストモダン」の文明社会の、構築や理論化の糸口ともなるでしょう。

自由で快適な研究環境

 以上がグローコムでの研究内容についての話でしたが、私どもは研究所としてのグローコムの運営の在り方についても、幾つかの理念を持っていました。村上と私が以前勤務していた東京大学教養学部の研究環境は、物理的にも資金面でも、率直に申して劣悪なものでした。比較的自由に買えたのは書籍くらいのもので、共同研究を円滑に進めるための交際費や交通費を出すという観念は、長距離移動の「旅費」の一部を支弁するという以外、大学には事実上皆無でした。集まって議論をするための快適な場を探すのにも苦労しました。しかも1968年の大学紛争以後、研究室の夜間利用には厳しい制限が課せられていました。そこで私どもは、グローコムという新しい場を、できる限り自由で快適で豊かな研究環境にしたいと考えたのです。具体的には、

  • さまざまな規制のなるべく少ない、自由な研究活動の場を作ること。これは、結果的に、グローコムを学校法人国際大学の直轄下におき、大幅な自治を認めていただくことで実現しました。
  • 自治の代償は、文部省からの研究補助金が得られないことでしたが、それにもかかわらず、予算的には可能な限り独立採算を貫くこと。この課題は、中山素平特別顧問の破格のご配慮で、創立当初グローコムのためにイアマークされた準備金の使用が許されたことや、少なからぬ企業から「グローコム研究協力委員会」や「IECP(智業=企業共働プロジェクト)」のメンバーとして年々多額の支援を頂戴したり、研究委託契約を結んだりできるような仕組みを準備してくださったお陰で、基本的に解決できました。
  • 快適な研究環境の整備。これは、六本木のビルに丸々一フロアー(一時は二フロアー)を賃借りして、一日24時間、週七日、一年365日の利用が可能な研究室と、各種のプレゼンテーション機器を備えた大小幾つかの会議室や、簡単な立食懇談のできるパントリーに加えて、高速インターネットへの接続性を確保すること、グローコムの研究と運営を支援する強力な事務局を作ることなどで、ほぼ実現できました。

 その後のグローコムは、昨年以来、教育機関としての国際大学のご理解を得て、その一部局として、運営面での大幅な自治を認められつつ、国際大学の教育活動にも積極的に参加することになりました。同時に、文科省からの補助金もいただけるようになりました。この方針転換が適切であったかどうかは、今後の経緯にもよりますが、私としてはその方が大学の研究所としてはより自然な形ではないかと考えています。

「ポスト公文」の研究体制へ

 さてそのグローコムも、今年は設立以来十五年目に入りました。私の所長在任期間も十年を超え、今年は古希を迎えました。そこで、昨年度からは所長職を辞任させていただいたのですが、残念ながら次期所長に運営をすんなり引き継いでいただくことには成功しませんでした。そこで当面、次の所長が決まるまでは私が「代表」として引き続きグローコムの運営に当たりたいと考えています。つまり現在は、言ってみればグローコムが「ポスト公文」体制を構築して新生していくための助走期間に当たります。

 しかし、新生グローコムの体制創りは、丸田副所長と笹原事務局長を中心とする新世代の所員たちによって着々と進められつつあります。その詳細は丸田副所長の説明にまつことにして、以下では私が考えている新生のための三つの基本理念について、簡単にお話ししてみたいと思います。

 その第一は、大幅な若返りです。かつての「大学紛争」期には、団塊の世代と呼ばれた若者たちが、三十歳以上の人間は信用するなと叫んでいました。いま、「失われた十年」、いや私に言わせると「失われた三十年」がようやく終わりに近づき、「U30(アンダー三十歳)への世代ワープが始まる!」などというキャプションが雑誌に踊ったりするようになりました。私は別にそうした時流に追随する気もなければ、「アンダー30」を全面的に要求するつもりもありませんが、それにしても研究陣の大幅な若返りは必要不可欠だと思います。私自身これまで、情報社会のさまざまな変化を予想すると同時に、新しい技術の消化やライフスタイルの採用に努めてきたのですが、さすがに息切れしてきました。後はもう若い世代の知性と感性とエネルギーに任せるしかありません。そこで私としては、新生グローコムは、少なくとも研究機能の面では、三十代の人々が運営の中核に位置し、二十代の人々が研究の第一線で活躍するという形をとることが最も望ましかろうと思います。

 その第二は、「情報社会・学」を中心とする研究の指向性です。グローコムというか私は、過去十数年の模索の結果、ようやく「情報社会・学」の観念にたどり着きました。そして、ある意味ではたいへんお恥ずかしい話ですが、昨年になって『情報社会学序説』という題の本を出したところです。私としては、このあたりが限界かもしれません。そこで、新発足した情報社会学会に結集してくださった若い方々が、次の突破口を切り開いてくれることを期待しているわけですが、さきにも申しましたように、新生グローコムにはぜひとも若い方々がその最前線に立って活躍してもらいたいと思っています。私流に言えば、まず「ラストモダン」の土台を踏み固めて、そこから「ポストモダン」の世界に至る展望をあらためて切り開いてもらいたいということです。

プラットフォームの重要性

 その第三は、研究のためのプラットフォームの重要性です。このところ日本では、情報通信インフラの構築を主要課題として2001年から発動された「e-Japan戦略」が、目覚ましい成果を収めつつあるので、次は構築されたインフラの「利活用」だという合意が高まりつつあります。そこでにわかに普及しつつあるのが、国領二郎さんがいち早く唱道してこられた、インフラよりはやや狭い意味での「土台」を表すと思われる「プラットフォーム」という観念です。最近の国領さんはこの言葉を「共通の言語空間」という意味で使っていらっしゃるようですが、私としてはとりあえず、それも含めた人々の活動の直接の支援基盤といったような意味で、この言葉を使っておきたいと思います。つまり、私は、研究所としてのグローコムが、独自の研究活動の遂行(およびその成果の発信)と並んで果たすもう一つの重要な機能として、研究活動のユニークな支援機能を考えてみたいのです。

 研究者やそのグループが研究活動を円滑に遂行していくためには、いうまでもなくさまざまな支援が必要とされます。情報の収集や発信のための高速ネットワークへのアクセス、ライブラリーやライブラリアン、研究助手やセクレタリー、さまざまな設備や空間、クライアントとのマッチングや研究資金の入手、経理や法務などを含めた契約の締結や実施の支援、健康管理、所員や関係者が気持ちよくコミュニケーションとコラボレーションを行えるための良好な人間関係、等々きりがありません。そのようなさまざまな支援のサービスや設備や空間を、他の類似の組織にはまねのできない形で、あるいは少なくとも他の類似の組織には負けない形で、過不足なく提供できる研究所にしてもらいたいというのが私の希望です。もちろんこの種の支援サービスのなかには、アウトソースできるもの、あるいはより広域的な「インフラ」から供給されるものも少なくないでしょう。しかし、研究所が自前で供給する部分の重要性は、いくら強調しても足りないくらいではないでしょうか。にもかかわらず、こうした支援サービスの提供それ自体を、みずからの組織の重要な機能として意識的に追求している研究所は、それほど多くないのではないかと思われます。ですから新生グローコムには、ここでも新境地を開いてもらいたいのです。グローコムは、そのために、組織を研究部門とプラットフォーム部門に大きく分けた上で、その間の連携を図る方式を模索しているところですが、その点については丸田副所長の説明にまちたいと思います。