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2005 - November 15, 2005

セッション:011-情報社会における憲法を考える

November 15, 2005 [ 2005 ] このエントリーをはてなブックマークに追加

  • 公文俊平 : 国際大学GLOCOM代表
  • 鈴木 寛 : 国際大学GLOCOMフェロー/参議院議員/参議院憲法調査会幹事/中央大学大学院客員教授
  • 土屋 聡 : ハーバード大学ケネディ行政大学院
  • 庄司昌彦 : 国際大学GLOCOM研究員

 日本では現在、「憲法改正」を巡る議論が盛んになっている。これまでも 憲法は日本の政治における最もセンシティブな問題の一つで在り続けてきた が、それが非常に現実的な問題として語られるようになってきたのだ。

 また、海外に目を向ければ、欧州憲法などのように、既存の国民国家の 枠組みを超える憲法の在り方も、具体的に検討されるようになっている。 GLOCOMではこれまでも、情報社会の制度構築について政策提言を 行ってきたが、そうしたことから、このセッションでは、国会議員などを交 えて「新しい憲法の在り方」について議論することになった。

社会は変化しうる

 セッションではまず、GLOCOM代表の公文俊平氏が、憲法改正の大 前提となる、日本社会の現在の変化について述べた。その骨子は、次の四点にまとめられる。

1.人間の社会は変化・進化する

 憲法は一般的に、人権のような普遍的な理念について規定することが 期待されている。しかしながら同時に、その時々の考え方を明らかにす ることも大切なのではないか。かつてGLOCOMの初代所長だった 村上泰亮氏は、市場経済をスタティックなモデルとして捉え、社会の変 動を考慮に入れない新古典派の経済学を批判したが、この批判を踏まえ つつ、社会が変動しうることを前提に、相対的に変更しにくい憲法(硬 性憲法)から、必要に応じて変えられる憲法(軟性憲法)へとその質を変えていかなければならない。

2.主権国家のありようもそれに併せて変化する

 主権国家、国民国家という枠組みは、いまでもその存在意義を失って いないが、人のグローバルな流動性は高まる一方であり、多重国籍や、 外国人に対する権利・義務の在り方についても検討しなければならな い。

3.産業社会も変化している

 近代化は、世界中どこでも同じようには進展してこなかった。とりわ け日本のように近代化に乗り遅れた国家においては、産業はあくまで上 からの振興政策によって発展するという「開発主義」の形態を取ってき た。20世紀は戦争の世紀であり、それに対する反省が促されてきたが、 21世紀は産業の拡大と、それに対する反省、すなわち、開発を進めさ えすればいいのか、ということが問われる時代でもある。

4.情報社会化が進行している

 情報社会においては、権利や義務関係について、これまでのような枠 組みでは通用しない場面が多々出てくる。しかしながら、こうした新し い権利や義務について、社会的な合意が形成されているとは言い難い状 況である。だからこそ憲法も、常に変更される可能性に開かれていなければならない。

人の能力を拓く憲法を

 続いて、参議院議員の鈴木寛氏からの発言。鈴木氏は参議院の憲法調査会 で幹事を務めており、この分野にもっとも詳しい専門家である。鈴木氏に よれば、これまでの政治の役割は、アロケーション(再配分)が中心だった という。しかしながら新しい憲法においては、軍事や経済といった分野の、 ハード・パワーに関するアロケーションではなく、ソフト・パワーのコミュ ニケーションに焦点が当てられなければならない。

 というのも従来の政治は、ハード・パワーの編成に問題が集中したため、 問題解決のためには、どうしても社会の成員を動員する必要があった。それ ゆえ、大きな政府か小さな政府か、という二者択一に陥りがちである。しか しながら、小さな政府になる中でサービスのクオリティーを落とさないとい う選択をしなければならない。そのためには、NPO、NGOのような、人々 の自発的な動きに期待しなければならないが、それはどのようにして生まれ るのか。

 この自発性や協力関係の基礎となるのが「情報」であると鈴木氏は言う。 すなわち、アロケーションの政治から、コミュニケーション、コラボレー ションをいかにエディットしていくかを考える政治への転換である。その意 味で、55年体制におけるアロケーターから、プロデューサー的なものへと、 政治家の役割も変化していくことになるだろう、というのが鈴木氏のビジョ ンである。

 こうした考えの背景に存在するのは、インドの経済学者アマルティア・セ ンの提唱する「ケイパビリティー」の概念である。ケイパビリティーとは、 個人がある行いをなしうる能力のことを指す概念だが、こうした能力を保証 するのが国家の役割である、と鈴木氏は述べていた。新憲法は、こうした基 本理念に基づいて、リージョナルなコミュニティーや趣味のコミュニティー を通じた熟議のための公共圏の形成が今後のガバナンスの中心になる社会 の、基本的な枠組みを示すことになる、ということだろう。

アメリカとの比較

 現在、ハーバード大学大学院で学ばれている土屋聡氏からは、主としてア メリカとの比較において、日本国憲法をどう考えるか、という視点が提示さ れた。

 土屋氏の基本的な立場は、「憲法はそう簡単に変えられるようなものにせ ず、あくまで硬性憲法としての性格を維持するべきだ」というものだ。様々 な権利は、解釈改憲の枠内で確定可能であり、そうした解釈の権限は拡大さ れるべきであるが、「基本法の基本法」としての憲法は、現段階で維持され てよいのではないか、と土屋氏は述べる。

 そもそも現在の日本国憲法は、1940年代にドラフトが作成されたときに は、アメリカ合衆国憲法にはないリベラルな要素を盛り込むという傾向の中 で提出され、立法府の権限が前面に出ている。こうした理念に基づいて作ら れた憲法を、ある世代の民意を反映したものに変更してよいのか。むしろ、 変えられなかった時期がどのくらいあるかによってその強固さが分かるので はないだろうか。そうした長期的な規範としての理念が、現在はまだ見えて いないのではないか。

 また、アメリカの政治においてよく強調される「プルーラリズム」につい ても補足が必要だ、と土屋氏は言う。プルーラリズムは一般に「多元主義」 などと訳され、多様な価値が共存し合う状態がイメージされるが、むしろア メリカでは「連邦政府/州政府」「上院/下院」などのように、「二元主義」 という意味合いが強いという。様々なレベルでの二元主義が積み重なるの が、アメリカ政治のイメージである、というわけだ。

 日本においても、戦後世代と戦前世代の議論の関わりなど、対立する要素 をどのように考えていくかが重要になるだろう。

産業社会と情報社会

 その後、総選挙などの事情により欠席した、参議院議員松井孝治政策担当 秘書の佐々木孝明氏からの見解が読み上げられ、新しい憲法の性質につい て、やや硬性であるべきだろう、などの論点が提示された。

 またそのほかにも司会の庄司昌彦氏から、新しい憲法が、産業社会への反 省を出発点にするという前提についてどのように考えるか、という質問が出 た。土屋氏が、「そもそも現在の日本国憲法がそれほど産業社会寄りではな い」と述べるのに対して、公文氏は、「勤労の義務や義務教育の存在などは、 明らかに情報社会以前のパラダイムに基づいて書かれたものである」と言 う。

 鈴木氏によれば、EU憲法草案では、情報社会に半歩踏み込んだ内容になっ ているという。そこでは文化的かつ言語的な多様性、経済以外の価値が意識 的に盛り込まれており、コミュニケーションを規定するプロトコルを主眼に 置いたものになっているのである。

 こうした論点をさらに推し進めると、「所有」の問題が登場すると鈴木氏 は述べる。産業社会が前提にする排他的な所有の形式は、ゼロサム・ゲーム の、配分する財が残らない状態を生み出してしまう。そこで情報憲法によっ て、情報の排他性をリリースする必要もあるのではないか、と鈴木氏は考え ているようだ。

アジアへ誇れる憲法へ

 そのほか、議論の中では「アジアの中の日本」として、憲法をどう考える かという議論も盛んに行われた。鈴木氏は、「エネルギー産業と親和性の高 い現在のブッシュ政権に対して、(否決の動きなどもあるものの)EUが新 しいパラダイムを提示しようとしている。そこでアジアにおいても、新しい 情報社会のパラダイムを提示する必要があり、そのさきがけとして日本で情 報憲法ができるということは、日本がメディア・ステートとしての位置を 示すことであり、それは日本の文化的な伝統にもかなうものである」と述べ た。

何が幸せな社会か

 全体として、憲法を考えるときにいつも立ちはだかる「九条」のような問 題にとらわれることなく、社会全体の枠組みが変化する中で、新しい社会構 想を打ち立てるために「憲法」というテーマが論じられたセッションであっ た、ということができるだろう。印象的だったのは、セッション終了後に収 主催:政策空間(http://www.policyspace.com/) 日時:2005年8月20日(土)10:30~ 12:00 録された「GLOCOMT V 」におけるインタビューで鈴木氏が語った、「情 報」や「教育」などの、知識へのアクセシビリティーの重要性であった。単 純にお金を稼いだり、社会的に高い地位を得たりすることが、必ずしも自明 の幸せではなくなった現代、新しい幸福の在り方を模索する議論が、ここか ら始まるのではないだろうか、と思わされたセッションだった。 (鈴木謙介:国際大学GLOCOM研究員)