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chikyu_chijo - November 15, 2005

第10回 : ブログは本当に<普及>したか?――解釈主義的普及学の試み

November 15, 2005 [ chikyu_chijo ] このエントリーをはてなブックマークに追加

国際大学グローコム 研究員 濱野 智史

 第10回目の今回は、まさにネット世代の申し子、80年生まれの濱野智史研究員が登場。いまや社会現象ともいえる「ブログ」について、出現から突破、成熟期までを、その当時使われたジャーゴン(隠語・特殊用語)に焦点を当てつつ、独自の視点で鋭く考察していただいた。日本と米国において、ブログはどのような変遷をたどり、その捉え方に違いはあるのか、日本のブログの今後は‥など、若き研究者のユニークなまなざしが光る!

情報技術の質的な普及――意味づけ・解釈への着目

 335万人。今年5月に総務省が発表した、2005年3月末の日本国内ブログ利用者数である。さらに同調査によれば、ブログ閲覧者数は約1,651万人(月あたり最低1回はブログを閲覧するユーザーの数)。日本人の約10分の1はブログを見ている計算になる。確かに最近、テレビや新聞でブログという言葉を頻繁に聞くようになった。

ブログとはなにか。閲覧者の側から定義すれば、日記風の個人ウェブサイトのことである。一方の利用者の側からすると、たとえばメールを書く程度の感覚で、簡単にウェブサイトが更新できるツールのことを意味する。……これがごく簡単なブログの定義だ。

ブログが日本で普及しはじめた2003年頃には、こうした前置きを必ず入れて話題にするのが常だった。しかし、最近はこうした説明を抜きにブログについて言及されることも多い。それ自体、ブログが「一般的な存在になった=普及した」ということを物語っている。

 しかし、本論はまさにこの定義の部分に着目する。「ブログの定義」がどのように移り変わってきたのか。あるいはブログがいかなる「意味づけ」や「解釈」をされてきたのか。本論では、こうした質的な<普及>の側面を明らかにしたい。あるいはここいいかえてもいい。ここで問題にしたいのは、ユーザー数の増大をもってして、本当にブログは普及したといえるのか? ということだ。

 なぜか。その理由は二つある。1)情報社会の量的普及段階の終焉と、2)言語の重要性である。

 1)情報社会というとき、いよいよ私たちの社会はインフラ面の量的な普及を達成しつつあることに、それほど異論はないだろう。ブロードバンド・インターネットの普及率は、テレビや電話に迫っている。すると次の課題は、(ユビキタス化などの新たな量的普及の課題を除けば、)その新しい技術を使ってなにをするのかである。私たちは質的な意味での普及を考えるべきフェイズに来ていると考える。

 2)そのとき、たとえばブログなどの情報技術は、私たちの情報発信・処理能力を向上させる(エンパワーメントする)と語られる。公文俊平の「智民」やラインゴールドの「スマートモブズ」という概念は、ブログのようなメディアを軽やかに使って、既存メディアの上では起こりえない集合行為が創発される様を描き出す。

 ただし、人間の情報処理能力や認知能力というとき、20世紀の人文科学はとりわけ「言語」を重視してきた。人間が世界を認識するというとき、それは言語体系というフィルタを通している。情報社会とはいえ、こうした側面は失くなったわけではない。たとえば電子メールや掲示板(BBS)といった新しいコミュニケーション手段が登場したとき、私たちは文字通り「手紙(郵便)」や「掲示板」といった先行物をいわばメタファーとして採用し、その上で新技術の理解コストを縮減してきた。では、ブログはどうなのか。

 また技術社会学やメディア論の諸研究は、19世紀、電話やラジオといった新技術が登場した当初、現代とは異なる多様な解釈や利用形態が存在したことに着目してきた。情報社会も例外ではない。インターネットが一般に普及して十数年、いままさに多様な解釈がなされている段階といえる。

 こうした背景をもとに、本論では「解釈主義的普及学」とでも呼ぶべき試みを以下に展開する。

ブログはどう解釈されてきたか

 それでは、以下に「ブログ解釈の系譜」を簡潔に記述していくことにしよう。ただし、当然だがそのすべての言説を追いかけるのは難しい。そこで特にフォーカスするのが、ブログに関連する「ジャーゴン(隠語・特殊用語)」である。図1のように三段階に分けて整理しつつ(1.サブカルチャー→2.情報技術→3.社会的メディア)、日米双方を比較しながら展開する。

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(図1 公文俊平『情報社会学序説』での「S字波」をもとに作成)

サブカルチャー(行為)としてのブログ

 ブログは一種のサブカルチャーとして始まった。

 ブログはweblog(ウェブログ)の略称だが、そもそもこの言葉はいつ生まれたのか。それは1997年に、weblogという言葉がとあるサイト名(Robot Wisdom WebLog)として使用されたのが最初だといわれる。なぜ「log(ログ)」なのか。このサイトは、WEB上を徘徊してとりわけ面白かったネタを、ネット上の友人たちに教えるためにつくられていた。いわば新聞記事の切り抜き(スクラップ)を公開しているようなものである。

 そして1999年に、このweblogを“We_blog”(我々はブログする)と発音する、一種の言葉遊びが行われた。それ以来、「blog(ブログ)」という略記が定着する。こうした略称化は珍しいものではない。「略称によるジャーゴン化」は、一見しても意味のわからない呼称を用いることで、「(一般人はわからないが)それの意味がわかる自分たち」という「共同性」を形成する機能をもっている。このとき、ブログはサブカルチャー集団(的な表現行為)のことを指していたのである。

 日本ではどうだろうか。ブログという言葉はまだ知られていなかったが、それに相当する単語として、90年代中盤には「ウェブ日記」という言葉が使われていた。これらは、インターネットの技術にいち早く触れてきた技術系の人々が、一種の備忘録・開発日誌のようなものとして始めたものだ。

 その後、一種の創作活動・表現活動の場としてウェブサイトをつくる人々が現れる。次第にそのグループは、日記に限らず、小説や評論などの創作文を掲載する一群のサイトという意味で、「テキストサイト」と自らを呼称するようになった。また、先ほどの米国初期のブログに近いニュアンスの言葉として、「個人ニュースサイト」がある。呼称こそ違えども、この時期の更新スタイルやその参加メンバーの規模や傾向など、日米とも共通点が多い。

 特に解釈という点で共通するのは、この時期のブログが一種の同人出版の文化の延長、あるいは派生物として捉えられていたということだ。当時の言葉で「e-zine(電子雑誌)」「web magazin(ウェブマガジン)」というものがあったことが傍証となる。

情報技術(ツール)としてのブログ

 次に、ブログが「情報技術(ツール)」となる段階である。

 「ウェブサイトの作成ツール」としてのブログは、1999年の“blogger.com”のサービス開始がきっかけである。これはテキストを入力するだけでブログ風のウェブサイトをつくるためのフリーサービスだったが、開発者によれば、元はまったく別の用途のために開発されていた。ただ、ブログの存在を知った彼は、bloggerというそのものズバリの名前をつけて公開したのである。次第に、英米圏で「ブログ」といえば、このbloggerというサービスのことを指すようにもなった。

 しかし、既存のブログ・カルチャーの人間にとって、blogger.comの登場は喜ばしいものではなかった。なぜか。たとえば何気ない日々の「日記」的なことを書くだけでも、blogger.comを使えばそれはブログになってしまう。つまり、いままで一種の話題のディスクジョッキー(DJ)的なスタイルこそが「ブログ的なもの」を意味していたにも関わらず、blogger.comを用いるだけで「ブログする」ことができるようになってしまった。このことは、2001年に起きた「blog vs journal(日記) 論争」が明白に示しているように、旧来ブログ文化圏の人間たちを苛立たせることになった。

 ブログを支援する情報技術(ツール)の登場は、参加の敷居を下げる。通常、これは喜ばしいことである。しかしサブカルチャーの場合はそうともいえない。それは、略称や隠語の使用に見られるように、ある種の参入障壁の高さ・閉鎖性を特徴とするからだ。果たしてそれはサブカルチャー的な「表現的行為」なのか、それともウェブサイトをつくるための「ツール」なのか? こうして、ブログという言葉の解釈イメージは分裂を始めた。

 一方、日本はどうか。米国とほぼ同時期、1998年に「hns(ハイパー日記システム)」、そして1999年に「さるさる日記」という、ウェブ日記作成ツールが登場している。その後に生まれた“tDairy”など、ほとんどのツールは「日記」の延長として自らを定義していた。ただ、先述した「テキストサイト」や「個人ニュースサイト」の作成のために特化したツールは存在しない。よって米国のブログのようなサブカルチャー(テキストサイト)と技術(ウェブ日記)の意味の混合は生じず、ある種の「棲み分け」の状態にあった。

社会的現象としてのブログ

 1999年が米国におけるブログのツール化の始まりだったとすれば、2001年は社会的注目を浴びる契機となった。

 まず9.11事件以降、フリーのジャーナリスト達がブログをオピニオン発信の場として利用し、warblog(戦争に関するブログ、好戦的なブログ)というジャンルが登場した。つまり、ブログは「戦争世論」という社会的な話題を闘わせる場として認知されたのである。

 また、この頃からブログはマスコミでも紹介されるようになる。Time誌やNewsweek誌といったオピニオン誌では、ブログは既存のマスメディアを脅かす草の根ジャーナリズムとなるか? といったテーマが取り上げられることになった。そして2003年には、イラク戦争や大統領選挙でブログが世論形成の場として注目された。ネットの世界に限られた流行ではなく、実社会との接点をもつ社会現象として取り上げられ始めたのが、この時期である。

 さらにブログのサブジャンルは次々と増加していく。たとえばBlawg(法律家によるブログ)、K Log(Knowledge Log 知識ブログ、企業の知識生産過程としてのブログ)、Moblog(モバイル機器で更新するブログ)、Techblog(専門的なブログ)といったように、新しいブログのユーザーや使われ方が登場するたびに、造語が次々と生み出された。

 多様なユーザーがブログに参入し、造語が次々と生まれるなかで、「サブカルチャー的行為としてのブログ」という当初の定義はますます薄れていった。またその過程で、ブログとは果たしてなにか、その定義をめぐる論争がさまざまに広げられた(こうした「ブログについてブログする」という自己言及を、「メタブログ metablog」と呼ぶ造語も生まれた)。それでは、単にブログは「ツール」を意味するだけの言葉になったのだろうか。

 そうではない。ちょうど同時期に、「blogosphere(ブロゴスフィア=ブログ圏)」というジャーゴンが生まれ、広く使われるようになった。これはblog + logos + sphereを掛け合わせた造語だが、「多様な言説の場」「言説主体の生態系」であることをメタフォリカルに表現している。この言葉は、ブログがサブカルチャー的な段階を突破し、社会的な=多様な言説の場の段階に達したことを象徴的に示すものだ。

 一方の日本ではどうか。2002年には、ブログという言葉とツールの両方が輸入されることになった。すでに、「アメリカでは社会的ムーブメントになっている」と日本語圏には紹介されており、そこではインターネットの理想主義・革命主義的な文脈が強調されていた。ブログは、海の向こうで起きている高尚で過熱的な現象として受け止められていたのである。

 しかし、先述したテキストサイトの文化圏に属する者たち、つまり日本における「ブログ的なもの」を担ってきた人々からは、とある事件をきっかけに、こうしたブログに対する反感や違和感が表明された。曰く、「ブログというのはずいぶんと高尚なもののようだが、その現実は日本のウェブ日記やテキストサイトとなにが違うのか」、と。確かに日米を比べたところで、サブカルチャーとしてもツールとしても、違いは特に存在しなかったのである。

 ちなみに、こうしたツール利用者の世代間対立は珍しくない。たとえばインターネットが登場した頃、「インターネットは全世界と繋がるというが、パソコン通信となにが違うのか。パソコン通信のほうが情報も多いしユーザーも成熟している」といった反感をもって受け止められた。おそらく。これと状況は似ている。ともあれ、このときから既存のテキストサイトなどの文化圏のユーザーからは、「ブログ」という言葉やツールを無邪気に使うことは、日本の既存カルチャーへの無知(無恥)と無視を示している、という警戒心すら生まれたのである。

 一方、ツールとしてのブログは着実に拡大を続ける。2003年、ブログサービスは軒並み開始されることになる。2002年秋には300人足らずだったブログユーザーも、2003年には数十万規模に拡大していた。そのユーザー拡大の過程で、ブログとはなにかをめぐる論争(=メタブログ)が日本でも繰り広げられたのである。  さまざまな造語が日本でも生まれた。「ブ日記」:米国流のブログがもつ、公論の舞台というパブリックで硬質なイメージに対して、日本人はやはり「日記」なんだ、と主張する文脈から造語された。「ウェブロ」:さまざまなメタブログが飛び交い、ブログとは何かをめぐる論争に倦怠感が漂い始めた頃、一部ユーザーたちが提唱。「メタブログ的な論争いったん宙吊りにして、単に便利なツールとしてブログを捉える」という立場を表明するかわりに、この呼称が使われた。

 しかし、これらは「防衛的な」ジャーゴンだった。つまり、造語の背景的な文脈を共有できる者のあいだでしか通用せず、そのニュアンスの分からない者は排除されるほかない、という効果しか生まなかったのである。このとき、米国のblogosphereに見られるような、「文脈の共有が不可能なほどに、多様なユーザーが参加する場所」という意味付与はなされることはなかった。そのかわりに日本で生まれた造語は、「ブログ論壇」である。この言葉には、(ネット上の)有名人たちが社会的な論考を繰り広げ、大衆が外野から観戦する、という線引きが無意識のうちに表現されている。

 また、メタブログという解釈行為も禁じられていく方向へ向かった。「ブログはなにか情報を発信したり、コミュニケーションをするためのツールである。そのツールを有効に使わず、単に自己言及をするメタブログは自慰的行為に過ぎない」という揶揄的感覚が一般化したのである。

 こうして日本におけるブログという言葉は、冒頭で示した定義のように、「単なる道具」「単なる日記」という意味に落ち着くことになる。そして日本では、ブログの持つトラックバックやRSSといった新技術の目新しさが強調されていく。つまり、多様ではなく多機能であるということ。日本社会におけるブログの解釈像は、後者に縮減してしまったのである。以上が、日米のブログをめぐる解釈の系譜である。

さいごに

まとめよう。米国も日本も、ブログは最初サブカルチャーだった。しかしツールの登場によって、新規参入者は増大し、既存の「ブログの定義=コミュニティの境界」は揺らぐ。そして、ブログとはなにかをめぐるメタ的言説の闘争が勃発する。ここまで、日米ともほぼ同じ道を歩んでいる。

 しかし、その解決が異なる。米国では、多様な言説の場を表すメタファー的ジャーゴンの登場と並行して、ブログは既存ジャーナリズムに匹敵する世論公器へと成熟した。一方の日本では、ブログは多機能で便利なツールとしての意味に留まる。そして「ブログ論壇」というメタファーが示すように、ある種の敷居の高さが設定されることになった。

 こうした両者の差異は、解釈像の変遷と編成に着目する「解釈主義的普及学」の視点に立つことで、クリアに把握できた。そして最後に、冒頭の問いに戻ろう。日本でも、確かにブログのユーザー数は量的に増大した。それは事実である。しかし、社会的なメディアへと突破・成熟した、という意味での普及を果たしたといえるのだろうか? 答えは否だろう。少なくとも現在の私たちの社会は、ブログという言葉を聞いたとしても、「多様な言説のアリーナ」というイメージを想起することはない。むしろ、大衆的でケータイ的なものと、論壇的なものに分離してしまっている。

 今後、ブログはそのイメージを新たに獲得するのか。それとも、また別様に私たちはブログを意味づけていくのか。その動向に着目することは、私たちの情報社会の行く先を占う意味で有意義なはずだ。

プロフィール

濱野智史<はまの・さとし>国際大学GLOCOM研究員。1980年生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究 科修士課程修了(政策・メディア)。2005年より現職。専門は情報社会論、ブロ グなどのネットコミュニティの動向。