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2006 - January 10, 2006
安全保障と情報社会
January 10, 2006 [ 2006 ]
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2005年12月16日(金)、米国の『New York Times』紙は、米国のジョージ・ブッシュ大統領が裁判所の許可なしで国家安全保障局(National SecurityAgency :NSA)に通信を傍受させているという記事を掲載した
この問題のポイントは二つある。第一に、外国情報活動監視法(ForeignIntelligence Surveillance Act:FISA)という法律に基づいて裁判所で手続きをとれば、同様の傍受ができたはずなのに、なぜ大統領令によってこれを簡略化しようとしたのかという点である。FISAの枠組みの中でも緊急傍受は可能で、数時間以内に傍受の許可を出すことも可能である。第二に、米国市民がインテリジェンス活動の対象となった可能性があるという点である。かつてベトナム戦争時代に反戦運動をしている人物や市民団体がインテリジェンス活動の対象となってしまった反省から、明白な理由がない限り、米国市民に対してはインテリジェンス活動をすることは認められていない。外国との国際電話や電子メールが対象であったとはいえ、米国市民の通信が傍受されていた可能性は高い。
この問題をどう考えればいいのだろうか。ブッシュ政権は、9.11から一年後の2002年9月に発表した「米国国家安全保障戦略」、いわゆる「ブッシュ・ドクトリン」の中で、潜在的な脅威に対しては先制攻撃(preemptivestrike)も辞さないという方針を発表した
インテリジェンスとは、断片的なインフォメーションを収集・加工・精製することで作られる意思決定のための材料である。これは顧客ないし消費者と呼ばれる組織のトップ、安全保障で言えば大統領や首相などが決定を下すために使われる「製品(product)」である。製品としてのインテリジェンスを作りだすのがインテリジェンス・コミュニティーであり、米国では15の政府機関がコミュニティーを形成している。
ブッシュ・ドクトリンの中では、先制攻撃ばかりではなく、インテリジェンスの活用も重視されている。35ページの文書の中で16回も「インテリジェンス」という言葉が出てくる。先制攻撃ができるということは、事前に米国にとっての脅威が察知されていなくてはならず、それを行うのがインテリジェンス・コミュニティーの役割である。ブッシュ大統領による通信傍受の拡大は、こうした米国の安全保障戦略の延長の中で出てきた事件であると言えるだろう。
一般的に日本語で言う「情報」は「インフォメーション」の訳語として使われているが、もともと情報は「インテリジェンス」の訳語であった
しかし、現実には、インフォメーション・ソサエティーはインテリジェンス・ソサエティーにもなりつつある。1989年にベルリンの壁が崩れ、1991年にソビエト連邦が消滅して冷戦が終わると、インテリジェンス・コミュニティーは不必要であるとされた。確かに、米国のインテリジェンス・コミュニティーではリストラが行われ、多くの職員が民間に転出した。その結果、経済分野でのインテリジェンス的な活動が注目されることになる。例えば、『CIA株式会社』という本や
情報社会とはインフォメーションがデジタル化され、それがユビキタスに得られる社会であろう。しかし、それはインテリジェンスがあふれる社会でもある。テロリストたちは情報の洪水の中に自らのメッセージを隠し、インテリジェンス・コミュニティーはその洪水の中から一滴のヒントを探し出さなくてはならない。
9.11が起きる前から、インターネットを始めとする情報技術がインテリジェンス・コミュニティーの活動に大きな影響を与えることを察知していたのがブルース・バーコウィッツ(Bruce D. Berkowitz)とアラン・グッドマン(Allan E. Goodman) である。二人は2000年に出した『Best Truth:Intelligence in the Information Age(最善の真実:情報時代のインテリジェンス)』という本の中で
しかし、生物兵器や化学兵器が使われるテロの時代には、変化は技術革新に応じて急に起こるものであり、相手の組織は小さくてアド・ホックになっている。敵が攻撃計画を練るには数日あれば十分かもしれない。つまり、敵はネットワーク組織であり、ソ連に対応した米国のインテリジェンス・コミュニティーでは対応できないとバーコウィッツたちは指摘していた。
情報通信技術の発達は安全保障の在り方を根本から変えてきた。RMA(Revolution in Military Affairs)についてはすでにたくさんの研究がある
情報社会は、一方でバラ色の可能性があふれる社会である。しかし、他方であまり歓迎されない出来事が起こる社会でもあるだろう。安全保障の成果は評価しにくい。安全が保たれている間はその価値には気付きにくい。しかし、いったん安全が損なわれると、われわれはひどく落胆し、責任を追及する。ブッシュ大統領の通信傍受に関する問題は、今後、合憲性および合法性が問われることになるだろう。しかし、そうした活動が行われる可能性を前提として、少なくとも認識して、われわれは情報社会をデザインしていかなくてはならないだろう。