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第35回: 住基ネット裁判の批判的考察

April 2, 2008 [ chikyu_chijo ] このエントリーをはてなブックマークに追加

青柳 武彦(国際大学GLOCOM 客員教授)

要約

全国各地で住基ネット違憲訴訟が進行中である。訴訟のベースはいずれも、プライバシーは自己情報コントロール権であるとの説(以下、「自己情報コントロール権説」と称す)に拠って、プライバシー権の根拠を憲法13条の幸福追求権に求めている。筆者は、自己情報コントロール権説も憲法13条説もともに誤りであり、したがって違憲訴訟そのものが成り立たないと考えている。

住基ネット訴訟の論点

住基ネットについて各地の住民の一部から違憲であるとの訴訟が提起され、現在、全国各地で約20件の裁判が進行中だ。うち次の15ケース*1については既に判決が出ている。

地裁レベルでは金沢地裁の判決を除いて全てが合憲判決だ。金沢地裁の違憲判決も後に控訴審の名古屋高裁金沢支部による合憲判決によって覆された。高裁レベルでは、大阪高裁が違憲、名古屋高裁金沢支部、及び名古屋高裁が合憲と、1対2で判断が分れた。いずれも控訴・上告が行なわれているので、今後は舞台が最高裁に移る。

住基ネット訴訟における原告の主要な論点は殆ど共通しており、次の通りとなっている。

  • 地方自治体が住民の個人情報を、セキュリティに問題がある住基ネットによって管理するのは、住民の自己情報コントロール権を侵すものである。
  • 自己情報コントロール権を侵すことは、憲法13条の「幸福追求権」によって保証されたプライバシー権侵害を意味する。
  • したがって住基ネットは憲法違反である。

筆者は、いずれの論点も成立しないと考えるものだが、以下にその理由を述べる。

住基ネット訴訟の論点

この説は、1967年にコロンビア大学のアラン・ウェスティン教授がその著書『プライバシーと自由』の中で、プライバシー権とは「自己に関する情報の流通をコントロールする個人の能力のことである」と述べたことがきっかけとなっている。ウェスティンは、来たるべき情報化時代にはウォーレンとブランダイスのいわゆる「ほうっておいてもらう権利*2」という受身の姿勢だけではプライバシー権は効果的に護れないと考えて、もっと積極的な能動的な姿勢で自己情報を何らかの形でコントロールする必要があると述べたもので、その限りにおいては卓見と言ってよいだろう。

ただし、この説は、英米法系国家に特有の類型的アプローチの過程で、一つのプライバシーの類型として述べられたものであることを忘れてはならない。他の種類のプライバシーや保護の方法まで否定しているわけではない。つまり、自己情報のコントロールが失われたら即プライバシー侵害であるとまでいっているわけではないのだ。

それが、日本においては要件主義的なアプローチの思考形態の中でプライバシー権の“定義として”解釈されてしまった。ということは、自己情報のコントロールが失われたら即プライバシー侵害であるということになるのだ。現在では多くの学者や法律家によって熱烈に支持されてほぼ定説化している。これは日本特有の奇妙な現象である。例えば、インターネットで調べてみてもこの説をプライバシーの定義として支持している海外の学者は殆どいない。

同説に言及する場合でも、ちょうど経済学説史においてマルクス経済学が言及されるのと同じで、過去の偉大な注目すべき学説の扱いである。因みにグーグルで「Definition of privacy」で検索すると上位10サイトのうちで「Westin」教授の名前を含むサイトは一つもない。実際、これをプライバシー権の“定義として”考えると次のような種々の問題が生じてくる。

定義としての自己情報コントロール権説の問題点

第一に、「自己情報をコントロールする」ことはプライバシーを保護する方法・手段の一つに過ぎないのであって、達成目標概念であるプライバシーそのものではない。定義は目標概念の本質論的考察から導き出されなくてはならないのに、護る手段・方法が自己目的化するのでは本末転倒である。

第二に、この説では自己情報を定義していないから範囲が広すぎる。したがって、乱用の危険性がでてくる。必ずしも“全ての”自己情報とはいっていないが、プライバシーに属するのは自己に関する情報のある一部に限るべきであるという制限的な主張が含まれていない。

第三に、自己情報をコントロールすることは、個人情報について財産権的な把握をすることが可能であることを前提とするが、この前提は現行の法体系下では成立しない。そもそも自己情報を“全て”自分でコントロールすることなどは不可能であるし、それを法律で守るべき法益として社会に認知せしめる必要もない。

第四に、同説は自律権に関するプライバシー権や、私生活の平穏・静謐を護る権利をカバーしていないから定義としては包括的でない。米国では、妊娠中絶問題のロー対ウエイド事件*3、安楽死のカレン事件*4やテレサ事件*5の例に見るとおり、不可侵私的領域(Untouchable personal domain)における行動や決定に介入されたり妨げられたりしない権利、すなわちある種の自律権が、プライバシーの最も重要な部分として認められている。日本では情報に関するプライバシー(インフォメーション・プライバシー)権ばかりが関心の的となっているのと対照的である。

第五に、自己情報コントロール権説は、住基ネット訴訟のベースとなっている一般不法行為理論と矛盾する。同説によれば、個人データが漏洩や盗難によって、本来の保管責任者の手から離れて放置されることは、情報主体者の自己情報コントロール権が侵されるわけだから、即プライバシー権侵害となる。ところが、民法第709条の一般不法行為が成立するためには次の四つの要件が全て充足されなければならない。すなわち、①加害者の故意、又は過失、②権利侵害の現実の発生、③損害の発生、および④侵害と損害発生の間の相当因果関係である。

住基ネットは、氏名・住所・生年月日・性別の基本4情報(以下、住基ネット・データと称する)を住民票コードで管理してネットワーク利用が出来るようにしているものだ。住基ネット・データは公知の事実であるからそれ自体にはプライバシー性はなく、秘匿したい事柄とアンカリング*6されてはじめてプライバシー権侵害となる。つまり、個人情報が漏洩して静的な侵害誘発状態に置かれたということは、セキュリティ事故が起きたことを意味するだけだ。プライバシー権侵害行為も損害の発生もまだ起きていないのだから不法行為の要件に合致しない。

公共財としての基本的個人識別情報

住基ネット・データのような基本的個人識別情報は、社会的な有用性が極めて高いものだから、一種の公共財として積極的に流通・活用したほうが社会全体のためにはよい。公知の事実であるからプライバシー性もない。住基ネット・データは、京都府宇治市のデータ流出事件において最高裁がプライバシーと認定したと称されることがあるが誤りである。最高裁の判決は、宇治市の「本件データは(旧)住民基本台帳法第11条*7によって何人も閲覧することができるもので、公開されている情報」であるから公知の事実であり、したがってプライバシーではないとの主張を退けたに過ぎない。

判決は、第一に住民基本台帳は国民の誰でもが閲覧することが出来るけれども閲覧には請求者の住所・氏名を明らかにして請求事由を明らかにするなどの一定の手続き上の制約が課せられているので単純な公開ではないこと、そして第二に4項目のほかにも転入日、世帯主名や続柄などの情報も一体化しているので、公開を欲しない情報と結びつく可能性もあることを指摘するものであった。判決は、それゆえに「住民基本台帳記載の全てが公知の故を持ってプライバシー権がないとまではいえない」と述べたものであって、それ以上はいっていない。それに、これは住民基本台帳データの流出事件であって住基ネット・データ流出事件ではない。

プライバシー権の憲法上の根拠

プライバシー権の根拠としての憲法13条説は、多くの学者や法律実務家によって支持されてきた。憲法学の泰斗、芦部信喜教授は、人格権の一つとしてのプライバシーの権利は、「学連事件、前科照会事件等の最高裁判決によって憲法上の権利としても確立した。それを広く、個人の人格的生存にかかわる重要な私的事項(たとえば容ぼう、前科など自己に関する情報)は各自が自律的に決定できる自由ということができる*8」、と述べている。

佐藤幸治教授も「プライヴァシーの権利は、個人が道徳的自律の存在として、自ら善であると判断する目的を追求して、他者とコミュニケートし、自己の存在にかかわる情報を開示する範囲を選択できる権利として理解すべきものと思われる。かかる意味でのプライヴァシーの権利は、人間にとって最も基本的な、愛、友情および信頼の関係にとって不可欠の環境の充足という意味で、まさしく『幸福追求権』の一部を構成するにふさわしいものといえる*9」と述べている。その他にも、錚々たる憲法学者が13条説を支持しているので、数の上からは本説が圧倒的に有利である。

13条根拠説批判

少数派ではあるが、伊藤正己(元)最高裁判事は、13条説に批判的な立場*10を取っている。筆者もそれを支持するものだ。伊藤は四つの理由を挙げているが筆者はもう一つ追加したい。 第一に、憲法13条は、国のあり方を示す客観的秩序を宣言するもので、具体的権利を与えるものではない。

第二に幸福追求権という観念はあまりにも不明確で漠然としているから、これを根拠とするのであればどんな法益でも成立してしまう。幸福追求権から派生せしめ得る憲法上の人権の候補としては、他にも環境権、日照権、眺望権、嫌煙権などいくらでもある。このどれかを憲法13条の幸福追求権に基づくものとして裁判所が承認すると、当該権利が憲法上の人権という名誉ある位置を占めることになる。それは司法による立法権の侵害に他ならない。

第三にプライバシー権という具体的権利の根拠となるためには法律上の当事者適格、権利の射程範囲、侵害に対する救済方法などが明らかにされねばならないにもかかわらず13条からはそれらが明確にならない。

第四に、憲法には私人間(しじんかん)効力の問題、すなわち近代憲法は、政府や自治体を対象とするものであって、私人間の関係は私的自治優先の原則に任せるから、憲法の規定は特別立法なしには私人間の関係には及ばないという基本原則があり、普遍性を欠く。したがってプライバシー権のような拡がりを持つ権利の根拠法たりえない。

筆者は、伊藤の反対論に次を第五の論点として追加したい。プライバシー権は自然権とは言えず、近代以降に形成された新しい人為的な人権であるので、既存の幸福追求権のような漠然とした条文に頼るべきではない。人為的かつ正当な立法措置を経て実体法として認知すべきものである。

もしプライバシー権が国家の成立以前に成立している自然権といえる性格のものであれば、たとえ憲法に明文化されていなくても憲法上の権利と考えることは出来る。しかし、プライバシー権は人々の生活が物質的に豊かになって、精神的な欲求が高度化してはじめて生まれ、社会的にも認知された新しい人権なのだから、明文規定のない憲法に根拠を求めるのは無理がある。

プライバシー権に限らないが、すべての権利を憲法上のものとして考える必要はない。プライバシー権は、自然権的な普遍的妥当性を備えている他の種の自由や人権と競合・衝突した場合の調整にあたっては、譲るべき場合がどうしても多くなる。しかし、プライバシー権はその生成が新しくかつその成立の過程に困難さが伴っただけに、儚いものであり、それゆえにこそ貴重なものである。

結論

住基ネットは、社会的に極めて有用な基本的個人識別情報を活用して、行政コストを削減し、かつ行政サービスを向上させるために必要不可欠な社会的インフラストラクチャーである。行政システムの向上は、現状の縦割り行政システムの横断的統合を行なうことがスタートとなる。住基ネットの住民票コードを行政機関が保有するデータベース全てに共通なプライマリーキーとして活用すれば名寄せが可能になるから、現状では全て縦割りとなっている行政システムを横断的に連結して個別の住民をターゲットとした行政サービス・システムをその上に構築することが可能になる。

プライバシー権は高級で高尚な人権だから十分に尊重しなければならないが、物で言えば奢侈品や芸術品に相当する。生活必需品ではないのだから、より基本的な人権や自由、および公益と衝突したり競合したりしたときには優先順位は低くなる。他の基本的な人格権と比べると優先順位が高いわけではないのだ。

全国各地で進行中の住基ネット違憲裁判は、誤った自己情報コントロール権説にとらわれて、しかも根拠が漠然としている憲法13条説を援用したものだ。筆者は原告の主要な論点は全て成立しないから、憲法上の問題は存在しないと考えている。すでに15ケースで判決が下されているが、違憲判決となったのは地裁で1件、高裁で1件に過ぎず、後は全て合憲判決だ。ただし、いずれも控訴・上告中だ。日本の法曹界は可及的速やかに自己情報コントロール権説の呪縛から逃れるべきだ。

参考文献

*1 判決が出ている住基ネット裁判15ケース:【地裁レベル】…金沢地裁(05.5.30 違憲)、名古屋地裁(05.5.31 合憲)、福岡地裁(06.3.14 合憲)、千葉地裁(06.3.2 合憲)、大阪地裁(06.4.7 合憲)、東京地裁(06.4.7 合憲)、和歌山地裁(06.4.11 合憲)、神戸地裁(06.6.9 合憲)、東京地裁(06.7.26 合憲)、横浜地裁(06.10.26 合憲)、さいたま地裁(07.2.16 合憲)、福島地裁(07.5.15 合憲)。 【高裁レベル】…大阪高裁(06.11.30 違憲)、名古屋高裁金沢支部(06.12.11 合憲)、名古屋高裁(07.2.1 合憲)。なお、この他に名古屋高裁(06.4.19 合憲)による「住基カード」のプライバシー権侵害訴訟における合憲判決がある。

*2 「ほうっておいてもらう権利」:1890年に刊行された「ハーバード・ロー・レビュー 193」にSamuel B.WarrenとLouis B. Brandeisが発表した論文 “ The Right to Privacy ”が、米国でプライバシー権の概念が形成されるに至ったきっかけである。同論文の中で、プライバシー権とは “ Right to be let alone “ (ほうっておいてもらう権利)と規定されている。米国においては現在でも判例にしばしば引用されている。

*3 ロー対ウエイド事件:米国テキサス洲の妊婦がおこした中絶の権利を求める裁判で、連邦最高裁は1973年にこれを認める判決を下し、人工妊娠中絶がプライバシーの権利の一部であると認めた。それまでは、多くの州において中絶は違法とされていた。

*4 木カレン事件:1975年、当時21歳であったカレン・アン・クインランは、パーティにおいて飲酒後に精神安定剤を服用したところ、突然昏睡状態に陥ってしまい、植物状態になってしまった。家族は担当の医師に生命維持装置をはずして安らかに死なせてやって欲しいと嘆願したが、医師はこれを受け容れなかったので、訴訟になった。第一審は家族を敗訴としたが、控訴審のニュージャージ州最高裁判所は「合衆国憲法により認められているプライバシー権は患者が治療を拒否する決定を下すことも含まれている」として家族を勝訴とした。皮肉なことにカレンは生命維持装置をはずされてからも自力呼吸を続けて9年間も生きながらえた。

*5 テレサ事件:1995年、米フロリダ州でテレサ・シャイボ(当時26歳)という女性が植物状態になり、その後栄養チューブによる延命治療を受けてきた。2003年に至り夫が尊厳死を求めて訴訟を起こして、これを認める判決を勝ち取りチューブははずされた。ところが、カレンの場合と異なり女性の両親はこれに反対して訴訟をおこしたので激しい論争が起きた。フロリダ州の上下両院は、知事に裁判所の決定を覆す権限を一回だけ与えるという珍しい臨時の時限法案を緊急可決したのでブッシュ知事は再び生命維持用の栄養チューブを挿入させる異例の命令を出した。これを不満とした夫は州裁判所にて提訴し、州裁判所は再び夫の希望を認めたので、テレサさんの栄養チューブは2005年に再度、取り外された。キリスト教右派などが延命を求めて抗議行動を展開するなど大論争が起こった。テレサはそうした中で同年3月31日についに息を引き取った。

*6 アンカリング:カナダ生まれの米国の社会学者、アービング・ゴフマンは、個人識別情報と秘匿したい事柄が結ぶつけられることをアンカリングとよび、アンカリングこそがプライバシー侵害の本質であると述べた。

*7 (旧)住民基本台帳法第11条:1.何人でも、市長村長に対し、住民基本台帳の閲覧を請求することができる。2.前項の請求は、請求事由その他自治省令で定める事項を明らかにしてしなければならない。ただし、自治省令で定める場合には、この限りではない。(以下、略)

*8 芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法〔第3版〕』岩波書店2002年 118ページ

*9 佐藤幸治『憲法〔第3版〕』青林書院1995年p453~454

*10 伊藤正己「憲法 第三版」1999年 p229~230

プロフィール
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<あおやぎ・たけひこ>
国際大学グローコム客員教授【情報社会学、サイバーロー(情報法)】1934年生まれ。1958年、東京大学卒。伊藤忠商事(株)入社。1985年から1995年まで日本テレマティーク株式会社(NTTと伊藤忠の折半出資によるソフト開発会社)社長、1995年から2006年3月まで国際大学グローコム教授。主な著書:『ネットワーク戦略』、『グローバル企業の情報戦略(共著)』、『2005年日本浮上(公文俊平らと共著)』、『サイバー監視社会』、『個人情報「過」保護が日本を破壊する』他。