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chikyu_chijo - April 16, 2007

第25回: ゲームのデファクトスタンダード競争の後に来るもの

April 16, 2007 [ chikyu_chijo ] このエントリーをはてなブックマークに追加

 井上明人 (国際大学GLOCOM研究員)

"PS3 vs Wii" という構図を支える「常識」

2006年末、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のプレイステーション3(PS3)と、任天堂のWiiという二つの次世代の家庭用ゲーム機がたてつづけに発売され大きな話題を呼んだ。

新型ゲーム機がどうしてこの時期に、こういうものが発売される必要があったのだろうか。よく知られていることだが、その理由は次の3つに集約される。

まず、前提として家庭用ゲーム機はデファクトスタンダードとなりうることができなければ利益のない商品である。PS3や、Wiiは単に玩具として見ると、とても高価な商品だが、ゲーム機単体での販売利益は赤字である場合が多い。特に新型機になりたての時期は一台一万円以上とみられる赤字を出しながら販売していることがよくある。しかし、一度デファクトスタンダードを握ってしまえば、後に出てくる利益は莫大だ。家庭用ゲームソフトのメーカー全てが、任天堂なりソニーなりを通してでなければ商売そのものができなくなるからだ。

第二に、デファクトスタンダードを握ってもそれは5年しか効力を持たない。なぜならば2006年に最新の家庭用ゲーム機の性能は、2011年のパソコンの性能と競争しても勝てないからだ。それゆえに、「最新のゲーム機」が定期的に発売される市場構造になっている。前回のゲーム機競争からちょうど5年近くが経ったいま、ゲーム機は誰が望まなくとも、それが欲望されるようにマーケッティングが行われ、自動的に発売されることになっている。

第三に、発売時期をクリスマスの後にしてしまっては意味がない。ゲームの売り上げが大きく動くのは、年に三回あるといわれる。春休み前、夏休み前、冬休み前の三回だ。これは言うまでもなく子供達が暇を持て余す時期に対応している。それぞれ春商戦、夏商戦、冬商戦(あるいは、クリスマス商戦)と呼ばれ、この時期に大きく売っておけばライバルに大きな差を付けることができる。

2006年末のマスコミ報道も「ゲーム市場のメインイシューといえば、どこが家庭用ゲーム機戦争に勝利しデファクトスタンダードを握るかである。」ということを軸にして成立していた。こうした見方は、ゲームのことを少しでも知っている者にとっては「常識」だろう。しかし、いまや、この常識は半分は正しいが、半分は正しくないと筆者は考えている。事態は変化を遂げつつあるからだ。

本稿は、この「変化」について検討していきたい。


「常識」が形成されるまで

そもそも、家庭用ゲーム機をめぐるこの常識はいつから形成されたのか。一般にハードメーカーの競争がよく報道されたのは90年代中ごろの競争からだ。ゲーム機の競争が認識されたのはおそらくこの時の影響が最も大きい。そして、家庭用の据え置きゲーム機の市場においてデファクトを獲得することがこれほど大きな意味を持つ、ということはやはり80年代半ばのファミコン(ファミリーコンピュータ)の普及によって支えられている認識だろう。

では、それ以前のゲームの世界はどうなっていたのか。家庭用ゲームの世界、アーケードの世界(ゲームセンター)、PCゲームの世界、と多くのゲームの世界がそれぞれに可能性をもち、さまざまな試行錯誤がなされていた時代があった。

その中でファミコンが中心的なものとなっていく過程で、現在のような家庭用ゲーム機市場を中心に据えた形でのゲーム市場の競争枠組みは作られていったといえる。家庭用ゲームではなく、アーケードゲームや、PCゲームが最大の市場となっていた場合には別の競争枠組みが存在していたであろうことは言うまでもない。事実、2000年前後になってゲームが本格的に普及することとなった国では、まったく別の種類の常識が流通し、別の枠組みでの競争が行われている。現在の日本のゲーム市場についての常識とは、即ち家庭用ゲーム市場の常識でしかないのだ。

独り勝ち構造の崩壊 ― ゲームはデヴォリューションへ。

なぜこうしたことをわざわざ確認する必要があるのか。日本のゲームがナンバーワンであり、家庭用ゲームがナンバーワンであり続ける限りにおいてはこの常識の起源について再確認する必要はない。だが、実は近年のゲーム市場は、日本も、家庭用もナンバーワンであるとは言えない状況がある。

まず、国内ゲーム市場の規模は90年代末をピークとしてその後ゲーム市場は拡大できず現在は当時の8割程度の市場規模で落ち着いている。一方で、欧米をはじめとする海外のゲーム市場はこの10年で2倍近くの市場規模に到達。売れているもの自体も日本のものよりも、アメリカではアメリカ産のゲームが、韓国では韓国産のゲームが人気を集めている。

そして、家庭用の据え置き型ゲーム機の一人勝ちという状況も崩れている。ある調査*1によれば、日本のゲーム市場におけるソフト販売本数シェア推移は2006年にはニンテンドーDSのソフトが過半数の51.2%を占めた。日本市場でははじめて家庭用据置型ゲーム機の市場が首位から転落する、という事件が起こっている。また、(携帯ゲーム機ではなく)携帯電話機のゲームというのもここ数年間で毎年2倍近い成長をつづけ大きな市場を形成しつつあり、2005年の市場規模は1000億円を超え*2、これもあと2,3年もすると据え置き型ゲーム市場をいつのまにか超えてしまうかもしれないような金額が動いている。また世界では、PCをプラットフォームとしたオンラインゲームの市場が急成長している。韓国などでは、ゲームといえばほぼ全てPCをプラットフォームとしたオンラインゲームの世界である。

つまり、ファミコンの延長線上に成立してきた市場が量的にも、質的にも頭打ちになっている。国内市場規模は伸び悩み、ゲームの描画水準の向上もゆきつくところまでゆきついてしまった。

同時に、この10年でPCとインターネット網の本格的普及が全世界的で行われたことでオンラインゲームなどの市場が巨大化した。世界市場の覇権を、日本の「家庭用据置型ゲーム機」メーカーが握っていた時代に陰りがみえ、携帯ゲーム機、携帯電話などがゲームのプラットフォームとして力を持ち始めている。今までゲーム市場でナンバー1であった「日本」「家庭用据置型ゲーム機」や、「プラットホームホルダー」「エンターテインメントゲーム」*3といった様々なものが求心力を失ってきている。

ゲーム市場は、一人勝ち状況が崩壊したのちに、市場規模としては拡大。そして同時に、ゲーム市場の性質としては中心性が失われて拡散している。

つまり、ゲームは拡大・拡散という形で二重の意味で拡がっている。中心性を失ったまま拡大していくこの市場では、家庭用ゲーム機のデファクトを握ったからといって業界全体をハンドリングしていくことはできないのだ。

任天堂のゲーム機「Wii」の開発時コードネームは「REVOLUTION」と呼ばれていた。 すでにREVOLUTIONというコードネームが使われなくなった2006年9月、千葉でWiiのお披露目講演が行われた。その際に任天堂の岩田社長は「より豪華でよりすごいゲームを作ればゲームマーケットは拡大していくんだ。」という発想を「過去の成功法則」であると断じている。任天堂の新ハードにはそういった過去の成功法則からは離れたものにならなければならない、という意図がここにはあったと見ることができる。REVOLUTION=革命を起こしてやろう、という意志がこのコードネームからは伝わってくる。

しかし今、まず確認できる事態は、レヴォリューションというよりも、ゲーム業界が巨大産業になるにつれて生じていた様々な一人勝ちの構造から、力が分散されていく分権化=デヴォリューションというべき事態である。

ユーザークリエイトコンテンツの世界

では、このようなゲーム市場において今後どのような戦略的な振る舞いに期待がもたれているのだろうか。

いま大きな注目を集めているものの一つが「ユーザークリエイトコンテンツ」の世界である。「ユーザークリエイトコンテンツ」とは、Web2.0の文脈でいま言われているCGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア)と近い意味であるが、それよりもさらに強い意味をもつ。

この10数年の間ゲームの制作費というのは高騰をつづけてきていた。最近では、数10億といった予算をかけて数百人が何年もかかわるといったプロジェクトもそう珍しいものではない。こうした開発コストの肥大化をうけて、このコストをどう抑えるか、ということが問題になった。また、かつては趣味でゲームを作っていた人というのが大量におり、趣味が昂じてゲームを作るプロになる人が多かったのだが、ゲーム制作が専門化・高度化したことによって、趣味でゲームを作るアマチュアが減少した。これはゲーム産業の巨大化が生み出した一つの影響だった。そうして90年代後半以降のゲーム業界は慢性的な人材不足に陥ることになる。

こうした状況に対して北米のゲーム業界は、これを解決するための一つの方法を見つけ出した。それが「ユーザークリエイトコンテンツ」という方法だ。

現在のゲーム開発はゲームをいざ作ろうと思うと、途方もない値段のする開発ソフトが必要とされる。だがある企業が、通常であれば何百万もするようなゲームの開発環境をユーザーに与えてしまった。

ゲーム開発用のソフトウェアを無料で使えるようにしたところ、ユーザーの作ったゲームが世界的に大きくヒットするという事態が発生する。『カウンターストライク』など、世界中に数千万本売れるようなゲームが実際に登場してきているのだ。

また、インターネットの未来系として今大きな着目を集めている『セカンドライフ』も「ユーザークリエイトコンテンツ」の一つだ。ユーザーが勝手にゲームの中の衣装や、アイテムや建築物をつくってしまって、それを売買できる。また、ゲームの中でライブが開かれたり、展覧会がもよおされたり、会社の会議や、大学のカンファレンスや授業などもなされている。IBMは30万人の会議を『セカンドライフ』上で開催した。また日産、トヨタ、ロイター通信、スタンフォード大学などの組織も『セカンドライフ』を利用している。例えば、トヨタであれば自社の車を『セカンドライフ』上に作成し、トヨタスペースにやって来たユーザーは、トヨタの車にオンライン上で試車してみることだって可能だ。APIが公開されているので、ユーザーが勝手にゲームのなかで思いもつかないような試みをやってしまう。そうした試みによって『セカンドライフ』の中の世界はどんどんと豊かな世界になってゆき、先日ユーザー数が170万人を突破した。

こうした形でゲーム自体を作ったり、ゲームの中で何か新しい機能を付け加えて行ったりするというようなことが、プロの開発者だけのものではなくて、「ユーザーの手によって」行われる。そして、ユーザーが遊びながらゲームをいじりながら作っていくことによって、世界に大きなインパクトを与えるようなゲームが生まれつつある。

エヴォリューション(進化)か、レヴォリューション(革命)か。

ゲームのデヴォリューションこの状況をどう評価するか、ということについては二通りの方向がありうる。

一つは、ユーザークリエイトコンテンツのような、新しいものが生まれてきたことにより、元気を失いつつあったゲームの世界が、再び活気を取り戻すという見方がある。

もう一つは、これはゲームというメディアの寿命を長くするのではなく、もはやゲームというメディアとは別の方向にむかっていくのではないかという判断である。つまり、ゲームというメディアからはじまって、ゲームでないメディアを作ってしまう可能性だ。

前者については、たとえばユーザークリエイトコンテンツというものの登場によって『カウンターストライク』を作るような優秀なアマチュア開発者等の登場が定期的におこるであるとか、特定のコミュニティが何年にもわたって活気付くことに貢献していくようなことというのは、その見方を支える根拠となるだろう。つまり、ユーザークリエイトコンテンツによって、ゲーム産業は今抱えている欠陥を取り除き、進化(エヴォリューション)が可能になる、という発想だ。

後者については、たとえば、『セカンドライフ』のようなケースだ。『セカンドライフ』の世界は、あまりゲームという方面では括られることは少ない。むしろ『セカンドライフ』によせられている期待は、単にゲームであることよりも2Dウェブブラウザを超える新しいウェブの可能性としてだったり、新しいコミュニケーション空間という位置づけであることが少なくない。『セカンドライフ』はゲーム、というよりもそれ自体が一つの新しいメディアとして独立してゆく可能性を秘め、Persistent World(持続している世界)とも呼ばれる。こちらはゲームが、ゲームとして進化するというより、ゲームが別物に変容していくそれこそ革命(レヴォリューション)のような可能性である。(任天堂の意図する”REVOLUTION”とはだいぶ毛色の違うものかもしれないが)

現時点では、どちらの動きが盛んになっていくか断言することはできない。もしかしたら、進化と、革命はどちらも別々に起こっていくのかもしれない。

いずれにせよ、問題はゲームの旧来の構造とはまったく別の方向性をむきはじめている、ということだ。旧来のゲーム機競争の構造的限界が起因となって両者は成立し、旧来のゲーム機競争とはまったく別の方向性をむきはじめている。

新しいメディアを作り出す力

新しいメディアはどういうときに生まれるのか。

水越伸*4によれば、メディアが勃興し、普及してくる過程には、文化的な担い手による「遊び」の要素が強く影響して来たという。ゲームの成立過程においても同様に「遊び」の要素が強く影響したことを水越は指摘する。

パーソナル・コンピュータからインターネットなるメディアの文化的基盤を作るのに貢献したのは遊びながらプログラムをいじるハッカーたちだった。そしてコンピュータ・ゲームをつくっている人々と、パソコン/インターネットを製作してきた人々は実はほぼ同じコミュニティに属している。先日逝去したW3C*5副会長アラン・コウトクは、世界で最初のシューティング・ゲームの共同開発者だったし、世界で最初のアドベンチャーゲームを書いたウィル・クラウザーは実はARPANET*6の技術者だ。彼らにとっては、マイクロエレクトロニクス技術の成熟がまずあって、その中からテレビゲームが出てきたという感覚にはならない。ここでは、ゲームを発展させていくこととコンピュータを発展させていくことがリニアーに繋がっている。

現在は、ゲームの常識が形成される以前の世界と、どこか似てきているのかもしれない。ゲームは趣味として遊ばれ、その中から新しい可能性が育まれようとしている。メディアとしてのゲームの新展開は、多くのユーザーが遊ぶことの中から産声を上げようとしている。

もちろん、はじめに書いたように5年ごとに繰り返されるデファクトスタンダード競争もまだ完全に崩れているわけではない。PS3,Wii,Xbox 360の競争が大量の資本を投下しながら現在進行形で行われているという点では、デファクトスタンダードを握る戦いがゲーム市場の大きなトピックであることは事実だ。PS3,Wii,Xbox 360をめぐる競争をゲーム市場のメインイシューとして描くことは「半分は」正しい。

だが、このデファクトスタンダード競争の先に、未来があると考えている人は少ない。先述したように、今回の競争は、競争を成立させるはずの「一人勝ち構造」という前提条件が崩れつつあり、各社は今回のハード競争においては旧来とは別の戦略で望もうとしているところが多い。その意味で、今回の競争をいままでの延長線上としてのみ語るのでは、ゲーム市場の現状を半分しか捉えられない。

Web2.0ではないが、ゲームもまた旧来の枠組みとは違う認識によってこれを捉えるべき時期がきている。それは、デファクトスタンダード競争とは違った、いままでよりももっと強烈に情報社会にインパクトをもたらすメディアとして展開してゆくのではないか、と考えている*7

*1 株式会社メディア・クリエイト調べ

*2 社団法人コンピュータエンターテインメント協会[2006]『2006CESAゲーム白書』

*3 「プラットホームホルダー」と「エンターテインメントゲーム」の求心力の低下については、拙稿[2006]『智場108号』国際大学GLOCOMのP10を参照

*4 水越伸[2002]『新版 デジタル・メディア社会』岩波書店

*5 W3C:ワールドワイドウェブコンソーシアム,WWWで利用される技術の標準化をすすめる団体。

*6 ARPANET:今日のインターネットの原型として知られている、研究、調査用コンピュータネットワークである。

*7 たとえば、その可能性の一つとして、鈴木健、東浩紀、桜坂洋などが展開する2045年の未来を予測するプロジェクト「ギートステイト」におけるゲームの位置づけなどが挙げたい。




プロフィール
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<いのうえ・あきと>
1980年生まれ。国際大学GLOCOM研究員。慶応義塾SFC研究所上席研究員(訪問) 2003年慶應義塾大学総合政策学部卒。2005年慶應義塾大学院 政策・メディア研究科修士課程修了。2006年2月より現職。大学在学時の2002年より、個人でのゲーム研究/評論サイト "Critique of Games"を運営し、好評を博す。コンピュータ・ゲームをめぐる言説史を専門的に取り扱っている。2006年より、RGN(Research on Game design and Narrative=コンピュータ・ゲームのデザインと物語についての研究会)を主催し、代表をつとめる。