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往復書簡シリーズ 設計未来 : ポスト情報化社会を展望する

鬼木 甫×湧口清隆

電波オークションをめぐって

湧口清隆/第2信 (1)

2012年3月5日

鬼木甫 先生

拝復

大変長い間ご無沙汰してしまい、誠に申し訳ございません。あっという間に1年余りの歳月が経過してしまいました。この1年、未曾有の大災害に相次いで遭遇し、大学の学科長としてその対応や復興支援に追われたほか、台風12号による紀伊半島大水害では、私自身が学生を引率して学長とともに熊野川上流の北山川の河畔に滞在しており、もう少し水位が上がれば寝ている間に濁流に流されるという体験をしました。これらの災害に直面し、通信ネットワークのあり方についてもずいぶん考えさせられました。同時に、これだけ全国各地で大災害が相次ぐと、「リスク分散」を抜本的に考え直さねばならないということを痛感しました。

社会マネジメント学科は、福島県本宮市・スパリゾートハワイアンズ、新潟県津南町・佐渡市、長野県栄村・上田市、株式会社つかもと(茨城県)、神奈川県相模原市、静岡県焼津市、愛知県新城市、三重県熊野市、JA紀北かわかみ(和歌山県)、鳥取県・境港市と、地域連携・産学連携事業を展開してきましたが、この1年で約半数の地域が大災害に遭遇しました。これだけ、地域が分散していても、災害が大規模化、広域化するなかで、多くの地域が一度に被災することがありますし、後述する紀伊半島にしても400ミリの雨には対応できる備えをしていても、東京の年間降水量に匹敵する1600ミリの雨が一時に降れば、大災害になってしまいます。それだけに今日、安全、安心の確保を最優先するならば、経済論理とは別の考え方が必要なのではないかと思われるのです。

1.東日本大震災

東日本大震災の時は、大学で会議中でしたので、その夜は帰宅難民に陥りました。また、卒業式だった翌々日には計画停電で電車が止まり、片道30kmの道を自転車で往復しました。大震災時には学生12人が福島県本宮市で農村インターンシップをしており、うち2人は帰京途中の郡山駅で地震に遭遇しました。郡山駅の2人も含む学生全員は、本宮市の担当者の尽力で57時間後には帰京できました。現地が停電し、携帯電話もつながりにくい、携帯電話の充電もままならないなかで、彼女たちへの連絡には一斉メールが役立ちました。メールを受信できた学生が代表して全員の状況について返信してもらう方法により、震災当日の夜までに全員の無事が確認され、帰京計画も迅速に伝わり、大学側で受入れ態勢をとることができました。

東日本大地震に続く長野県北部地震及び4月11日の余震では、インターンシップの受入れや産学連携・地域連携プロジェクトで交流があったスパリゾートハワイアンズや新潟県津南町、長野県栄村が被災しました。これらの地域に地震当日に学生がいなかったことは、大学にとっても、また余分な対応を強いることになる先方にとっても幸いでした。 ちなみに、私はPHS派なので、震災当日、家族との連絡には全く困らなかったのですが、同僚たちの多くは携帯電話で連絡がつかず、相次いで歩いて帰りました。夕方から政府は職場にとどまるように指示していたはずですが、情報が伝わってきませんでした。

2.台風12号による紀伊半島大水害

写真1
氾濫した北山川、川の中ほどの木は本来、道路端にある。

写真2
小川口の水位観測所、観測所が一時水没したことが分かる。

一方、台風12号では、三重県熊野市との交流行事が9月4日に予定されていたことから、3日から熊野市紀和町に滞在していました。滞在していた小川口集落や滞在予定だった湯ノ口集落では家が数軒流失、流失しなかった家も1階天井まで水に浸かるという被害が出ました。幸い滞在していたホテルは高台にあったため、辛うじて階段4~5段下で水が止まりましたが、現地到着と同時に停電、断水、4日朝には携帯電話はもとより公衆電話も不通、集落に通じる道は土砂崩れで通行止めとなり、孤立してしまいました。熊野市役所も冠水し、通信設備が水没、市のインターネット・サービスも1か月近く使用不能となりました(4日午後に市役所は衛星電話を設置)。滞在している集落の甚大な被害状況について把握していても、上空にはヘリコプター1機すら来ないし、通信手段が途絶しているためにその情報を外部に伝達することができないもどかしさを痛感しました(我々の予定の調整も含めて、最後には伝令を立てて対応)。また、テレビも見られないため、他の地区の状況も、東京での報道も分からず、我々が紀伊半島全体の状況を知ったのは5日深夜に東京にたどり着いてからでした。この間、学生の家族が大いに心配して大学に連絡してきたのですが、市役所も衛星電話に頼らざるを得ない状況のなかで、無事であるが故に安否情報を発信してくれるようにお願いできなかったというのが真実です。また、現地では電池式の充電器の入手も困難となっており、被災地域外に出ても携帯電話には苦労しました(トイレも同様)。現地の道路が大渋滞するなかで、白浜から動いていた最終列車に何とか間に合い、新大阪駅でN700系の「のぞみ」に乗り換えた時、学生が一斉にやり始めたことは携帯電話の充電でした。

3.自然災害の経験から考えたこと

写真3
紀宝町と新宮市の間にかかる熊野川の橋、橋の下を通っていたケーブルが流木などで切断されたことが分かる。

今回の水害を体験して分かったことは、長期にわたり停電すると、携帯電話はもとよりコンピュータも使えなくなり、インターネットも機能を果たせなくなるということです。携帯電話や無線インターネット接続サービスが災害に比較的強いと言っても、土砂崩壊や橋の流失が起こると、バックボーンとなる固定回線のケーブルも断絶してしまいます。稼動しているパソコン端末どうしを無線でつないでアドホックな通信回路を設定するシステムを導入するなり、衛星回線を使うしかありません。仮にバックボーンが無事であったとしても、電力供給が断たれると機能が停止してしまいます。端末についても同様で、自動車のバッテリーを使って携帯電話やパソコンの使用に最低限必要な電気を確保できたとしても、交通インフラが断絶してしまうと燃料不足に陥ってしまい、わずかな電気の確保すら難しくなるのです。

自らが災害時に災害現場にいた体験を通じて、小電力と無線通信、特に衛星通信の確保が如何に重要であるのかを痛感しました。これらの点は電波政策とも密接に関連する問題です。

電波オークションをめぐって

プロフィール写真:鬼木甫
鬼木 甫
(おにき・はじめ)
1933年生、東京大学経済学部卒業、スタンフォード大学大学院(1968年PhD)、東北大学助教授、ハーバード大学助教授、クイーンズ大学准教授、大阪大学教授・大阪学院大学教授等を経て2009年より(株)情報経済研究所代表取締役・所長。主著『電波資源のエコノミクス』(2002年、現代図書)。
プロフィール写真:湧口清隆
湧口 清隆
(ゆぐち・きよたか)
1972年東京生まれ。一橋大学商学部・大学院商学研究科、フランスHEC(学部時代に1年間交換留学)で学んだ後、2000年~2004年に国際通信経済研究所に勤務。九州大学大学院比較社会文化研究院客員助教授を経て、2004年から相模女子大学で教鞭を執る。2001年に一橋大学で「博士(商学)」を取得。専門は交通・公共システム論、情報通信の経済学。