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第13回 : なぜ米国はITのパラダイムシフトを先導できたのか

March 1, 2006 [ chikyu_chijo ] このエントリーをはてなブックマークに追加

砂田薫  (国際大学GLOCOM主任研究員・助教授)

伝統的な情報産業の衰退と新市場の成長

1990年代、日本はIT(情報技術)市場で起こった急激な変化に対応できず、インターネットの普及と利用で大きな遅れをとった。しかし、2000年代に入ると、低価格のブロードバンドサービスやインターネット端末としても利用できる携帯電話が急速に浸透し、自他ともにブロードバンド先進国と認めるまでになった。そして、このような情報通信分野における日本の急浮上を背景として、日本経済再生への期待も最近にわかに高まってきた。

その半面、コンピュータのハードウェアとソフトウェア、情報サービスなどが含まれる情報産業は、依然として日本復活というにはほど遠い状況にある。とりわけコンピュータソフトウェア産業の競争力低下に対する懸念はますます強まっているといえるだろう。

伝統的に日本のソフトウェア産業は、パッケージソフトに弱いものの、「ソフトウェア工場」*1での高品質カスタムメイド・プログラムの生産を得意としてきた。1970年代から80年代にかけて、世界に例のないほど大規模で複雑な銀行オンラインシステムを構築できた背景には、このような日本のソフトウェア産業の特質があった。しかし1990年代以降、ソフトウェア生産の分業化と中国へのアウトソーシングに拍車がかかり、近年の金融システムでの相次ぐシステム障害にみられるように、高品質プログラムの生産能力にもかげりが見え始めている。もともとソフトウェアでは圧倒的な輸入超過が続いてきたので、このままでは日本のソフトウェア産業は空洞化し衰退するのではないかという危機感が2000年以降とりわけ高まっている。

また、日本の得意分野とみなされていた情報家電でさえ、日本企業はアップルの携帯デジタル音楽プレイヤー「iPod」のような斬新な製品を生み出せないだけでなく、アップルに対抗する後発製品の販売でも苦戦を強いられている。

一見すると、総務省(旧郵政省)が担当してきた通信分野で日本は浮上し、経済産業省(旧通商産業省)が担当してきたコンピュータや電子機器の分野では競争力を失いつつあるかのようにみえる。ジョージ・ギルダーは2000年の著作『テレコズム』の冒頭で「コンピュータの時代が終わった」と述べ、コミュニケーションの時代へ移行しつつあると主張した*2。

とはいえ、これは伝統的なコンピュータ産業が衰退し、通信産業が伸びると解釈すべきではないだろ う。実際、通信業界では激しい価格競争が続き、大型合併などの業界再編が進行している。デフレスパイラルから抜け出すべく新しいビジネスモデルを模索する通信事業者にとっては、未だに明るい展望を描くことができないかもしれない。コンピュータと通信の二つの業界が分断されたまま、必要に応じて双方の技術の結合を図るという時代は完全に終わったのだ。インターネットが普及してからは、すでに両者の融合を前提とした新しい製品やサービスが成長を始め、二つの業界の垣根はますます低くなっている。つまり、コンピュータ産業だけでなく伝統的な通信産業も衰退しつつあり、「コミュニケーション」や「ネットワーク」を軸とする新たなITパラダイムのもとで新しい市場の成長が始まったのである。

では、このような大きな転換期に国の情報政策はどうあるべきなのだろうか。それを考察する前提として、IT産業の構造変化と情報政策の歴史を振りかえりつつ、産業と政策の関係を分析しておこう。

「情報処理」から「オープンネットワーク」への構造変化

IT産業で起こった構造変化について、ロクサーヌ・グーギンは「コモディティ化」と「オープン化」という二つのキーワードで整理した*3。ここでいう「コモディティ」とは、品質や機能が標準化されていて(日用品のように)たやすく入手できるという意味である。では、コンピュータ産業におけるコモディティ化とオープン化はどのような経緯をたどって進行したのだろうか。

ティム・オライリーは、コンピュータ産業では2度のパラダイムシフトが起こったとし、1回目は1981年にIBMが初めてパソコンを発表した時、そして2回目はまさに現在起こっているオープンソース開発であると論じた*4。一方、公文俊平は、近代文明の進化を「軍事化」「産業化」「情報化」の三局面と捉えたうえで、「産業化」をさらに(1)1950年代から始まったメインフレーム(出現局面)、(2)ミニコンなど小型コンピュータが登場した1970年代半ばからのダウンサイジング(突破局面)、(3)21世紀に入ってからのユビキタス(成熟局面)、の3局面に分類できると指摘した*5。

筆者もまた2度のパラダイムシフトが起こったと考えているが、1回目はIBMが「システム/360」を発表した1964年、2回目はマイクロソフトが「Windows95」を発表してインターネットが本格的な普及段階を迎えた1995年とみている。「ITパラダイム」を「人々が共通して抱いているIT(1990年代前半までは主にコンピュータ)に対する認識やイメージ」と定義すると、図に示すように、約30年を一区切りとする「計算機」「情報処理」「オープンネットワーク」の三局面で捉えることができると思うからだ。

<図 コンピュータ産業の歴史とITパラダイム> 図1.jpg

第一の局面は、コンピュータが計算のための機械(計算機)とみなされていた時代で、当初は軍事目的の科学技術計算のために開発された。また、事務計算分野では第二次世界大戦以前から会計や統計用にパンチカードシステム(PCS)が普及していたが、その代替となる初期の事務用コンピュータの開発が戦後活発になった。

第二の局面は、コンピュータはもはや単なる計算機ではなく文字や図形など多種類のデータを扱う情報処理のための機械であるとみなされた時代である。IBMが「システム/360」を発表した1964年を起点として、コンピュータが企業や官公庁などに本格的に普及していった1990年代前半までを指す。そして、コンピュータがスタンドアロンで使用された第一局面とは違って、通信の結合したオンラインシステムが開発されて普及していった。

むろん、この30年間にもオライリーや公文が指摘しているようにミニコン、パソコンなどの小型コンピュータが普及して、IT市場には大きな変化が起こっている。それを本稿でパラダイムシフトとみなさなかったのは、第一にメインフレームの存在を前提としたうえでの分散処理の普及でありIT市場のリーダーはIBMであり続けた、第二にITユーザーは個人よりも組織が中心であり利用目的は効率化や生産性向上などの主に経済的側面にあった、という二つの理由による。IT市場ではたしかに分散処理という大きな変化が進行したのだが、それによってIT産業もIT利用産業もともに産業構造が根本的に変化するまでには至らなかったのだ。したがって、1970年代から80年代にかけての分散処理の普及はパラダイムシフトとみなさずに、「情報処理」パラダイム下で約10年をひと区切りとして、(1)集中的な情報処理(メインフレーム)、(2)分散的な情報処理(ミニコン、オフコンなど)、(3)個人による情報処理(パソコン)の三つ時期にさらに分けて考察したほうがいいと思われる。

第三の局面は、コンピュータと通信が融合するインターネットの時代で、もはやITは機械ではなく人びとを結びつけるためのオープンなネットワークであるとみなされるようになった。1995年は、「Windows95」の登場だけでなく、ヤフーとアマゾンが誕生した年でもある。コモディティでありオープンであることがITの主流となり、組織よりも個人のユーザーが前面に出てくるようになった。それにともない経済的側面よりもむしろ社会的側面に重心が置かれたITの応用が拡大している。と同時に、IBMは市場リーダーの座をマイクロソフトへ譲り、IT産業はもとよりIT利用産業においても産業構造の変化が進んでいる。

近年、ITの技術開発の経緯をアンバンドリングとモジュール化の視点から分析した研究*6が成果をあげているが、これは第三局面の「オープンネットワーク」パラダイムを創発させていくプロセスとして理解できるだろう。そして、もし第三局面も第二局面と同じようにほぼ10年単位でIT市場に大きな変化が起こると仮定すれば、それはオライリーが「web1.0」から「web2.0」*7への移行と呼ぶようなものになるのかもしれない。すなわち、ネットスケープが切り開いたブラウザーとホームページの時代から、ブログやソーシャルネットワーキングサイト(SNS)、P2Pなど個人のコミュニケーションの世界をより一層拡大する新しいサービスの時代への移行である。

また、「コンピュータと通信の融合」が第二局面とともに始まり約30年を経て完全に実現した。これを踏まえて未来を大胆に予測するならば、第三局面への移行とほぼ同時期に始まった「放送と通信の融合」は両者の結合をしだいに強めていき、20年後には完全な融合の時代を迎えるといえるかもしれない。

米国IT政策「国防総省モデル」の日本的展開

ITのパラダイムシフトを先導してきたのは常に米国だった。第二次世界大戦後にコンピュータの商用化にいち早く着手したのは米国だったので、第二局面への移行で米国がリーダーシップをとったのは当然といえる。しかし、1960年代後半からは日本、欧米、アジアの国々が次々と自国のIT産業育成に乗り出し、とくに日本は1980年代初頭に米国へキャッチアップしたかに見えたにもかかわらず、IT産業の構造変化を第三局面へと導いたのはやはり米国だった。これは、なぜだろうか。

米国が一貫してIT産業で国際的なリーダーであり続けた背景には、さまざまな要因が重なっていたと考えられる。アナリー・サクセニアンが指摘したように、IT企業の集積地がIBMやディジタル・イクイップメントの本社があった東海岸と、サン・マイクロシステムズやアップルの拠点がある西海岸とりわけシリコンバレー周辺とに分かれ、それぞれ異なる地域文化を背景とした技術開発が行われたことも重要な要因だろう*8。クレイトン・クリステンセンが主張するように、ITのイノベーションにおいては、線形的で漸進的な技術進歩だけでなく、しばしば予測不可能な破壊的技術が登場して急激に市場を変化させる可能性があるからだ*9。

そのなかでも、もっとも重要な要因のひとつと考えるのが米国政府のIT政策である。一般的に、日本では1980年代までコンピュータ企業と通商産業省が一体となってIT産業の発展に力を尽くしたが、米国ではそのような政府の関与はなく民間主導でIT産業が成長したと考えられている。たしかに米国政府は日本のような産業振興を目的とする強力な政策を展開したわけではない。しかし、ITの基礎研究や技術開発の促進で米国政府が果たしている役割はひじょうに大きく、米国IT産業の競争力維持に多大な貢献をしている。

米ソ冷戦下の米国では国防総省の技術政策が民間の産業にも大きな影響を与えた。国防総省は 半導体やコンピュータなどIT関連の先端技術の研究開発を助成しただけでなく、大規模な調達を通じてIT産業にとっての大口顧客ともなっていた。コンピュータソフトウェアを例にとると、1960年代末には全米需要の85%を国防関係の政府機関が占め、また産学官の強力なトライアングルを形成して先端ソフトウェア技術の開発に力を注いでいた。その結果、世界に先がけて米国で独立ソフトウェア産業が誕生したのだった。米国のIT政策は、政府予算で産官学連携による技術開発を助成するだけでなく、政府調達を通じて政府自らが新たな応用分野を開拓すると同時に、民間企業に最終需要を保証し、技術開発への投資を促す役割を果たしてきたのである。

通商産業省は1960年代後半、このような「国防総省モデル」とでも呼べるような米国のIT政策をいかに国防需要のない日本で展開するかについて検討している。結果として日本では、日本電信電話公社(現NTT)が先端技術の共同開発と調達を通じてコンピュータメーカーの育成に貢献し、1970年設立の情報処理振興事業協会(IPA)が開発資金の助成を通じて独立ソフトウェア産業の発展に寄与するという役割分担が実現した。

一方、通商産業省は技術政策と産業政策を一体化させた日本独自の包括的な情報政策パッケージを立案・実施した。そして、富士通・日立製作所・日本電気・東芝・三菱電機・沖電気工業のコンピュータメーカー6社に開発資源を集中させることで、1970年代に日本のコンピュータ産業を米国に次ぐ世界第二位へと成長させた。この戦略は、海外から「通産省モデル」として注目されたほどである。

省庁間連携でイノベーション・パイプラインの構築を

これまで述べてきたように、米国は国防総省、日本は通商産業省が中心となって情報政策を担ってきた歴史をもつが、現在は日米ともに省庁間連携をさらに強化する方向へむかっている。

米国の場合、国防総省モデルの時代も連携が重視されていたが、ITの主要国家プロジェクトが「高性能コンピューティング/通信イニシアチブ(HPCC)」から「ネットワーキング/情報技術研究開発プログラム(NITRD)」へ移行するにしたがい、先端的な研究開発における省庁間連携および役割分担がほぼ確立してきた。米国のIT政策は、省庁の共同出資によってコアテクノロジーの開発を推進し、さらに研究開発から市場化に至るまでのイノベーション・パイプラインの創造・維持・拡大という役割を政府が果たしている点が大きな特徴となっている*10。たとえば、図の「オープンアーキテクチャーの系譜」を見ればわかるとおり、「情報処理」パラダイム下であっても、いわば潜流として、まったくそれとは異なる発想の技術開発が行われていたことがわかる。米国ではタイムシェアリングから始まってVLSI、データベース、インターネットに至るまで、多様なITの技術革新を複数の政府機関が継続的に助成し、イノベーションを促進させてきた。これが、ITのパラダイムシフトを先導できた理由となっている。それに対し、「通産省モデル」とはIBMキャッチアアップに資源を集中させた戦略であり、技術開発の方向性も焦点が絞られた。

2001年1月6日の中央省庁再編によって、内閣に高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(以下,IT戦略本部)が設置され、日本の情報政策は省庁間連携時代へと移行したばかりである。日本は「仕切られた多元主義」とか「官僚制多元主義」*11と言われるように政府も民間も縦割構造を特徴としているが、もはや縦割の利点は有効に機能せず、弊害ばかりが拡大するようになってきた。とはいえ、コンピュータでは沈んでもブロードバンドで世界の先進国になったように、複数の縦割組織によって多様な技術開発を助成して促進させる仕組みは維持したほうがいいのではないかと思われる。

問題の本質は、情報政策の権限と責任が分散されていることではなく、企画・立案から予算措置、実施、評価にいたるまで政策ライフサイクルの全体をひとつの省庁内部で実行して完結させてしまう点にある。この問題を解決するには、複数省庁による共同出資プロジェクトに優先して予算をつけるとか、具体的な施策の立案・実施の責任を負う組織と、政策の始点(企画)と終点(評価)を担当する組織を分けるといった、新たな情報政策マネジメントを導入すべきだろう。従来の縦割りを維持したまま政策評価を導入しても根本的な解決にはならないと思われる。むしろ、それよりもイノベーション・パイプラインの構築という視点からの情報政策の見直しを優先すべきではないだろうか。

参考文献

*1 Cusmano,Michael[1991]Japan’s Software Factories, Oxford University Press。コンピュータプログラムをあたかも工業製品のように捉えて、大規模で高品質の生産を可能にする「ソフトウェア工場」を建設したのが日本の特徴と指摘している。

*2 Gilder, George[2000] Telecosm , How Infinite Bandwidth Will Revolutionize Our World, George Borchardt,Inc(ジョージ・ギルダー著、葛西重夫訳[2001]『テレコズム』ソフトバンクパブリッシング)

*3 "The Commoditization of Everything. Roxane Googin Describes the Impact of Open Standards on the Mature IT and Telecom Industry - Linux, Web Services and Need for Interoperability Spell Trouble for Microsoft,"Cook Report, July-Sept. 2003

*4 O’Reilly, Tim [2004] The Open Source Paradadigm Shift,  http://tim.oreilly.com/lpt/a/4868

*5 公文俊平[2001]『文明の進化と情報化』NTT出版、同[2004]『情報学序説』同、を参照。

*6 ソフトウェアのアンバンドリングは1969年にIBMが独占禁止法をめぐる司法省との争いに敗れたことが契機となって始まった。コンピュータのモジュール設計は1964年のIBMシステム/360が最初と言われ、IT市場ではハード、ソフト、サービスの主要な構成要素のアンバンドリングとモジュール化が進行した。青木昌彦・安藤晴彦[2002]『モジュール化:新しい産業アーキテクチャの本質』東洋経済新報社、カーリス・ボールドウィン&キム・クラーク著・安藤晴彦訳[2004]『デザイン・ルール:モジュール化パワー』東洋経済新報社、を参照。

*7  O’Reilly, Tim [2005] What is web2.0 ? http://www.oreillynet.com/pub/a/oreilly/tim/news/2005/09/30/what-is-web-20.html

*8 Saxenian, A [1994] Regional Advantage : Culture and Competition in Silicon Valley and Route128, Cambridge, Mass. And London : Harvard University Press (大前研一訳[1995]『現代の二都物語』講談社)

*9 Christensen, Claton[1997] The Innovators Dilemma, President and Fellows of Harvard College(クレイトン・クリステンセン著、伊豆原弓訳[2000]『イノベーションのジレンマ 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』翔泳社)

*10 米国の省庁間連携に関する記述は、財団法人日本情報処理開発協会先端情報技術研究所[2003]『米国の連邦政府R&D計画における省庁間の役割分担と連携の仕組み』から引用した。

*11 青木昌彦[1999]「官僚制多元主義国家と産業組織の共進化」、青木昌彦・奥野正寛・岡崎哲ニ編著『市場の役割 国家の役割』第1章、東洋経済新報社。

プロフィール
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<すなだ・かおる>
国際大学GLOCOM主任研究員・助教授。多摩美術大学(情報論)、国士舘大学(国際情報論・情報政策論)の非常勤講師を兼務。1979年、千葉大学理学部物理学科卒業。1997年、東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了(社会学修士)。2002年、同博士課程満期退学。
1980-2003年、IT関連の雑誌出版・執筆活動。2003年GLOCOM入所。主な著書に、『起業家ビル・トッテン』(コンピュータ・エージ社/2003)。訳書に、ウィリアム・H・ダットン『情報通信テクノロジー4:情報ネットワーク社会の理想と現実』(共訳/富士通経営研修所/1998)、エリ・ノーム他『テレコム・メルトダウン』(共訳/NTT出版/2005)。