山口 浩/第1信 (1)
2010年11月29日
GLOCOM 渡辺智暁さま
山口です。このたび、「集合知の未来を考える」というテーマで往復書簡をすることになりました。よろしくお願いいたします。
「集合知」への様々なイメージ
とはいえ、どこから始めていいのか若干とまどっています。そもそも、「集合知」ということば自体、必ずしも明確な定義をもったものではないわけで、誰かと話していても、互いに持っている「集合知」のイメージがちがったりすることもよくあるわけですから。
たとえば、集合知を、最近現れたネット上の現象とみる人が少なからずいます。しかしご存知の通り、そもそも集合知自体は、別に最近新たに見つかったものではありません。古代ギリシャの民主政をはじめ、合議制による意思決定システムは歴史上数多く記録されていますし、記録に残らないところでも無数の意思決定が集合知によって行われていたでしょう。また、そもそも集合知は人間に固有のものでもないわけで、生物の集団があたかも1つの生命体であるかのようにふるまう行動は、細菌も含む幅広い種にみられます。
また、「知」というと何か、非常に賢いとか正しいとか、そういった「ふつうより上」というイメージを持つ人もいますが、必ずしもそうである必要もないわけです。その意味でいうなら、しばしば集合知と対極のように語られる「衆愚」も、また集合知の一部であるということになるでしょう。つまり集合知は、私たちの周囲にずっと昔から当たり前のものとして存在していたものであるわけです。
とはいえ、それが今になって注目を集めるようになったのは、やはりコンピュータとインターネットの発達によるものです。これらの技術によって、私たちは、情報を処理する力、人と人とを結びつける力を大幅に増大させることとなりました。もちろんこれらは、基本的に人間の能力を拡張するものであって、人間そのものを変えるわけではないのですが、これまで私たちの社会が前提としてきた制約条件が大きく変わったのは事実です。それによって、集合知がもたらしうるメリットやデメリットの規模も、その結果として社会に与えるインパクトも、大きくなってきたことは否定できません。
そういう意味で、ここでは、集合知の中でも主に、人と人がネットを介してつながることにより生まれる新たな「知」を主に念頭において書いてみます。
集合知の何に注目するかについても、人によって差があるように思われます。たとえば、集合知による予測や意思決定がしばしば高い精度を示すことや、逆にカスケードや衆愚などに陥ってあまり賢明でない結果を生み出すこともしばしばあることなど、集合知による意思決定を関心の対象とする人たちがいます。また、集合知を活かすことで組織改革やコスト削減がはかれるなど、意思決定プロセスへの影響に注目する人たちもいます。中には、集合知を形成するプロセスに多くの人々が参加すること自体にイデオロギー的な意義を見出す人もいるでしょう。他にもいろいろな視点があると思います。
このままだと論点を絞れないので、とりあえず、今私がやっていることから書き始めてみたいと思います。この10月から11月にかけて6回にわたり、ここGLOCOMで「ネットの力、みんなのチカラ」というシリーズ講演会のプロジェクトを実施しました。これは、簡単にいえば、「ネットを使ってみんなの力を集めると世の中はもっとよくできるんじゃないか」という共通テーマを設定して、何人かの方にお得意の領域でご講演いただくというものです。ネットでみんなが力を合わせるという話ですから、これ全体が集合知を取り上げたものとみることができるかと思います。
いろいろな話があってとても面白かったのですが、共通する要素としてひとつ感じたのは、「なんでもただみんなの力や知恵を集めればいいというもんじゃない」という、考えてみればしごく当たり前の話です。これに関し、あまり語られることがないようですが、けっこう根本的で、少し面倒な論点があると感じていたので、この点をまずご質問してみたいと思います。