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chikyu_chijo - July 20, 2006

第17回: オンラインゲームの現在 ―拒否されるゲームジャーナリズム―

July 20, 2006 [ chikyu_chijo ] このエントリーをはてなブックマークに追加

 井上明人 (国際大学GLOCOM研究員)

1.オンラインゲーム

 オンラインゲームというものをご存知だろうか。

 インターネットに接続した複数の人々が一つのゲームを一緒になってプレイするゲーム―――それがオンラインゲームである。

 コンピュータ・ゲームそのものについて日本は世界的に最高水準にあるが、ことオンラインゲームとなると日本ではあまり知られていない。ゲームに疎い人にとってはほとんど想像のつきにくい世界かもしれない。だが、韓国、中国などをはじめ世界的には2000年前後から爆発的に普及しはじめており、特に韓国では日本における1980年代半ばのファミコンブームを彷彿とさせるほどにオンラインゲームが爆発的にヒットし広く大衆化して受け入れられている。*1

 今回、とりあげたいのはこのオンラインゲームで起こったある事件と、それについてのインターネット上での世論についてである。

 なぜ、オンラインゲームについてとりあげるのか?単にオタク趣味のことを論じたいからではない。コンピュータ・ゲームはこの30数年の間に爆発的な発展を遂げてきたメディアであるが、この発展はコンピュータの発展や、社会の情報化とパラレルになって進行した現象でもある。コンピュータ・ゲームを語ることは情報社会を語ることに深くつながっている。

 そして、ゲームのインターネット化と、それに伴う言説をとりあげるということは近年のブログに関わる議論にもつながることだが、インターネットの到来によって言説の世界の何がかわっていくのかを論じていく上でも興味深い側面を提示できるはずだ。

2.オンラインゲームのプレイヤーの多様性

 具体的な事件の詳細について語る前に、オンラインゲームについての一般的な認識から確認しておこう。

 ただ一口にオンラインゲームとは言っても、そこには多様なプレイヤーが存在している。プレイヤーの多様性を整理して語ったものとしては、初期のオンラインゲーム開発者であるリチャード・バートルによる四分類が有名である。*2

彼の分類ではプレイヤーの性質は1.達成者(Achiever) 2.探検家(Explorer) 3.社交家(Socialiser) 4.殺し屋(Killer) 四種類に分けられる。彼の言葉をひきながら四種類のタイプを説明しよう。

・Achiever:達成者は、ゲームの枠組みの中で強くなりたい人々。彼らはゲームの中の世界で強くなったり、お金儲けに邁進する。

・Explorer:探検家は、探検するためのゲームのようにしてオンラインゲームを遊ぶ人々。自分でゲーム世界の地図を作ったり、戦闘やスキルについて詳しくなったりする。

・Socialiser:社交家は、オンラインゲームをプレイする他の人々との交流を楽しむ人々。

・Killer:殺し屋は、他のプレイヤーとオンライン上で戦ったり、他人と競争することを好むような人々。彼らは総じて無口である。

 以上はオンラインゲームが世界的に本格的ブームになるよりも少し前の1996年に発表された分類だが、現在もそれなりに有効なものとしてオンラインゲームを語る際にはしばしば引き合いにだされている。

 細かい分類をすべて頭に入れていただく必要はない。ここで覚えておいてもらいたいことはオンラインゲームのプレイヤーには、こうした形でさまざまな遊び方を好むタイプのプレイヤーが存在する、ということだ。

 次にとりあげる事件の舞台となったアクティブプレイヤー数55万人*3を超える人気オンラインゲーム『ファイナルファンタジーXI』では、こうしたプレイヤーの多様性がどのようにあらわれるのだろうか?  ファイナルファンタジーXIのようなオンラインゲームを遊ぶ際には、ほぼ毎回、他のプレイヤーと一緒になってモンスターを倒す冒険の旅に出る。このとき一緒になって冒険する一時的な仲間グループのことを「パーティー」と呼ぶ。そして、その仲間グループ「パーティー」に属した人々の中では様々な役割が発生するようになっており、ゲーム内では誰もがなんらかの特徴をもった「職業」に就いている。例えば「戦士」という職業は前線に出ていってモンスターをおびきだし、仲間を攻撃から守る盾となり剣となる前衛としての能力をもつ。「戦士」の職業の人は「達成者:Achiever」や「探検家:Explorer」の人が多いかもしれない。他に「白魔道士」という職業はグループにおける補給担当のような役割として前衛で傷ついた戦士などを補助する後衛の能力をもつ。他人との交流が欠かせないこの職業には「社交家:Socialiser」が多いかもしれない。そして、前衛でも後衛でも役にたつことのできるオールマイティな能力をもっている代わりに、前衛では戦士ほどの能力はなく、後衛でも白魔道士ほどの能力を持たず遊び手の使い方次第で幅のある遊び方ができる「赤魔道士」という職業などもある。

 このようにして、プレイヤーの多様性は、「職業」というゲームシステムによって支えられ、多様な遊び方をする人々が、そのときどきで一緒の街で交流したり、モンスターを倒したりして好きな遊び方が幅広くできるゲーム、それがオンラインゲームの世界である。

3.ででお事件

 さて、それではここから具体的な事件の内容についてみていこう。

 ことの起こりは、日本で最大のゲーム情報誌として全国40万部前後を売り上げるという雑誌『週刊ファミ通』(以下、ファミ通)の2003年6月*4に、ファイナルファンジーXIについての次のような対談形式のゲーム攻略記事が掲載されたことだ。(一部のみ引用)

太田:いつも俺にグチ言ってこないっけ?パーティー組ながら。

ででお:違うって!ただ、回復しない赤とかが多くて最悪って思うくらいですよ。赤だけかな最悪は。

太田:赤なめんな!赤はオールマイティなジョブなんだよ!

井手:でも、なんでもできるがゆえに、なにしていいかわからずに、見当違いの行動をし始める赤って、わりと多いよなぁ・・・。

ででお:っていうか、そういう赤しか見たことないです。いままで。

 解説すると、ここで言われている「赤」とは前節で説明した「赤魔道士」という職業のことだ。一言で言えば、これは「オールマイティ志向の能力を身に着けたプレイヤーと一緒に仲間グループを組むとあまり効率的にゲームを遊べない」ということをしゃべっているだけの会話である。リチャード・バートルの分類に沿って言えば、彼らは「探検家」として遊ぶ際に、どういった能力が優秀で、いっしょに遊ぶ相手として最適なのか、ということを語っているだけだ。

 だが、この記事に対してインターネット上の巨大掲示板「2ちゃんねる」の一部で、ファイナルファンタジーXIについての話題を扱っている人々から猛烈な反発が巻き起こった。

 2ちゃんねる内で「祭り」として盛り上がっただけでなく、事件の経緯をまとめる「まとめサイト」が登場したほか、ファミ通を発行する株式会社エンターブレインの出版物への不買運動も提唱され、メールでの抗議文を送るものや、電話での直接抗議を行うものさえ現れた。こうしたやりとりを経て、この騒ぎが起こった翌月にはファミ通本誌に謝罪文が掲載されるまでに至る。「たかがゲームの遊び方のことで、そんなに事件になるものか」と思われる方が多いだろうが、抗議しているプレイヤーたちの口調は驚くほど真剣だ。

 行われた電話抗議の内容を、当時の事件の「まとめサイト」*5から引用しよう。(括弧内は筆者)

Q.(読者の抗議)

(「ででお」氏の主張は)スタイルの強制に思える。もう少し他PCに配慮した記事作りをしてほしい。できれば謝罪やいきすぎにたいする訂正を。 しゃれに受け取らないものもすくなからず読者にはいるはず。

A.(ファミ通編集部からの回答)

紙面の都合もあり訂正をするわけにはいかない。 攻略記事なのだからもっとも効率を重視した戦略、ありかたを考えるとああなった。 自由なスタイルを推奨してしまうと攻略記事のつくりようがない。

 このやりとりは、この事件の構造をよくあらわしてもいる。おそらく、ファミ通の編集部のこの回答はごく正直なものだ。ファミ通編集者はファイナルファンタジーXIのプレイヤーにゲームの遊び方の強制をするつもりはなかっただろう。彼らは、単にファイナルファンタジーXIというゲームの中で「探検家」として最適な遊び方について気軽に語った雰囲気の記事を掲載したに過ぎない。

 にもかかわらず、なぜプレイヤーたちはこれほど強く反発したのか?

 最大の理由は、双方のディスコミュニケーションだろう。抗議する人々が掲げた理由は「オンラインゲームにおいて個々人の遊び方は、それぞれ重宝されるべきであって、特定の職業=遊び方を貶めるな!」というものである。つまり、ここで行われた「いかなる遊び方がこのゲームにとって効率的か」という記事は、ファイナルファンタジーXIの「探検家」ではないタイプのプレイヤーによって単なる攻略記事ではないのだ。攻略という観点によって、ある特定の遊び方が推奨されなかったりするということ自体が「ゲームプレイの自由が侵害するもの」であるとして受け止められてしまった。しかしながら、当のファミ通編集部は、問題となった記事が「問題」になるという構造そのものがほとんど理解できない。

 また、ファイナルファンタジーXIのプレイヤーたちにはファミ通のこうした記事を通してゲームプレイのマナーを知らない、「行儀の悪い連中」がファミ通を通してファイナルファンタジーXIの世界にあふれるのではないかという危惧もあっただろう。

 抗議の際に、抗議者たちは「ゲーム業界における朝日新聞のようなメディア」という比喩を用いてファミ通を非難しはじめた。そうしてこの問題は単なる自由の侵害ではなく、巨大出版メディアからの横暴という対立構図も加わりファイナルファンタジーXIの世界では事件から3年を経たいまでも語り継がれる大きなものになっていったのだ。

4.オンライン化と言説形態の変化

 この事件の一体何が重要なのだろうか。

 一つには、この事件は旧来的な権威を持った出版マスメディアであるファミ通 vs インターネット発の世論対立、新旧メディア対立という構造が露わになった事件として捉えることができる。

 ファミ通の記事に関する不満としてはいままでよくあるものとして、新作ゲームを10点満点で評価していく「クロスレビュー」コーナーでの評価がゲームファンや開発者などから「その点数はおかしい」と、不満を表明されることはよくあった。だが、作品そのものの価値を論じるような部分とは無縁な、「ゲームをどうやれば効率的に遊べるか」という攻略記事では、通常は批判そのものが起こらない。1986年に創刊してから、20年近く家庭用ゲームに関する情報を扱い続けてきたファミ通の感覚としては先に引用したファイナルファンタジーXIの攻略対談記事は掲載しても問題ないものだと思われていたはずだ。旧来のゲームについての記事の多くはゲームをいかに効率的に「探検」していくかという内容のもであり、それについて語ることはそれまでファミ通がごくごく普通に繰り返してきた日常業務である。

 しかし、オンラインゲームのプレイヤーたちはファミ通のこの日常業務に対して、強い不快感を表明したのだ。ファミ通編集部にとっては「攻略記事」であり、抗議する人々にとってはそれが「オンラインゲームの自由を疎外するもの」とうつってしまった。ファミ通の編集部はこうした反応が起こることを予想すらしていなかっただろう。問題としたいことはファイナルファンタジーXIのプレイヤーたちの抗議活動と、ファミ通の記事のどちらが態度としてまっとうかということではない。問題は、既存メディアであるファミ通編集部は、オンラインゲームのプレイヤーたちがこの記事を載せたら猛反発するかもしれない、ということがわからなかったということであり、その感覚にまったくキャッチアップできていなかったのだという事実だ。オンラインゲームのプレイヤー達の抗議は、ファミ通編集部の日常的理解の外側にあった。

 また、このディスコミュニケーションは、出版メディアとネットメディアの対立であると同時に、家庭用の一人向けゲームと、オンラインゲームの対立でもある。繰り返すが、ファミ通は家庭用ゲーム機の雑誌である。ファイナルファンタジーXIというゲームは、家庭用ゲーム機の世界の中に有名だったシリーズがオンラインゲーム化したものだ。家庭用ゲームとして最大売り上げ300万本以上を誇るブランド力を持つファイナルファンタジーシリーズのオンラインゲーム化を、家庭用ゲーム雑誌としては扱わないわけにはいかない。そのような経緯の中、家庭用ゲームを扱うフレームによって、オンラインゲームが扱われた際に発生したディスコミュニケーションでもある。家庭用ゲームについて話す上では問題なかったはずのことが突如として「問題」化されて、出てきてしまったのだ。

5.まとめ

 インターネットの世界によって世論発信のあり方が変わるというタイプの議論は近年のブログの議論*6を参照せずともインターネットの登場から常に言われ続けてきた。

 ゲームのオンライン化は、ただ単にゲームそのもののアーキテクチャとしてイノベーティブだっただけでなく、ゲームに関わる言説の方向性までをも変えてしまった。その点では、「インターネットによって世論が変わる」という例の一種でもある。

 いままでのインターネットと世論をめぐる議論は、一つにはインターネットによって人々がどのように積極的になるかというような市民メディアとしての可能性や、インターネットによって人々の議論の仕方が偏向していくことを指摘する北田暁大による2ちゃんねるをめぐる議論などがあった*7。ここで見られている事件の構造は北田の指摘した状況と基本的にはパラレルである。だが、この事件が面白いのはファミ通に抗議するプレイヤーたちが、もはや韓国との国際関係や、リアルワールドの事情をめぐる価値観にすら拘りあっていないという点だ。プレイヤー達は、ゲームのなかにつくられた社会における慣習をめぐって必死に争っている。その点で、この事件は2ちゃんねるにおける朝日新聞批判や、嫌韓の問題よりもより徹底した側面をもっている。

 ここでは論じる対象となるそもそもの世界自体がコンピュータを通して成立している場所であるからこそ、議論の基本となる基準点から議論が根底的に変わってしまっているのだ。

*1 韓国での普及過程については、魏晶玄『韓国のオンラインゲームビジネス研究』東洋経済新報社、2006年 に詳しい。

*2 Richard Bartle"HEARTS, CLUBS, DIAMONDS, SPADES: PLAYERS WHO SUIT MUDS"1996   http://www.mud.co.uk/richard/hcds.htm

*3 2004年9月に発表された数字。また同時にゲームに参加をしている「同時接続者数」では17万人を数えている。http://www.playonline.com/ff11/

*4 『週刊ファミ通』2003年6月13日号 103~105ページ

*5 http://web.archive.org/web/20031008133602/http://www.geocities.co.jp/Playtown-Toys/6058/dedeo.htm

*6 例えば、ダン・ギルモア著 平和博訳『ブログ 世界を変える個人メディア』朝日新聞社、2005年など

*7 北田 暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』NHKブックス、2005年

プロフィール
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<いのうえ・あきと>
1980年生まれ。国際大学GLOCOM研究員。慶応義塾SFC研究所上席研究員(訪問) 2003年慶應義塾大学総合政策学部卒。2005年慶應義塾大学院 政策・メディア研 究科修士課程修了。2006年2月より現職。大学在学時の2002年より、個人でのゲー ム研究/評論サイト "Critique of Games"を運営し、好評を博す。コンピュータ ・ゲームをめぐる言説史を専門的に取り扱っている。  2006年より、RGN(Research on Game design and Narrative=コンピュータ・ ゲームのデザインと物語についての研究会)を主催し、代表をつとめる