鈴木崇弘/第1信 (3)
2011年3月8日
アジアのシンクタンク事情と日本での新しい動き
とはいえ、日本の行政主導の政治風土は律令制度以来の伝統だから変えられる見込みはない、などとは絶対に思ってはいけないと思います。
なぜなら、その律令制度の本家本元で、しかも今現在も形の上の民主主義国ですらない中国でも、民間のシンクタンクが育ち始めているからです。しかも、政府からの拘束もあまり受けてないそうです。私は、そのことを知って、相当なショックを受けました。
これは元々、五ヵ年計画などの計画経済を進めてきた社会主義国では、さまざまなの研究所による政策研究が組織的に行われ、その成果がいかされてきたという土壌があります。それが中国の現状を生みだしてきているという背景があるといえるでしょう。日本も行政機構が肥大した国家社会主義的な国なのに、本格的な研究所を使うという文化がなく、専門性が十分とはいえない官僚が国の計画を作成してきており、どうも中途半端な体制をつくってきたのです。
さらに、政党シンクタンクについては、完全に韓国には負けてしまっていますね。韓国では政党助成金の三割を使ったシンクタンクを政党ごとに設けなければいけないという仕組みがあって、社会の側がそういう機能にお金を出すは当然という認識があるようです。政治家ごとの公設の政策担当秘書も、韓国は日本より一人多くて二人います。やはり韓国の場合は市民運動の系譜が日本と違って強く、自分たちで軍政から民主主義を勝ち取ってきたという意識が強いからでしょう。
さらに言えば、大学人や有識者・専門職者などのインテレクチャルの社会に対するコミットメントも強い。おそらく日本にも戦前まではそういう気質があったのでしょうが、太平洋戦争への反省や大学紛争の挫折を経て、韓国のように自分たちが社会をリードしているという自負が、アメリカの庇護下での経済発展の代償として持ちえなかったことが、こうした社会活動やシンクタンク事情の差にも繋がっていると思います。
ただ、以上のような近代史上の偶然から新興のアジア諸国にも大きく後れを取ってしまったとは言え、日本でもここ10年くらいの動きとしては、青山社中や政策工房のように、官僚機構の中にいた人たちが外に出て独自に政策に関する活動をする組織を打ち立てようというような動きが着実に出てきています。彼らの動きが従来とは違うのは、それまで役所を辞めた人はほとんど政治家になるコースしか存在しなかったんですが、むしろ民間の中で専門性を活かした政策ビジネスを打ち立てようとしていることです。
人間の能力を強化していくための社会的機構には、以前は官僚制と市場の二つしか無かったが、ここ10年くらいでネットワークの力が加わってきたと、ある本に書かれていたのですが、僕はこのうちの官僚制については、むしろ「専門性」と言い換えるべきだと思っています。官僚制というのは、あくまでも社会的に必要な専門性を確保するための一つのパスに過ぎなくて、そこにはアカデミズムやNPOなどを含めた、もっと別の専門性の達成手段があるということを認識して、そこを上手く取り入れて、多様な専門性を社会に担保していくことが必要であるという意識改革がまず必要だと思います。
その上で、現代社会における民主主義の遂行において一番重要なポイントは、民意(政治的要請)と、多様性のある専門性とのバランスをどうやって取るかだと思うんですよ。その観点を踏まえて、官僚たちが牛耳っていた従来の仕組みに替わるだけのスキームがまだ作りえていない中で、政治家の頭の中だけで考えたトップダウンによる「政治主導」を無理矢理成し遂げようとすることによって、ここ20年の政治の混乱が起こってきたように思います。
日本にシンクタンクを根付かせるかという課題は、まさにこのような、民意と多様な専門性とのバランスをとる枠組みをいかに作るかということに他ならないのではないでしょうか。
さらに、専門性の部分での多様性と主体性を高めていくシンクタンクの育成と並んで、社会の側で統治機構を自ら使っていくのだという、いわば「シチズン・リテラシー」とも呼ぶべきものを踏まえた市民の側のコミットメントの意識、つまり覚悟が車の両輪のように高まらなければいけないと思います。
こうした社会の側のパブリックな領域への意識は、ここ10年のネットワークの力の高まりなどによって、どのような変化が見られるのでしょうか。情報技術と政策研究の関わりについて、詳しく現場をご覧になってこられた庄司さんの視点から、ぜひご教示と今後に向けてのご示唆をいただければ幸いです。
2011年3月8日
鈴木崇弘