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2005 - November 11, 2005
セッション:015 ネットコミュニティーと意形成
November 11, 2005 [ 2005 ]
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情報社会の担い手は、現在では「U30」などと呼ばれる若手が中心である ことは自明のものとなりつつあるが、そうしたことが話題になる以前から、 GLOCOM関係者を中心に、情報社会学の若手研究者の交流、研究発表 の場として機能してきた「情報社会学若手研究会」が主催し、2ちゃんねる 管理人・西村博之氏ほか有名ブロガーを招いて、情報社会とマスメディアの 役割などについて語り合ったのが、本セッションである。
冒頭ではGLOCOM研究員の鈴木氏が、マスメディアとインターネッ トを論じる際の論点整理を行った。それによると、マスメディアはこれまで ネットを、無責任な言説の垂れ流し空間だと見なしてきたが、昨今の「第二 次ネット革命」などと呼ばれるような、マスメディアのネットへの注目によ り、ネットへの期待が高まる一方で、一般のユーザーはそうした動きとは無 関連に、ネット・ユーザー自体の拡大とも相まって、ジャーナリズムではな く、誰かとの「繋がり」ばかりを主題化する方向へ進んでいるのだという。 こうした状況で、ネット対既存マスメディアという対立軸は不毛なのではな いか、と提案された。
こうした整理の上で鈴木氏がまず投げかけたのが、ネットとジャーナリズ ムとの関係の中で切り離せない問題として出てくる「匿名性」の議論だ。 ジャーナリストを中心として、匿名で無責任な発言の跋扈するインターネッ トに、きちんと名前を明らかにし、信頼できるジャーナリズムを持ち込むべ きだとする議論は多いが、実はこれは、署名記事へのあこがれを持つジャー ナリストの欲望が投影されたものであり、実際には匿名であっても「ネット 論説委員」のような形で、質の高い情報を発信し続けることは可能なのでは ないか、との問いに、ジャーナリズムの現場を知るR30氏、藤代氏が同意。
続けて藤代氏が提起したのは、そもそもマスメディアの記者は、組織の名 前に守られており、署名が出ることがないという意味では匿名と考えてよ く、ネットとマスメディアでの違いはないのではないか、という「マスメディ アの匿名性」である。これに対し西村氏は、しかしながら、実際に告訴など を行えば記者の個人名は特定されるはずで、必ずしも既存メディアは組織の 陰に隠れることはできないのではないか、と反論した。
また議論の中では『電車男』のようなネット発のムーブメントが社会的に 注目を浴びる現象になる、という点についても話し合われた。『電車男』以 降、インターネットが、既存のテレビや雑誌メディアにとって都合のいいネ タ元としての位置を確立しつつあるのではないか、という鈴木氏に対し、西 村氏と山本氏からは、そもそも『電車男』がテレビ・ドラマになっても「2 ちゃんねる」という単語は一度も出ておらず、ほとんどの人間は、何かネッ トで流行っていた話があるらしい、と思って見ているだけではないか。ネタ 元としての注目度で言えば、『電車男』以前にもそうした話は幾度もあった、 などの反論が出された。
また、O-ZONEの『恋のマイアヒ』という曲は、ネットを含めたバイラ ル(口コミ)効果によってブームが拡大したのではないか、という澁川氏の 指摘にも、西村氏は、流行というものは、人が手にするものを自分も手にす るという振る舞いで成り立っており、ネットの力は本質ではないのではない か、と指摘した。また鈴木氏も、バイラルでの流行を、マスコミが「ネット で流行っている~」という言い方でさらに広げるという、二段の流行のプロ セスがあるのではないか、と述べた。
続いて澁川氏から、マスメディアの力の低下についての問題提起があっ た。以前の若手研究会での議論の中で、新聞メディアが、収入源としての折 り込み広告の存在を無視できなくなっており、いわば「新聞が広告の包み 紙」になっているという危機感について報告があったことを挙げ、今後のマ スメディアの行方について問いを投げかけた。
この問題については、およそ二つの方向で議論が進んだ。一つは、マスメ ディアのビジネス・モデルは変化するのか否か、というテーマである。西村 氏は、広告収入でビジネスとしてのメディアが成り立つのであれば特に問題 はないのではないか、と述べていたが、ではそれは「ビジネスとしてのマス メディア」の在り方は、ジャーナリズムそのものにはどのような影響を与え るのか、という二つめのテーマとどう関わるのか、という方向に話を展開さ せることになった。
チャットでオンライン参加した有名ブロガーのR30氏は、自身の経験を踏 まえつつ、ジャーナリストが必ずしも組織に縛られることなく、必ずしも商 業の論理に縛られない「趣味のジャーナリズム」の可能性がブログによって 拓かれるのではないか、との見解を示した。
これに呼応して藤代氏も、誰もが官公庁の発表や企業のプレス・リリース に直接接することができるようになり、そうした情報を単にまとめて配信し ていた既存マスメディアの地位は相対的に低下するのではないか、と発言。 西村氏は、しかしながらそれでも、一次ソースを収集し、まとめて配信する 既存メディアの役割は重要であり、ブロガーがメディアに取って代わること はない、と述べた。
さらに議論は、フォーラム全体のテーマであった「合意形成」はネットで 可能か、という論点へ。様々な意見がネット上で提出され、自分の意見に近 い情報だけを選り好みして取得することが可能であるようなネットの性格も 指摘されているが、こうした状況で、果たして「合意」は可能なのか。
西村氏は、例えば2ちゃんねる上で「田代まさしを『Time』の表紙にし よう」といったテーマでは合意は可能だが、「『ハッピー☆マテリアル』の CDを買おう」といった呼びかけには多くの人は応じない。大多数の人を合 意に向けて誘導するマスメディアなどの論調があり、それに呼応して、周囲 で流行っているのかどうかを横目に見つつ運動に参加する、というユーザー の動きがあるだけではないのか、と指摘する。これを受けて鈴木氏は、そも そも「合意」とここで呼んでいるものは、「動員」とどう違うのかと述べる。 かつての社会においても、人々の「合意」は存在せず、縦割りの組織動員に よって合意が成り立っていたように見えただけだったのが、現在ではネット の横の繋がりによって動員される形態に変わっただけなのではないか。その ように考えるならば、無理に「合意」を形成しようとすること自体が、何ら かの「動員」を伴う危険はないのか、と注意を促した。
非常に多岐にわたる論点を、ビジネスという側面、組織の側面、社会的な 問題としての側面、ジャーナリストやブロガー個人の立場といった多様な角 度から論じたため、一見すると議論が拡散したかのように思われたセッショ ンであったが、おそらくパネリストの中に共通していたのは、質問の中でも 出ていたことだが、ネットの普及によって相対的に個人の情報発信能力や コラボレーションの可能性が増した、という点は大前提として受け入れつつ も、すぐさま既存の秩序が転換するということはありえない、という態度で あろう。
ネットのある生活が大前提であり、そうしたツールを用いたコミュニケー ションへの親和性が非常に高い若い世代への注目が高まる中、彼ら自身が非 常に冷めた目でネットの状況を眺めているということ自体、非常に興味深い 事態である。彼らの多くは、既存のマスメディアとは別の論理でネットが動 いていることを意識しつつも、社会の全体の構造は相変わらず巨大なマスメ ディアが中心となって情報を流通させているという認識に立っており、その 意味で「革命」というほど大仰な野心を持っているわけではない。しかしな がらそれだけに、ネットに何ができて、何ができないかという点については 非常に的確な視野を持っており、単なる楽観論とも悲観論とも違う、現実的 なバランスの上で活動をしていることがうかがい知れた。
考えてみれば、それがナナロク、U30などと呼ばれる世代に、大きな枠組 みでの議論をする言論人ではなく、ビジネスを取り仕切る企業経営者や、具 体的な実装を担当する開発者が多い、ということに関係しているのかもし れない。今後、パネリストのみならず、本セッションの参加者から、ここで の議論をそれぞれに消化しつつ、新たな展開が生まれてくることを期待した い。
(鈴木謙介:国際大学GLOCOM研究員)