鈴木崇弘/第1信 (2)
2011年3月8日
ボトムとトップ双方の人材流動がなければ行政主導は変わらない
そうした課題に取り組む上で、何が日本の行政機構を動かしがたいものにしているかという庄司さんの疑問にお答えするなら、やはりそれは人材の流動性が無いということに尽きるのでしょう。
霞ヶ関でも、最近は人材のリボルビング(回転)ドアということが叫ばれるようになって、役人出身で行政の現場を知る人が議員になる動きが強まったり、専門性の高い閣僚に民間人を登用したりと、多少は流動性が高まっているのかもしれませんが、役所の中に本格的に民間人が入っていって活躍できるような状況までには残念ながら至っていません。
こうした行政機構の人材の流動性については、アメリカでの民間人の政治任用の仕組みが一つのモデルになるかと思うのですが、向こうの場合は若いうちから現場のスタッフとして役所に出たり入ったりしています。だから、民間人が行政機構のトップに起用される場合も、基本的に行政の現場ではどういうことが行われているか、省庁の内外にどのようなネットワークがあるかなどを一通り経験的に掴んでいるので、実効的なマネージができるわけです。だからそういう仕組みまで考えないかぎり、日本で形だけ民間人の大臣を登用しても何もできないでしょう。
実際、2009年には脱官僚を掲げた民主党による政権交代が行われたわけですが、トップダウン式に官僚主導を変えようとしても、ボトムのレベルでトップのアイディアを受け取って咀嚼して具体的な政策にするメカニズムがまだできていなかったために、成果を上げたとは言いがたい状況にあります。むしろそこで混乱ばかりが生じてしまっていて、そこだけをみて、メディアなどでは自民党の方が良かったというようなことが一面的にいわれてしまっていることは、非常に由々しい問題だと思います。もちろん民主党中心政権の問題自体も多々ありますが。
しかし、時計の針を逆に戻すことはできないわけですし、もう日本人自身が政権を交代することによってどういうことが起きて、それをどういうふうに国民がサポートしてくかということも含めて考えてくための仕方のないレッスン期間だったと捉えるしかないでしょう。
むしろ現在の問題は、行政そのものよりも政党マネジメントの問題が大きいと思います。おそらく中選挙区制の時代に作られた政党マネジメントのしっぽが自民党にも民主党にも残っていて、小選挙区制の下での政治主導を進めるためのトップの選び方や、整合性ある政権公約の作成作法がまだできていないのではないかと、強く思わされることが多いです。
とにかく今の日本の政党は、執行部やトップが変わると全然性格の違った組織になってしまうので、一貫したマネジメントが皆無です。もちろん、政治が人間の営みである以上、そういう属人的な部分を持っている必要もあるとは思うんですが、現状あまりにも党内の人間関係に依存しすぎている弊害の方が大きいことは間違いないでしょう。
ここで庄司さんからお尋ねいただいた、行政主導を打破して民主主義を機能させるためのあるべき政党像を考えるなら、政策立案面ではシンクタンクなどを駆使して高い専門性を確保しながら、それを一般の民意に訴求すると共に、民からの意見を取り入れるような双方向的な広報の役割も担い、それを実現するためのお金集めや政局面でのタフ・ネゴシエートもこなさなければならないわけですね。そして内部でそうした機能を並立させるためのトップをどうやって選んでくかという仕組みも備えなければならず、ある意味で究極の組織作りだと言えるでしょう。
比較的似ているのは大学やメディアだと思いますが、さらに難しいのはその上で組織として固定しきった組織になっても駄目だということですね。もし一度決めて全く変わらない組織になってしまったら、社会の変化についていけなくなってしまうので、政党はオープンエンドな存在でなければならない。
こういう究極の組織作りとしての難しさを、国民の側もわきまえた上で主体的にコミットする姿勢がなければ、なかなか行政主導の政治システムを変えていくことはできないのではないかと思いますね。