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chikyu_chijo - April 16, 2007

第24回: 政策NPOは有権者の「ただ乗り」を乗り越えられるか?~情報化時代の政策マーケット

April 16, 2007 [ chikyu_chijo ] このエントリーをはてなブックマークに追加

 加藤創太 (国際大学GLOCOM 主幹研究員)

甘やかされてきた政策NPO

NPO、NGOなどという概念や言葉にマスメディアは弱い。その冠に「政策」などと付けようものなら、目尻はさらに垂れ下がる。理由はいくつか考えられるだろう。日本の場合、政策マーケットが事実上官僚機構の独占体制となっていることから、マスメディアなどの検証機構だけではなく、新たな第三極がこれからは必要だ、という健全なバランス感覚がそこには働いているのかもしれない。あるいは古典的な「市民」観が、メディア関係者の間ではいまだに根強く生き残っているのかもしれない。海外、特に欧米の動向を日本に強引に当てはめようとするいつもの世界観もちらほら見え隠れする。

しかし、現実の政策NPOは文字通り玉石混合である。たとえば米国では、各種優遇措置を受けるために政策NPOを名乗りながら、実質は業界エゴむき出しの利益団体も無数に存在する。科学的検証がなされていないデータと、学術的には完全にクレディビリティ(信頼性)を失った理論を教義のように掲げ、それでも自らの政治イデオロギーを通すため猪突猛進する狂信者集団まがいのものまである。米国などでは、NPOの説明責任(アカウンタビリティ)を問う声は多い。

たとえば営利目的の企業ならば、マスメディアがそれをどう評価しようと、マーケットにおける競争を経て、存在意義のない企業・ビジネスが淘汰される試行錯誤的なプロセスが存在する。むろんこの費用節約的で便利な評価・淘汰システムには限界があり、特に非営利目的のNPOにストレートに当てはめることはそれ自体、定義矛盾をきたす。しかし、公共的、非営利的であるからといって、すべての組織に存在意義があるわけではない。マーケット的な評価・淘汰システムが十全に働かないのであればなおさら、理論的にその存在意義を緻密に分析する意味があると同時に、マスメディアを含めた第三者による評価機能、評判機能などを社会全体で育成し熟成させていく必要がある。

ここでは前者、政策NPOの理論的な存在意義を概観し、その存在意義から導き出される政策NPOと政策マーケットの発展の可能性について触れていきたい。むろん、この作業はそのまま後者、第三者による評価機能、評判機能を探る一端ともなる。

理論的に見た政策NPOの存在意義

民主主義とは、枢要な部分のみ単純に定義すれば、有権者による政府のガヴァナンスである。この定義を是とするならば、新古典派経済学が想定するような完全情報、完全合理性の世界において、利益団体的な機能とは別に、政策NPOの存在意義、ビジネスモデルを見出すのは難しい。有権者があらゆる関連情報を瞬時に無料で手に入れることができ、本人も政治について職業政治家や政治学者・経済学者並の情報解析能力を持っていると想定される世界で、いったいどこの誰が、政治判断をする際に、政策NPOなど第三者に助けを求めようか?

しかし、よりリアリティのある世界、つまり情報や個々人の情報解析能力などが社会に偏在する世界では話は異なってくる。

経済学においては、当事者間の「情報の非対称性」によって発生するさまざまなコストと、それらをベースにした制度分析、制度設計などが、ここ20年以上もの間、最も脚光を浴びる分野の一つとして確立してきた。その分析のためのゲーム理論などのツールも並行的に発展し、1960年代、70年代に経済学界を席巻した新古典派経済学の理想化されたヴァーチャルワールドは、魑魅魍魎が跋扈する醜怪なリアルワールドに急速に近づき始めている。

アカデミズムで「情報」と「情報の偏在」とその分析の重要性が強調されるのと軌を一にするように、この時代、情報技術(IT)が飛躍的に発展した。特に90年代以降のインターネットの世界的な普及は、多国間国際交渉における環境・人権NPOの影響力を劇的に高めるなど現実の政治経済に多大な影響を与え、同時に、生産性論争などの学術論争も引き起こした。こうした学術的な深化と情報技術の発展の延長上に初めて、新古典派的なヴァーチャルワールドでは見えなかった政策NPOの存在意義が浮かび上がるのである。

無数の「情報の非対称性」が点在するリアルワールドにおいては、情報の偏在や限定合理性(bounded rationality)などから生じる各種の取引費用(transaction cost)の節約のために、多くの制度や規範や組織が必要とされるようになる。たとえば、どのイタリアンレストランが美味しいかという情報を持たない者は、アペリテフ一杯分の代金を泣く泣く払ってでもザガットなどの情報本を買うだろう。また資本市場においては、社債などのリスクを吟味し適正な値付けを可能にするため、そういった情報を専門的に収集・吟味し媒介する格付け機関が存在意義を持つようになる。投資ファンドの存在意義の一つも、投資家の情報収集コストとスキル錬成コストの節約である(Allen and Gale [2000])。

どの店のプッタネスカが美味いか? A社の社債をどう評価すべきか?

これと似た問いは政治の場、民主主義の場でも日常的になされている。たとえば、どの候補者に投票すべきか、どの政党を支持すべきか、先週政府が発表した政策をどう評価すべきか、等々。そして、政府と有権者との間には、イタリアンレストランと客との間以上の、起債会社と投資家との間以上の、情報の深い溝が横たわるのである。特に政治の場合、美味しいイタリアンを見つけることにデートの成否がかかっている客、社債への投資に自分の財布やクビがかかっている投資家と違って、「良い政治」の実現のための情報を収集しようという有権者のインセンティヴは非常に弱いから、事はなおさら厄介である(Downs [1957])。「良い政治」が準公共財的性格を持つため、情報収集の「ただ乗り(free ride)」が起きてしまうからである。

こうした政府と有権者との間の情報の深い溝を埋め、さらに情報収集の「ただ乗り」の問題を乗り越えるためには、各種の制度、組織、規範とその組み合わせが必要になってくる。たとえば情報公開法のような法制度は政府-有権者間の情報の非対称性を解消するために必要な制度ではあるが、それだけでは「ただ乗り」の問題は解消されない。

こうした政府と有権者との間の情報の深い溝を埋め、さらに情報収集の「ただ乗り」の問題を乗り越えるためには、各種の制度、組織、規範とその組み合わせが必要になってくる。たとえば情報公開法のような法制度は政府-有権者間の情報の非対称性を解消するために必要な制度ではあるが、それだけでは「ただ乗り」の問題は解消されない。

なぜ今、政策NPOか?

政治学者が「情報の非対称性」や「ただ乗り」の問題に気づき、それを分析に取り入れる前から、現実の政治は、そういった問題を乗り越え、規律するようなさまざまな制度や組織を発展させてきた。古くはフランスの政治思想家アレキシス・ドゥ・トクヴィルが、民主主義が健全に機能するためには、法律などによって上から規定された民主主義制度だけではなく、社会に「中間集団」が育っていることが重要だと指摘した。トクヴィル的な「中間組織」が民主主義に果たす役割の重要性は、その後の代表的な政治学研究によっても検証されている(Almond and Verba [1963]; Putnam [1993])。民主主義にとって「中間組織」がなぜそれほど重要な意味を持つのか、という問いに対しても、「情報の非対称性」と「ただ乗り」という理論的な視点は明快かつ体系的な視点を与えてくれる(加藤[2001])。

他に、情報の媒介、解釈・解析、さらに最近では政策オプションの提供という意味で歴史的に重要な役割を担ってきたのはマスメディアである。また、政党の存在意義として情報の媒介、ただ乗りの規律を挙げる政治学者もいる(Aldrich [1995])。日本においては、村落共同体や労働組合など、地縁的・職縁的な共同体が、政治的情報の媒介とただ乗りの規律に重要な役割を果たしてきた。

このように現実社会はいつものようにアカデミズムを先取りして発展してきたわけだが、こと政策NPOとなると、その発展・普及は決して早くない。もちろん、欧米(特に米国)では、たとえば教会が現在の政策NPO的な役割を果たしてきたという見方もあるだろうし、戦間期の米国における政策NPO的な団体の発展を詳細に分析した研究書も最近出版された。日本でも明治期から、政策NPO的な団体はいくつも存在してきた。しかし今日の政策NPOの隆盛ぶり、あるいは、他に似た役割を担うマスメディアや政党などとの相対的なプレゼンスを比較すれば、その差は歴然としている。なぜだろうか?

すでに述べたように、レストランの評価本(e.g., ザガット)、資本市場の格付け機関(e.g., S&P)などに比べ、有権者が的確な政治判断のために情報収集費用を支払うインセンティヴは非常に低い。したがって、ザガットや格付け機関のように市場から自生的に、多額の資金を要する政治情報の媒介・評価機関が現れることは考えがたい。これは別に、レストラン情報や資本市場情報に比べて政治情報の重要性が低いからではない。極端な話、愚かな政治リーダーによって戦争が勃発すれば、せっかくのイタリアンレストランでのデートもキャンセルしなければいけなくなるし、資本市場は暴落する。繰り返しになるが、有権者が十分に情報を集めたうえで「(有権者全体、あるいはその一部の集団にとって)良い政治」を実現することが準公共財的性格を持つため、個々人に「ただ乗り」のインセンティヴが生じてしまい、誰もが積極的に情報収集・分析コストを支払おうとしないのである。

つまり、政治情報を得るためにカネを払うというインセンティヴが、レストラン情報や資本市場情報に比べて格段に低いため、従来の政策NPOなど政治情報の媒介機関は、ザガットなど紙媒体の出版費用、S&Pのような情報収集・分析・出版費用を賄えなかったのである。しかし、90年代以降のインターネットの発展は、情報の発信コスト、有権者側から見た情報収集コストをドラスティックに低減することを可能にし、政府やマスメディアによる情報発信機能の寡占状態の打破に成功した。NPOの政治的影響力増大が常にインターネットの普及とともに語られるのも、政策NPOが政府-有権者間の情報非対称性緩和に重要な役割を果たすことの傍証である。

一方、日本においては、90年代に自民党一党優位体制が崩れ、度重なる官僚スキャンダルの露見とともに、国民の間に行政不信が広がった。そこに政治不信、政党不信、メディア不信などが加わり、有権者は、情報発信機能の多元化に加え、与党官僚機構による政策形成・実施機能の独占状態の打破と、複数の新しい政策オプションを求めるようになった。他方、この時期、政府とメディアへの不信、政党不信からの無党派層の拡大、会社・市町村など伝統的な地縁的・職縁的共同体の解体などによって、政治的な情報流通のルートが絶たれ、政府と有権者間の情報非対称性が深刻化した(加藤[2001])。

このように、政策NPOを含めた政治的活動を行うNPOの存在意義が成立する領域は急速に広がっており、情報技術の発展と相まって、その影響力は拡張しつつある。日本のNPOは政府や富裕層による支援が不足気味なこともあって、欧米各国に比べやや出遅れ気味だったが、すでに述べたように日本特有のニーズも数多く存在し、それに応えるように、いくつかの政策NPOが積極的に活動を行うようになっている。

 

政策NPOの発展と連携の可能性

さて、上記では政策NPOの理論的な存在意義について見てきた。しかし、存在意義があることは持続的な存在、発展のための必要条件であって十分条件ではない。存在意義があるからといって、政府がNPO支援を垂れ流したり、マスメディアがむやみに目尻を下げる必然性もない。

そこで求められるのが、「NPOの説明責任(アカウンタビリティ)」と第三者機関による評価システムの整備である。なぜなら、政策NPOの透明性確保メカニズム、評価メカニズムなどが確保されることで初めて、政策NPOと他の政策形成機関とで効率的な競争や連携が可能となるからである。そしてそれは、政策NPOの発展、さらには政策マーケットの活性化につながる。

最後に政策NPOの連携について述べておこう。NPOが初めて現実の政治に多大な影響力を持つようになったといわれたのは、90年代後半にOECD(経済協力開発機構)を舞台に行われた多国間投資協定(MAI)交渉だといわれる。その後の国際交渉でもそうだが、NPOがMAI妥結を阻止する際に特に有効だったのは、国境を越えたNPOの連携である。たとえばMAI交渉の関連文書は非公開が原則だったが、NPOの影響力が特に強い欧州諸国ではOECD文書をNPOが取得することが可能であったため、その文書はホームページに掲示され、それはインターネットを通じて瞬時に世界中に広まった。もちろん、日本のNPOもOECD文書をインターネットを通じて取得した。その結果、OECDや交渉参加国は、文書や会議を公開することを余儀なくされた。

政策NPOの発展、政策マーケットの活性化のためには競争が不可欠である。ヴァラエティに富んだ政策NPOが生まれ、それらがお互いに別の角度から知恵を競い合い、また、政党や官僚組織のような伝統的な政策形成機関とも競争することが望ましい。しかし、競争と連携とは必ずしも両立不能なものではない。たとえば日本の銀行は、戦後期の経済的困難のなか、融資先のモニタリングコストを節約するため、メインバンクを中心とした協調融資(シンジケートローン)を積極的に活用した(寺西[1993])。より最近ではシリコンヴァレーでも、ITヴェンチャーへの投資を行うヴェンチャーキャピタルの間で似たような慣行が自生的に生まれているという(Gompers and Lerner [1999])。もちろん、シリコンヴァレーのヴェンチャーキャピタルは、一方でそういった連携をしつつも、他方ではお互いに熾烈な競争を繰り広げている。

すでに述べたように、政策のマーケットでは有権者に「ただ乗り」の誘因が生じるため、彼らが情報収集・情報分析コストを支払うインセンティヴは非常に弱い。それはつまり、政策NPOには必然的に、財政的な制約が重くのしかかることを意味する。その制約下で効率的な活動を行うためには、情報収集コストなど共有可能なコストはなるべく共有し、また、最先端の情報技術の活用により、コストを一層節約することが重要となる。

日本では二大政党制の時代が始まったといわれ、ヴァラエティに富んだ各種の政策NPOも活動を開始しており、政策マーケットは萌芽期を迎えつつあると言って良い。政策NPOの活動を支える情報技術の進歩も目覚しい。今後のさらなる発展のためには、政府、マスメディア、そして政策NPOなど各種機関の競争と連携が要求される。

参考文献

Aldrich, John [1995] Why Parties? The Origin and Transformation of Party Politics in America. Chicago: University of Chicago Press.

Allen, Franklin and Douglas Gale [2000] Comparing Financial Systems. Cambridge: MIT Press.

Almond, Gabriel and Sidney Verba [1963] The Civic Culture. Boston: Little, Brown.

Converse, Philip E. [1962] "The Nature of Belief Systems in Mass Publics." In Ideology and Discontent. David E. Apter. Eds. New York: Free Press.

Delli Carpini, Michael X. and Scott Keeter [1996] What Americans Know About Politics and Why It Matters. New Haven: Yale University Press.

Downs, Anthony [1957] An Economic Theory of Democracy. New York: Harper and Row.

Gompers, Paul and Joshua Lerner [1999] Venture Capital Cycle. Cambridge: MIT Press.

加藤創太[2001]「日本政治の罠は消えるのか」『論座』8月号、朝日新聞社

Putnam, Robert [1993] Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy. Princeton: Princeton University Press.

寺西重郎[1993]「メインバンク・システム」岡崎哲二・奥野正寛編『現代日本経済システムの源流』、日本経済新聞社




プロフィール
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<かとう・そうた>
東京大学法学部卒業。ミシガン大学政治学部博士課程(Ph.D)、ハーバード大学ビジネススクール修士課程(MBA、優等号受賞)修了。ミシガン大学政治学部講師などを経て、昨年よりグローコムへ。現在に至る。