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2005 - August 7, 2005

サイバーリテラシーと情報倫理

August 7, 2005 [ 2005 ] このエントリーをはてなブックマークに追加

  • 矢野直明
  • サイバーリテラシー研究所代表/明治大学法学部客員教授/情報セキュリティ大学院大学講師

 6月7日のIECP研究会は、サイバーリテラシー研究所代表の矢野直明氏を講師に迎え、『サイバーリテラシーと情報倫理』と題して開催された。

 講師の矢野氏は、朝日新聞社で、『アサヒグラフ』編集部員、『ASAHIパソコン』初代編集長、『月刊Asahi』編集長、『DOORS』編集長等を歴任された。2002年にサイバーリテラシー研究所を開設されて、サイバーリテラシーという概念を提唱、IT社会をより良く生きるために修得すべきリテラシーを探る活動を続けてこられた。

 今回の講演は、本年4月に刊行された著書『サイバー生活手帖―ネットの知恵と情報倫理』(日本評論社)に沿って行われた。

サイバーリテラシーとは

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図1:これからのIT社会(講演資料より)

http://www.glocom.ac.jp/img/chijo/103_063b.jpg

図2:サイバーリテラシーとは(講演資料より)

 矢野氏は、これからのIT社会を、サイバー空間が現実世界をすっぽりと覆い、現実世界とサイバー空間が相互交流する世界であるととらえる(図1)。サイバー空間とは、「インターネット上に成立したデジタル情報空間」(『サイバー生活手帖』、p. 10)であり、その構造や特性、その中で求められる作法や所作が現実世界とは異なる。サイバーリテラシーとは、こういったデジタル技術が生み出したサイバー空間の構造や特性と、それが現実世界に及ぼす特異な影響を理解して、これからのIT社会を快適で豊かに生活していくための能力である。

 よく似たものに、コンピューターを操作する能力である「コンピューター・リテラシー」や、情報を扱う能力である「情報リテラシー」がある。サイバーリテラシーはこれらと一部重なるが、同一ではないという(図2)。

サイバー空間の三原則

 サイバー空間の構造や特性を理解するうえで重要なこととして、矢野氏は次の三原則を挙げた。

  • I.サイバー空間には制約がない。
  • II.サイバー空間は忘れない。
  • III.サイバー空間は「個」をあぶり出す。

 Iの制約とは、現実世界にある物理的・空間的制約であるという。確かにコンピューターは疲れを知らないから、止まれと命令されない限り永遠に作業を続けるし、遠いからという理由で、電子メールが届かないということもない。また、例えば、ポルノや暴力表現が子どもに及ぼす影響について議論が積み重ねられて、物理的・法的にさまざまな措置が取られているのも、現実世界における制約ではないだろうか。ネットの中では、有害なコンテンツから未成年を隔てるものは、意図的に仕組まない限り何もない。こういった制約から解放されたところに、サイバー空間は成立していると言える。

 IIは、現実世界とは逆の現象であるという。現実世界では普通、時間がたてば物事は忘れられてしまうから、私たちは苦労して記録に残そうとする。他方、サイバー空間に蓄積されたデータは、削除しない限り永遠に残る。しかもデジタル情報はコピーが簡単だから、削除したとしても、どこかにコピーが残っているということもありうる。これはサイバー空間の利点であると同時に、脅威にもなりうる。

 IIIは、これまで組織や地域に埋め込まれて生活をしていた個人が、サイバー空間でふるいにかけられ、再構成されることだという。例えば出会い系サイトは、職業や年齢、社会的地位、住んでいる場所などが違うために、現実世界ではとうてい知り合うことがなかったような相手と、手軽にコミュニケートできる可能性を提供している。これは一面、素晴らしいことであるが、自分を見失ったときに社会的な歯止めがかからないという怖さも内包している。

情報倫理とラディカルな発想

 出会い系がからんだ監禁事件、自殺サイトを通じた集団自殺、ネット・オークションやアダルト・サイトを巡る詐欺事件など、サイバー空間が媒介する事件が後を絶たない。インターネットやケータイの利便を享受する一方で、その負の部分が社会の安全保障を脅かしているかにも見える。そろそろ私たちは、サイバー空間の存在を前提として、社会の枠組みをとらえ直すべき時期にきているのだろう。そこで問われていることとして、矢野氏は以下の二点を挙げた。

  • (1)技術と法と倫理
  • (2)ラディカルな発想の転換

 (1)は、技術と法と倫理という三つの観点から現代社会を見るべきだということである。サイバー空間は技術によってつくられた世界であるから、技術はもちろん重要である。ところが、技術には常に完全を追求しようとする傾向があるため、自己規制を求めることは難しい。可能性を追求した結果、技術が暴走することだってありうる。そこをコントロールするのが法律である。ただし、法律をいくら整備しても、必ずその網の目をかいくぐろうとする者が現れるし、規制を強めれば社会は息苦しいものになる。そこで矢野氏は、私たちが技術を使って快適に暮らしていくためにはもう一つ、倫理が必要だと語る。「いま必要なのは、現実世界とはまるで違うサイバー空間の特性を理解したうえで、これからの私たちの生き方を抜本的に考え直すことだと言えよう。それがサイバーリテラシーにおける『情報倫理』構築作業でもある」(前掲書、p. 153)

 (2)は、サイバー空間にかかわる問題を解決するためには、従来と全く違った発想が必要だということである。矢野氏はラディカルな発想の例として、法学者のローレンス・レッシグ(スタンフォード大学ロー・スクール教授)が提唱する「新しい方式の著作権」、夏井高人(明治大学法学部教授)の「個人情報をネットワーク上に情報化させない権利」、林紘一郎(情報セキュリティ大学院大学副学長)の「情報基本権」などを挙げた。

IT社会をどう生きるか

 最後に矢野氏は、これからの社会を生きるために特に留意しておくべきこととして、以下の四点を挙げた。

(1)現実世界にしっかりと軸足を置く。 現実世界とサイバー空間を行き来していると、自分がどこに居るのかを見失いがちである。自分が生きている場所を再認識し、生活の軸足を現実世界にしっかりと置くべきである。 (2)サイバー空間に風穴を開ける。 技術は完全や効率を求めるが、どこかにサイバー空間から逃れられる場所を確保しておくことが大切である。「大事なのは一人ひとりの幸福であり、サイバー空間の完全性を求めることではない」(前掲書、p. 155) (3)コンピューターに任せない領域の確保。 コンピューターによる自動制御や安全管理が進むほど、操作する側の人間の緊張感が失われるというモラル・ハザードが起こる。最後は人間が判断する余地を残しておくべきである。 (4)すべてを「個」レベルからとらえ直す。 これまで地域や組織によって担われてきた社会機能を、個人のレベルから再検討することが迫られている。

講演を終えて

 講演後の質疑応答では、

  • JR福知山線の事故に関して、技術に頼ってシステムを構築する今の社会の仕組み自体に問題があるのではないか。
  • 現実社会とネット社会を二項対立的にとらえるのはいかがなものか。
  • 大学生が講義中に断りなしに教室を出て行くという行動を巡ってケータイのせいなのか、それともそれ以前にモラル意識がないからなのか。
  • ケータイが出てきて社会が変わったのか、社会の変化をケータイがより推進したのか。

──等々、非常に活発な意見交換が行われた。詳細については、誌面の都合から割愛させていただく。

 ごく近い将来、ユビキタス社会がやってくると言われている。さまざまなモノや人にRFID(無線ICタグ)が貼付され、至るところに情報の読み取り装置や発信装置が置かれる。私たちはそれらと無線端末で交信しながら、生活や仕事に必要な情報を得るようになる。そうなるとサイバー空間は、現実世界を覆うというより、現実世界に溶け込んで現実そのものになるとも言える。そのとき私たちは、技術にすべてを任せてしまうのか、なおも技術を操作しようとするのか、あるいは何らかの法律でクビキを設けて技術をコントロールしようとするのか。情報社会と言われて、社会のありようが大きく変化している現在、人々が幸福であるために、社会の仕組みやモラルはどうあるべきなのかといった議論は、ますます重要になっていくのだろう。「倫理とは」「幸福とは」といった哲学的なテーマについて、久しぶりに刺激を受けた研究会であった。

2005年6月7日開催(編集部)