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2007年04月 アーカイブ

2007年04月16日

第24回: 政策NPOは有権者の「ただ乗り」を乗り越えられるか?~情報化時代の政策マーケット

 加藤創太 (国際大学GLOCOM 主幹研究員)

甘やかされてきた政策NPO

NPO、NGOなどという概念や言葉にマスメディアは弱い。その冠に「政策」などと付けようものなら、目尻はさらに垂れ下がる。理由はいくつか考えられるだろう。日本の場合、政策マーケットが事実上官僚機構の独占体制となっていることから、マスメディアなどの検証機構だけではなく、新たな第三極がこれからは必要だ、という健全なバランス感覚がそこには働いているのかもしれない。あるいは古典的な「市民」観が、メディア関係者の間ではいまだに根強く生き残っているのかもしれない。海外、特に欧米の動向を日本に強引に当てはめようとするいつもの世界観もちらほら見え隠れする。

しかし、現実の政策NPOは文字通り玉石混合である。たとえば米国では、各種優遇措置を受けるために政策NPOを名乗りながら、実質は業界エゴむき出しの利益団体も無数に存在する。科学的検証がなされていないデータと、学術的には完全にクレディビリティ(信頼性)を失った理論を教義のように掲げ、それでも自らの政治イデオロギーを通すため猪突猛進する狂信者集団まがいのものまである。米国などでは、NPOの説明責任(アカウンタビリティ)を問う声は多い。

たとえば営利目的の企業ならば、マスメディアがそれをどう評価しようと、マーケットにおける競争を経て、存在意義のない企業・ビジネスが淘汰される試行錯誤的なプロセスが存在する。むろんこの費用節約的で便利な評価・淘汰システムには限界があり、特に非営利目的のNPOにストレートに当てはめることはそれ自体、定義矛盾をきたす。しかし、公共的、非営利的であるからといって、すべての組織に存在意義があるわけではない。マーケット的な評価・淘汰システムが十全に働かないのであればなおさら、理論的にその存在意義を緻密に分析する意味があると同時に、マスメディアを含めた第三者による評価機能、評判機能などを社会全体で育成し熟成させていく必要がある。

ここでは前者、政策NPOの理論的な存在意義を概観し、その存在意義から導き出される政策NPOと政策マーケットの発展の可能性について触れていきたい。むろん、この作業はそのまま後者、第三者による評価機能、評判機能を探る一端ともなる。

理論的に見た政策NPOの存在意義

民主主義とは、枢要な部分のみ単純に定義すれば、有権者による政府のガヴァナンスである。この定義を是とするならば、新古典派経済学が想定するような完全情報、完全合理性の世界において、利益団体的な機能とは別に、政策NPOの存在意義、ビジネスモデルを見出すのは難しい。有権者があらゆる関連情報を瞬時に無料で手に入れることができ、本人も政治について職業政治家や政治学者・経済学者並の情報解析能力を持っていると想定される世界で、いったいどこの誰が、政治判断をする際に、政策NPOなど第三者に助けを求めようか?

しかし、よりリアリティのある世界、つまり情報や個々人の情報解析能力などが社会に偏在する世界では話は異なってくる。

経済学においては、当事者間の「情報の非対称性」によって発生するさまざまなコストと、それらをベースにした制度分析、制度設計などが、ここ20年以上もの間、最も脚光を浴びる分野の一つとして確立してきた。その分析のためのゲーム理論などのツールも並行的に発展し、1960年代、70年代に経済学界を席巻した新古典派経済学の理想化されたヴァーチャルワールドは、魑魅魍魎が跋扈する醜怪なリアルワールドに急速に近づき始めている。

アカデミズムで「情報」と「情報の偏在」とその分析の重要性が強調されるのと軌を一にするように、この時代、情報技術(IT)が飛躍的に発展した。特に90年代以降のインターネットの世界的な普及は、多国間国際交渉における環境・人権NPOの影響力を劇的に高めるなど現実の政治経済に多大な影響を与え、同時に、生産性論争などの学術論争も引き起こした。こうした学術的な深化と情報技術の発展の延長上に初めて、新古典派的なヴァーチャルワールドでは見えなかった政策NPOの存在意義が浮かび上がるのである。

無数の「情報の非対称性」が点在するリアルワールドにおいては、情報の偏在や限定合理性(bounded rationality)などから生じる各種の取引費用(transaction cost)の節約のために、多くの制度や規範や組織が必要とされるようになる。たとえば、どのイタリアンレストランが美味しいかという情報を持たない者は、アペリテフ一杯分の代金を泣く泣く払ってでもザガットなどの情報本を買うだろう。また資本市場においては、社債などのリスクを吟味し適正な値付けを可能にするため、そういった情報を専門的に収集・吟味し媒介する格付け機関が存在意義を持つようになる。投資ファンドの存在意義の一つも、投資家の情報収集コストとスキル錬成コストの節約である(Allen and Gale [2000])。

どの店のプッタネスカが美味いか? A社の社債をどう評価すべきか?

これと似た問いは政治の場、民主主義の場でも日常的になされている。たとえば、どの候補者に投票すべきか、どの政党を支持すべきか、先週政府が発表した政策をどう評価すべきか、等々。そして、政府と有権者との間には、イタリアンレストランと客との間以上の、起債会社と投資家との間以上の、情報の深い溝が横たわるのである。特に政治の場合、美味しいイタリアンを見つけることにデートの成否がかかっている客、社債への投資に自分の財布やクビがかかっている投資家と違って、「良い政治」の実現のための情報を収集しようという有権者のインセンティヴは非常に弱いから、事はなおさら厄介である(Downs [1957])。「良い政治」が準公共財的性格を持つため、情報収集の「ただ乗り(free ride)」が起きてしまうからである。

こうした政府と有権者との間の情報の深い溝を埋め、さらに情報収集の「ただ乗り」の問題を乗り越えるためには、各種の制度、組織、規範とその組み合わせが必要になってくる。たとえば情報公開法のような法制度は政府-有権者間の情報の非対称性を解消するために必要な制度ではあるが、それだけでは「ただ乗り」の問題は解消されない。

こうした政府と有権者との間の情報の深い溝を埋め、さらに情報収集の「ただ乗り」の問題を乗り越えるためには、各種の制度、組織、規範とその組み合わせが必要になってくる。たとえば情報公開法のような法制度は政府-有権者間の情報の非対称性を解消するために必要な制度ではあるが、それだけでは「ただ乗り」の問題は解消されない。

なぜ今、政策NPOか?

政治学者が「情報の非対称性」や「ただ乗り」の問題に気づき、それを分析に取り入れる前から、現実の政治は、そういった問題を乗り越え、規律するようなさまざまな制度や組織を発展させてきた。古くはフランスの政治思想家アレキシス・ドゥ・トクヴィルが、民主主義が健全に機能するためには、法律などによって上から規定された民主主義制度だけではなく、社会に「中間集団」が育っていることが重要だと指摘した。トクヴィル的な「中間組織」が民主主義に果たす役割の重要性は、その後の代表的な政治学研究によっても検証されている(Almond and Verba [1963]; Putnam [1993])。民主主義にとって「中間組織」がなぜそれほど重要な意味を持つのか、という問いに対しても、「情報の非対称性」と「ただ乗り」という理論的な視点は明快かつ体系的な視点を与えてくれる(加藤[2001])。

他に、情報の媒介、解釈・解析、さらに最近では政策オプションの提供という意味で歴史的に重要な役割を担ってきたのはマスメディアである。また、政党の存在意義として情報の媒介、ただ乗りの規律を挙げる政治学者もいる(Aldrich [1995])。日本においては、村落共同体や労働組合など、地縁的・職縁的な共同体が、政治的情報の媒介とただ乗りの規律に重要な役割を果たしてきた。

このように現実社会はいつものようにアカデミズムを先取りして発展してきたわけだが、こと政策NPOとなると、その発展・普及は決して早くない。もちろん、欧米(特に米国)では、たとえば教会が現在の政策NPO的な役割を果たしてきたという見方もあるだろうし、戦間期の米国における政策NPO的な団体の発展を詳細に分析した研究書も最近出版された。日本でも明治期から、政策NPO的な団体はいくつも存在してきた。しかし今日の政策NPOの隆盛ぶり、あるいは、他に似た役割を担うマスメディアや政党などとの相対的なプレゼンスを比較すれば、その差は歴然としている。なぜだろうか?

すでに述べたように、レストランの評価本(e.g., ザガット)、資本市場の格付け機関(e.g., S&P)などに比べ、有権者が的確な政治判断のために情報収集費用を支払うインセンティヴは非常に低い。したがって、ザガットや格付け機関のように市場から自生的に、多額の資金を要する政治情報の媒介・評価機関が現れることは考えがたい。これは別に、レストラン情報や資本市場情報に比べて政治情報の重要性が低いからではない。極端な話、愚かな政治リーダーによって戦争が勃発すれば、せっかくのイタリアンレストランでのデートもキャンセルしなければいけなくなるし、資本市場は暴落する。繰り返しになるが、有権者が十分に情報を集めたうえで「(有権者全体、あるいはその一部の集団にとって)良い政治」を実現することが準公共財的性格を持つため、個々人に「ただ乗り」のインセンティヴが生じてしまい、誰もが積極的に情報収集・分析コストを支払おうとしないのである。

つまり、政治情報を得るためにカネを払うというインセンティヴが、レストラン情報や資本市場情報に比べて格段に低いため、従来の政策NPOなど政治情報の媒介機関は、ザガットなど紙媒体の出版費用、S&Pのような情報収集・分析・出版費用を賄えなかったのである。しかし、90年代以降のインターネットの発展は、情報の発信コスト、有権者側から見た情報収集コストをドラスティックに低減することを可能にし、政府やマスメディアによる情報発信機能の寡占状態の打破に成功した。NPOの政治的影響力増大が常にインターネットの普及とともに語られるのも、政策NPOが政府-有権者間の情報非対称性緩和に重要な役割を果たすことの傍証である。

一方、日本においては、90年代に自民党一党優位体制が崩れ、度重なる官僚スキャンダルの露見とともに、国民の間に行政不信が広がった。そこに政治不信、政党不信、メディア不信などが加わり、有権者は、情報発信機能の多元化に加え、与党官僚機構による政策形成・実施機能の独占状態の打破と、複数の新しい政策オプションを求めるようになった。他方、この時期、政府とメディアへの不信、政党不信からの無党派層の拡大、会社・市町村など伝統的な地縁的・職縁的共同体の解体などによって、政治的な情報流通のルートが絶たれ、政府と有権者間の情報非対称性が深刻化した(加藤[2001])。

このように、政策NPOを含めた政治的活動を行うNPOの存在意義が成立する領域は急速に広がっており、情報技術の発展と相まって、その影響力は拡張しつつある。日本のNPOは政府や富裕層による支援が不足気味なこともあって、欧米各国に比べやや出遅れ気味だったが、すでに述べたように日本特有のニーズも数多く存在し、それに応えるように、いくつかの政策NPOが積極的に活動を行うようになっている。

 

政策NPOの発展と連携の可能性

さて、上記では政策NPOの理論的な存在意義について見てきた。しかし、存在意義があることは持続的な存在、発展のための必要条件であって十分条件ではない。存在意義があるからといって、政府がNPO支援を垂れ流したり、マスメディアがむやみに目尻を下げる必然性もない。

そこで求められるのが、「NPOの説明責任(アカウンタビリティ)」と第三者機関による評価システムの整備である。なぜなら、政策NPOの透明性確保メカニズム、評価メカニズムなどが確保されることで初めて、政策NPOと他の政策形成機関とで効率的な競争や連携が可能となるからである。そしてそれは、政策NPOの発展、さらには政策マーケットの活性化につながる。

最後に政策NPOの連携について述べておこう。NPOが初めて現実の政治に多大な影響力を持つようになったといわれたのは、90年代後半にOECD(経済協力開発機構)を舞台に行われた多国間投資協定(MAI)交渉だといわれる。その後の国際交渉でもそうだが、NPOがMAI妥結を阻止する際に特に有効だったのは、国境を越えたNPOの連携である。たとえばMAI交渉の関連文書は非公開が原則だったが、NPOの影響力が特に強い欧州諸国ではOECD文書をNPOが取得することが可能であったため、その文書はホームページに掲示され、それはインターネットを通じて瞬時に世界中に広まった。もちろん、日本のNPOもOECD文書をインターネットを通じて取得した。その結果、OECDや交渉参加国は、文書や会議を公開することを余儀なくされた。

政策NPOの発展、政策マーケットの活性化のためには競争が不可欠である。ヴァラエティに富んだ政策NPOが生まれ、それらがお互いに別の角度から知恵を競い合い、また、政党や官僚組織のような伝統的な政策形成機関とも競争することが望ましい。しかし、競争と連携とは必ずしも両立不能なものではない。たとえば日本の銀行は、戦後期の経済的困難のなか、融資先のモニタリングコストを節約するため、メインバンクを中心とした協調融資(シンジケートローン)を積極的に活用した(寺西[1993])。より最近ではシリコンヴァレーでも、ITヴェンチャーへの投資を行うヴェンチャーキャピタルの間で似たような慣行が自生的に生まれているという(Gompers and Lerner [1999])。もちろん、シリコンヴァレーのヴェンチャーキャピタルは、一方でそういった連携をしつつも、他方ではお互いに熾烈な競争を繰り広げている。

すでに述べたように、政策のマーケットでは有権者に「ただ乗り」の誘因が生じるため、彼らが情報収集・情報分析コストを支払うインセンティヴは非常に弱い。それはつまり、政策NPOには必然的に、財政的な制約が重くのしかかることを意味する。その制約下で効率的な活動を行うためには、情報収集コストなど共有可能なコストはなるべく共有し、また、最先端の情報技術の活用により、コストを一層節約することが重要となる。

日本では二大政党制の時代が始まったといわれ、ヴァラエティに富んだ各種の政策NPOも活動を開始しており、政策マーケットは萌芽期を迎えつつあると言って良い。政策NPOの活動を支える情報技術の進歩も目覚しい。今後のさらなる発展のためには、政府、マスメディア、そして政策NPOなど各種機関の競争と連携が要求される。

参考文献

Aldrich, John [1995] Why Parties? The Origin and Transformation of Party Politics in America. Chicago: University of Chicago Press.

Allen, Franklin and Douglas Gale [2000] Comparing Financial Systems. Cambridge: MIT Press.

Almond, Gabriel and Sidney Verba [1963] The Civic Culture. Boston: Little, Brown.

Converse, Philip E. [1962] "The Nature of Belief Systems in Mass Publics." In Ideology and Discontent. David E. Apter. Eds. New York: Free Press.

Delli Carpini, Michael X. and Scott Keeter [1996] What Americans Know About Politics and Why It Matters. New Haven: Yale University Press.

Downs, Anthony [1957] An Economic Theory of Democracy. New York: Harper and Row.

Gompers, Paul and Joshua Lerner [1999] Venture Capital Cycle. Cambridge: MIT Press.

加藤創太[2001]「日本政治の罠は消えるのか」『論座』8月号、朝日新聞社

Putnam, Robert [1993] Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy. Princeton: Princeton University Press.

寺西重郎[1993]「メインバンク・システム」岡崎哲二・奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』、日本経済新聞社




プロフィール
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<かとう・そうた>
東京大学法学部卒業。ミシガン大学政治学部博士課程(Ph.D)、ハーバード大学ビジネススクール修士課程(MBA、優等号受賞)修了。ミシガン大学政治学部講師などを経て、昨年よりグローコムへ。現在に至る。

第25回: ゲームのデファクトスタンダード競争の後に来るもの

 井上明人 (国際大学GLOCOM研究員)

"PS3 vs Wii" という構図を支える「常識」

2006年末、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のプレイステーション3(PS3)と、任天堂のWiiという二つの次世代の家庭用ゲーム機がたてつづけに発売され大きな話題を呼んだ。

新型ゲーム機がどうしてこの時期に、こういうものが発売される必要があったのだろうか。よく知られていることだが、その理由は次の3つに集約される。

まず、前提として家庭用ゲーム機はデファクトスタンダードとなりうることができなければ利益のない商品である。PS3や、Wiiは単に玩具として見ると、とても高価な商品だが、ゲーム機単体での販売利益は赤字である場合が多い。特に新型機になりたての時期は一台一万円以上とみられる赤字を出しながら販売していることがよくある。しかし、一度デファクトスタンダードを握ってしまえば、後に出てくる利益は莫大だ。家庭用ゲームソフトのメーカー全てが、任天堂なりソニーなりを通してでなければ商売そのものができなくなるからだ。

第二に、デファクトスタンダードを握ってもそれは5年しか効力を持たない。なぜならば2006年に最新の家庭用ゲーム機の性能は、2011年のパソコンの性能と競争しても勝てないからだ。それゆえに、「最新のゲーム機」が定期的に発売される市場構造になっている。前回のゲーム機競争からちょうど5年近くが経ったいま、ゲーム機は誰が望まなくとも、それが欲望されるようにマーケッティングが行われ、自動的に発売されることになっている。

第三に、発売時期をクリスマスの後にしてしまっては意味がない。ゲームの売り上げが大きく動くのは、年に三回あるといわれる。春休み前、夏休み前、冬休み前の三回だ。これは言うまでもなく子供達が暇を持て余す時期に対応している。それぞれ春商戦、夏商戦、冬商戦(あるいは、クリスマス商戦)と呼ばれ、この時期に大きく売っておけばライバルに大きな差を付けることができる。

2006年末のマスコミ報道も「ゲーム市場のメインイシューといえば、どこが家庭用ゲーム機戦争に勝利しデファクトスタンダードを握るかである。」ということを軸にして成立していた。こうした見方は、ゲームのことを少しでも知っている者にとっては「常識」だろう。しかし、いまや、この常識は半分は正しいが、半分は正しくないと筆者は考えている。事態は変化を遂げつつあるからだ。

本稿は、この「変化」について検討していきたい。


「常識」が形成されるまで

そもそも、家庭用ゲーム機をめぐるこの常識はいつから形成されたのか。一般にハードメーカーの競争がよく報道されたのは90年代中ごろの競争からだ。ゲーム機の競争が認識されたのはおそらくこの時の影響が最も大きい。そして、家庭用の据え置きゲーム機の市場においてデファクトを獲得することがこれほど大きな意味を持つ、ということはやはり80年代半ばのファミコン(ファミリーコンピュータ)の普及によって支えられている認識だろう。

では、それ以前のゲームの世界はどうなっていたのか。家庭用ゲームの世界、アーケードの世界(ゲームセンター)、PCゲームの世界、と多くのゲームの世界がそれぞれに可能性をもち、さまざまな試行錯誤がなされていた時代があった。

その中でファミコンが中心的なものとなっていく過程で、現在のような家庭用ゲーム機市場を中心に据えた形でのゲーム市場の競争枠組みは作られていったといえる。家庭用ゲームではなく、アーケードゲームや、PCゲームが最大の市場となっていた場合には別の競争枠組みが存在していたであろうことは言うまでもない。事実、2000年前後になってゲームが本格的に普及することとなった国では、まったく別の種類の常識が流通し、別の枠組みでの競争が行われている。現在の日本のゲーム市場についての常識とは、即ち家庭用ゲーム市場の常識でしかないのだ。

独り勝ち構造の崩壊 ― ゲームはデヴォリューションへ。

なぜこうしたことをわざわざ確認する必要があるのか。日本のゲームがナンバーワンであり、家庭用ゲームがナンバーワンであり続ける限りにおいてはこの常識の起源について再確認する必要はない。だが、実は近年のゲーム市場は、日本も、家庭用もナンバーワンであるとは言えない状況がある。

まず、国内ゲーム市場の規模は90年代末をピークとしてその後ゲーム市場は拡大できず現在は当時の8割程度の市場規模で落ち着いている。一方で、欧米をはじめとする海外のゲーム市場はこの10年で2倍近くの市場規模に到達。売れているもの自体も日本のものよりも、アメリカではアメリカ産のゲームが、韓国では韓国産のゲームが人気を集めている。

そして、家庭用の据え置き型ゲーム機の一人勝ちという状況も崩れている。ある調査*1によれば、日本のゲーム市場におけるソフト販売本数シェア推移は2006年にはニンテンドーDSのソフトが過半数の51.2%を占めた。日本市場でははじめて家庭用据置型ゲーム機の市場が首位から転落する、という事件が起こっている。また、(携帯ゲーム機ではなく)携帯電話機のゲームというのもここ数年間で毎年2倍近い成長をつづけ大きな市場を形成しつつあり、2005年の市場規模は1000億円を超え*2、これもあと2,3年もすると据え置き型ゲーム市場をいつのまにか超えてしまうかもしれないような金額が動いている。また世界では、PCをプラットフォームとしたオンラインゲームの市場が急成長している。韓国などでは、ゲームといえばほぼ全てPCをプラットフォームとしたオンラインゲームの世界である。

つまり、ファミコンの延長線上に成立してきた市場が量的にも、質的にも頭打ちになっている。国内市場規模は伸び悩み、ゲームの描画水準の向上もゆきつくところまでゆきついてしまった。

同時に、この10年でPCとインターネット網の本格的普及が全世界的で行われたことでオンラインゲームなどの市場が巨大化した。世界市場の覇権を、日本の「家庭用据置型ゲーム機」メーカーが握っていた時代に陰りがみえ、携帯ゲーム機、携帯電話などがゲームのプラットフォームとして力を持ち始めている。今までゲーム市場でナンバー1であった「日本」「家庭用据置型ゲーム機」や、「プラットホームホルダー」「エンターテインメントゲーム」*3といった様々なものが求心力を失ってきている。

ゲーム市場は、一人勝ち状況が崩壊したのちに、市場規模としては拡大。そして同時に、ゲーム市場の性質としては中心性が失われて拡散している。

つまり、ゲームは拡大・拡散という形で二重の意味で拡がっている。中心性を失ったまま拡大していくこの市場では、家庭用ゲーム機のデファクトを握ったからといって業界全体をハンドリングしていくことはできないのだ。

任天堂のゲーム機「Wii」の開発時コードネームは「REVOLUTION」と呼ばれていた。 すでにREVOLUTIONというコードネームが使われなくなった2006年9月、千葉でWiiのお披露目講演が行われた。その際に任天堂の岩田社長は「より豪華でよりすごいゲームを作ればゲームマーケットは拡大していくんだ。」という発想を「過去の成功法則」であると断じている。任天堂の新ハードにはそういった過去の成功法則からは離れたものにならなければならない、という意図がここにはあったと見ることができる。REVOLUTION=革命を起こしてやろう、という意志がこのコードネームからは伝わってくる。

しかし今、まず確認できる事態は、レヴォリューションというよりも、ゲーム業界が巨大産業になるにつれて生じていた様々な一人勝ちの構造から、力が分散されていく分権化=デヴォリューションというべき事態である。

ユーザークリエイトコンテンツの世界

では、このようなゲーム市場において今後どのような戦略的な振る舞いに期待がもたれているのだろうか。

いま大きな注目を集めているものの一つが「ユーザークリエイトコンテンツ」の世界である。「ユーザークリエイトコンテンツ」とは、Web2.0の文脈でいま言われているCGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア)と近い意味であるが、それよりもさらに強い意味をもつ。

この10数年の間ゲームの制作費というのは高騰をつづけてきていた。最近では、数10億といった予算をかけて数百人が何年もかかわるといったプロジェクトもそう珍しいものではない。こうした開発コストの肥大化をうけて、このコストをどう抑えるか、ということが問題になった。また、かつては趣味でゲームを作っていた人というのが大量におり、趣味が昂じてゲームを作るプロになる人が多かったのだが、ゲーム制作が専門化・高度化したことによって、趣味でゲームを作るアマチュアが減少した。これはゲーム産業の巨大化が生み出した一つの影響だった。そうして90年代後半以降のゲーム業界は慢性的な人材不足に陥ることになる。

こうした状況に対して北米のゲーム業界は、これを解決するための一つの方法を見つけ出した。それが「ユーザークリエイトコンテンツ」という方法だ。

現在のゲーム開発はゲームをいざ作ろうと思うと、途方もない値段のする開発ソフトが必要とされる。だがある企業が、通常であれば何百万もするようなゲームの開発環境をユーザーに与えてしまった。

ゲーム開発用のソフトウェアを無料で使えるようにしたところ、ユーザーの作ったゲームが世界的に大きくヒットするという事態が発生する。『カウンターストライク』など、世界中に数千万本売れるようなゲームが実際に登場してきているのだ。

また、インターネットの未来系として今大きな着目を集めている『セカンドライフ』も「ユーザークリエイトコンテンツ」の一つだ。ユーザーが勝手にゲームの中の衣装や、アイテムや建築物をつくってしまって、それを売買できる。また、ゲームの中でライブが開かれたり、展覧会がもよおされたり、会社の会議や、大学のカンファレンスや授業などもなされている。IBMは30万人の会議を『セカンドライフ』上で開催した。また日産、トヨタ、ロイター通信、スタンフォード大学などの組織も『セカンドライフ』を利用している。例えば、トヨタであれば自社の車を『セカンドライフ』上に作成し、トヨタスペースにやって来たユーザーは、トヨタの車にオンライン上で試車してみることだって可能だ。APIが公開されているので、ユーザーが勝手にゲームのなかで思いもつかないような試みをやってしまう。そうした試みによって『セカンドライフ』の中の世界はどんどんと豊かな世界になってゆき、先日ユーザー数が170万人を突破した。

こうした形でゲーム自体を作ったり、ゲームの中で何か新しい機能を付け加えて行ったりするというようなことが、プロの開発者だけのものではなくて、「ユーザーの手によって」行われる。そして、ユーザーが遊びながらゲームをいじりながら作っていくことによって、世界に大きなインパクトを与えるようなゲームが生まれつつある。

エヴォリューション(進化)か、レヴォリューション(革命)か。

ゲームのデヴォリューションこの状況をどう評価するか、ということについては二通りの方向がありうる。

一つは、ユーザークリエイトコンテンツのような、新しいものが生まれてきたことにより、元気を失いつつあったゲームの世界が、再び活気を取り戻すという見方がある。

もう一つは、これはゲームというメディアの寿命を長くするのではなく、もはやゲームというメディアとは別の方向にむかっていくのではないかという判断である。つまり、ゲームというメディアからはじまって、ゲームでないメディアを作ってしまう可能性だ。

前者については、たとえばユーザークリエイトコンテンツというものの登場によって『カウンターストライク』を作るような優秀なアマチュア開発者等の登場が定期的におこるであるとか、特定のコミュニティが何年にもわたって活気付くことに貢献していくようなことというのは、その見方を支える根拠となるだろう。つまり、ユーザークリエイトコンテンツによって、ゲーム産業は今抱えている欠陥を取り除き、進化(エヴォリューション)が可能になる、という発想だ。

後者については、たとえば、『セカンドライフ』のようなケースだ。『セカンドライフ』の世界は、あまりゲームという方面では括られることは少ない。むしろ『セカンドライフ』によせられている期待は、単にゲームであることよりも2Dウェブブラウザを超える新しいウェブの可能性としてだったり、新しいコミュニケーション空間という位置づけであることが少なくない。『セカンドライフ』はゲーム、というよりもそれ自体が一つの新しいメディアとして独立してゆく可能性を秘め、Persistent World(持続している世界)とも呼ばれる。こちらはゲームが、ゲームとして進化するというより、ゲームが別物に変容していくそれこそ革命(レヴォリューション)のような可能性である。(任天堂の意図する”REVOLUTION”とはだいぶ毛色の違うものかもしれないが)

現時点では、どちらの動きが盛んになっていくか断言することはできない。もしかしたら、進化と、革命はどちらも別々に起こっていくのかもしれない。

いずれにせよ、問題はゲームの旧来の構造とはまったく別の方向性をむきはじめている、ということだ。旧来のゲーム機競争の構造的限界が起因となって両者は成立し、旧来のゲーム機競争とはまったく別の方向性をむきはじめている。

新しいメディアを作り出す力

新しいメディアはどういうときに生まれるのか。

水越伸*4によれば、メディアが勃興し、普及してくる過程には、文化的な担い手による「遊び」の要素が強く影響して来たという。ゲームの成立過程においても同様に「遊び」の要素が強く影響したことを水越は指摘する。

パーソナル・コンピュータからインターネットなるメディアの文化的基盤を作るのに貢献したのは遊びながらプログラムをいじるハッカーたちだった。そしてコンピュータ・ゲームをつくっている人々と、パソコン/インターネットを製作してきた人々は実はほぼ同じコミュニティに属している。先日逝去したW3C*5副会長アラン・コウトクは、世界で最初のシューティング・ゲームの共同開発者だったし、世界で最初のアドベンチャーゲームを書いたウィル・クラウザーは実はARPANET*6の技術者だ。彼らにとっては、マイクロエレクトロニクス技術の成熟がまずあって、その中からテレビゲームが出てきたという感覚にはならない。ここでは、ゲームを発展させていくこととコンピュータを発展させていくことがリニアーに繋がっている。

現在は、ゲームの常識が形成される以前の世界と、どこか似てきているのかもしれない。ゲームは趣味として遊ばれ、その中から新しい可能性が育まれようとしている。メディアとしてのゲームの新展開は、多くのユーザーが遊ぶことの中から産声を上げようとしている。

もちろん、はじめに書いたように5年ごとに繰り返されるデファクトスタンダード競争もまだ完全に崩れているわけではない。PS3,Wii,Xbox 360の競争が大量の資本を投下しながら現在進行形で行われているという点では、デファクトスタンダードを握る戦いがゲーム市場の大きなトピックであることは事実だ。PS3,Wii,Xbox 360をめぐる競争をゲーム市場のメインイシューとして描くことは「半分は」正しい。

だが、このデファクトスタンダード競争の先に、未来があると考えている人は少ない。先述したように、今回の競争は、競争を成立させるはずの「一人勝ち構造」という前提条件が崩れつつあり、各社は今回のハード競争においては旧来とは別の戦略で望もうとしているところが多い。その意味で、今回の競争をいままでの延長線上としてのみ語るのでは、ゲーム市場の現状を半分しか捉えられない。

Web2.0ではないが、ゲームもまた旧来の枠組みとは違う認識によってこれを捉えるべき時期がきている。それは、デファクトスタンダード競争とは違った、いままでよりももっと強烈に情報社会にインパクトをもたらすメディアとして展開してゆくのではないか、と考えている*7

*1 株式会社メディア・クリエイト調べ

*2 社団法人コンピュータエンターテインメント協会[2006]『2006CESAゲーム白書』

*3 「プラットホームホルダー」と「エンターテインメントゲーム」の求心力の低下については、拙稿[2006]『智場108号』国際大学GLOCOMのP10を参照

*4 水越伸[2002]『新版 デジタル・メディア社会』岩波書店

*5 W3C:ワールドワイドウェブコンソーシアム,WWWで利用される技術の標準化をすすめる団体。

*6 ARPANET:今日のインターネットの原型として知られている、研究、調査用コンピュータネットワークである。

*7 たとえば、その可能性の一つとして、鈴木健、東浩紀、桜坂洋などが展開する2045年の未来を予測するプロジェクト「ギートステイト」におけるゲームの位置づけなどが挙げたい。




プロフィール
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<いのうえ・あきと>
1980年生まれ。国際大学GLOCOM研究員。慶応義塾SFC研究所上席研究員(訪問) 2003年慶應義塾大学総合政策学部卒。2005年慶應義塾大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。2006年2月より現職。大学在学時の2002年より、個人でのゲーム研究/評論サイト "Critique of Games"を運営し、好評を博す。コンピュータ・ゲームをめぐる言説史を専門的に取り扱っている。2006年より、RGN(Research on Game design and Narrative=コンピュータ・ゲームのデザインと物語についての研究会)を主催し、代表をつとめる。

第26回: 情報社会のポリフォニーモデル構築をめざして

砂田薫  (国際大学GLOCOM主任研究員・助教授)

「寛容」を出発点とする社会発展モデル

10年後、20年後の日本や地球はどうなっているのだろうか。あるいは、どうあってほしいと私たちは願っているのだろうか。

情報社会の発展は、情報技術(IT)の進歩を抜きにして語ることはできない。コンピュータの普及が始まった1960年代から今日にいたる40年余りで、ITは社会に不可欠のインフラとなりさまざまな領域へ浸透した。20世紀末から21世紀にかけてインターネットが全世界に広がり、情報化とグローバル化の波は相互に作用しつつダイナミックに進んでいる。今後ますます地球上で時間と距離の障壁は取り払われていくだろう。テクノロジーの側面から社会を見れば、間違いなく激変が起こったということができる。

にもかかわらず、私たちが頭に思い描く理想的な社会のイメージは、近代化の停滞が始まった1970年代からさほど大きく変わっていないようにみえる。すなわち、中央集権的で(大量生産・大量消費に代表されるような)画一的な経済成長最優先の競争社会から、自律・分権的で多様性に富んだ持続可能な共生型社会への移行という進路である。1970年代中頃、西欧諸国では経済成長の鈍化による慢性的な失業が大きな社会問題となった。一方、日本でも1973年のオイルショックを引き金として高度経済成長が幕を閉じた。また、水俣病に代表される公害問題によって地球環境への関心が高まり、反原発運動に見られたように巨大科学技術への懐疑が深まった。効率化と合理化の追求によってもたらされる経済成長を最優先とするような思考への反省が起こり、社会発展のオルタナティブなモデルが模索された時代だった。

むろんその後には、テクノロジーだけでなく、政治・経済・社会のさまざまな面で新たな現象が起こった。米ソの冷戦時代が終わってからは国際的なテロの脅威が高まるなど、国際政治と安全保障に起こった変化はとりわけ注目されるだろう。その背景には、富の不均衡の拡大によって貧困問題が深刻化しているという現実がある。1970年代に描かれた社会発展モデルのキーワードが「多様」「分権」「共生」であるとすれば、現在はこれに「寛容」を加えたいと考える人が少なくないはずだ。

小説家の大江健三郎は、2006年11月に朝日新聞社から発行したエッセイ集『「伝える言葉」プラス』の記述を「不寛容」という言葉の説明から始めている。21世紀に入って世界に政治的な不寛容が蔓延し亀裂を深めていることに対して、大江は警告を発し、「寛容」の重要性を繰り返し強調してきた。

鶴見和子は、その大江健三郎の小説『燃えあがる緑の木』に見出される「ポリフォニー」に注目し、自分たちと利害や意見が異なるものを排除するのではなく、小説を通じて「異質なものをすべて受け入れて新しい配置のうえに新しい意味を付与する社会変動のあり方を模索している」と分析した*1。「ポリフォニー」とは一般的に複数の声が調和して成り立つ多声音楽を指している。鶴見の説明によれば、一人の指揮者がいて一つの曲を多くの楽器で統一的に演じる「シンフォニー」とは異なり、ポリフォニーはそれぞれが違う曲を奏でていながら全体として調和を保つ音楽を指すという。また、小説ではドストエフスキーの中にポリフォニーがあることをミハエル・バフチンが発見し、大江はそこから学んだと指摘している。

ポリフォニーの出発点は寛容にある。だから、異質なもの同士の分権的な共生が可能になるのであり、結果として多様性に富んだ持続可能な社会となる。まさに21世紀の情報社会の一つの理想的なモデルをポリフォニーは提供してくれると言えるだろう。そこで、このような方向をめざす社会発展のモデルをここでは仮に「ポリフォニーモデル」と呼ぶことにして、以下、その起源となる理論と現代の情報社会への適用について若干の考察をしてみたい。

1970年代の問題提起

ポリフォニーモデルの起源となる概念には、鶴見和子が提起した「内発的発展」とスウェーデンのダグ・ハマーショルド財団が『何をなすべきか?』と題した報告書で提起した「もう一つの発展」の二つがある。いずれも、自然環境や伝統文化を重視した内発・自律・分権的な社会発展モデルを指している。

西川潤は、この二つが1970年代中頃に期せずして東西でほぼ同時に現れたのは、「欧米の近代社会がつくり上げた世界的な国際分業体制が崩れて、第三世界の国々が独立し、新たな、自らがその犠牲となってきた支配型発展とは異なる発展の道を模索し始めたことと関連していよう」と述べている。ただし、内発的発展の思考の起源はさらに古く「19世紀にイギリスが『世界の工場』への道を歩むとともに、イギリス起源の自由主義・普遍主義が後発地域を巻き込もうとした時点で、ドイツ、フランス、アメリカなどで、この自由主義・普遍主義に対抗する思想として現れた」と考察している*2

20世紀には欧米に続いて日本が経済成長を果たし、さらにアジアや南米の国々もそれに続いた。そして、21世紀初頭には中国が「世界の工場」となった。しかし、最初に産業化が始まったイギリス以外の国でも、内発的発展モデルが主流を占めることはなかった。むしろ、その対極にある外発的な発展モデルを採用する国や地域が多かったと言えるだろう。日本はその典型である。

イギリスの産業主義にアメリカは技術主義で対抗した。村上泰亮は、19世紀の産業主義と20世紀の技術主義を区別したカール・シュミットの議論を参照しつつ、「20世紀前半における技術主義の代表はアメリカであり、20世紀後半に技術主義を徹底化し、それを活かす産業政策を発明したのは日本である」と指摘した*3。その理由は、後発国、敗戦国というハンディキャップから立ち直る鍵は技術向上にあるという判断がとられたためである。しかも、日本はヨーロッパと異なり、啓蒙主義、産業主義、技術主義という歴史の道程の重荷を背負っていない。そのために技術主義を徹底できたというのが村上の分析である。

村上は日本が採用した欧米へのキャッチアップ型の産業化を「開発主義」と呼んでいるが、これはまさに内発的発展とは正反対の考え方と言えるだろう。その結果、輸出型製造業が急成長を果たして経済を牽引した半面、日本の企業行動は開発主義的なものとなってしまった。村上は「国際的に過当競争がいきすぎ征服型の行動を生んでいる」にもかかわらず、日本企業の経営者は自覚に乏しく、経営者に自覚を促す社会的作用も弱いと批判した*4。 日本ではこのような開発主義がもたらす弊害が1970年代の内発的発展論の誕生の背景にある。

内発的発展論と情報化理論の交差

一方、1960年代から70年代にかけては情報化をめぐる議論も活発になり始めていた。日本は世界に先がけて1960年代に「情報化」という言葉を生み出し、情報社会論では先導的な役割を果たしてきた。そして、すでに述べたように、1970年代には「内発的発展」の概念をいち早く発信している。にもかかわらず、両者を結びつけるような社会発展モデルの理論化が日本で熱心に試みられることはあまりなかったようにみえる。

おそらく、その最初の本格的な論考は、フランスの経済学者でミッテラン大統領時代に補佐官をつとめたジャック・アタリの1979年の著作『情報とエネルギーの人間科学』*5ではないだろうか。アタリは「情報」を、①意味作用をもたない「メッセージ」と、意味作用をもつ以下の4レベルすなわち、②サイバネティック情報/シグナル(反応をおこすレベル)、③セマンティック(意味連関)情報/言説(知識の交換過程レベル)、④象徴的(記号学的)情報/シンボル(社会的メッセージの文化過程レベル)、⑤無制約的情報/相互交通(人格相互の関係で交換される情報の総体レベル)、の5つに分類した。

一方で、社会モデルを記述する3つのパラメータを次のように分析した。

(1)経済・・・・・・・外展開:コミュニティと無関係、自然開発の制限を無考慮
          内展開:一定圏域の使用価値を増大化
(2)権力・・・・・・集権化:意思決定が中央機関で行われる
          分権化:意思決定が分散している
(3)権力の正統性・・他者管理型:資本を制御する小集団にゆだねる
             自己管理型:共同的な政治上の手続きを経る

以上の3つのパラメータの組み合せによる8モデルのうち、可能であるのは以下の3つの社会モデルであるとしている。

(1)意味連関社会-----外展開・他者管理・集権化
(2)サイバネティック社会-外展開・他者管理・分権化
(3)相互交通社会-----内展開・自己管理・分権化

外展開型の秩序は、必要性に乏しくとも利潤が最大となるような生産が増大し、エネルギー消費、都市の規模、道具などあらゆる領域が指数関数的な加速化を引き起こす。また、組織が生産物、雇用、生活様式を規定し、諸個人は広範囲にわたって組織からの制約を受けるとアタリは指摘する。

とするならば、会社をほぼ唯一の共同体として組織してきた戦後日本の企業中心主義は、日本の特殊性というよりは、外展開型社会に共通する傾向を日本が最も過激に徹底化させた結果なのだと見ることができるだろう。つまり、日本は20世紀後半に技術主義と外展開経済を結びつけて徹底化させたわけである。

アタリの結論は言うまでもなく内展開・自己管理・分権化の相互交通社会をめざすというものである。しかし、アタリによれば「技術進歩が外展開過程を拡大する用具となるためには分権化への渇望を外展開のイデオロギーのなかに徐々に統合していく必要がある」*6という。これは、外展開の経済構造は深く根をはっているため、集権化から分権化への移行が進んだとしても、外展開から内展開への転換には大きな困難がともなうという見通しを述べたものだろう。しかし、内展開という概念で特徴づけられるアタリが描いた相互交通社会にはまさに内発的発展と共通の思想がある。

1980年代に入ると、アメリカでも新しい経済発展のモデルが提起された。代表作の一つがピオリとセーブルの共著『第二の産業分水嶺』である*7。大量生産・大量消費モデルの次にくるものとして柔軟なクラフトモデルを提唱した。

また、1980年代終わりから90年代にかけて、アタリが描いた変革の構想を発展させる研究も進んだ。アタリは、価値増殖ではなく価値創造(活性化)の原理に基づき、一定圏域内での使用価値を高めるような「内展開」の経済秩序を形成してくには、自己組織的な秩序変容をもたらす錯乱要因「ノイズ」が変革の源泉になると述べた。その「ノイズ」に着目して議論を発展させた須藤修は、個人の創造力や構想力を高めることで、既存秩序の意味を問い直し差異化を企てる「自省的行為」の重要性を指摘した。そして参加主体の自律性を保証し、自省的行為を活性化する構造として「複合的ネットワーク」を提示した*8

その後1990年代後半からは、インターネットの普及と歩調を合わせて、ネットワーク理論が発展していった。当初は、草の根的な市民運動と結びついたネットワーキング理論が提唱されたが、ネットワーク構造の研究が進むにつれて、オープンに誰もが参加できるネットワークの中に著しい不均衡や不平等ができるべき法則が働くことが明らかにされて*9今日にいたっている。

キーパーソンと多様性の時代へ

以上の研究の蓄積をふまえて、これからは情報社会のポリフォニーモデルについての考察を深めることが与えられた課題となっている。理想的な社会モデルのイメージとして「ポリフォニー」という言葉を気安く使ってはみたものの、その概念を明確化するにはまだ多くの研究が必要であり、途方もないような作業にも思われる。とはいえ、まったく手がかりがないわけではない。

一つは情報化の主役交代である。グローバル化も情報化も、国や企業が主役となって推進した時代から個人が主役の時代へ移行しつつある。米国のジャーナリスト、トーマス・フリードマンはこのような歴史的新局面を「グローバリゼーション3.0」と呼んだ。彼は2005年に米国でベストセラーとなった著作『フラット化する世界(The World Is Flat)』で、グローバリゼーションの進展を、(1) 国家が主役の「グローバリゼーション1.0」(1492年~1800年)、(2)他国籍企業が主役の「グローバリゼーション2.0」(1800年~2000年)、(3)個人が主役の「グローバリゼーション3.0」(2000年~)、の3段階に分類したうえで、近年はIT革命の進行によって世界が小さくフラット(平ら)になったと指摘した*10

画一的なテクノロジーがグローバルに普及する一方で、個人が主役の時代、それをあえて楽観的にいえば、組織の制約から解き放たれて個性が尊重される時代を迎えたのだ。

鶴見和子は「内発的発展とは、目標において人類共通であり、目標達成への経路と、その目標を実現するであろう社会のモデルにおいては、多様性に富む社会変化の過程である」と定義している。そして、市井三郎の議論を引用しつつ、それを担うのは旧来からのエリートではなく、人々や情報の結節点となるキーパーソンだと述べている*11。情報化がキーパーソンの活動を支援し、また人々のコミュニケーションを活発にするのであれば、アタリのいう内展開型社会への道が開けてくる可能性もある。

もう一つは、インターネット・ガバナンスの動向に見られるように、多様性(ダイバーシティ)への要求の高まりである。2005年11月にチュニジアで開催された国際連合の世界情報社会サミットで、ドメイン名などの技術面での管理は引き続きICANNが担う一方で、国際的な公共政策課題については国際連合主催のインターネットガバナンスフォーラム(IGF)を新設することで合意に達した。そして、2006年10月30日から11月2日にかけてギリシャのアテネで開催された第1回IGF会合では、表現の自由や情報の自由な流通促進に関する「オープンネス」、プライバシー保護やサイバー犯罪に関する「セキュリティ」、相互接続政策に関する「アクセス」と並んで、多言語対応やローカルコンテンツの促進に関する「ダイバーシティ」、が議論テーマとなったのである。

さらにIGFで注目すべきは、インターネットに関する国際的な公共政策課題を市民団体、エンジニア、政府関係者などのマルチステークホルダーの参加によって議論する場を創設した点にある。ともすれば従来の国際会議では、政府関係者が主旋律を奏で、それ以外の参加者は伴奏にまわるというのが常識だったが、IGFはすべてのステークホルダーが対等に音楽を奏でる、まさにポリフォニーモデルを採用したのである。

IGFの成果が問われるのはこれからだ。ただ、グローバルであれローカルであれ、それぞれの場面で吹き出したポリフォニーの芽を大切に育てていくことから、新しい情報社会の展望が開けていくように思われる。

参考文献

*1 鶴見和子[1997]『日本を開く』岩波書店、193頁。

*2 西川潤[1989]「内発的発展論の起源と今日的意義」、鶴見和子/川田侃『内発的発展論』第1章、東京大学出版会、5頁。

*3 村上泰亮[1992]『反古典の政治経済学 下 21世紀への序説』中央公論社 447-448頁。

*4 村上の同上書348-352頁

*5 Attali, Jacques[1979] La Parole et l'Outil, Presses Universitaires de France (平田清明・斉藤日出治訳[1983]『情報とエネルギーの人間科学』日本評論社)

*6 アタリ同上の日本語訳170頁。

*7 Piore, Michael and Sable, Charles[1984]The Second Industrial Divide, Basic Books(山之内靖・永易浩一・石田あつみ訳[1993]『第二の産業分水嶺』筑摩書房

*8 須藤修[1988]『ノイズと経済秩序--資本主義の自己組織化-』日本評論社、および須藤[1995]『複合的ネットワーク社会』有斐閣

*9 アルバート・ラズロ・バラバシ[2002]、青木薫翻訳『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』NHK出版。

*10 Friedman, Thomas The World Is Flat: A Brief History of the Twenty-first Century Farrar Straus & Giroux (邦訳は,トーマス・フリードマン著・伏見威蕃訳『フラット化する世界』日本経済新聞社、2006年)。

*11 鶴見和子/川田侃の前掲書、鶴見和子著の2章「内発的発展論の系譜」を参照。




プロフィール
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<すなだ・かおる>
国際大学GLOCOM主任研究員・助教授。中央大学(情報通信産業論)、国士舘大学(国際情報論・情報政策論)の非常勤講師を兼務。 1979年、千葉大学理学部物理学科卒業。1997年、東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了(社会学修士)。2002年、同博士課程満期退学。1980-2003年、IT関連の雑誌出版・執筆活動。2003年GLOCOM入所。主な著書に、『起業家ビル・トッテン』(コンピュータ・エージ社/2003)。訳書に、ウィリアム・H・ダットン『情報通信テクノロジー4:情報ネットワーク社会の理想と現実』(共訳/富士通経営研修所/1998)、エリ・ノーム他『テレコム・メルトダウン』(共訳/NTT出版/2005)。

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